知識不足の日々
楽しんでお読みいただけたら光栄です。
カチャンッ!
一人が朝食をとるにはやや広い部屋に、カトラリーの鳴る音が大きく響いた。
珍しく食事中に音を立てた人物に、その場にいた使用人たちの不思議そうな視線がスッと集まった。その音が、今思えば開始の鐘だったのかもしれない。
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【知識不足の日々】
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「ねえあなた、この間はとてもキレイな方と出かけたのね」
「お嬢様、本日はパセリを食べきったのですね、素晴らしいです!」
朝食を食べ終えて、ナプキンで口を拭いていた彼女は、ある人物へ質問を投げた。
笑顔でトンチンカンな返答をした相手は、前髪で隠れたおでこにじわりと汗が吹き出し始めた。そして不思議なことに、その瞬間から、部屋の空気が少し冷えた気がした。彼の汗は止まらないのに。
「あら、どうして話を変えるの?つい先日、あなたが休みを取った日のことよ。デートしてたのでしょう?」
「…………いやはや、その日は家でゴロゴロとしておりまし――」
「そうね、ちょうどあなたの肩くらいの背丈の方だったかしら、『まるで絹のような髪だね、君のような美しい女性とは今まで出会ったことがないよ』と言いながら、ひと房髪を梳くって顔を近付けて――」
「思い出しましたそうですわたくしこの間は友人と!友人と出かけておりました!!すっかり忘れちゃってて!まったく〜この〜私のバカバカッ!」
コツンと何度も頭に握り拳を当てる様はとても可愛らしいが、音が鈍い。ゴッツンゴッツンいっている。
急に早口で話し始めた男は、今は大量のあぶら汗と増え続けるたんこぶのせいでとても情けなく見えるが、本来とても端正な顔つきをしている。
携帯している剣は主人を守るためのもので、深い夜のような色合いの髪と切れ長の黒い瞳も相まって、醸し出す雰囲気はとても鋭く感じるが、口を開けば喧しい。
しかしこのような相違も、年若い女からすれば可愛く見えるものなのである。ゆえに彼は、女性とデートをしたいときに相手に困ることはなかった。
彼女に食後の甘い紅茶を入れているメイド長だけは、彼を見る目が細くなっていたが。
段々と強くなってきた叩く音を背景に、彼女は話を続ける。
「まるでおとぎ話の王子様のようなセリフだったわ」
「気のせいですお嬢様、忘れてください」
「それで、どうだったの?」
「ど、どうだったと申しますと?」
「 夜までにはいけたのかと」
「ブーーーッ!?ングッ!」
「――おい!!誰だお嬢様に教えたやつは!!まだ早いぞ!!」
「ゲホッ!ゲフンゲフンッ!」
「あら勘違いしないで。まだ誰からも詳しくは教わってなどいないわ、本当よ?」
「これは夢だこれは夢だこれは夢だ」
そう言いながら彼は髪をぐしゃぐしゃと振り乱し始めた。傍に控えていた護衛騎士は先程大きく吹き出して変なところに入ったのか、咳が止まらない。誰かのわざとらしい咳払いも続く。そのような混乱の中でもメイド長はにこやかな微笑みを絶やしてはいなかったが、背中からどす黒いオーラがぶわっと広がったように見えた。
「……ふぅ。えっと……ですね、お嬢様、その、『夜までにはいけたのか』と仰いますのは、『夜までには散歩に行けたのか』ということですよね!」
男はひとしきりブツブツ言ってのち、再び大胆な話題転換をし始めた。
「え?」
「そうですね!やっぱりそーいうことですね!!」
「なんだかちょっと違う気が」
「散歩になら行きましたよお酒を少々嗜みましたので少し夜風にでも当たって火照ったお顔を冷やしましょうなどという流れで!すぐそばに海が見えましたのでキレイですね〜などとお話もいたしましてその女性とはその日のうちに楽しく解散しました!!」
「もしかしたらあなた少し勘違いしてるわ。そうではなくて男女の間で」
「あぁぁっと!お嬢様!そうこうしている間に家庭教師の方がいらっしゃるお時間になりそうですよ!さあさあ、お部屋を移動いたしましょう!」
話の途中で席を立つことにやや不服そうな彼女は、「でも時間にはまだ少し早いわ」と口にした。
しかしここでにこやかなメイド長が間に割って入る。
「お嬢様、早め早めに行動するのがよろしいかと。家庭教師を待たせてはいけませんからね」
しばらく渋い顔をしていた彼女は、家庭教師を待たせる事とこの話題を天秤にかけ、家庭教師をとったようであった。
「分かったわ」
そして、先ほど咳払いをしていた若いメイドと護衛騎士を引き連れ、彼女は家庭教師の来る部屋へ向かった。
「あら、もう一人いないわね」
「彼はのちほど参りますよ」
なぜ来るのが遅いのか気になった彼女が後ろを振り返ると、閉じかけた扉の間から今にもメイド長に首ねっこを掴まれそうな彼が見えたところで、慌てた使用人によってバタンと戸が閉められた。
「なんだか慌ただしい光景が見えたわ」
彼、なにか悪いことしたのかしら?と、彼女が見上げてメイドと騎士に問いかけたが、2人は困ったような、なんと言えばいいか分からないような顔をしていた。
「もしかして、私だけ理解できていないのかしら」
悲しそうに項垂れる彼女を見て2人は胸が少し痛くなったが、横から見えるふっくらとした紅色のほっぺたがなんとも可愛らしく思えた。
御歳10才のお嬢様は、まだ少し状況把握が得意ではない。
パセリが少し苦手で、歩くたびにフリフリと揺れる大きく膨らんだスカートがとびきり似合い、亜麻色の緩やかなウェーブがかった髪を指にくるくる巻き付ける姿も愛らしい少女は、小さなため息をつき、こう呟く。
「なにがなんだか分からないことが多いわ」
「知識不足の日々ね」
――と。
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「あなた、絹のようなストレートヘアが好きなの?」
「勘弁してください!!!」
お嬢様:10歳。可愛いお年頃。両親は多忙のため、1人でいることが多い。幼い頃から格別に仲良くしてくれた護衛騎士のことを安心できる兄のように感じていたが、騎士が女の人といるところを見てびっくりしちゃってなんだか胸が痛い。なぜ彼が幸せそうなのが悲しいのかしら?
護衛騎士:17歳。多感なお年頃。お嬢様が豆粒くらい小さかった頃からそばにいる。お嬢様ラブ。最近お嬢様が自分の色恋沙汰に興味津々で頭を抱えてる。なお、デートはすべて惨敗している。(原因:お嬢様愛が強すぎて引かれるため)
メイド長:?歳。指導の多い日々を送るお年頃。俊敏に臨機応変できる。騎士は後で屋敷裏に来い。
メイド:14歳。アオハルなお年頃。先輩メイドの恋バナを聞くのが好き。「私なんだかおかしくなっちゃったかも」と不安そうなお嬢様から話された一連の話が、現在ランキング一位の恋バナ。「仲の良いお兄様のような方に恋人ができることが寂しくてヤキモチを焼かれたのかもしれませんね」と平静を装って答えたが、去り際に「夜までにはもっていけたのかしら」とボソッと呟いてしまったことをちょっぴり悔いている。
護衛騎士2:27歳。繊細なお年頃。妻子持ち。最近娘のパパイヤ期がすごくて悲しい。早く娘と妻に会いたい。
お嬢様「なんだか不安になって年の近いメイドにこの気持ちが何か聞いてみたら、ヤキモチだって言われたの。そっか〜って安心してたら、部屋を出るときメイドが「夜までに、ナントカカントカに行けたのかしら」って言ったのが聞こえて。なにか特別な場所に行くことが男女の間で流行っているのかしらと不思議に思ったの。なんだかまだモヤモヤするし、今度彼に直接聞けばいいかしら〜って」
メイド長「メイド、そこへなおりなさい」
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