表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/37

第三十一話/画材

 部屋に広げた十三枚の白紙。

 その余白は、これから“人間という絵具”で埋まるべきキャンバスで、彼女はそこに静かに息を吹きかけた。冷たい夜風が窓の隙間から入り、紙の端をめくる。そのひとつひとつが呼吸をしているように見え、美奈子は知らず微笑む。

「どの顔が最も静謐かしら」

 美が決まるのは“均衡”だ。

 バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ――列に並んだ名は、まるで巨大な祭壇の上で肉体を待つ空洞の器のようで、彼女はそこにふさわしい人間の顔の骨格、肌の色、血の流れ方、痛みによる歪みの特徴を想像していく。

 彼女にとって“殺し”とは存在しない。

 ただ、絵具を攪拌し、明度を計算し、構図に合わせて素材を選ぶだけ。

 机に置いたタブレットには、蛇の目が収集した膨大な人相、生活パターン、ソーシャルデータが並んでいる。一般人にはただのデータベースだが、美奈子には違う。美の素材庫だ。

 彼女は指先で画面を滑らせ、顔を整列させた。

 最初に選んだのはヨハネ。

 女性的な線を持ち、怯えを表情として浮かべやすい骨格。顔の幅が狭く、死の瞬間に生じる筋肉の硬直が美しい“揺らぎ”を生む。光を受けたときの陰影の緩やかさも計算のうちだ。

 次に選ばれたのは小ヤコブ。

 顔の立体が乏しく、むしろ“背景と馴染む顔”。最後の晩餐の中で主張しすぎず、空間を“支える”役割。

 美奈子の基準はただ一つ――

 殺しの瞬間、最も美しい顔をするのは誰か。

 彼女は人間の恐怖の表情を愛していた。

 その一瞬の美を固定し、作品に封じ込めることが“修復家”としての自分の存在理由だと信じている。最後に残った席――裏切り者ユダの位置を見つめ、思わず息を止めた。

「裏切りの顔……あなたはどこにいるのかしら」

 タブレットをスクロールしながら、彼女は確信する。

 この十三のうち“主題”となるユダの顔だけは、誰よりも魅力的でなければならない。

 恐怖か、絶望か、憎悪か、諦念か――その全てを孕む顔を。

 やがて彼女は一人の男性の顔に指を止めた。

 無名の会社員。孤独、貧困、誰にも注目されない“影”。

 その虚無の表情は、死の瞬間に劇的に変化するだろう。

「あなたに決めた……ユダはあなた」

 美奈子は白紙の上にその名をそっと書き込む。

 紙がわずかに震え、まるでその名前がそこに“降りた”ように見えた。


 美奈子が“顔”を選ぶなら、亮は“身体”を見る。

 十三人の配置――

 誰がどの角度で倒れ、どの方向に血が流れ、死後硬直は何分後にどれだけ進行し、腐敗がどう作品の温度を変えるのか。

「作品は構図だ。魂なんて要らない」

 亮はボードの前に立ち、金属パーツの模型を使いながら、最後の晩餐のテーブルを実寸比で再現していた。

 各人物の位置に合わせて小さな模型を配置し、身体がどの程度曲がり、どの方向に力が抜けるかを細密に計算する。

 犠牲者の選定基準は冷酷で実用的だ。

 ・身長

 ・骨量

 ・死亡直後の筋肉の収縮癖

 ・脂肪のつき具合

 ・出血した際の流動性の違い

 など、全てが作品の完成度に関わる。

 例えばフィリポに求められるのは、両腕を大きく広げたその“問いかける姿勢”。

 亮は腕の可動域が広く、関節の柔らかい青年を選んだ。

 対照的にペトロには力を持った腕が必要だ。

 力強い筋肉の緊張が、テーブルの上での動きを強調する。

 トマスは前傾姿勢を維持できる人物。

 猫背気味の壮年男性を候補に追加した。

 亮にとって犠牲者の“人格”など何の意味もない。

 身体の特性だけが重要で、彼は人間をまるで素材の塊のように扱った。

「実に良い比率だ」

 そう呟きながら、彼は選んだ十三人の身体データをテーブル模型に重ね合わせ、血液の流れをシミュレーションした。

 赤いインクを垂らす。

 滲む。

 広がる。

 床へ落ちる。

 それはまるで、実際の犠牲者の未来を描いているようだった。

 亮の目は、創造者のように静かで、破壊者のように冷たい。


 智久はこの三人の中で、最も“地上に根ざした現実”を扱う。

 彼の仕事は

 誘導、確保、運搬、処理、遺体の配置、空間の封鎖

 すべての現実的側面だ。

 つまり、彼が選ぶのは

 “連れて来やすい犠牲者”

 である。

 彼は都市の地図を前に、複数の赤いピンを打ち、犠牲者候補の生活動線を追跡していた。

 深夜帰宅する習慣、バス停の位置、死角の多い通路、人気のない公園、監視カメラの角度。

「割れ目……割れ目が欲しい」

 智久はいつもこう言う。

 都市構造の“割れ目”、つまり監視と監視の間に生じる隙間、都市の目が届かない盲点だ。

 彼はまずマタイにふさわしい人物を選んだ。

 裕福で、しかし孤独な男。金を扱う職種で、人間関係が希薄。

 誘拐されても捜索が遅れ、発見も遅れる。

 次にシモン。

 老人ホームで介助の合間に外出する機会のある老人。

 行動ルートは単調で、智久にとってはもっとも“連れやすい”。

 選定は非情に合理的で、効率的で、最も“人間らしい悪意”を帯びている。

 だからこそ、三人の修復家の中で、彼が最も“犯罪者”に見える瞬間がある。

 智久は、最後の晩餐の中央――

 イエスにふさわしい人物

 を探すときだけ、少しだけ迷いが生じた。

 イエスには静かで、まっすぐで、象徴性の高い“核”が必要だ。

 智久は地図上の一点で指を止めた。

 “ただ生きているだけ”の青年。

 友人も家族も薄い影のようで、存在が淡く、しかし優しさを失っていない。

 誰も気づかないまま消えてしまうような人。

 智久は小さく呟く。

「君なら……中心になる」

 それは選定というより、どこか“選んでしまう”感覚だった。


 深夜3時すぎ。

 三人は同じテーブルに集まり、十三人分のデータを並べた。

 伊東美奈子は“表情の美”。

 小川亮は“身体の器としての適性”。

 中村智久は“誘導と消失の容易さ”。

 それぞれの選定基準は異なるはずなのに、十三人のリストはすべてが自然に“噛み合っていた”。

 まるで──

 この都市そのものが、十三人を選ぶために設計されていたかのように。

 美奈子が囁く。

「これで……十三人の素材が揃ったわ」

 亮が頷く。

「構図も、配置も、完璧に組める」

 智久が地図を巻き取り、静かに言う。

「動きは俺がやる。十三人、全員捕れる」

 都市の夜風が窓を震わせた。

 紙の上に並べられた十三の名前が、一斉に微かに揺れた。

 それはまるで──

 作品化される運命を受け入れたかのように。

 三人の目が交わった。

 その瞬間、

「最後の晩餐」は完成に向けて動き出した。


 夜明け前の工房。

 伊東美奈子、小川亮、中村智久──三人は巨大な白布を広げ、その中央に薄墨で一つの線を引いた。それは、蛇の目が最後に導き出した「巨大作品」、すなわち**《最後の晩餐》**における長いテーブルの輪郭だった。

「十三の席……揃えなければ、完成しない。」

 伊東が呟く。

 その声には罪悪感も、躊躇もない。

 ただ使命としての静謐さがある。

 三人はそれぞれの役割を決めた。

 伊東美奈子:全体構成、象徴的役割人物の選定

 小川亮:ロジスティクスと移送

 中村智久:肉体そのものの“仕上がり”を決める最終審美

 こうして、彼らは十三人の誘拐を「作品の素材集め」として開始した。

【Day1】バルトロマイ(素朴な労働者)

 最初に選ばれたのは、早朝の市場で働く三十代の男性・杉本弘樹だった。

 伊東は遠くから彼を見つめ、「純朴で、静かだ。最初の素材にふさわしい」と判断した。

 小川は鮮魚の匂いのする路地に車を止め、搬入口の影で待つ。

 中村が杉本に声をかけた。

「すみません、手伝ってもらえませんか。荷物が重くて」

 男が油断した瞬間、背後から小川がクロロホルムを含ませた布を押し当てた。

 それは完璧に訓練された動作。

 最初の誘拐は静かに成功した。

【Day2】小ヤコブ(若さと素直さ)

 標的は塾帰りの高校生・三宅遼太。

 帰宅時間が一定で、家族の保護レベルが低い。

 伊東は言った。

「彼の眼差しがいい。無垢さが、作品の第二席を満たす。」

 中村は制服姿の遼太を見て、淡く頷く。

「線が細い。まだ『形』を変えやすい。」

 誘拐は駅から住宅地までの薄暗い坂道で行われた。

 自転車を止めさせ、小川が声をかける。

「チェーン外れてるよ」

 遼太が振り向いた瞬間、スタンガンの火花が青く跳ねた。

【Day3】アンデレ(冷静さと兄弟性)

 ターゲットは会社員・村田一輝。

 兄弟の面倒をよく見ていた男で、伊東は「兄弟弟子の象徴」として選んだ。

 小川は時間厳守のサラリーマンの生活パターンを徹底追跡し、残業帰りの人気のない高架下で急襲した。

 村田が抵抗しかけたその腕を、中村は迷いなくひねりつぶした。

「素材」への遠慮は、彼にはすでに存在しなかった。

【Day4】ユダ(裏切りの象徴)

 伊東は言った。

「彼は、自らを裏切り続けている。だからこそ選ばれる。」

 対象はギャンブル依存症の男・相良健太郎。

 深夜の多重債務者御用達の雀荘から出てきたところを、小川が接触した。

「タクシー代くらい貸しますよ」

 油断した瞬間、相良は闇の中に引きずり込まれ、麻酔で沈められた。

 中村はその顔を見て、満足げに呟く。

「いい“影”だ。彼の存在が作品を締める。」

【Day5】ペトロ(悔恨と激情の二面)

 対象は、娘の不登校を悔いる中年男性・花井司。

 伊東はその“悔い”の深さに作品の象徴性を見出した。

 保護者会後、雨の校庭で俯く花井に近づく。

「大丈夫ですか? 車までお送りしますよ」

 傘越しに近づいた瞬間、中村が注射器で即効性の麻酔を打ち込んだ。

 彼は一声も上げる暇がなかった。

【Day6】ヨハネ(若さと献身)

 対象は介護士の女性・内海優衣。

 献身的な日常が「愛する者の隣に寄り添うヨハネ像」に合致した。

 深夜、老人ホームの裏口を出た瞬間、小川が廃棄物搬入口に彼女を引き込んだ。

 優衣が震えながら「どうして…?」と呟くと、伊東はただ静かに言った。

「あなたは、必要なのです。」

 その声は慈悲にも似ていたが、優衣の恐怖を深めただけだった。

【Day7】イエス(中心に立つ象徴)

 三人は議論した。

 最も慎重に選ぶべき素材──中心に座す者。

 伊東はデータを見つめ、ある女性の写真を指差した。

「この人がいい。中心で輝く“静かな強さ”がある。」

 対象は講師の女性・日比谷真千子。

 育児と仕事を両立し、誰からも慕われている。

 その“中心性”が、皮肉にも彼女を標的にした。

 誘拐は早朝の保育園前。

 子どもを抱えた直後、小川が声をかける。

「すみません、すぐ近くで事故が──」

 子どもを別の職員が預かった瞬間、中村が真千子を後方に引き倒し、ワゴン車の中へ押し込んだ。

 彼女が最後に聞いたのは、子どもの泣き声だった。

【Day8】トマス(疑い深き者)

 対象は大学院生・笠松駿。

 常に周囲を警戒し、他者を信用しない。

「疑念の象徴だ」と中村は言った。

 笠松は研究室を出たあと、裏道へ入る際に数分立ち止まり背後を確認する癖があった。

 だがその慎重さは、逆に孤立した空間を生み、誘拐を容易にした。

 背後から伊東が声をかけた。

「忘れ物ですよ」

 振り返るその一瞬を、麻酔針が奪った。

【Day9】大ヤコブ(責任と重圧)

 対象は教師・佐野瑛士。

 重責を抱えつつも、常に毅然。

 伊東は言う。

「彼の“責任の線”が欲しい。」

 誘拐は体育館裏。

 部活の見回りのあと、一人になった瞬間、小川が後方から羽交い締めにし、中村が迷いなく薬剤を注入した。

【Day10】フィリポ(実直な者)

 対象は郵便配達員・岡本周平。

 律儀で、時間に忠実。

 配達ルートを三日かけて把握し、早朝の住宅地で誘拐。

「まっすぐすぎる人間は、直線で描きやすい」と中村はつぶやく。

【Day11】マタイ(記録者)

 対象は税理士・阿久津理人。

「数字に囚われた者。いい“記録”の象徴だ」と伊東。

 深夜帰宅のタイミングで、マンション地下駐車場にて誘拐。

【Day12】タダイ(静かなる者)

 対象は図書館司書・石黒紗月。

 存在感は薄く、しかし知性がある。

 図書館の閉館後、裏口で誘拐された。

 彼女が最後に見たのは、段ボールに詰められた未整理の本だった。

【Day13】シモン(熱心党)

 最後のターゲットは政治活動家・藤谷烈。

 情熱的で、声が大きい。

 伊東は言った。

「最後の席は、熱を持った者でなければ締まらない。」

 藤谷は街頭演説を終え、仲間と別れた後、車の陰に消えた。

 そのまま戻ってこなかった。

 中村は満足げに言った。

「すべて揃った。これで、作品が始まる。」

 ◆完了:十三名の“画材”が揃う

 これらすべての誘拐は、12日間で完了した。

 異常な計画性、無駄のない連携、そして狂気に支配された“審美眼”。

 三人の修復家は、十三人を巨大な地下施設に集め、

 白布で覆われた長いテーブルを囲ませた。

「これで……《最後の晩餐》は完成へ進む。」

 その瞬間、

 蛇の目が最後の警告を二課に叩きつける。

「十三名の犠牲者パターンを検知──最終作品の構築が開始されています」

 恵美は震える指で通信端末を握りしめ、

 秋山は小さく息を呑んだ。

 戦いは、ここからが本当の地獄だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ