『目』の務め 1
「カリス様……。
よろしければ、これよりセリアは、しばらくお暇を頂きたく思います」
ダントが立ち去った後……。
魔法による繋がりが消え、再び元の盲人へ戻ったカリスに対し、セリアは深々と頭を下げながら進言した。
これは、第一王子の気性を考えるならば、必ずやらねばならないこと。
だが、自分という目が離れれば、当然ながらその間、カリスは様々に不便をするのだ。
「ふっふ……。
何しろ、おれに仕えてくれている元魔女殿は病弱であらせられるからな。
時には病で伏せることもあるだろうさ」
握りから柄、石突きに至るまで見事な装飾の施されたステッキを手にしたカリスが、薄く笑って答える。
いつも通り濃い色の眼鏡で覆われた瞳は、光を映していないはずだが……。
視線は、ハッキリとセリアに向けられていた。
それが、心地よい。
この視線を受けると、セリアの胸の内にあるものへ、力強く灯が灯されるのだ。
「それにおれの方も、あらゆる物事でお付きの侍女へ頼っているとあっては、風聞も悪いからな。
時に杖をつき、自らの感覚を頼りにしているところも見せねばならん。
また、このように杖頼りで歩く姿を見せつけておけば、おれたちがやっていることには、誰も思いも寄らぬわけだ」
他の侍女にも助けられ、ビシリと身支度を整えたカリスが、力強くうなずく。
この後は、神殿で開かれるミサに王族の代表として出席する予定となっている。
現在の国政における主役は第二王子ディセルを置いて他にいないが、最近の彼は多忙を理由にして、神殿関係の細々とした用事から逃げているのだ。
無論、真に重要な行事はきちんと参加するのだが、それ以外のものに関しては、代理として兄王子を指名しているのであった。
実際、多忙であることは間違いないのだが、この動きにはそれとなく神殿と距離を置こうとしている意識が感じられると、宮中では噂になりつつある。
だが、今のセリアに第二王子の動きは関係ない。
自分はただ、カリスの『目』となり働くだけなのだ。
「では、頼んだぞ――セリア」
「はい」
だから、短く……。
そして、精一杯の決意と共に主の言葉へ答えたのであった。
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純白のリネンシャツはいかにも着古した代物であり、レースや刺繍といった本来洒落ているべき装飾が、ずいぶんとよれてしまっている。
胸元を覆うダブレットにも金ボタンや飾りリボンといった気の利いたものは付いておらず、これは、着飾るためというより、いっそのこと防具として……。
あるいは、胸元をただ厚くするために装着しているかのようだ。
脚を固めるのはブリーチズと呼ばれる膝丈のズボンとタイツで、これが実に地味な色合い。
履いている革靴も、本当にただの履き古したそれであり、洒落っ気など漂わせられるはずもない。
どこからどう見ても、立派な――貧乏貴族家子息。
見ていると悲しくなるのは、護身用のレイピアすら腰に下げていないということ。
これは、守るべき財も見栄もないからであることが、誰の目にも明らかな……そのような人物であった。
ただ、この人物……小柄ながら、顔立ちは実によく整っている。
年の頃は、十代半ばから後半。
耳を覆う程度の長さに伸ばされた黒髪は、カラスの羽を濡らしたかのような艷やかさであり、それを前髪からパツリと切り揃えていた。
顔立ちが整っていることは、道ゆくご婦人方が噂し合っているのを見れば、語るまでもない。
もし、金に見放された出自ではなく、いずれか高貴な血筋であり、それにふさわしい格好をしたならば……。
間違いなく絶世の美少年として語り継がれるであろう人物が、石造りの街中を歩いているのである。
もっとも、この人物……。
美少年どころか、実際には男ですらないわけだが。
男装したセリアが、王都ルキア·グラードの中を歩いているのであった。