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そのチャンスの女神には、後ろ髪もあったのに

作者: 望月ソウ

「記憶喪失なんて嘘までついて、僕の気を引きたいのか」


 アーサーはそう言いながら、婚約者ミシャの部屋に入ってきた。ミシャは3日前に突然倒れ、目を覚ました時には記憶を失っていた。


 ほとんどの貴族がそうであるように、二人は親同士が決めた婚約者だった。ミシャには人の心を読めるという噂があったせいで、貴族なら子供の頃に決まる婚約者が中々決まらなかった。そこに名乗りを上げたのがアーサーの実家であるウィンチェスタ家なのだが、その目的はミシャが将来受け継ぐであろう地位と財産だ。

 ミシャの父である公爵はその狙いが分からぬ訳では無いが、娘を溺愛しているため、婚約者が不在のままなのは不憫だと、ウィンチェスタ家の申し出を受け入れたのであった。


「ごめんなさい。何も覚えていなくて」


 まだ起き上がれないミシャは、ベッドに置いたクッションに体を預けながらアーサーに言った。


「具合が悪いフリをしても無駄だ。さすが公爵令嬢は姑息な手を使う。こんなことをしなくても約束通り結婚はしてやるから、それまでは僕の手を煩わせるのはやめてくれ」


 見舞いの品すら無く、金髪碧眼の美しい青年はあっという間にミシャの部屋を出て行ってしまった。


 その後もミシャの記憶は戻らなかったものの体調には特に問題は無く、月2回の婚約者の義務としての茶会をこなす以外は、アーサーは相変わらずミシャを顧みることは無かった。


 そんなアーサーだが、ミシャは初めて会って以来、彼をずっと想ってきた。読心の噂が貴族社会に広まり子供同士でも遠巻きにされた中で、幼いアーサーが変わらぬ態度で接してくれた思い出を、過去のミシャは宝物のように思っていた。


 しかしアーサーは、成長するにつれ自らの立場とミシャの噂を認識したのか、その態度はどんどん素っ気なくなっていった。


 ***


 記憶喪失になって3か月経っても、相変わらずミシャの記憶は戻らなかった。しかし、記憶は失っていても、彼の美しい金髪を見ていると胸が温かくなる自分は、彼が好きだったのだと感じていた。

 他に女性がいるという噂もあったし、見舞いの時も冷たいように感じたが、きっと自分の勘違いなのだろう。そう思って、月に2度のお茶会ではアーサーに一生懸命話しかけ、会えない時は手紙を送った。

 何しろこの胸にある温かい気持ちは勘違いとは思えなかったから。


 ミシャの努力とは裏腹に、むしろアーサーは増長しているように見えた。お茶会で話しかけても上の空で早々に切り上げられ、手紙の返事が来たことは一度も無かった。仕事が忙しいと夜会に誘われることも無かったが、人づてに別の女性とは頻繁に顔を出していることを聞いた。


 何よりもうすぐミシャの20歳の誕生日だという時になっても、二人はまだ婚約者のままだった。この国では、急な不幸などを除き、貴族女性は20歳までに結婚することがほとんどだ。そして婚約者同士であっても、いよいよ結婚というときには一輪の花を添えてプロポーズをするのが習わしだった。


 そうしてミシャは、20回目の誕生日を迎えた──


*** 


 20歳の誕生日の翌日、いつもはウィンチェスタ家を訪れるばかりのミシャが、珍しくアーサーを呼び出した。特段の事情も無いのに結婚を進めようとしていないことを、さすがに責められると思ったのか、バツの悪そうな顔でアーサーはやって来た。


「き、昨日はすまなかった。どうしても外せない用事があったんだ。結婚しよう」


 アーサーは部屋に入るなり、一輪のバラを添えて言った。慌てて用意したのか、赤ではなく黄色のバラだった。


「いいえ。婚約破棄しましょう」


 ミシャは、優雅に、しかしキッパリと言い切った。


「ど、どうしたんだ急に。そうか昨日来られなかったことを拗ねているんだな?今からそんなことでは、結婚していずれ僕が公爵となったら仕事で帰れない時にどうするんだ?僕に期待してくれている君のお父様も許すはずが無い」


 ミシャは思わずため息がこぼれた。


「父は早く婚約破棄するように言っていました。でも私は、20歳の誕生日までには私だけを見てくれるようになるのでは無いかと、最後の望みが捨てられなかったのです。でもあなたは会いにすら来てくれなかった。もうあなたは私の人生から消えてもらいます」


「な、何を…」


 自分では気づいてなかったけど、アーサーがいつも言うように公爵令嬢であることを鼻にかけて可愛げのない女なんだろう。直接的な言葉で責めることこそ無いものの、自分を金で買った癖にと会うたびになじられるのは辛かったが、それも本当のことだ。他人の心が読めるこの特殊な能力についても、自分では気づかぬうちに使ってしまってアーサーを不快にしてしまっていたのかもしれない──


 そう思いつめてミシャは自分が何者であるかも含めて、自らの記憶をすべて消し去ったのだった。


「私は人の心を読めると言われているけど、本当はそれだけでは無いんです。人の心を操ることも出来るんです」


 ミシャの態度にアーサーはうろたえながらも、いつもどおり馬鹿にしたような言葉をミシャに投げかける。


「それなら僕の心を操って、君を好きになるように仕向けることも出来たはずじゃないか」


「出来ますよ。でもそれでは意味が無いから。私はあなたに心から愛されたかった。昨日、私の20回目の誕生日が最後のチャンスでした。でもあなたは来てくれなかった。もう終わりです」


 そう言うとミシャは自らの胸の前で手を組み、目を閉じた。その瞬間、二人を光が包み込み、やがて光は消えた。


「アーサー様、さようなら。」


「え?」


 ミシャはアーサーに対して、振る舞いを改めるようにそれとなく説得を試みてきたし、本当に好きな女性がいるならそちらを選んでいいと仄めかしてきた。それでもアーサーは地位に目が眩んだのか、婚約を破棄しようとはしてこなかった。


 今起きた出来事の記憶を消されたアーサーは、事態を飲み込めぬうちに衛兵によって屋敷の外に連れ出され、それ以降、公爵家の土地を踏むことは二度と無かった。


 衛兵に引きずられていくアーサーの姿を改めて眺め、『私の好きだった人はこんなに格好悪かったかしら』と不思議に思った。


 アーサーはその後、ウィンチェスタ家から放逐され、あてが外れた女性には当然捨てられたが、もはや彼に興味が無いミシャの耳にその情報が入ることは無い。


***


 ミシャが記憶を失ったときアーサーは彼女をいたわる言葉も掛けていれば違う未来があったかもしれない。ミシャの20歳の誕生日までにプロポーズしていれば。しかし、アーサーはそれらのチャンスをことごとく棒に振った。


 ミシャは、一つだけ願掛けをしていた。20歳までにアーサーが改めて結婚を申し込んでくれなかったときだけ、記憶が戻るようにしておいたのだ。幸か不幸か、掛けた願いは叶わなかった。

 

 アーサーは結婚したら公爵家を自分が継ぐと勘違いしていたが、あくまで跡取りはミシャだ。それまでの記憶をすべて失ってしまっては、跡取りとしては致命的である。それでもこんな方法を取ったのは、悲しいことに、記憶は戻る──結婚は申し込まれない──と言う確信がミシャにあったからだろう。

 それでも…あのとき、幼き頃の自分にアーサーが優しく接してくれたキラキラした初恋を忘れることは簡単ではなかった。


 ***


 10年前───


 貴族の子供達が集められたお茶会で、自己紹介代わりにハンカチを渡す遊びをしたとき、ミシャのそれは誰も受け取ってくれなかった。会場では我慢したものの、帰りの馬車に乗り込むときに涙が溢れ出て、握りしめたハンカチをミシャは地面に落としてしまった。どうせ受け取ってもらえなかったから、と落ちたままにしようとした時──


『ミシャ様、ハンカチいただきます!』


 驚いてミシャが動き始めた馬車の窓から後ろを見ると、そこにはハンカチを手にした金髪の少年が立っていた。

 逆光で顔は見えなかったが、後から調べさせると、その日、金髪の少年はウィンチェスタ家のアーサーしか出席していなかった。


 ***


 悪い噂だとラグランジュ公爵家は否定してきたが、公爵家にはたまにそのような特殊な能力を持った人間が生まれることがあった。普通はもう少し成長してから能力が発現するのだが、ミシャの場合幼い頃に能力が現れてしまい、上手く秘匿できずに外部に漏れることとなってしまった。

 長じた今では力をコントロールすることも出来るため、基本的に他人の心を読むことは無い。


 そして、ミシャにはもう一つ大きな力があった。それは人間の記憶に干渉する能力だ。要するに、人の記憶を消すことが出来る。その力は他人だけで無く、自分自身の記憶についても自由に操作することが出来た。


 アーサーは『記憶喪失のフリまでして気を引きたいのか』とミシャを責めたが、半分は事実であった。実際にミシャの記憶は失われているので、異なるのは”フリ”という部分。そこまでして、アーサーの気を引きたかったのは事実だ。これから一生を共にする彼には、自分だけを見て欲しかった。


 記憶喪失以前のミシャが何も努力してこなかった訳では無い。彼と共通の話題を探してみたり、彼の好むタイプを探ってみたり。しかし、それらはすべて徒労に終わった。

 それまでの積み重ねでミシャの方も少し頑なになり始めていたので、まっさらな状態で彼と向き合えば、いい方向に変わるかもしれないという賭けだった。言い換えれば、このくらいしかミシャにはもう出来ることは残っていなかった。

 しかしそこまでしても、アーサーの気持ちを自分に向けることは出来なかった。




 ***


「彼も…財産目当てなんて言われて辛かったんだと思うわ」


「そんなことを仰るのはミシャ様くらいですよ。お優しすぎます」


 そう言って微笑んでくれるのは、最近長期の留学から帰ってきたルシウスだ。帰国後は代々、裁判長官を務める祖父の元で見習いをしている。

 長期の留学というのは建前で、子供が生まれない遠縁の貴族の家に跡継ぎとして事実上の養子に行っていたのだが、その家に結婚13年目にして子供が生まれ、お役御免となり隣国から帰国してきたのだった。

 相応の待遇で隣国にとどまる選択肢もあったと聞くが、ルシウス本人が母国に帰ることを選んだのだと言う。

 帰国以来、何かと理由をつけては、なぜかミシャの元を訪れるようになっていた。


 表向きはミシャの2歳年下の弟を訪ねてきていることになっているが、二人が話しているのはほとんど見たことが無い。ルシウスの父は現伯爵で、順当に行けばその地位を継ぐことになるから、高位貴族の嫡男同士、交流を深めるという(てい)である。


 ミシャとしても会いに来てくれる人がいるのは嬉しい反面、自分は婚約破棄したばかりの傷物令嬢だし、元々の噂もあって、こうして頻繁に会いに来てくれるルシウスを不思議に思った。


 心が読める人間に好き好んで会いに来るなんて、物好きだ。あくまで噂だと思っているのだろうか。

 以前、うっかりルシウスの心を読んでしまった時は、言っていることと考えていることにほとんど差が無かったので、後ろめたい所が無いのかもしれない。と言っても考えた事をすべて口にしている訳でも無いようで、理性的で誠実な人だとミシャは思う。


「あなたは私が恐くないの?」


「えっ恐いですよ。いやらしいこと考えてる事とかバレたら不敬だし」

(恐い。ミシャ様にすぐにでもキスしたいって考えてるのバレたらヤバい)


「まあ彼に関しては、権利の上に眠る者は保護に値せず、ですよ」

(婚約者の地位に甘えてミシャ様を蔑ろにした報いだ)


「僕はずっとミシャ様が好きだった。結婚してください」

(10年前、ハンカチをもらったあのお茶会の時からずっと好きだった。結婚してほしい)


 スズランの花を差し出すルシウスの美しい銀髪は、窓から差し込む夕日に照らされて金色にキラキラと輝いていた。



☆白ルシウスver.☆

(帰れるかどうかも、婚約が破談になるかも分からなかったけど、ミシャ様にいつ心を読まれてもいいように10年前から訓練してきました)


★黒ルシウスver.★

(でも、可能なら、僕が国に帰るためにした工作とか、元婚約者殿が好みそうな女性を探したこととかは、バレたくないなあ)


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