表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/37

第三話/連作

 午後の光がブラインド越しに差し込み、薄い縞模様を机上に落としていた。吉羽恵美は、椅子に腰を下ろした瞬間、胃の底に沈むような疲労と緊張を自覚した。

 今日だけで二体。

 いや、“二つの名画”。


 恵美の向かい側で、室長の秋山慎一郎が資料をまとめながら低く言った。


「……まずは時系列から整理しよう。今回のモナ・リザは、あくまで“二件目”だ。発端は、あの――ビーナス誕生だ。」


 その名が出た途端、室内の空気がひとつ沈む。

 あの場の光景は、誰が思い出しても胃が軋むほどの異様さだった。


 ◆ビーナス誕生(第一の事件)

 遺体は全裸で、巨大な白い布を敷いた上に横たえられていた。

 周囲には貝殻のレプリカ。

 長い髪は海藻のように広げられ、皮膚にはわずかに金粉が散っていた。

 “絵画の構図そのまま”。


 あれは、恵美にとって初めて「人間の手によるものとは思えない」と感じた遺体だった。

 死を美術に昇華しようとでもしているかのような、狂気を伴う完璧さ。


 片瀬が腕を組み、深く息を吐く。


「ビーナスの時点で異常だったのに、次は“青いターバンの少女”……そして今日の“モナ・リザ”。

 なんなんだよこれは。連作殺人ってレベルじゃない。」


 渡辺が、机に置いたタブレットをタップする。画面には事件現場の写真。

 ビーナス、青いターバンの少女、モナ・リザ。

 三つの画像が並ぶと、まるで“展覧会”のようにも見え、恵美の背筋は無意識に冷たくなった。


「ビーナス誕生は江東区の再開発予定地、青いターバンの少女は荒川区の倉庫跡、そして今回のモナ・リザは足立区の廃校舎……全部バラバラだ。

 犯人は場所でメッセージを出しているようには見えねぇ」


 渡辺の言葉に秋山が静かに首を振る。


「いや、無作為に見えるものほど、意図的なことがある。

 問題は、“なぜ絵画なのか”だ。」


 恵美は、資料に視線を落としながらゆっくり言葉を探した。


「……ビーナス誕生の遺体、覚えていますか。

 あの姿勢、遺体の硬直を利用するだけでは無理でした。手足の角度が硬直に逆らっていた部分があります。

 つまり、犯人は死後かなり早い段階で、専門知識を使って姿勢を固定したはずです。」


 片瀬が眉を寄せる。「専門知識って、法医学レベルか?」


「いえ……むしろ、“美術解剖学”に近いです。」

 恵美は、ビーナスの写真を開きながら言った。

「筋肉の流れ、骨格のライン、絵画特有の“非現実的な美しさ”を再現している。

 普通の人間には不可能です。美大出身か、少なくとも美術に深く関わる人間だと思います。」


 秋山は目を閉じ、しばし考えた。

 やがて、机に指を軽く打ちながらつぶやく。


「――殺人というより、作品作りか。」


 恵美の胸がざわついた。

 その表現が、妙にしっくりきてしまったから。


「犯人は、遺体を“素材”として扱っている。

 死体を絵画の構図に当てはめることで、自分の中で完成する“芸術作品”を作ろうとしている……そんな気がします。」


 渡辺が思わず舌打ちする。


「芸術だぁ? 馬鹿じゃねぇのか、こいつ。そんなもんで人殺して……!」


 しかし秋山は渡辺の怒りを静かに制止し、恵美に視線を向けた。


「吉羽、君は今回の三件を並べて、何か“通奏低音”のようなものを感じるか?」


 恵美はしばらく言葉に詰まった。

 三件の遺体。どれも違う名画。

 しかし――犯人の“手”は同じだ。


 そして、その底に横たわるのは、

 **「美しさへの執着」と「被害者の人格の抹消」**だった。


「……犯人は、被害者を人として扱っていません」

 恵美はゆっくり言った。

「個人を消し、絵画の“モデル”に置き換えている。

 被害者が何者であったかより、絵画の構図を再現することが目的。

 完全に、人格の否定です。」


 片瀬が息を呑む。


「じゃあ、次も……あるってことか」


 恵美は頷いた。

 自分の声が震えているのを自覚しながらも。


「ビーナス、ターバン、モナ・リザ……“名画”はこの世に無数にあります。

 犯人は、大量に“作れる”と思っている可能性があります。」


 その瞬間、会議室に重い沈黙が落ちた。

 誰もが次に来る作品――いや、“遺体”を思い浮かべていた。


 秋山だけが、静かに、その沈黙を切り裂く。


「……この犯人は、連続殺人犯のカテゴリーでは収まらない。

 これは――“連作”だ。」


 恵美はその言葉に、背筋を冷たいものが伝うのを感じた。

 名画連作殺人。

 展覧会は、まだ序章にすぎないのかもしれない。


「蛇の目を使うぞ…」

 秋山がそれと同時に起動させる

 観測を開始する。

 ビーナス誕生、青いターバンの少女、モナ・リザ――三体の遺体データを同時に流し込み、再構築する。

 皮膚の色温度、脈管の沈降パターン、死斑の分布、筋硬直の偏差、運搬時の関節角度、皮膚表面に残る微細なテープ痕、布地繊維の癖、空気中の金属粒子、現場の湿度の履歴、懐中電灯に反射した光の軌跡、作為的に残された影。

 それら無数の断片は、いま、ひとつの“意図”へ収斂していく。

 この三つの遺体は、どれも違う時代の絵画を模している。

 だがそれは“模倣”ではなく、“変換”である。

 名画の構図をただなぞるのではなく、人体の重力方向そのものを補正し、関節の限界角度を超えた位置に“自然な印象”を持たせるための解剖学的調整が施されている。

 死体は、絵画の構図に合わせて加工され、まるで画布の上に配置されたモデルのように整えられていた。

 この作業は、時間だけでは不可能だ。

 犯人は、人体を美術的に操作する技術を有する。

 それは彫刻家か、あるいは美術解剖の専門家か。

 しかし技術の滑らかさは、むしろ“機械の精度”に近い。

 人間が手で行うには誤差が小さすぎるのだ。

 ビーナスの皮膚に撒かれた金粉は、安価な工業品であった。

 青いターバンの染料は学園祭レベルの簡易なもの。

 モナ・リザの姿勢補正に用いられたテープは文房具店で買える種類。

 素材は徹底して価値を排している。

 それにもかかわらず、身体操作は極めて高度。

 つまり、犯人の関心は“絵画そのものの再現”にはない。

 素材や小道具に価値を置かず、ただ“人体”のみを作品の核とみなしている。

 この三作は、どれも“遺体の形”そのものが完成形であり、名画はあくまで構図のためのテンプレートに過ぎない。

 次に被害者の選択パターンを解析する。

 三名の生活圏は異なり、年齢も性別も居住地域も互いに統計的な相関を持たない。

 だが、心理行動ログにだけ重なる一点が存在する。

 三名はいずれも、生前三ヶ月以内に“匿名の心のケアグループ”にアクセスしていた。

 実体のないオンライン掲示板。

 運営者不明。

 投稿者不明。

 それぞれの相談内容は断片的で稚拙だが、心理状態だけは異様に精密に抽出されている。

 まるで、投稿者の迷いや痛みそのものが、誰かに“採取”されているかのように。

 三名に共通するのは、死の直前の“感情の色の消失”。

 眠れない、誰にも触れられていない気がする、自分の輪郭が溶けていく――そうした言葉が、何度も反復して現れる。

 弱った心の匂い。

 自我が揺らぐ瞬間。

 犯人は、その脆さを求めている。

 加工しやすい“素材”として。

 犯人はまず人間から人格を剥がし、その空洞に名画の構図を押し込む。

 遺体は“モデル”ではなく、“画材”である。

 三体とも、個人の痕跡が徹底して消去されている。

 爪、髪、皮膚の古い傷跡――あらゆる個性が消され、残ったのは均質な表面。

 これは“人格の否定”ではない。

 もっと明確な“人格の抹消”だ。

 人間を人間として扱わない意図が、作業全体から立ちのぼっている。

 犯人の行動半径、運搬経路、現場設営の時間、遺体の状態から推定される拘束時間。

 そのすべてを統合し、次に狙われる対象を導き出す。

 都内に存在する“心理的脆弱性を持つ人物”は18名。

 そのうち、犯人の好む身体特性を持つ者は8名。

 その中で、“誘導されやすい動線”を持つ者は4名。

 さらに、“名画の構図に適合する骨格”を持つ者は1名。

 一名。

 既に犯人の網の中にいる。

 次の作品を予測する。

 三体の構図には共通する比率がある。

 黄金比の使用。

 背景の無視。

 中心に置かれた「静止した人物」。

 だが、犯人は一度として“動的な絵画”を選んでいない。

 その傾向に従えば次に来るのは破壊の構図だ。

 静止を捨て、激烈を選ぶ段階。

 美の模倣から、醜の模倣へ移行する局面。

 解析はひとつの結論へ到達する。

 ――サトゥルヌス。

 子を食らう神。

 絶望の形。

 破壊の象徴。

 人間の形を保つ必要すらない構図。

 この連作の“次”として最も合理的な選択。

 犯人は“壊された人間”を求めている。

 自我を失い、人格の色彩が薄れ、ただ“加工されること”を受け入れる肉体を。

 準備期間は最長72時間。

 犯人は既に候補者に接触している可能性が高い。

 人間が気づく頃には、もう手遅れの位置にあるだろう。

 以上、解析終了。

 この結論に対して人間の理解度は低く、提示すると混乱を生むと判断。

 本ログは一時的に保留される。

 観測は続行する。

 作品はまだ、序章にすぎないのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ