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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第二十三話/追走

 都内のビル群を抜ける夜風が、微かに二課の車列を揺らしていた。秋山は運転席の隣で端末を睨みながら、無線を通じて各チームの状況を確認していた。「渡辺、片瀬、警戒圏の外側からも常に視認できるように。怪しい動きは即時報告。接触のタイミングを誤れば、犯人に気付かれる。」

 渡辺は慎重にスマートフォンの画面を確認しながら頷く。「はい、秋山。対象者の行動パターンに合わせて、最適な距離を保ちながら接触します。心理的負担を与えない程度に警告を伝えます。」

 片瀬も小声で応答した。「理解。こちらは徒歩圏内での監視。直接接触は最小限に、怪しまれないように。」

 課室では恵美が、潜在的被害者の心理プロファイルを見返しながら、深く息を吐いた。「数字だけでは把握できない心理的脆弱性がある…感情の揺れ、恐怖への耐性、社会的孤立…このすべてを考慮して行動しなければ。」彼女は端末の画面をスクロールし、潜在的ターゲットの行動履歴や日常のルーチンを頭の中で再構築する。

 その一方で、修復家は作業室に籠もり、筆を静かに動かしていた。モンローの肖像を再現するために混色を繰り返し、肌の透明感や唇の艶、瞳の光の角度を微細に調整する。キャンバスに描かれるモンロー像は、彼の内面で生きている存在の具現化であり、単なる絵画ではない。心理的象徴として、ターゲットの潜在的属性を内包した「生きた像」として彼の頭の中で形作られていた。

 筆先を置き、修復家は深く息を吸う。次のステップは、象徴の具現化だけではなく、実際のターゲットと接触する段階であった。彼は慎重に周囲の環境を確認し、狙った女性が通る時間帯と場所を計算に入れる。光の条件、通行人の密度、監視カメラの死角――すべてが、彼にとって「作品完成」のための必須要素であった。

 二課の面々はそれぞれ潜在的被害者の周囲に配置され、警戒網を張っていた。秋山は無線で各チームに指示を出す。「接触タイミングは五秒単位で調整。ターゲットが安全に理解できるように注意。犯人の影が見えた場合は即座に退避。過剰な刺激は避ける。」

 恵美は端末の画面に表示された監視カメラ映像を凝視する。ターゲットとなる女性がカフェの前を歩く姿、手に持つ鞄の揺れ、歩調、表情の微細な変化――すべてが心理的指標となる。彼女は息を殺し、わずかな動きも見逃さないように集中する。

 その間に修復家は、ついにターゲットが予測通りの位置に現れる瞬間を迎えた。部屋の窓から夜景を背にする彼女の姿を確認し、筆を握った手を止めることなく、顔料の最後の微調整を行う。モンロー像を完成させることと、現実世界のターゲットへの象徴的影響――その両方が、彼にとって極めて重要な行為であった。

 修復家は静かに立ち上がり、窓から射し込む街灯の光でターゲットの輪郭を確認する。心理的な距離、光の角度、影の位置――すべてを計算に入れ、キャンバス上の象徴と現実の人物をシンクロさせる。彼の視線は冷静だが、内面では確固たる興奮が芽生えていた。「この瞬間を完璧に制御する。象徴は現実に呼び込まれる。」

 二課では秋山が無線で確認する。「渡辺、片瀬、状況は?」渡辺は低めの声で応答する。「ターゲットは動揺なし。警告は理解された模様です。接触の安全性は確保。」片瀬も応答する。「こちらも問題なし。行動は安定。」

 しかし、課室の空気には緊張が漂う。誰もが知っている――修復家は次のステップに進んでおり、象徴としてのモンロー像は現実のターゲットと接続される危険が増していることを。恵美は深く息をつき、無線の向こうの渡辺と片瀬に目をやりながら小さく呟く。「まだ安全圏にいると思う。でも、この静寂が永遠ではない…。」

 修復家は部屋に戻り、筆を持ち替え、キャンバス上の最終微調整を行う。瞳の光、口元の陰影、髪の艶――すべてが象徴としての完璧なモンローを形作る。外界の二課の監視は、あくまで潜在的危険の予防策であり、彼の内面での完璧な制御には及ばない。

 そして、夜は深まる。都市の喧騒は遠く、しかし修復家の視線はターゲットを逃さない。二課は警戒と保護を続け、修復家は制作と象徴化を進める。都市の片隅で、現実と象徴が交錯する緊迫の瞬間は、静かに、しかし確実に進行していた。


 夜の都心に張り巡らされた監視網の中で、ひとつの異変が警告として浮かび上がった。容疑者として絞り込まれていた四人の修復家候補のうち、水野匡彦の姿が完全に蛇の目の視界から消えたのである。交通カメラ、街路監視、店舗前の防犯カメラ――あらゆる視覚データから跡形もなく姿を消していた。蛇の目は瞬時に異常を認識し、高アラートを発動して二課へと警告を送信する。画面上に赤く点滅する文字列、過去数日の行動パターンとの乖離、異常値の統計――数字が飛び交い、課室の空気を鋭く引き締めた。

 秋山はその警告を受け、端末の画面を凝視する。指先で地図上に残された水野の最後の痕跡をたどりながら、思考を巡らせる。「動きが完全に消えた…これは計算された離脱だ。潜在的被害者に接触する可能性は極めて高い。」彼は蛇の目に対して、予測アルゴリズムの再起動を指示する。入力条件は水野の行動半径、過去の接触パターン、心理的特性、そして潜在的被害者の居場所。画面に浮かび上がる解析ログは、データの海の中で一筋の光を探し出すように、瞬時に潜在的標的を弾き出した。

 数分後、結果が端末に表示される。赤い点が地図上に浮かび上がり、その座標に住む女性のプロフィールが自動生成された。名前は村上紗英、29歳、都内で勤務する広告代理店のデザイナー、生活圏は渋谷周辺、日常行動は平日昼間のオフィス、帰宅はほぼ徒歩で最寄り駅を利用。心理分析では、社会的評価に敏感であり、自己表現欲求が強く、孤立を避ける傾向があることが示されていた。蛇の目はこの情報から、彼女が次の象徴的標的になり得る確率を0.87と高精度で弾き出していた。

 課室の空気は一瞬で張り詰める。恵美はログを見つめ、浅く息を吐いた。「水野が完全に姿を消した…これは計画的だわ。標的が特定された今、警告と保護の準備を最優先にしないと。」片瀬は手元のタブレットで村上紗英の行動範囲を地図上にマッピングしながら、小声で応答する。「秋山さん、この範囲なら監視網を再編して接触を遮断できます。怪しい動きがあれば、即座に対応可能です。」渡辺も端末を確認しながら言葉を重ねる。「警告は慎重に伝える必要があります。心理的負荷が強すぎると逆効果になる可能性もある。」

 秋山は一呼吸置き、冷静に指示を出す。「各チーム、準備は完了か。接触は最短ルートで、安全確保を最優先に行動する。水野の動向を蛇の目で逐次追跡、異常があれば即報告。村上紗英を守ることが今回の最優先任務だ。」課室に沈黙が落ちる。全員がそれぞれのモニターに目を凝らし、潜在的被害者の居場所と水野の動向の重なりを見極めようとしていた。

 その間、水野匡彦は都市の闇に身を潜め、動きの痕跡を意図的に消す作業を進めていた。街灯の影、建物の死角、人通りの少ない路地――彼はすべてを計算し、標的に最も近づくための安全経路を確保する。キャンバス上の構想は既に頭の中で完成しており、現実の標的を象徴的に「具現化」させるタイミングを慎重に見極めていた。

 二課の面々は無線を通じて連携を取り、各自が指定の位置に散開する。恵美は目を細め、村上紗英の最寄駅周辺の監視映像を追いながら、息を呑む。「今、彼女が駅の改札を通過…接触のタイミングはこの後すぐに来るかもしれない。全員、準備は完璧に。」

 渡辺と片瀬は駅前の人混みに紛れ、視線を巡らせながら微細な変化に注意を払う。秋山は課室で端末を操作し、蛇の目の解析ログと現場の映像を照合する。「水野の行動範囲から計算すると、彼が紗英に接近する可能性は限りなく高い。次の瞬間が勝負だ。」

 その瞬間、端末の解析画面に新たなアラートが表示される。水野匡彦が潜在的標的の接近圏に入ったことを、蛇の目が検知したのである。課室の空気が一気に緊張する。恵美は手を握りしめ、静かに声を発した。「来る…これが次の瞬間の現実…。」

 都市の闇の中で、二課の警戒網と修復家の計算された行動が、目に見えない緊張の糸で交錯する。村上紗英の運命は、彼女自身が気づかぬうちに、象徴としてのモンローと修復家の意図の中に巻き込まれつつあった。夜の街灯が瞬き、都市はその異形の緊迫を静かに包み込む。

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