第一王子カリス·ヴァルミナ
室内は、豪奢そのものな調度で覆われており……。
天井には壮大な宗教絵画が描かれ、これだけの財を持つ者に対し、おごることなかれと呼びかけているかのようである。
そのような部屋の中、火薬を爆ぜさせたような声が響き渡った。
「新しい侍女!? 新しい侍女だと!?
ふん、そうか……。
また一人、辞めたか。
辞めて、補充する。
果たして、それがいつまで続くかな?
最後の最後には、新しい侍女など見つからなくなり、おれは尻を拭くことすら不便するようになるわけだ!」
声の主は、少年である。
黄金の髪は甘い印象を抱く形に整えられ……。
神々の手による造作かと思えるほど整った顔は、今は荒れた表情となっており、かつての聡明さが嘘のようだ。
何よりの特徴は、蒼き瞳を覆い隠すような色の濃い眼鏡……。
いや、これは事実として、覆い隠すために装着しているのだ。
光を失った彼の瞳は、それでもなおものを見ようとして、あらぬ方向にさまよってしまうから……。
「――くそっ!」
物へ当たるようになったのは、目が見えなくなってしまってから。
手近な場所にあった椅子が、彼の手で床に叩きつけられた。
毒を盛られて以来、鍛錬はしていないが……。
それでもかつては剣聖王の再来と言われた少年であるから、その膂力は尋常ではない。
ガッシリとした造りをしている椅子の脚が、バキリと音を立ててへし折れた。
「カリス殿下。
第一王子ともあろうものが、そのように振る舞うものではありません。
侍女たちも、怯えております」
ここで声を荒げても、かえって怒りを増すばかり。
そうと心得ている老侍女が、優しく、諭すように呼かける。
第二の母とも呼べる人物の言葉に、第一王子カリスはわずかに怒気を引っ込めたが……。
「ああ……ふん」
それでも、すて鉢な態度をあらためることはなく、健在な椅子を手で探り当て、どかりと腰かけた。
これでもまだ、今日は機嫌がいい方だ。
本当に機嫌が悪い日は、そもそも、誰も自身へ近付けようとしない。
杖を使っての歩行術やその他の作法など、視力を失った今だからこそ、新たに学ぶべきことは数多いのだが……。
未来への希望を完全に絶たれた今は、一日中不機嫌で、周囲に当たり散らすばかりなのだ。
もし、酒の味を覚えていたなら、それに溺れていたことだろう。
「第一王子はおしまいだ」
「盛られた毒で視力を失い、将来も希望も失った」
「あれだけ聡明な御方だったというのに、今は見る影もないことよ」
「いっそ、一命を取り留めることなく、母君ともども亡くなられた方が幸せだったのではないか?」
「王位を継ぐのは、もはや第二王子殿下を置いて他にいまい」
口さがない者たちはそう言うし、それに対して、反論する術はない。
まったくもって、その通り。
第一王子カリス·ヴァルミナは、もはやあらゆる意味で死に体なのであった。
だが、上手くいけば……。
もしかしたならば……。
それは、今日この瞬間までの話であるかもしれない。
「では、新しい侍女を呼びます」
「ふん……顔合わせしたところで、おれには見えんよ」
やはり投げやりな王子の言葉を背に、部屋の扉を開く。
外に控えていた希望は、するりと部屋の中へ入ってきたのだった。
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(ふん……どんな侍女が入ろうか、知ったものか!
どうせ、そいつも死に損ないの第一王子を仕方なく世話しに来ているのだろう。
人のことを、左遷先がごとく扱って……!
あるいは、哀れな開かずの王子を世話してやる心優しい自分に酔いたいか?
――舐めるな!)
新入りの自分付き侍女が入ると聞いて、カリスの脳裏をよぎったのはそのような感情である。
すでに、潰れるべき面子などなくなってしまって、久しいが……。
それでも、この国を受け継ぐはずだった第一王子として、女に侮る目で見られるのは、我慢ならないことであった。
これは、女子を軽く扱っているというわけでなく、むしろ、女子の前でこそ凛々しき男でいたいというカリスの意地に起因する感情である。
男というものは、異性の前ではとりわけ面子を大事にしたい生き物なのだ。
もっとも、そんなものを後生大事にする能力など、今の自分には備わっていないのだが……。
ガチャリ、と、部屋の扉が開くや否や……。
「あ、お待ち下さい!」
――スッ! スッ!
……と、老侍女の制止も聞かず、新入りだろう侍女がこちらに近付いてくる。
この部屋は毛の長い絨毯で覆われていたが、今のカリスには、ハッキリと足音を聞くことができた。
視覚を失って以来、それ以外の感覚が鋭さを増したのだ。
――スッ! スッ!
だから、ハッキリと感じ取れた。
新たに入ってきた者は、当然女。
歩幅から考えて、かなり小柄な部類。
それが、下品にならない程度の早足で、自分に迫ってきているのだ。
「――何を!?」
がしりと顔を掴まれてしまったのは、この目が見えなくなっているにしても、不覚である。
(まさか――暗殺!?)
いつそれをされてもおかしくない立場の者として――事実、毒により視力を失っている――暗殺の二文字を即座に思い浮かべた。
だが、そうではない……。
この頭を掴んだ十本の指から、何か温かく慈愛に満ちた力が、脈々と注ぎ込まれてくるのを感じたのだ。
「……おおおっ!?」
注ぎ込まれた力が、眼孔の奥で溶岩のように蠢く。
たまらず、頭を掴む指から逃れた。
「ぐうーっ!?」
そして、頭を押さえながら椅子の上で悶える少年の姿を、見下ろす。
「えっ……?」
異変に気づく。
見えないはずの目が、見えている。
だが、これが自分の視界でないことは、即座に察せられた。
何故なら、この視界で見下ろしている人物は、濃い色の眼鏡こそ装着しているものの、視力を失う前まで毎日見ていた顔をしているのだ。
ありていにいってしまうなら……。
この自分――カリス·ヴァルミナその人なのである。
「わたしは、正確には侍女ではありません」
自分のやや上から、娘の声がした。
それを探そうとすると、視界の中にいるカリスが、オロオロと周囲に見えない目を向ける。
「あなた様の目となりにきました」
またも、やや上からの声。
鋭くなった聴覚で、声の位置を探知するのなら……。
声の主は、今見えている視界の主でもあると思えた。