第二十一話/シルクスクリーン
課室の空気は、先の解析で得られた候補者の総合スコアとともに、微妙な高揚と緊張で満ちていた。秋山は端末画面に目を落としながら、静かに指示を送る。「蛇の目、これまでの絵画殺人パターン、被害者プロファイル、化学的・行動的接点を総合して、次の標的となりうる作品を弾き出せ。」
端末は即座に膨大なデータを吸収し、高速で演算を始める。過去の事件で使用された作品――モナ・リザ、ビーナス誕生、青いターバンの少女――の共通点、被害者選定の心理傾向、使用された顔料の分析結果、犯人の行動範囲、時間軸、過去の行動パターンなど、あらゆる情報が統合される。
数秒後、画面にはいくつかの候補作品が浮かび上がった。西洋絵画、東洋絵画、現代美術、宗教画――ジャンルや時代を問わず、統計的な分析で「次に狙われる可能性が高い」と判断された作品がリスト化される。
恵美は画面を凝視し、唇をかむ。「現代美術がまだ出てきていないわ…この中で目を引くのは…アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローね。」
片瀬も画面に目を落とし、指でスクロールしながら確認する。「これまでの作品と比べて、象徴性が高い。犯人は特定の象徴的イメージを好む傾向がある。モンローは美の象徴、そして消費文化の象徴…心理的に犯人の傾向と一致しているわ。」
蛇の目のログはさらに踏み込み、被害者プロファイルとの照合結果も表示した。既存の被害者パターン――社会的孤立、心理的脆弱性、特定の年齢層や生活背景――とマリリン・モンローの肖像に投影される次のターゲット候補が数値化されている。結果、マリリン・モンローは他の候補よりも圧倒的に高い確率で次の作品標的に位置づけられていた。
渡辺は眉をひそめ、画面上の数値を読み上げる。「これを見る限り、犯人は次にマリリン・モンローの肖像を模倣する可能性が極めて高い。被害者は…やはり孤立した女性、または心理的に追い詰められやすい人物の可能性がある。」
秋山は冷静に頷き、静かに口を開く。「次の作品はマリリン・モンロー…化学的・行動的接点からも、次の標的の絞り込みは可能だ。場所、時間、行動パターン、顔料の入手経路――すべてを統合すれば、次の犯罪を未然に防ぐ確率が高まる。」
恵美は画面に映るモンローの肖像を見つめ、声を潜めて呟いた。「こんな象徴的な肖像を…次に模倣されるとしたら…怖いわ。」
片瀬も小さく頷く。「これまでの絵画殺人の手口からすると、犯人は被害者に象徴的役割を投影する。マリリン・モンローはまさにその条件を満たしている。私たちは今すぐ被害者の選定と監視網を強化する必要がある。」
渡辺は端末に目を落としつつ、冷静に言った。「心理的に追い詰めやすい女性、孤立しやすい環境、顔料や作品に接触する可能性…全ての条件をクロスさせれば、次のターゲットを特定できるはずだ。」
秋山は静かに指を動かし、モニターのデータを蛇の目に送り返す。「マリリン・モンローの次の標的確率を基に、具体的な潜伏候補地点と接触可能な人物リストを生成せよ。総合評価で高スコアを得た地点に重点監視を敷け。」
課室に沈黙が訪れる。誰もが画面上の数値と、次に迫る危険性を同時に意識していた。心理的緊張が空気に絡みつき、緊迫感が全員を包む。数値化された可能性、統合されたデータ、次の象徴的標的――全てが次の行動への羅針盤となっていた。
恵美は端末を操作しながら息を呑む。「久美も小林も…もういない。だからこそ、次の標的を未然に守るしかない。モンローが…この象徴が…犠牲にならないように。」
秋山は端末に表示された統合ログを最後に見つめ、低く唸った。「次の一手を誤れば、また象徴的な犠牲が生まれる。だが、数字と分析がある限り、私たちは阻止できる。」
課員たちは全員頷き、潜在的ターゲットと監視地点、接触可能な人物のリストを手に、静かに次の行動への準備を整え始めた。数字の羅針盤が示す方向は、次なる絵画殺人を防ぐための唯一の光明であった。
蛇の目が「マリリン・モンロー」を次の作品と位置づけたその瞬間から、科警研第二課の動きは一段階加速した。
次に必要なのは――犯人の狩場の特定である。
秋山は会議室の電子ホワイトボードに、これまでの事件で判明した犯人の行動領域を投影した。
被害者の移動歴、顔料の入手可能地点、画材店・古物商・修復家アトリエの分布、そして事件発生タイミング。
それらを蛇の目が演算し、地図上に重ね合わせる。
中央に浮かび上がったのは、**都内の特定エリアに集中した“高密度ゾーン”**だった。
「ここだな……犯人は必ずこの圏内で獲物を選んでいる」
秋山が画面を指し示し、片瀬と渡辺が頷く。
恵美は腕を組みながら、やや沈んだ声で言った。
「展示地点も一致しているわ。過去の事件で模倣された作品は、全て被害者が生前に何らかの形で“鑑賞”していた可能性がある。」
蛇の目はその言葉を受け取ったかのように、即座にログを吐き出す。
端末画面に浮かぶのは、モンロー作品が現在都内で鑑賞可能な場所の一覧。
・六本木の現代美術館で特集展示中のウォーホル・ポートフォリオ
・池袋のポップアート展
・渋谷のギャラリーで開催されている私的コレクション展
片瀬が苦い顔で呟く。
「展示が多い…被害者候補が絞りきれないわ。」
だが蛇の目はもう一歩踏み込んでいた。
被害者プロファイル × モンロー的特徴 × 犯人の選定基準
これら三つを重ね合わせ、独自の重み付けで女性たちをふるいにかけ始める。
画面に次々と現れる名前、年齢、職業、生活パターン。
驚くほど冷徹に、個人が数字として分類されていく。
蛇の目《仮説生成完了。被害者候補:8名》
恵美はその一覧を見て息を呑んだ。
「……見た目だけじゃない。心理的傾向をここまで解析したの?」
渡辺は蛇の目の分析内容を読み上げる。
・自己否定傾向
・孤立
・承認欲求の強さ
・SNS活動パターンの偏り
・睡眠リズムの乱れ
・直近の美術展のチェック履歴
・“マリリン・モンロー”的外見要因(髪色、メイクの傾向、服装パターン)
片瀬が震えた声で言う。
「……犯人はこれだけの情報を手動で集めてるってこと?まるで――」
「修復家だからこそ出来る観察だ。」
秋山が即座に言葉を挟む。
「美の劣化を読み取る人間だ。表情の影、生活の滲み、心の揺らぎ……全て“作品の記号”として解釈する素地がある。」
恵美は言葉を失ったまま画面を見つめる。
蛇の目は容赦なく続ける。
蛇の目《候補者8名の行動範囲から、犯人の狩場として最も合理的な地点を4カ所抽出》
地図に濃い赤の円がいくつも重なり、明滅する。
秋山は深く頷いた。
「……よし。これで動ける。」
課長としての声は低く、しかし過去最大級の緊迫を帯びていた。
「本日付けで、候補者8名全員に警告・保護措置をとる。警官をつけ、行動範囲を把握し、必要なら保護施設に隔離する。」
片瀬がすぐさま端末へ手を伸ばす。
「民間の保護シェルターの手配をします。」
渡辺は候補者の生活圏の防犯カメラ照会を開始する。
「犯人が接触している兆候がないか調べます。」
恵美は、それぞれの女性の顔写真を見ながら、胸の奥に不快なざわめきを覚えていた。
誰もが、日常の一コマに生きる普通の女性たち。
だが数字の中に投げ込まれた瞬間、
“次の象徴” “次の作品” として扱われてしまう。
「……絶対に、もう誰も死なせない。」
その小さな呟きが、会議室の重い空気に吸い込まれた。
二課はそれぞれの持ち場へ散り、
犯人の狩場の割り出しと、予備的被害者の保護という
二重の作戦が同時に始動した。
蛇の目の示した“8人のモンロー候補”。
そのどれが、犯人の目に“運命”として映るのか。
そして、犯人はすでに、その中の誰かに触れているのか。
緊張が静かに膨れ上がり、
新たな絵画殺人の幕は、今まさに上がろうとしていた。




