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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第二十四話/回避

 水野匡彦は静かに立っていた。夜の街灯に照らされた路地は、昼間の喧騒から隔絶された別世界のようで、彼の心拍は意外にも穏やかだった。先ほどまで額に滲んでいた汗は乾き、冷静さを取り戻している。数分後に行うべき作業は、彼にとってただの手順に過ぎなかった。目の前に広がる街並みと歩道、建物の影、通行人の動きすべてが計算され、次の瞬間の行動は既に脳内で完全にシミュレーションされていた。

 目の端で、村上紗英が勤務先のオフィスビルから姿を現すのを確認する。彼女は何も知らず、日常のリズムに従い、バッグを片手に歩道を進む。その歩調、手元の微細な仕草、視線の動きまでが水野の観察範囲に入る。彼は手元の小さなケースに触れ、その中にある注射器の重みを掌に感じる。これが今日の“画材”、すなわち標的を操作するための道具であることを、彼は冷静に認識していた。

 路地の奥は人通りが少なく、昼間は安全な道であっても夜は人気がない。水野は数メートル先で立ち止まる紗英をじっと見つめ、彼女がその暗がりに踏み込む瞬間を待つ。時間の流れは遅く、長く感じられ、静寂は異様な圧迫感を帯びていた。街灯が瞬き、風に揺れる紙くずの音が小さく響く。水野はそのすべてを意識しながらも、表情ひとつ変えず、呼吸を整える。

 同時に二課では、秋山が端末の地図を睨み、潜在的危険を分析していた。「渡辺、片瀬、位置を再確認。紗英が路地に入るタイミングを逃すな。」無線を通じて指示が飛ぶ。渡辺は道路沿いのカフェの陰から人混みを観察し、片瀬は路地の出口付近で息を殺して待機する。全員が知っていた。この数分間で事態は一気に決定的になり得ることを。

 水野の目には、標的とされる女性が徐々に路地に踏み込む姿が映る。その瞬間、彼の手がケースに伸び、注射器を取り出す。針先は光を受けて微かに輝き、冷たい金属の重さが掌に伝わる。彼の動作は無駄がなく、計算された流れに従っている。息を整え、腕を静かに振り下ろす準備が整う。その目には感情はなく、ただ任務を遂行する意志だけが映し出されていた。



 課室では恵美が端末の監視映像を見つめ、無意識に息を詰める。「今…あの路地に入ったわ。」声は低く、しかし緊迫感に満ちている。秋山も端末の解析ログを確認しながら、無線を通じて二人に指示を出す。「動くな、二人とも。接触までの距離を保ちつつ、紗英の安全確保を最優先。異常があれば即介入。」

 渡辺は息を殺し、影に隠れながら路地を観察する。紗英が背を向けて進む様子、足音、バッグの揺れ、肩の動き――すべてがターゲットの状態を示す情報であり、瞬間的な判断材料である。片瀬も目を凝らし、呼吸を抑えながら最短で接触可能な位置を確保する。二課の全員が、一瞬の判断ミスも許されない緊張の中にあった。

 水野は注射器を握ったまま、標的との距離を慎重に詰める。風が吹き、紙くずが微かに踊る。彼はそのわずかな環境の変化も見逃さず、注射のタイミングを微調整する。数秒の誤差が、標的の警戒心を呼び起こす可能性があることを熟知していた。

 そして、都市の片隅で、二課と水野の心理的駆け引きが同時進行する。ターゲットの村上紗英は無意識のうちに、危険な目に触れようとしている。二課は全力でその瞬間を阻止せんと構え、街の影に潜む水野は冷静に、計算通りの手順を遂行しようとしている。時間は止まったかのように感じられ、緊張は都市の闇に吸い込まれていく。

 その路地で起きる一瞬の出来事が、象徴的なモンローの具現化と二課の介入、そして潜在的被害者の運命を決定づけることになる。夜の街灯が瞬き、影が伸びる中、全員の意識は一点に凝縮されていた。静かな呼吸、張り詰めた神経、計算された動作――それが交錯する瞬間、都市は凍りついたかのような緊迫感に包まれていた。


 水野匡彦は注射器を握った手に微かな力を込めながら、路地の暗がりで村上紗英の歩みを見つめていた。彼女の足音、バッグの微かな揺れ、肩のわずかな緊張――すべてが計算通りのタイミングで心拍に刻まれている。街灯に照らされた路地の狭間、人気のない影が彼女を覆い隠すその瞬間、冷徹な目で標的の体に集中する。

 同時に、課室では秋山が蛇の目の解析ログを凝視し、無線で指示を送る。「渡辺、片瀬、接近する!紗英の動きに注意、距離を詰めすぎるな、タイミングを合わせろ。」恵美はモニターの映像に目を凝らし、呼吸を整える。背後では渡辺と片瀬が影の中で身を低くし、数メートル先の路地を警戒していた。緊張が全身を貫く。

 水野はわずかに膝を曲げ、注射器を慎重に構える。息を止めるかのように静かに手を伸ばす。村上紗英は無防備に一歩踏み込む。その瞬間、街灯の光と影が交錯し、水野の視界に彼女の全体像が映る。彼の頭の中では、象徴としてのモンロー像が瞬時に思考の前景に浮かび上がる。目の前の現実と頭の中の理想像が融合する瞬間、それは彼にとっての「完成」の直前であった。

 しかしその同時、渡辺が路地の角から飛び出し、冷静な低声で指示を出す。「秋山さん、接近中!阻止可能!」片瀬も反応し、紗英の前方で姿勢を低くして立ちはだかる。秋山は課室から冷静に無線で指示を重ねる。「全力で封鎖、逃走経路を遮断!絶対に触れさせるな!」

 水野は瞬時に状況を判断する。心理的優位は維持しているつもりだったが、予想外の障壁が前に現れた。彼は一瞬ためらい、注射器を握った手がわずかに揺れる。その隙に、片瀬が静かに距離を詰める。渡辺は路地の外側で監視を続けつつ、緊張で硬直しかけた表情を微かに緩める。

 村上紗英は突然の異変に気づき、足を止める。息が一瞬詰まり、肩が震える。彼女の視線は暗がりに潜む影を捉え、直感的な危険信号が脳を駆け巡る。「何かがおかしい…」心臓が跳ね、足が思うように動かない。しかし本能的に、立ち向かうことなく逃げるための準備を始める。

 水野は冷静さを取り戻すため、意識を集中させる。ターゲットの動き、障害物の配置、二課の人員配置すべてを頭の中で再構築する。注射器を使用する瞬間、失敗は許されない。彼は深く息を吸い込み、慎重に手を前に伸ばす。

 だが、片瀬が鋭く間合いを詰め、渡辺も外側から支援する動きを見せた瞬間、水野は判断を迫られる。心理的揺らぎが生じたわずかな瞬間、彼の手は止まる。息を整え、次の瞬間を計算するために、目の前の現実を一呼吸置いて観察する。

 その僅かな遅れが、村上紗英にとっての決定的な機会となる。彼女は一瞬の判断で身体を横にひねり、避けるように歩き出す。逃走経路は二課の配置によって制御されているが、物理的な距離がわずかに開く。水野は注射器を使用するタイミングを逸し、心理的焦りが冷静な手をわずかに揺らす。

 秋山は課室で解析ログを見ながら、声を張り上げる。「今だ、全力で阻止!ターゲットの後方からも援護を入れろ!」恵美は無線越しに指示を反復し、緊張で手が震える。「片瀬、渡辺、距離を詰めろ!水野の手を封じるんだ!」

 都市の暗がりで、心理戦と物理的阻止が同時進行する。水野は冷静さを保とうとするが、二課の圧力とターゲットの反応が複雑に絡み合い、計算された完璧な手順は狂い始める。影の中で注射器を握る手は、わずかに震え、彼の優位性は確実に薄れていく。

 そして、村上紗英は無意識のうちに、二課の防護網の中に滑り込む。都市の闇と冷たい路地、そして心理的緊張が混ざり合う中で、ターゲットは辛くも危機を回避し、二課の面々は安堵の吐息を漏らす。しかし、水野の眼差しは冷たく、まだ完全に諦めたわけではないことを示していた。

 都市の夜は再び静まり返るが、二課と修復家の心理的緊張は解けていない。潜在的危険は回避されたものの、象徴としてのモンローを具現化させる企図は未だ水野の中に残っている。そして課室では、秋山も恵美も、次の瞬間に備えながら、データと現実の狭間で緊張を張り詰めたまま息を殺していた。

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