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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第三十七話/最後の晩餐

 秋山は最後に水野匡彦を取り調べ室に一人残した。部屋の蛍光灯は淡く揺らぎ、外からの雑音もほとんど届かない静寂の中、秋山は机の向こうに腰かけ、冷静な声で問いかける。目的は明確だった――彼等四人の狂気を全て暴くのではなく、水野自身の“仕事”への執着、その本質を聞き出すことにある。

「君の仕事は何だ。君自身の言葉で説明してみろ。」

 水野は一瞬黙り込み、額に手をやり、机の上に置かれた資料や写真に目を落とす。そこにはマリリン・モンローの写真や、彼が集めた顔料、ラフスケッチが散らばっていた。指先がそれらに触れるたび、微かな震えが走る。目は光を失っていない――それは狂気ではなく、執着そのものの光だった。

「……私は、まだ終わっていない。マリリン・モンローを、完璧に再現するまで、私の仕事は終わらない。」水野の声は低く、しかし確固たる信念に満ちていた。言葉の端々には自らの“作品”に対する責任感と誇りが滲み出ており、それはまるで創造者が未完成の絵の前で立ち尽くす姿のようだった。

 秋山は黙ってそれを聞き、時折資料に目を走らせる水野の指先を観察する。顔料の微細な粉の粒や紙の質感に執着するその手の動き、呼吸のリズム、目の奥の光――すべてが水野の内面の論理を物語っていた。取り調べ室の空気は重く、二人の間に張りつめた静寂が漂う。外界の倫理や法律の尺度は、今や水野の仕事への執着という一点に集約されていた。

「なぜ、マリリン・モンローなのか?」秋山は静かに、しかし核心を突くように問いかける。

 水野は目を細め、微かに唇を動かす。「マリリン・モンロー……彼女は、現代社会の象徴だ。美しさ、脆さ、消費される存在……すべてが一枚の絵として、私のコラージュに必要だった。」その言葉には狂気の匂いがあるものの、同時に芸術家としての論理も確かに存在していた。水野にとって、これは単なる殺人ではなく、作品を完成させるための素材収集に他ならなかったのだ。

 秋山は水野の心理を見極めながら、問いを続ける。「君は自分の行為を正当化しているのか、それともただ“完成”を見たいだけなのか。」

 水野は一瞬考え込み、やがて低く笑む。「正当化など必要ない。私はただ、完成を見たいだけだ。終わらせたい……マリリン・モンローを、完璧に、私の手で。」手元の資料を握る力が強まり、微かな汗が額を伝う。未完の作品を前にした水野の全神経は、それに吸い寄せられ、外界の善悪や罰はもはや意味を持たなかった。

 秋山は深く息を吐き、目の前の男の執着を冷静に分析する。ここに残された水野の心理、未完の作品への執着、それ自体が事件の核心であり、四人のネットワークを超えた個人の狂気の中心にあるものであった。取り調べ室の空気は重く、しかし静謐で、二人の間に流れる時間は、まるで作品の完成を待つキャンバスの前の沈黙のように長く伸びていった。

 この瞬間、秋山の頭の中では、水野の心理的構造が完全に描き出されていた。未完のマリリン・モンローという象徴を目の前に、狂気と創造の境界に立つ水野――彼の存在は、もはや単なる犯罪者ではなく、芸術家としての偏執的な精神そのものを体現していたのだった。


 秋山は水野匡彦の独白を静かに聞き終えると、ゆっくりと机の向こうに座ったまま声をかけた。「君たちは明日、移送される。」その言葉には冷徹さと同時に、微かな慰めの意が混じっていた。水野を含む修復家ネットワークの四人が、もはや日常に戻ることはない――それを告げる予告でもあった。

「恐らくは、実社会での君らの生活はこれで最後だ。だが、私は君たちへの手向けとして、最後の晩餐を送ろうと思う。」秋山の声は穏やかで、しかし確固たる意志を帯びていた。彼は目の前の男の執着を尊重しつつ、現実の秩序を守る者としての冷静さも失わなかった。「君は……最後に食べたいものはあるかね?」

 水野は目を伏せ、薄暗い部屋の片隅に置かれた資料や顔料、写真に目を落としながら、小さな声でぼそぼそと答える。その声は、独り言のように震え、しかしどこか作品への執着と自己認識が混ざり合った響きを持っていた。「……ステーキを……厚切りで……赤身がいい……」

 秋山はその返答を静かに聞き、微かに頷く。「わかった。用意させる。」その言葉だけを残し、秋山は部屋のドアを開けて立ち去る。部屋の中には水野の独り言と、淡い蛍光灯の光が残される。彼の瞳には、未完のマリリン・モンローのイメージが揺らめき、口元には微かな緊張と期待が混じった表情が浮かんでいた。

 ドアが閉まると、部屋は再び静寂に包まれる。水野の呼吸のリズムだけが、暗い空間に反響する。彼の手は資料の上に置かれたまま、指先が微かに震えている。未完の作品への想い、最後の晩餐という象徴的な場面、そして自らの運命――それらすべてが、彼の内面で複雑に絡み合い、冷たい部屋の空気を揺らしていた。

 秋山が去った後、水野はしばし沈黙したまま、自分の想像の中でマリリン・モンローを完成させようとする。手元の顔料、写真、ラフスケッチ……それらすべてが、彼の中で作品として結晶しようとするが、現実には彼の意思だけが残る。移送される日が迫る中、彼の心には未完の作品への執着と、極限の孤独が同居していた。

 そして水野は、小さな声で独り言を繰り返す。「まだ……終わっていない……まだ、私の手で……」その言葉は部屋の壁に反響し、静寂の中で薄く震えた。秋山が残した最後の晩餐の意味、そして現実の秩序と向き合う覚悟が、水野の中でゆっくりと形を変えながら、未完の狂気として存在し続けていた。


[完]

本作は、絵画と狂気、そして人間の執着を巡る物語として綴った。犯人たちの行為は極限の異常性を孕むも、解析と観測の視点から見れば凡庸さが際立つ――そんな二重性を描きたかった。人の命も狂気も、時に「作品」の一部として切り取られ、冷徹な論理の前ではただのデータになる。

読者の皆さまには、恐怖と美、秩序と混沌の狭間を旅する感覚を少しでも味わっていただければ幸いである。


Kindleで連載している小説なので初見の方には恐らくは「蛇の目」という存在は言葉足らずなのは間違いないと思います。

この作品が気になった方はKindleUnlimitedで読み放題で読めるので、機会があればそちらでお会いしましょう。

htpps://lit.link/fuyuharu123

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