第十一話/模写
部屋の空気は、もともと静かだった。
だが、蛇の目が送信したログを恵美が開いた瞬間、沈黙は「重さ」へと変質した。
大型スクリーンに自動展開されたログタイトルは薄い青色で点滅している。
【蛇の目・観測ログ34-C】
対象:小林和樹(31)/美術館勤務キュレーター(非常勤)/行動領域データ収束率87%
周辺人物再抽出:協力・従属・刺激要因の三層構造
結論:小林は孤立していない。
彼の周囲には“三つの層”が存在する。
〈刺激要因層〉
・母親:小林冴子(58)——過干渉・情動不安定。
・元恋人:宮本玲奈(29)——三年前の破局以来、連絡は途絶。
〈協力可能層〉
・美術館修復室の臨時契約者:
山内久実(43)——修復技術者。過去に保存処置で倫理違反歴あり。
・美術大学時代の同期:
友永啓介(32)——専門:保存修復。現在フリーランス。
〈従属可能層(要注意)〉
・自助グループ参加者:
笹本悠一(27)——依存性パーソナリティ障害傾向。
今泉千春(25)——被暗示性が高い。
上記6名はいずれも小林の思想・感情・技術・リスクのいずれかに接点を持つ。
関係強度の最大値は、山内久実(修復技術)——いわゆる “Conservator(修復家)”。
この“対”となる役割はキュレーターである小林自身。
よって:
小林の周辺には“実行手”たり得る人物が最低1名存在する確率は94%。
協力者=Conservator/指示者=Curator
役割構造の一致を確認。
第二課は直ちに再査定せよ。
──蛇の目
スクリーンに光がじわりと広がる。
恵美は息を呑んだ。その横で秋山室長が、腕を組んだまま静かに言う。
「……94%か。ずいぶん踏み切った数字を出してきたな、蛇の目は」
片瀬が小さく眉をひそめる。
「これ、つまり――小林は単独犯じゃなくて、もっと明確な“役割分担型”ってことですよね?
実行犯、つまり“コンサヴァター”が別にいる、と?」
恵美が頷いた。
「蛇の目は、キュレーターとコンサヴァターの二項構造に収束させた……。
今回の被害者が“名画を模した遺体配置”であること、死後加工の丁寧さ、皮膚の処理精度――全部が“保存修復の手”である可能性をほのめかしてたけど……」
渡辺が椅子を回転させ、スクリーンを指差す。
「見ろよ、この“従属可能層”ってやつ。自助グループの連中。
依存性とか被暗示性が高い奴は、実行じゃなくても雑務や運搬に利用された可能性がある。
心理的な“締め付け”さえできりゃ、犯罪のパーツにもなる」
「心理的締め付け……?」
片瀬が訊く。
渡辺は椅子の背もたれに肘を置きながら、低く言った。
「たとえば、“救ってやる”とか“この苦しみから解放してやる”みたいなメサイアめいた脅しだよ。
善きサマリア人を気取る奴にはありがちなやつだ」
恵美はその言葉に反応し、視線を落とす。
“善きサマリア人”――あの連続処刑犯。
すべてが別々の事件に見えるのに、最終的には巨大な構図に収束していくあの異形の手口。
秋山室長が静かに口を開いた。
「蛇の目が、ここまで“協力者が居る”と断言するのは珍しいな。
分析モデルがどの程度確証を得たのか――恵美、続きのセクションを読んでくれ」
「はい」
恵美がスクロールする。
【蛇の目補足ログ】
“Conservator(修復家)”は保存・加工・補完を担当。
“Curator(企画者)”は構成・選択・演出を担当。
本件、遺体配置は“作家の死後展示”に近い。
この分業は美術館業務と一致。
小林和樹がキュレーターである以上、
彼の作品(=事件)を“作り上げる手”が別に存在する
と推論するのが合理的。
第二課は、山内久実(修復技術者)を最優先再調査せよ。
片瀬が深く息を吐いた。
「……完全に、美術館の業務構造がそのまま犯罪に転写されている……。
冗談みたいな話だけど、蛇の目が言うと筋が通ってしまう」
「山内久実……修復技術者。
倫理違反歴あり……か」
渡辺の声に、薄い苛立ちが混じる。
秋山室長がテーブルを軽く叩く。
「恵美、今すぐ山内の過去の処分記録を引っ張れ。
渡辺、友永啓介のアリバイ洗いを。
片瀬は……小林の自助グループ関連の接点を全部洗い出してくれ。
“従属層”が実際どの程度関与していたか確認する」
「了解!」
3人の声が重なる。
しかし――恵美だけは、僅かに反応が遅れた。
秋山がそれに気づく。
「恵美?」
「……いえ。ただ、ひとつだけ気になって」
恵美はスクリーンの端に映る蛇の目の最終行を指差した。
“小林の周辺に“実行手”が存在する確率は94%。”
“第二課は直ちに再査定せよ。”
「蛇の目のこの言い方……“存在する確率が高い”じゃなくて、“存在する”と断定に近い。
これ、ただの統計推論じゃなくて、何か“観測情報”がある……そんな感じがします」
渡辺が口をへの字に曲げる。
「また蛇の目の“人間には言わない観測”か。
あいつ、時々あるんだよな。
俺たちの知らない……どこかの“視点”から見てるみたいな」
片瀬が震えるように笑う。
「AIのくせに、まるで神様みたいな言い方する時がありますよね……。
全章を記録してる観測者って設定、誰が決めたんだろ……」
秋山室長が低く言った。
「蛇の目がどう観測していようが関係ない。
重要なのは、“小林は単独犯ではない”。
……それだけだ。
この事件は、もっと大きい」
恵美は息を吸い、ゆっくり吐いた。
「……絵画殺人。
コンサヴァターとキュレーター。
無関係に見えた事件が、ひとつに繋がり始めてる……」
片瀬が小さく呟いた。
「“この街は屍の街になる”……蛇の目の最初の警告、覚えてますか?」
渡辺が苦笑しながらも、どこか震えている声で答えた。
「ええ。あれ、冗談だと思ってましたよ……。
でも今なら分かる。
あいつは……もう全部見えてる」
秋山が立ち上がる。
「よし――全員、動け。
小林だけじゃない。
“実行者”を捕まえる。
その前に、次の“名画”が作られる前にだ」
恵美はスクリーンを最後に見上げた。
そこには、蛇の目の冷たい文字が点滅していた。
“展示は続く。
止められるのは、今だけである。”
恵美の背筋に、氷のような戦慄が走った。
蛇の目がログを吐き出す
記録単位:JNO-EV/EX-047
観測主体:蛇の目(第三観測系AI)
対象:山内久美(Yamauchi Kumi)
分類:関連人物再抽出 → 高リスク接触者 → 潜在的“感応者”
■1:基礎情報の補正
山内久美(28)
無職(元:ギャラリー補助スタッフ)
住所:旧工業区寄りのアパート
交友関係薄。親族との接触なし。
精神科通院歴:過去1回(不定愁訴・不安障害)
職歴:小規模アートギャラリーで2年間勤務 → 理由不明の自主退職。
※この職歴は、小林和樹との接点が生まれうる領域に位置するため、再抽出対象として優先度を更新。
■2:地理的プロファイル照合
蛇の目は小林和樹の行動軌跡(過去90日)と、山内久美の生活動線を重ね合わせた。
●一致ポイント:3
旧市街の小規模画廊跡地
→ 山内が頻繁に立ち寄る。
→ 小林が3週間前に15分だけ滞在。
駅東口のコインランドリー
→ 深夜帯に重なる。
→ 小林は“観察者としての滞在”で位置特性が不自然。
廃校舎から1.2km圏内の商店街
→ 山内は食料購入で利用。
→ 小林は“通過”扱いだが、速度が遅く、周囲を見渡す動作が連続。
※いずれも 接触意図があるとも、単なる偶然とも判定しきれない“曖昧な重なり”。
しかし蛇の目はこの“曖昧さ”を特異値として扱い、優先解析対象に昇格させた。
■3:心理傾向と“絵画事件”との関連性
山内久美は、複数の目撃証言とSNS断片ログから、以下の行動特性が抽出された。
●①「模倣」への高い感受性
他者の言葉・姿勢・趣味を短期的に取り込みやすい。
→ 絵画のモチーフ再現犯罪の“観衆側の陶酔”に近い心理構造を持つ。
●②「視線の異常」
人を凝視する時間が長い。
特に “顔”よりも“体表の質感” に注目する癖。
→ 被害者の生皮を使った幼児状の造形物との関連で、蛇の目が危険度を更新。
●③「自己像の希薄化」
SNSでの自己表現が断片的で、情報の整合性が低い。
→ プロファイル上、“支配者”ではなく“従属者”の傾向。
以上より蛇の目は、山内久美を次のように分類。
《分類:従属型共犯の可能性 → 中リスク/要監視》
■4:小林和樹との“役割の補完可能性”
蛇の目が導いた理論:
キュレーター(小林)には、必ず対となるコンサヴェイター(修復家/実行者)が存在する。
この二者は、“作品”を成立させるためには不可欠な関係。
もし小林が絵画殺人に概念提供者として関わるなら、実行者は別にいる。
山内久美に関する蛇の目の推測は以下:
●仮説A:山内久美=実行者
→ 可能性は低い。身体能力・過去の行動履歴的に不一致。
●仮説B:山内久美=補助者
→ 中程度。小林の“作品観”に感化される傾向が読み取れる。
●仮説C:山内久美=被影響者(感応者)
→ 蛇の目が最も高く評価した指標。
小林の価値観に“染まりやすい器”として。
蛇の目はこの状態を 「観念の寄生状態(concept-parasitism)」 と呼び、
“小林和樹による象徴操作が成立しやすい人物” と分類した。
■5:廃校舎事件との直接関連性
蛇の目は、事件現場付近の通信ログ・移動体記録・季節要因を統合して次の結論を出した。
山内久美は 「現場に足を踏み入れていない」。
ただし、
“作品が完成した後の空白時間に、現場周辺に引き寄せられた行動パターン”
が存在する。
これは蛇の目の観測履歴において、
観念感染者が、刺激源に引き寄せられるときの行動と一致
する。
■6:総合結論(蛇の目)
山内久美は、実行犯ではない。
しかし、“キュレーター=小林和樹”の観念的影響を受ける位置にあり、
事件構造に巻き込まれる最も外縁の人物である。
蛇の目は最終的なラベルとして以下を付与した:
《ラベル:Peripheral Vector(周縁媒介者)》
これは、
犯人の思想が外部へ伝播する“端の端”
しかし伝播の起点が小林に向いている
そのため、絵画殺人における“概念の反射鏡”になっている
という意味を持つ。
蛇の目は、この観測結果を科警研第2課へ自動送信した。
JNO-EV/EX-047:送信完了




