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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第十七話/山内久美

 山内久美は意識を取り戻したとき、薄暗い室内にいた。空気はひんやりとして湿り気があり、埃と古い木の匂いが鼻腔をくすぐる。目を凝らすと、部屋は想像以上に狭く、壁際を歩くことさえ制限されるほどであった。足首には鉄の枷がはめられ、自由に移動できるのは部屋の長さの範囲だけ。長くもない通路のような空間を行きつ戻りつするしかなく、天井の低さと壁の圧迫感が、心理的な閉塞をさらに強めていた。

 思わず叫んでみる。声を振り絞り、助けを求めようと必死に絶叫した。しかし、その声は壁に跳ね返り、自分自身に吸い込まれていくように響くだけだった。幾度も何度も叫んだが、外に届く気配はなく、救援の望みは絶たれた。胸が締め付けられ、喉が焼けるように痛み、指先に力が入らなくなる。恐怖と無力感が次第に理性を蝕み、焦燥と孤独感が全身を覆った。

 最後に覚えている景色は、小林和樹とともに拉致されたときの車内だった。街灯が雨に濡れた夜道を流れ、車の窓越しに歪んだ景色が連なっていた。小林の表情は不明瞭で、冷徹なのか、動揺していたのかも分からなかった。彼の声も、言葉も、気づけば耳に届かなくなっていた。車の振動、タイヤの回転音、雨粒の音だけが現実を伝え、やがてその音も遠ざかっていった。

 気づけば、山内は監禁されていた部屋の中に独り取り残されていた。外界との接触はなく、ただ時間と恐怖だけが刻まれていく。足の枷が生理的な拘束を与えると同時に、心理的な閉塞感は無限に広がるように感じられた。窓もなく、薄暗い光源が部屋の端から僅かに漏れているだけで、昼夜の区別もつかない。時間の感覚は歪み、何時間なのか、何日なのかも分からない。

 手を伸ばし、壁を撫でる。冷たい鉄の枷と粗い壁面の感触が唯一の現実の証拠であった。心の中で助けを求める声はますます小さく、絶望の深淵に沈んでいく。かつて感じた街のざわめき、仲間や科警研第二課の面々の声、窓越しの光――そのすべては遠い記憶の彼方に押しやられ、今ここにあるのは狭く冷たい部屋と、自分の体だけだった。

 しかし、理性の一端はまだ残っていた。声を出せなくても、逃げられなくても、部屋の構造、鉄の枷の長さ、壁の材質や隙間の位置、光の漏れ方――観察できるものは全て記憶し、心の中で分析する。もしかすると、ここから脱出するための糸口は必ずある、と。恐怖の中で山内は小さな希望を握りしめる。

 目を閉じると、車内の光景が頭に浮かぶ。小林の姿はもうそこにはない。彼の行方、意図、死か生か……すべてが不確定である。だが、目の前の現実を受け入れ、今自分にできることは、枷の範囲内での動きと、心理的耐性の維持だけだった。閉ざされた部屋で、孤独と恐怖に押し潰されそうになりながらも、山内久美は自分の意識を保ち続けることを選んだ。その意志の光は、暗闇の中で小さくとも確かに輝いていた。


 監禁された部屋の中、山内久美は動ける範囲内を慎重に歩き、壁や床、足首の枷の長さ、空間の寸法を無意識に測定していた。恐怖と孤独に押し潰されそうになりながらも、意識の一端は常に「状況の観測」に向けられていた。足首の枷の金属音が床に反響するたび、自分の動きを外部に知らせることはできないが、部屋の構造と音の伝わり方を無意識に記録していた。そのわずかな音の反響、壁の冷たさ、光のわずかな揺らぎ、空気の湿度と温度の違い――すべてが、脱出や位置特定の手がかりとなりうる情報であった。

 その状況を、蛇の目は遠隔から観測していた。監視網の一部が山内の周辺に配置され、視覚・音響・電磁的微弱信号など、多層的に情報を収集している。端末上では山内の生体信号、呼吸パターン、微細な筋肉の動き、視線の向き、足の微振動までもが可視化され、膨大なデータとして流れ続ける。蛇の目はこのログを解析し、彼女が監禁空間のどの範囲まで動けるか、鉄の枷の長さ、壁の材質、構造上の弱点、音の反響パターンから推定される外部への位置情報などを計算していた。

 端末の解析画面には、部屋の概略図がデジタル化され、山内の動線がリアルタイムで表示される。赤い点が彼女の足の位置、青い線が視線の方向、黄色い帯は音の反響範囲を示す。さらに蛇の目は、外部への信号伝播の可能性や、車両で移動されていた場合の座標変化も統合し、監禁場所の地理的プロファイルを作成していた。端末には「周辺環境との相関解析」「音響反響パターンからの部屋寸法推定」「監禁環境から脱出可能性評価」といった項目がリアルタイムで更新されていく。

 科警研第二課の面々は端末に集中する。恵美は画面に映る山内の足の動きを見つめ、思わず息を呑む。枷の範囲内での行動にもかかわらず、視線や微細な体の動きが外界の情報を無意識に読み取っていることが明確に表示されている。片瀬は手元の資料と照合しながら、建築構造や都市部での潜在的監禁場所を照合する。渡辺は座標のクロス分析を行い、車両での移動経路や監禁場所の可能性を狭める作業に集中している。

 秋山は立ったまま冷静に解析画面を見つめる。ここから得られる情報は、山内が修復家であるかどうかの判断にも直結するが、同時に次の作品の対象としてのリスク評価にも不可欠である。監禁場所が特定されれば、彼女を救出するための時間的余裕と物理的制約も見積もることができる。逆に場所を誤れば、次の象徴的殺人の連鎖を防ぐ機会を失うことになる。

 端末に次々と表示される座標候補は、街区単位から建物単位、さらに室内構造の推定まで降りてくる。音響解析の結果、壁の反響時間から部屋の広さや天井高さを弾き出し、枷の長さから動線の限界を割り出す。さらに車両移動時のGPS信号遮断パターンを組み合わせ、移動経路の可能性を地図上に重ねる。解析結果は複数の候補地点として浮かび上がるが、その優先度は生体信号と行動ログの整合性から計算される信頼度で示される。

 課員たちは互いに顔を見合わせる。静かな緊張が課室を支配する中、恵美は口を開いた。「…この範囲なら、時間的に私たちが到着できるのは数十分以内ね。慎重に動けば、彼女を傷つけずに確保できるかもしれない。」

 片瀬は眉を寄せ、座標の重なりを指さす。「でも候補地点が複数ある。どこか一つを間違えば、次の象徴的殺人に繋がる可能性がある。慎重に、だ。」

 渡辺は端末を操作しながら数字を確認する。「ここでの判断ミスは許されない。枷の長さから動線を割り出すと、監禁者は部屋の中心付近に固定している可能性が高い。つまり、移動パターンから建物構造がある程度絞れる。」

 秋山は静かにうなずき、指先で端末画面を撫でる。「よし、この解析で優先順位の高い候補地点をリスト化する。山内が監禁されている可能性が最も高い場所から順に、二手に分かれて急襲だ。」

 画面上で赤く表示された座標群が、まるで生き物のように動き、解析ログは「監禁環境と生体信号の相関」に基づいて絶えず更新される。課員たちはその情報を胸に刻み、静かに装備を整える。心理的緊張は高まるが、同時に冷静な判断力が働き、恐怖と理性の間で微妙なバランスを保つ。

 山内久美の監禁状況は、恐怖と孤独の中で静かに進行していた。しかし蛇の目の観測と解析は、彼女を救出するための唯一の羅針盤となり、二課に行動の確実性を与える。監禁場所の特定と行動パターンの解析は、これまでの象徴的殺人の連鎖を止めるための決定的手段であり、二課の面々は覚悟を決め、次の瞬間に動き出す準備を整えていた。

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