第三十話/コラージュ
取調室の空気は、夜明け前の冷たさに似て張り詰めていた。蛍光灯の白い光の下、水野匡彦は手錠をかけられたまま静かに椅子に腰掛けていた。姿勢は崩れていない。拘束されているにもかかわらず、彼の呼吸は異様なほど落ち着いている。まるで自宅のアトリエで画布を前にしたときと同じ心拍数なのだろう。
秋山は正面に座り、恵美は少し後方に立つ。片瀬と渡辺は観察室からモニター越しに見ていた。
水野は、入室した瞬間から微笑を崩していない。その笑みは挑発ではなく、自分だけが真実を知っているという確信に満ちたものだった。
「水野匡彦。村上紗英さんに対する拉致未遂容疑。それに加えて、複数の殺人事件への関与が──」
秋山が読み上げようとした瞬間、水野はふっと口元を緩め、静かに言った。
「──あなた方は根本的に、間違った前提で世界を見ています。」
恵美の背筋がぴたりと強張る。
このトーンは、狂気そのものだ。だが狂気だからこそ、核心をつける瞬間がある。
水野は淡々と続けた。
「我々は、コラージュなんです。」
秋山の眉がわずかに動いた。
「コラージュ……作品技法のことか?」
「ええ。複数の断片的要素を組み合わせて、一つの作品を構築する。美術の基礎ですよ。あなた方は“犯人”を個別に切り分けようとしている。だが、それは最初から間違っている。素材を単体で見ても、作品の本質には触れられない。」
彼は手錠の音を立てず、まるで見えない画布を撫でるように両手を動かした。
「私自身が素材なんだよ。」
恵美の喉が音を立てて震えた。
“素材”──それは、彼の犯行衝動を正当化する論理ではない。
もっと別の意味を帯びていた。
秋山は慎重に問いかける。
「素材……とは、“誰か”に使われているという意味か?」
水野は静かに目を閉じた。その動きには奇妙な安堵すら漂っていた。
「使われているのではありません。選ばれた、と言った方が近い。ひとつの巨大な作品を完成させるために、我々は断片として招集された。コラージュの素材……色、質感、形状、歴史……それらを揃えるために、役割が割り振られた。」
恵美の指先が震え、ペンがわずかに音を立てて転がった。
まるで彼は、最初から“犯行グループ”の存在を肯定しているようだった。
秋山が低く切り込む。
「断片とは、水野……お前を含めた四人の修復家のことか?」
「四人……?」
水野はくすりと笑った。
「まだ“4”と思っているんですね。」
その瞬間、観察室の片瀬がざわりと動いた。
渡辺がすぐ耳元で囁く。
「……奴、まだ隠れてる仲間がいるって言ってるんじゃ……」
秋山は質問を重ねようとするが、水野は唐突に話題を変えた。
「あなた方、今頃気づくはずですよ。“3つの空白”。」
その言葉が落ちたとき、取調室にけたたましい電子音が鳴った。
蛇の目からの緊急ログだ。
秋山のスマホに、画面がほぼ白くなるほどのアラートが流れ込んでくる。
【警告:修復家候補 伊東美奈子/小川亮/中村智久──所在ロスト】
【各種監視網・交通カメラ・SNS・金融ログ・電波反応 全系統で追跡不能】
恵美が顔色をなくした。
「嘘……同時に三人も……?」
蛇の目は続けてログを吐き出す。
【推定:意図的な離脱行動。単独犯行モデルの否定。
“共同制作モデル”の確率上昇──98.4%】
秋山は息を飲む。
水野の言っていた“断片”の意味が、ようやく繋がり始めていた。
水野は恵美の震える目を覗き込み、囁く。
「あなた方、ようやく“作品”の全体像を観測し始めた……そういう顔だ。」
◆蛇の目による“修復家ネットワーク”の仮説
直後、蛇の目は自動的に分析モードへ移行した。
あらゆるデータソースを同時照合し、空白の三人が消えた理由を推測し始める。
【解析開始──モデル:修復家ネットワーク】
画面には高速でデータが積み上がり、数秒ごとに数百行単位で情報が更新されていく。
蛇の目は、四人の生活圏、行動時間帯、通信履歴、研究テーマ、学会、展示会、画材取引、過去に遡っての顔料購入履歴まで全てを抽出した。
そして15分後、一つの巨大な推論モデルが浮かび上がる。
【仮説:修復家ネットワーク】
四人は互いに表向きの交流を持たず
SNSやメールなどの可視化可能な手段も用いず
目的のためだけに「断片」として動く“共同制作者”であった。
【行動様式】
小林和樹=キュレーター(素材選定)
山内久美=意図的な素材誘導(第一素材) ※既に排除済み
水野匡彦=色彩担当(アズライト・天然顔料)
伊東美奈子=装飾・構図調整の専門家(和画修復)
小川亮=モデル選出・画廊ネットワーク(供給源)
中村智久=最終描画・肉体加工の専門家(日本画家)
蛇の目はさらに、とどめの一行を送り出した。
【結論:犯行は単独ではなく、
“複数の修復家による一連の巨大作品”として進行している可能性──
確率 99.2%】
恵美の口から小さな悲鳴が漏れた。
水野は、それを待っていたように瞼を開く。
「そう……ようやく見えたでしょう。私たちは、それぞれの断片。
でも本当の“作者”はあなたたちがまだ辿り着けていない。」
秋山が声を荒げる。
「作者……? まさか、お前らの“頂点”がいるのか?」
水野はゆっくりと笑い、
「絵画には必ず“主題”があります。
だけど主題を決めるのは、画家だけとは限らない。」
と呟いた。
その瞬間、蛇の目が最後のログを吐く。
【最終警告:修復家ネットワークの“統括者”の存在を示唆する複数の痕跡を検知
コードネーム:影の修復家(The Hidden Conservator)】
秋山が絶句する。
恵美の全身が震え、息が詰まる。
片瀬と渡辺も観察室で目を見開いていた。
――修復家はまだ終わっていない。
むしろ、ここからが本当の戦いの始まりなのだ。
水野匡彦の取り調べ室は異様な静寂に包まれていた。蛍光灯の白い光が天井から垂直に落ち、机の上に置かれた資料や端末の影を淡く引き延ばす。その静けさの中で、水野は薄ら笑いを浮かべ、どこか楽しげに、しかし狂気に満ちた口調で話し始める。「お前たちは、間違っている……我々は、コラージュなんだ」その言葉には、異常な自信と確信が同時に宿っていた。彼の声は静かだが鋭く、室内の空気を切り裂くかのように響く。
水野はさらに語り続ける。「コラージュとは、断片的な素材を集め、一つの作品として完成させる方法だ。紙の切れ端や写真、絵の具の塊――それらを組み合わせて初めて作品は完成する。だが、その素材の一つ一つもまた、作品の一部として存在している」指先で空中に描くように語るその動作には、まるで頭の中で視覚化された作品を手繰り寄せるかの緊張感がある。
彼は一呼吸置き、声を低くして続ける。「私もまた、コラージュ素材の一つだ。私の行動、私の意図、私の執念――すべてが、最後の作品を構成するための断片だ」その表情には狂気の美学が宿り、聴く者の理性を静かに揺さぶる。
その瞬間、蛇の目が端末を通じて衝撃的な事実を弾き出す。秋山が画面を覗き込み、数字と位置情報を確認する。「伊東美奈子……小川亮……中村智久……所在不明」解析ログは冷徹で、曖昧な表現は一切なく、三人の痕跡が完全にロストしていることを示していた。課室にいる二課の面々は一瞬息を飲む。恵美の指が微かに震え、片瀬と渡辺の視線はモニターに固定される。
蛇の目はさらに冷静に論理を展開する。コラージュというワード、そして水野の発言内容から導き出された仮説は、修復家ネットワークの存在だった。つまり、彼らは単独で動くのではなく、複数人の協力の下、芸術作品としての殺人を完成させるために行動している可能性が高いというのだ。そのネットワークは計画的かつ組織的であり、水野はその一部に過ぎない。
水野の供述はさらに深まる。「モンローは、私たちの最後の準備のための素材だ。だが、私一人で完成させられる作品ではない。あの三人……彼らと共に、最後の作品を完成させる」言葉の端々に狂気の彩りがあり、同時に計算された合理性が見え隠れする。二課の面々は言葉を失い、緊張で息が詰まる。最後の作品とは一体何か。水野の視線が冷たく交錯するたび、理性と恐怖の境界が崩れていく。
蛇の目は独自の推論を開始する。過去の一連の絵画殺人の作品群と、水野や失踪中の三人の修復家候補者の動向を突き合わせ、次に完成させられる作品を弾き出した。その答えは、芸術史の象徴的な作品――レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だった。蛇の目の分析によれば、この作品に描かれる十三人の人物は単なる象徴ではなく、殺人計画の対象者の数と位置を暗示している可能性が高い。バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペトロ、ヨハネ、イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモン――十三人、これは前例のない大量殺人の構図を意味する、というのだ。
秋山は画面を凝視し、冷静に眉を寄せる。「この計画は、単なる殺人ではなく、芸術作品として構成されている……」声が低く震える。恵美は背筋に冷たいものが走り、片瀬と渡辺も無言で画面を見つめる。心理的衝撃が一瞬で課全体に広がる。
水野は供述を続ける。「最後の晩餐は、私たちの手で現実に再現される。モンローはその序章に過ぎない。全ては、コラージュとして、私たちの手で完璧に組み上げられる」彼の声には、狂気の美学と合理的計算が交錯し、聴く者の理性を揺さぶる。
蛇の目は分析を重ね、失踪中の三人の位置、動向、心理傾向、可能な潜伏場所、過去の行動パターンを基に「最後の晩餐」を完成させるためのシナリオを予測する。潜在的被害者のリスト、移動経路、都市の地理情報、監視カメラの死角――すべてが統合され、最後の瞬間までの行動計画を解析する。二課はその情報を受け取り、潜在的被害者の保護、逃走経路の封鎖、三人の追跡計画を同時並行で検討する。
課室の空気は緊張で張り詰め、静かな恐怖が満ちる。恵美は深く息を吸い込み、冷静を装いながらも胸の奥で戦慄を覚える。「これが……最後の作品……なの……?」視線はモニターに釘付けになり、心理的圧迫が身体に重くのしかかる。秋山は端末を叩きながら指示を飛ばす。「全員、潜在的被害者の移動と周囲警戒を最優先!水野と三人を同時に追跡、阻止しろ!」
水野の論理と蛇の目の予測、そして二課の追跡計画が交錯する瞬間、心理戦は頂点に達していた。都市の夜は静寂に包まれているが、その静けさの裏で、最後の作品を巡る狂気と理性の戦いが暗闇の中で進行している。最後の晩餐を現実世界に再現させるために、十三人の命と、都市全体の秩序が、いま危うく揺らいでいるのだった。




