第三十二話/グレイトフル・デッド
三人の修復家――伊東美奈子、小川亮、中村智久――は、役割こそ異なるが、同じ“計画”の内側にいた。
水野匡彦が語った「最後の作品」の構想は、彼らの狂気の共同幻想としてじわじわと肥大し、そしてついに実行段階へと移されていた。
誘拐された十三人は東京湾岸の工業地域の一角に、地図にも載っていない老朽化した大型倉庫の地下に運び込まれた。もはや製造ラインも撤去された空洞のような広い地下室。コンクリートの壁には、かつての用途を思わせるボルト穴とひび割れが走り、湿気を孕んだ冷気が薄い霧となって漂っていた。
そこに、十三脚の椅子が円形に配置され、その中央には巨大な木製の作業台が鎮座していた。台の上には、顔料、薬品、拘束具、カメラ、スケッチブック、複数のライトがあり、それらが三人の修復家の“制作環境”を形作っていた。
◆ 被害者たちの恐怖と混乱
意識を取り戻した十三人は、順に恐怖を刻んでいった。
最初に泣き出した少女は、椅子に固定された自分の両手を見て声にならない悲鳴を上げた。
壮年の男性は状況を理解しようと目を見開くが、周囲の異様な配置、そして静かに佇む三人の人物を視界に入れた瞬間、次第に呼吸が浅くなる。
高齢の女性は震える唇で祈りの言葉をつぶやいた。
隣に座る青年は声を押し殺しながら拘束具を外そうとするが、椅子に固定された金属の締め具はビクともしなかった。
「……ここは、どこなんですか……誰か……誰か助けて……」
それぞれが異なる状況で誘拐され、共通点もわからず、何が起きているのか理解できないまま、ただ恐怖だけが蠢いていた。
その中心に、修復家たちは静かに立っていた。
◆ 修復家たちの“儀式の始まり”
「時間はそろいましたね……」
伊東美奈子が無機質な声で言った。
白衣の袖を整え、手にはスケッチブックを持ち、ページをめくりながら淡々と被害者の顔を見比べていく。
「配置はほぼ問題なし。あとは色調……光源を調整させて」
小川亮がライトの向きを変え、影の落ち方を丹念に確認していく。光が顔に刻む陰影の強さ、輪郭の形、首の角度――それらすべてを“作品”としての基準に合わせて調整した。
中村智久は椅子の間をゆっくりと歩き、それぞれの顔を真正面から見つめた。
観察する目は芸術家そのものであり、恐怖に怯える人間を素材としてしか見ていない。
「ユダは……この男だな。目の奥に良い“濁り”がある」
「ペトロはこの方。輪郭と骨格が使える。彫りの深さも近い」
「トマスは……。ああ、この若い子でいい。表情筋の張りがまだ強い」
彼らの言葉が被害者の耳に届くたび、十三人の中で悲鳴が上がり、嗚咽が漏れ、祈りが深まり、狂気の波が一点に収束していく。
恐怖はやがて空気を震わせ、地下室全体を覆い尽くした。
◆ “最後の晩餐”のための配置
三人の修復家は絵画を描くように被害者たちを配置し、顔の角度を変え、時に髪を持ち上げ、時に額に触れ、時に顎を強引に上げさせた。
抵抗しようとすると、金属音とともに締め具が強引に固定され、皮膚に食い込んで悲鳴が上がった。
「イエスに相応しい中心人物は……美奈子、あなたが選んで」
小川が言う。
伊東美奈子はしばらく十三人の顔を眺め、ゆっくりと歩み寄った。
中央の椅子に固定されたのは、会社員の女性――柔らかな目元を持ち、恐怖に震えながらもどこか気丈さを保とうとするその姿に、伊東は“中心性”を見出した。
「あなたがイエス。美しい中心点になっていただけます」
女性は首を激しく振るが、声は泣き声に潰れて言葉にならなかった。
◆ 狂気の“下絵”
伊東はスケッチブックを開き、震える被害者たちをモデルに素早く線を引き始めた。
鉛筆の音だけが地下室に響く。
「筆致は問題なし……。やっと、やっと完成する……」
小川はライトの角度を変えながら、皮膚の凹凸を観察し、必要な修正箇所を伊東に伝える。
中村は“素材”の皮膚の色、髪の色、目の色、それらが絵画としての統一性を持つかどうかをひたすら検討していた。
「後で色を合わせる。髪色は統一してもいいかもしれない。染料は持ってきている」
「皮膚の血色は……必要なら調整可能だ」
その“調整”が何を意味するのか、被害者たちには想像するだけで十分すぎる恐怖だった。
◆ 抵抗と絶望
一人、壮年の男性が全力で拘束を壊そうと手首を捻った。
しかし、金属の束縛具は彼の皮膚を裂き、血が溢れ、悲鳴が反響した。
その悲痛な声に、別の若い女性が泣き崩れた。
「お願い……お願いだからここから出して……!」
涙と鼻水で顔を濡らしながら、必死に訴える。
しかし修復家たちの表情は変わらない。
「泣き顔も悪くない。ヨハネは涙で頬のラインが際立つ方が“らしい”からね」
小川が淡々と言うと、女性はさらに絶望的な悲鳴を上げた。
恐怖が形を成し、地下室の空気を揺らした。
◆ “儀式的”な制作準備
中村がカートを押してきた。
そこには以下の物が整然と並べられていた。
・天然顔料
・白亜
・麻布
・溶剤
・手術器具
・染料
・拘束具
・大量の注射器
被害者たちはそれらが何に使われるのか理解し、全員が絶望の色に染まった。
中村は穏やかな声で呟いた。
「さあ、素材は揃った。
あとは……君たちを“形”にしていくだけだ」
◆ 三人の修復家の狂気の一致点
伊東は絵画の歴史的価値に囚われ、
小川は芸術表現の極地に取り憑かれ、
中村は日本画の伝統と素材の“研究”に心を奪われていた。
三人の狂気は違う方向から始まりながら、
今ここに、完全に一本の線として繋がっていた。
その線の先にあるのは――
最後の晩餐という“十三人の大量殺人”という完成形。
◆ 制作開始の宣言
伊東美奈子が作業台の前に立ち、長い息を吐く。
スケッチブックを閉じ、ゆっくりと振り返った。
「……始めましょう。
修復家としての、私たちの最後の作品を」
ライトが一斉に点灯し、十三人の顔に容赦なく光が刺さる。
被害者たちの悲鳴が交錯し、地下室の空気が震え始めた。
その瞬間、三人の修復家の表情には“歓喜”すら宿っていた。
彼らはこれから実行する行為を、
殺人ではなく――
芸術の完成
と信じて疑わなかった。
その地獄のような“制作風景”は、これから延々と続いていく。
そしてその頃、地上では――
科警研第二課と蛇の目が、水野の供述から残り三人の行方を追い、
“最後の晩餐”の惨劇を阻止するため、夜の都市を走り始めていた。
——十三人が同時に消えた。それは都市の情報網にとって、巨大な「穴」として現れた。
蛇の目は通常、個々の失踪――GPSの途絶、駅構内カメラの消失、スマホ通信記録のブランク——を異常と判定する。しかし今回は違った。十三の点が、一つの巨大な影に吸い込まれるように、同じ時間帯で消えた。それは偶然ではありえない。蛇の目はこの現象に“パターン崩壊”のラベルを付け、最高度のアラートを自動発令した。
蛇の目の処理層は通常の10倍速で回転し、膨大な都市データを同時多発的に解析していく。
行方不明者の最終捕捉地点、交通流の変化、配送車の異常なルート、電力消費の微妙な揺らぎ、そして廃施設の監視カメラの“仕様外の沈黙”。
情報は砂粒のように無数に散らばり、矛盾を抱え、互いに干渉し合っていた。
だが、蛇の目の推論機は一つの奇妙な収束を示し始める。
四人の修復家が選んだ十三人は、偶然に見せかけて必然の構図を成していた。
“最後の晩餐の座席配置との空間的相似性”
蛇の目はそうラベルを付け、解析画面に十三の痕跡を座標として再構成する。
すると——都市地図上に別の意味が浮かび上がった。
十三人の最終位置が作るのは、ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》の構図を水平に引き延ばしたような“帯”だったのだ。
ヨハネに相当する人物は水野の旧アトリエ近くで消え、ユダに相当する人物は老朽化した高速道路下の暗渠で途絶していた。
マタイ、タダイ、シモンに振り分けられた三人は工業地帯の外れで痕跡を消し、
イエスに該当する“中心人物”の最終位置は、蛇の目のアルゴリズムを異様に刺激した。
それはまるで、誰かが意図的に都市全体を巨大なキャンバスに見立て、
十三人を“構図の座標”として配置したかのようだった。
蛇の目は次に、彼らが“どこへ運ばれたか”を推定するため、
移動経路の不自然な収束点を探り始める。
大量の監視映像が一斉に解析キューへ流し込まれ、
蛇の目の画面には異常フラグのついた映像が次々に再生された。
・深夜にカバーのかけられた大型バンが三度、同じ倉庫街を通過している
・行き先不明の産業廃棄物処理車のGPS記録が微妙に改ざんされている
・電力会社の記録に、通常よりも大きな地下設備の電力消費が現れている
・地図上には存在しないはずの“旧地下実験施設”の電源ラインが、なぜか生きている
蛇の目は、これらのデータを項目ごとに並列処理し、
収束点として最も可能性が高い“空間的窪地”を推定した。
それは……
旧防疫研究所跡、地下三階――行政地図から抹消された無人区画。
蛇の目は直ちに第二課へ通信を送る。
〈警告。十三人の被害者は“地下空間”へ移送された可能性が高い〉
〈候補地点を提示——優先度A。旧防疫研究所跡地下三階〉
〈目的は“最後の晩餐”構図の制作と推定〉
〈急行を推奨〉
だが蛇の目は、そこからさらに深い“分析”へと踏み込んだ。
修復家ネットワークは、単に絵画を模倣しているのではない。
彼らは構図を“儀式”として再現している。
蛇の目は四人の修復家の行動パターンを時系列で重ね、
次の仮説を導き出す。
「——最後の晩餐は“展示”される」
「——観衆は必要ない。作品は“完成”すればよい」
「——ゆえに、展示場所は“見られない場所”である」
そして蛇の目は突き止めた。
旧防疫研究所の地下三階には、
“隔離区画12”と呼ばれる封鎖された食堂跡が存在する。
その間取りは、偶然にも《最後の晩餐》の長いテーブル配置と酷似していた。
そこはかつて、感染リスクのある研究員が
“最後の食事”を取るためだけに作られた、
閉ざされた部屋。
蛇の目は最後の推論を二課へ送信する。
〈推定:修復家ネットワークの“展示空間”は隔離区画12〉
〈十三人の配置は《最後の晩餐》に準拠〉
〈完成した作品は、時間経過とともに“損壊”する前提で作られている〉
〈急行しなければ、彼らは“塗り潰される”〉
蛇の目の分析は、
これ以上ないほど明確に“死の現場”を指し示していた。




