第二十話/日本画
課室に重苦しい空気が漂う中、秋山は端末に集中していた。画面には候補者リスト――水野匡彦、伊東美奈子、小川亮、中村智久――と、既に亡くなった小林和樹、そして失われた監禁事件の被害者である山内久美の情報が並んでいる。彼の指先は端末上を滑り、候補者ごとの経歴、活動履歴、過去の研修・展示・修復記録をひとつずつ照合していく。
「まずは地域ベースで重ね合わせる。」秋山は静かに声を出す。京都在住の水野匡彦の過去数年間の活動履歴を開き、小林が関わった展覧会や京都での画材購入歴と照合する。結果、京都における小林の動きと水野の活動期間には一部重なりがあることが浮かび上がった。直接の接触は記録上確認できないが、同じ画材流通ルートや修復研修会での時間的接点が示唆される。
続いて、東京国立博物館所属の伊東美奈子のデータを開く。過去十年間の展示監修記録、伝統顔料の研究報告、公開講座の受講者リストと小林・山内の出席履歴をクロス検索する。微細な接点がいくつか浮かび上がる。小林が過去に受講した講座と、伊東美奈子が講師として登壇した同日程が重なる。距離的には東京内での近接はあったものの、直接的な関与を示す証拠は依然として存在せず、可能性としては“知り得る関係性”止まりであった。
次に横浜在住の小川亮。画廊経営者としての活動記録、作品指導履歴、天然顔料の購入履歴を解析する。小林と小川が画材商を通じて同時期にアズライトを購入していた痕跡が残っていることが確認される。しかしそれが共犯関係を示すものか、単に同一流通ルートを利用した偶然かは判別がつかない。秋山はその可能性を端末に記録し、後の行動分析で補完する方針を決める。
最後に秋田県出身の中村智久。小坂鉱山産アズライト使用履歴、秋田県での展示や修復活動のログ、過去の研修受講記録を開く。小林が過去に秋田に滞在した痕跡と比較する。日程的には一致する期間もあるが、山内の拉致や監禁に関与した痕跡は現時点では確認できない。ただし、地理的・顔料的に修復家のルーツを連想させる重要なデータポイントであることは明白だった。
秋山は分析ログを凝視し、静かに端末に向かって指示を送る。「蛇の目、候補者と小林・山内の行動履歴をさらに微細に照合せよ。時間的な接触の可能性、地理的重なり、顔料購入履歴、研修・展示履歴を統合して相関度を算出する。全ての微細な接点も数値化し、可能性の高い順にランキング化するのだ。」
恵美は眉をひそめながらログを覗き込む。「これで共犯の可能性も見えてくるかもしれないわね。小林と山内の接点、そして候補者たちとの間にある微細な繋がり…」片瀬も頷く。「もし偶然でなく意図的な関与なら、微細な行動や接触履歴のパターンに必ず痕跡が残るはず。蛇の目なら、それを抽出できる。」
渡辺はデータの数字を追いながら、分析の意味を反芻する。「こうして数字やログを組み合わせることで、心理的にも物理的にも“見えない接点”が浮かび上がる。犯人の行動範囲、潜伏場所、次の標的を推測する基盤になる。」
端末上に、候補者ごとの相関度グラフが現れる。水野匡彦は接点の強度がやや高く、伊東美奈子は中程度、小川亮は購買履歴が接点として評価され、中村智久は地理的接触により相関度が加算されている。画面上で線が交差し、微細なネットワーク図が構築される。
秋山は静かに端末を操作し、図表化されたデータを俯瞰する。「これで候補者と小林・山内の接点を可視化できた。物理的な証拠は少ないが、化学的・行動履歴・時間的接点の統合解析によって、修復家と小林の関係、そして潜在的な次の動きを高精度で予測可能だ。」
課室には緊張感が充満し、全員が解析結果に注視する。久美の死による心理的打撃と、修復家の特定困難という状況下で、蛇の目のログが唯一の羅針盤となりつつあった。数字と化学、時間と空間の交差点から浮かび上がる微細な接点が、次の捜査行動を導く光明であることを、課員たちは理解していた。
課室には緊張感が張り詰め、解析端末の青白い光が面々の顔を照らしていた。秋山は静かに指を動かし、蛇の目に新たな指示を送る。「候補者四人の修復家としての可能性を、あらゆる条件で数値化せよ。過去の活動履歴、使用顔料、地理的接触、時間的接点、教育歴、過去作品の技法傾向――これらを統合して総合的に評価しろ。」
端末が即座に膨大なデータを吸い込み、解析処理を開始する。数字とグラフが画面上を高速で流れ、微細な相関関係や確率値が浮かび上がっていく。恵美は目を凝らし、データの意味を一つひとつ咀嚼する。「数字として出されると、直感や経験則では見えなかった可能性の差が明確になるわ…。」
蛇の目は、まず地域性を評価した。小坂鉱山産アズライトを扱った履歴のある中村智久は、地域的な接触可能性から高めのスコアが付与される。水野匡彦は京都在住で、過去の研修会や展示で小林と時間的接点があったため、中程度のスコアを獲得する。伊東美奈子は東京での接触可能性があるが、物理的距離や履歴の希薄さから低めの評価となった。小川亮は購買履歴による化学的接点はあるが、直接的な行動接点が薄いため、中程度だが少し下方修正された。
続いて技法・画材の専門性を統合する。天然顔料の使用、和画特有の技法、修復経験の有無、アズライトの扱い精度などが複合評価される。中村は天然顔料・技法の熟達度が高く、アズライト使用履歴もあることから、スコアは最大値に近づく。水野匡彦もアズライト収集歴と日本画修復専門であることから、やや高めの数値が付く。伊東美奈子は顔料研究者であるが、実際の画面上での筆使いや修復経験の頻度が限定的なため、やや低めの評価となる。小川亮は画廊経営者としての経験はあるものの、実制作や修復の実務は比較的少なく、中程度の評価に留まる。
さらに時間的接触の精緻化が行われる。小林和樹と山内久美との動き、候補者四人の過去数年の行動ログ、展示会や研修会の出席情報、画材購入履歴、移動経路、地域間の往復日数――すべてが統合され、個々の接触可能性が確率値として算出される。蛇の目は、数値化された接触可能性と技法熟達度を掛け合わせ、最終的に「修復家としての総合可能性スコア」を各候補者に割り当てる。
解析結果が画面に表示されると、課室には一瞬、静寂が訪れる。
中村智久:総合スコア 92/100
水野匡彦:総合スコア 78/100
小川亮:総合スコア 64/100
伊東美奈子:総合スコア 51/100
秋山は画面を見つめ、静かに呟く。「やはり中村智久が突出しているな…。地域、技法、化学的接点、時間的接触――すべての条件を統合すると、この数値は極めて意味がある。」
恵美は唇を噛みながら、端末画面を注視する。「でも、水野匡彦も決して低くないわね。過去の接触や画材収集履歴を考えると、可能性はまだ十分に残っている。」片瀬も端末に目を落とし、「数値は重要だけど、現場での心理的行動や習性も含めて総合判断しなければならないわ。」
渡辺は冷静だが声に緊張が滲む。「解析結果はあくまで確率。中村のスコアが高くても、直接的な物理証拠や犯行の意図を示すものはまだ無い。次の行動にどう結びつけるかが課題だ。」
秋山は深呼吸をひとつ置き、課員たちに目を向ける。「この数値は羅針盤だ。中村が最有力候補であることは間違いない。しかし、水野や小川も行動パターンや接触履歴から無視できない。伊東美奈子も、低いスコアとはいえ研究者として顔料情報を知り得る立場にある。次は、この数値を基に潜伏場所の推定、行動予測、次の標的の可能性を解析し、具体的な捜査行動に移す。」
課室に重く沈んでいた空気は、解析結果によってわずかに活気を帯びた。失われた物理的手掛かりの代わりに、数字と統合ログによる科学的推論が、二課に唯一の羅針盤をもたらしていることを、全員が肌で感じていた。
秋山は端末を操作し続け、次なる指示を蛇の目に送る。「潜伏場所と行動パターンを時間軸に沿って可視化せよ。総合スコア上位から順に警戒度を割り振り、次の動きに備えるのだ。」
課員たちは黙々と画面を注視し、数字に基づいた戦略を頭の中で組み立て始めた。心理的焦燥と緊張の中で、科学的解析が唯一の光明として彼らの行動を導く。修復家の特定、次の象徴的殺人阻止への道は、ここから本格的に動き出そうとしていた。




