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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第十八話/叫び

 二課の面々は、予測地点へと全速で急行していた。夜の街灯が濡れた路面に反射し、ヘッドライトの光が雨粒を切り裂く。課員たちは無言で車内に身を沈め、心の中で緊張を高めながら、現場到着に備えていた。到着直前、恵美は端末を確認し、視線を短く交わす。「ここで間違いない……」声にならない囁きが車内に響いた。

 現場に到着すると、予想通り小さな倉庫の一角に、一台のモニターが置かれていた。モニターは暗く、わずかな電源ランプが点滅しているだけだったが、画面には確かに山内久美の姿が映し出されていた。息を呑む。部屋の狭さ、枷の長さ、窮屈さが映像越しに伝わり、山内は画面の中で小刻みに揺れていた。スピーカーからは彼女の荒い息遣いが漏れ、監禁の恐怖が直接的に感覚に訴えかけてくる。

 秋山はすぐに行動に移した。手元のスマホでモニターを蛇の目に中継し、場所の特定を指示する。解析が進む間、課員たちは息を呑んで待機した。モニター越しの山内は、微細な動きひとつ、視線の向きひとつで外界の情報を探ろうとしていたが、閉鎖された空間は彼女を完全に制限していた。

 数分後、蛇の目からの解析ログが到着した瞬間、モニター越しに異変が起きた。画面の中の部屋全体が炎に包まれ、山内の体がその赤い光に覆われる。炎の揺らめきが部屋の壁を染め、微細な光の波が彼女の体を追い回す。山内は絶叫し、両手で頭を押さえ、恐怖と痛みに震えた。呼吸するたびに高温の煙が肺に流れ込み、まるで内側から体を焼かれているかのような痛みが彼女を襲う。視界は赤と黒の光で埋め尽くされ、耳には焦げる木材の匂いまで仮想的に届いているかのようだった。

 恵美は思わず声を上げた。「……ムンクの叫び……」言葉にすることで、脳が現実を確認するように。しかし、その瞬間、二課の面々は戦慄した。モニターの中の山内の姿は、まさにムンクの名作『叫び』が具現化されたように歪み、絶望の感情を全身で表現していた。恐怖に引き裂かれる顔、裂けるような口の形、両手で頭を抱える仕草――絵画が持つ象徴的恐怖が、現実の映像としてここに再現されている。

 片瀬は端末を握りしめ、微かに震える指でスクリーンを押さえながらも、冷静にデータを確認する。「これは……完全に視覚的象徴を再現している。炎は実体ではなく、モニター上の解析結果として映像化されているだけだ…でも……」声が途切れ、言葉にできない恐怖が支配した。渡辺は背筋を伸ばし、目を画面に固定したまま、呼吸を整えようとする。だが、脳裏には山内の絶叫、炎の赤、そして両手で頭を押さえる姿が焼き付き、理性を揺さぶっていた。

 秋山は静かにスマホを操作し、蛇の目に更なる指示を送る。「解析を続けろ。この象徴性を構造化して、現実の監禁場所と連動する手がかりを抽出する。」解析画面には、炎の揺らめきや山内の動きが数値化され、空間内の位置推定と連動して再構築されていく。モニター越しに再現される炎のパターン、山内の視線の微細な揺らぎ、声の振幅までもが座標や心理状態とリンクして表示され、二課は現場へのアプローチを緻密に検討することが可能となった。

 課室の空気は張り詰め、全員の神経が鋭く張られる。恐怖と心理的圧迫が同時に作用し、画面を通じて山内の絶望が現実に重なる。恵美は拳を握り、眉を寄せ、視線をスクリーンに固定した。「これを……止める。間に合わなくても、諦めない。」短く、しかし確固たる決意が声に含まれていた。

 モニター越しの『叫び』は、ただの映像ではなく、犯人の心理的象徴性を可視化した警告であった。ムンクの名作が持つ絶望の象徴性が、現実の恐怖と結びつき、二課の面々の心を深く抉る。しかしその同時に、蛇の目の解析により、絶望の中にも救出の道が具体的に浮かび上がっていた。炎の動き、山内の動線、足枷の長さ、部屋の寸法――すべてが座標化され、二課は一刻も早く現場に急行すべき明確な手がかりを得たのである。

 そして、課室の中に静かだが確かな決意が広がった。恐怖と戦慄が全員を支配する中、理性と解析に基づく行動が、山内久美を救うための唯一の道であることを、全員が理解していた。モニター越しの『叫び』は恐怖の象徴であると同時に、救出の羅針盤でもあったのだ。


 秋山は解析端末の画面を凝視しながら、建物内部の構造とモニター越しに得られた情報を照合した。声に抑揚をつけず、淡々とした口調で特定地点を伝える。「ここだ……地下の奥、配管室と倉庫の間の通路沿い。壁の材質と音響反響から、ここが監禁室で間違いない。」その声は冷静だったが、部屋の外にいる面々にはその緊迫感が、まるで空気にまで浸透するかのように伝わった。

 伝達が終わる間もなく、課員たちは地下へと足を向けた。階段を降りるごとに空気は冷え、湿ったコンクリートの匂いが鼻腔を刺激する。地下通路の壁に沿って、かすかな光と空気の流れを頼りに進む。息を殺しながら進むその先には、まるで地獄の釜のような光景が待ち受けていた。黒煙が渦巻き、空気は重く、熱気と化学的な匂いが混ざり合って漂っている。

 モニター越しに見ていたあの絶望の映像は現実となり、目の前には蝋燭のように光を放つ久美の姿があった。炎に包まれる彼女は、もはや意識を持たず、痛みに呻き声をあげることもできない。赤黒い光が周囲を染め、壁や天井に映る影は揺らめき、恐怖と絶望をさらに強調していた。二課の面々は、言葉を失い、足が止まる。恵美は視線を背けそうになるのを必死に抑えた。片瀬は口元を硬く結び、視線を一切外さず現場を確認する。渡辺は拳を握り、怒りと無力感が入り混じった複雑な感情に耐えていた。

 数時間後、鑑識が到着する頃には消防隊が消火を完了していた。部屋の中には、消し止められた火の痕と、焦げた木材や煙、消化剤の混じった独特の匂いが充満していた。久美の姿は無惨で、かつて人間であったとは思えないほど変わり果てていた。火の熱と化学物質の作用によって形状は歪み、視覚的に凄惨な光景が課員たちの胸に重くのしかかる。

 現場を前に、秋山は冷静に分析を続ける。火災によって物理的証拠は大きく破壊され、犯人の痕跡もほとんど残っていない。モニターや解析ログは残るが、実際の監禁室の内部状況、火災の熱による痕跡変化、手掛かりとなる物理的痕跡のほとんどが失われている。これにより、修復家の特定は格段に困難になったことが明らかだった。

 恵美は無言で部屋の残骸を見つめ、胸の奥で抑えきれない怒りと悲しみを感じる。片瀬も目を伏せながら、現場の惨状を記録しつつ、心理的な動揺を抑えるために深呼吸を繰り返す。渡辺は拳を握ったまま、冷静に手元の端末でモニターの記録と火災後の残骸を照合する。秋山は全員の様子を俯瞰し、冷静な分析と心理的負荷のバランスを取りながら、次の捜査方針を考え始める。

 現場の熱気と煙の匂いは、二課の面々の感覚に深く刻まれた。火災によって失われた情報の穴埋めは、蛇の目の解析に頼るしかない。しかし、解析ログがいかに詳細であろうとも、現場に残された物理的手掛かりの喪失は、犯人特定の難易度を飛躍的に高めている。修復家の存在、その動向、次の象徴的殺人の対象――すべてが暗闇に沈み、解決への糸口は極めて限られたものとなった。

 秋山は端末を手に、改めて解析結果と現場状況を照合する。「この火災によって、直接的な痕跡はほぼ消えた。残るのはモニター映像と、火災以前の監視データだけだ。」その声に、恵美も片瀬も渡辺も無言で頷く。課員たちは胸の奥に焦燥感を抱えながらも、解析と記録を頼りに、修復家の動向を追うための次の手を考え始めた。

 無惨な現場を前に、課員たちは静かに決意する。失われたものの大きさに打ちひしがれながらも、残されたデータと解析に基づき、修復家の特定、そして次の象徴的殺人を未然に防ぐための行動を続けるしかない――。その覚悟が、重苦しい現場の空気に微かに光を差し込む。



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