第十三話/消失
午後四時十八分。
第二課のフロアには、冬の斜光が長く伸び、臨時で持ち込んだ大型スクリーンに蛇の目のログが静かに表示されていた。
「……“Conservator(修復家)”。そして対になる“Curator”。
つまり、小林和樹がキュレーターとして“選別”を行い、別の実行犯が“修復・加工”している可能性、か……」
秋山慎一郎室長の声は、低く、しかし抑えきれない苛立ちが混じっていた。
片瀬は腕を組んだまま、画面を睨む。
「修復家って……普通は美術品保存の専門家ですよ? 文化財の状態調査、補修、歴史的文脈の保持……。
でも、蛇の目は“人体の加工技法と保存手法に転用されている可能性”まで指摘している……。冗談じゃないわ」
渡辺は椅子を引き寄せ、キーを叩きながら呟いた。
「いや、冗談じゃないんだよな……。
だって、五つの遺体、全部“名画の構図”を再現してた。
あれ、ただの模倣じゃなくて、**『原画の退色補正や構図補整と同じ操作』**が施されてるって、解析でも出てる」
吉羽恵美は、画面に映る“Conservatorの役割分解”を見つめながら息をのんだ。
■蛇の目の分析(抜粋)
Curator(小林)
→選別、企画、モチーフ化、作品のストーリー付与
Conservator(実行犯)
→人体の加工、保存処理、皮膚の伸展・乾燥・色調整、展示形式の再現
共犯関係の可能性:極めて高い
犯行目的:美術史的“原典の再構成”に近い宗教的執着
恵美「……つまり、小林は“選んでいた”。
被害者のプロフィール、生活範囲、家族構成、心の脆弱性。それを“展示テーマ”として収集し、
実際に“作品に仕上げる”犯人に渡した……?」
渡辺「展示会のキュレーターと修復室の専門家の関係に近い。
小林が“どの作品を展示するか”決めて、実行犯が“展示に耐えうる状態まで整える”。
そして我々が見たのは、“完成品”ってわけだ」
片瀬「……いや。
展示っていう言い方が最悪にしっくりくるのが腹立つ。
どこまで人を道具扱いすれば気が済むのよ……」
秋山は静かに言う。
「問題は、小林が“どこまで関わっていたか”だ。
実際に手を下していないにしても、犯行を助長し、被害者選定に関与していたなら共犯として成立する」
恵美「蛇の目は“小林の周辺人物の再抽出”も同時に送ってきている。
見てください、このリスト……」
大型スクリーンに切り替えられたリストには、顔写真の無い名前も多かった。
いずれも美術修復、保存、文化財管理、特殊処理の関連職種に属する者。
その中に、ひとつだけ赤くハイライトされた名前があった。
山内久美。
片瀬「……彼女もキュレーション講座の同級生。
でも、同時に“文化財修復補助”の研修を受けてる。
蛇の目は、久美が“Conservator候補”として浮上すると?」
渡辺「しかも――蛇の目は“二人の非公開チャットログの再現”まで……。
このAI、どこまで見てるんだよ」
恵美は唇を噛み、スクリーンに映る“蛇の目版会話再現”を読み上げた。
●《蛇の目・観測再現ログ:小林和樹 × 山内久美》
久美《あの子、どうするの?》
小林《まだ。テーマに合わない。けど、素材としては悪くない》
久美《じゃあ保管しておく。変質する前に処理が必要》
小林《任せるよ、君の手は信頼してる》
久美《前みたいに途中で変えないでね。“展示作品”は統一感が命だから》
小林《分かってる。今回は“青”でいく》
視界が凍るような沈黙が、フロア全体を包んだ。
渡辺「……“素材”って……。
“展示作品”って……。
もう完全にアウトだろ、これ」
片瀬は、机を拳で軽く叩いた。
「恵美、これ……これもう、“共犯”どころじゃないわ。
久美は加工担当、小林は選別担当。
二人合わせて“美術館ごっこ”のノリで、あんな殺しを……?」
恵美は冷えきった声で答えた。
「はい。完全に役割が分かれています。
“Curator × Conservator”という、美術業界ではごく一般的な職能分担を、
そのまま殺人に応用した……」
秋山は腕を組み、深い溜息をつく。
「蛇の目は――ここまで読んでいたのか」
恵美「室長……蛇の目はこの分析の最後に“警告”を添えています。
《Conservatorは単独での犯行継続が可能。
Curatorを失っても“作品完成”への衝動は止まらない》……と」
全員の表情が、一気に重くなる。
渡辺「つまり……小林を押さえても、久美はまだ暴走できるってことか?」
片瀬「しかも“青”って……次の展示テーマよね?
次の犠牲者は、その“青”に関連する……?」
恵美「はい。蛇の目は“次の犠牲者候補”として、
“青い制服の職業群”“青いイメージの職種”“青色を看板とする企業の社員”をリストアップしています」
秋山「……また、急がないといけないな」
恵美は拳を握りしめ、静かに頷いた。
「小林和樹の身柄確保。
そして――山内久美の特定と追跡。
これ以上、“作品”を作らせないために」
緊張の糸が張りつめたまま、第二課は動き始めた。
蛇の目の観測は冷酷だが、だからこそ今、唯一の指標となっていた。
彼らは薄い光の中、次の犠牲を防ぐため、
“Curator”と“Conservator”の狂気の連携を断ち切るべく、
手分けして走り出した。
その知らせは、昼下がりの第二課執務室に突如として落ちた。
片瀬が端末を見つめながら一瞬言葉を失い、震える声で呟く。
「……主任。小林和樹と、山内久美。両名が……消えました」
恵美はペンの先を紙面に落とし、顔を上げた。
「消えた? どういう意味?」
片瀬はディスプレイを恵美へ向けながら説明する。
「蛇の目の監視網から、同時にロストしました。位置情報も、音声も、映像も……軌跡が途中で途切れています」
その言葉に、渡辺が椅子を鳴らして立ち上がる。
「途中で途切れるなんてあり得るのか? 蛇の目のセンサーは都市網と直結してるだろ、電源喪失でもない限り……」
だが片瀬が頭を振る。
「都市網側には障害はありません。むしろ、“意図的に回避された”可能性が高いと蛇の目は解析しています」
慎一郎室長がゆっくりと席を立ち、端末に歩み寄る。
「蛇の目が自動追跡できない例は、これまでに二件だけだ。いずれも軍用レベルの妨害技術を使ったケースだが……一般市民であるはずの二人が、どうやって?」
恵美の胸に、嫌な予感が重たく沈み込む。
(……逃げたのか。それとも……消された? いや、もっと悪い可能性──“第三の意図”)
画面には、蛇の目が残したログの最後の数行が表示されていた。
【蛇の目・最終観測ログ(断絶直前)】
<対象A:小林和樹>
・位置:都内文化財保存地区周辺
・行動:担当修復品の搬出準備らしき動作
・同行者:対象B(山内久美)
・双方の会話内容:解析中(部分欠損)
<対象B:山内久美>
・位置:同上
・行動:小林に同行。終始緊張状態
・視線移動:複数方向へ警戒
・生体反応:交感神経の過緊張(戦闘、逃走、もしくは強い恐怖)
<同時断絶イベント>
・都市網カメラ:ノイズと色収差を伴い白飛び
・音声センサー:ホワイトアウト
・GPS:階層的に五つのベクトル方向へ“偽走査”
・光学センサー:フレームごとに外部強制上書き
・蛇の目推定:
「外部装置による妨害。一般犯罪者の使用する範囲を逸脱」
「対象A・Bは“保護”あるいは“拉致”されている可能性」
「実行者:不明。複数」
ログを見た瞬間、恵美の背筋に寒気が走る。
「……拉致、かもしれないってこと?」
渡辺が重い息を吐く。
「いや、これ……“保護”に見えなくもない。小林も山内も、行動が妙だったろ? あの絵画殺人との繋がりも完全には否定できなかったし……誰かが二人を囲った、とも読める」
片瀬がすぐに反論する。
「でも、二人が自分から消えたとしても、蛇の目を完全に回避するのは無理です。都市網の8割は光学で補完されているし、ノイズを統一パターンで撒くなんて……」
慎一郎が短く息を吐いた。
「つまり、二人の意思ではなく“外部の意志”が介在したと考えるべきだな」
室内の空気が一変する。
絵画殺人──あの異常な死体の造形。
ConservatorとCuratorという蛇の目が掲げた“二元構造”。
そして共犯者の存在。
恵美は拳を握り、歯を噛んだ。
(小林がCuratorとして関与していたのなら……あの“実行者”もいるはず……修復家。解体し、組み立て、保存する狂気の職能──Conservator)
「……小林が狙われた理由、逆に分かってきた気がする」
「どういうことだ?」と渡辺。
「もし小林が“被害者ではなく関係者”だった場合、彼を確保しようとする勢力が二つ存在することになる。
一つは、私たち。
もう一つは──“本物の仲間”もしくは“本物の実行犯”。
そして今回は後者に攫われた可能性がある」
慎一郎が低い声で重ねる。
「つまり、我々より先に“向こう側”が小林に手を伸ばした」
「山内久美は……?」片瀬が呟いた。
「小林の証言の鍵だったんでしょう」恵美は続ける。
「彼女が小林と接触していた理由、彼女の異常な動揺……すべては“小林を知りすぎていた”からかもしれない。だから一緒に連れ去られた」
室内に沈黙が落ち、しばし誰も口を開かない。
そのとき──。
蛇の目が突然、自動音声で割り込んだ。
【蛇の目・最新警告】
「対象A・Bの失踪は“計画的移動”の手口と一致」
「第三の勢力の介入が濃厚」
「この状況下では、絵画殺人の実行犯Conservatorが動いている可能性が極めて高い」
渡辺が叫ぶ。
「クソ……向こうが一手先を行ったってわけかよ」
片瀬は唇を噛み、震える声で言った。
「主任……もしかして……二人はもう……」
恵美は片瀬の言葉を遮るように、力強く言い放つ。
「まだよ。まだ“観測の外”に行っただけ。
でも、蛇の目ですら追えないということは──あの“獣の使者”に近づいているかもしれない」
慎一郎が静かに頷き、指示を飛ばす。
「緊急態勢に入る。都市網のバックドアと、未登録映像群を蛇の目に横断照合させろ。
我々も動くぞ──必ず二人を見つけ出す。
そして、実行犯Conservatorの存在を裏付ける」
恵美は深く息を吸った。
(消えたんじゃない。
連れて行かれた──“絵画殺人”の核心へ)
科警研第二課は、これまでにない闇の深さへ一歩踏み出すしかなかった。




