勝利の余韻──しかしそこにあったものは
血の匂いが充満する魔王城の最奥。
レイシュナは、確かに勝利をつかんだはずだった。
魔王ゼルガスの胸を貫いた聖剣は、未だにその手の中にある。
だというのに──
(……なんで、こんな気持ちになるの……?)
目の前の男は、魔王だ。
この世の闇を統べ、幾千の魔物を従え、世界を絶望に陥れようとした存在。
倒さなければならない、最も邪悪な敵。
──なのに。
黒き甲冑に包まれたその身体は、未だに揺るぎない威厳を放っていた。
胸を貫かれたというのに、彼の双眸は死んでいない。
鋭く、深く、底知れぬ力を湛えたまま、レイシュナを見つめている。
普通なら、今頃断末魔を上げ、または呪いの言葉を吐きながら、体中を襲う苦痛に耐えきれずに倒れているはずだ。
しかし、彼は──笑った。
「……勇者よ、お前は……本当に、見事だ……」
レイシュナの心臓が跳ねた。
なぜ──魔王が、そんなことを言うの?
人間を滅ぼすために生まれた存在のはずなのに。
この世界の敵であるはずなのに。
その口から、そんな言葉が出てくることが信じられなかった。
(違う……私は、こんな言葉を聞くために戦ったわけじゃない……!)
自分を奮い立たせるように、剣を握りしめる。
それなのに、魔王の言葉は止まらなかった。
「……私は、お前に恋をした」
「……っ!?」
レイシュナの意識が一瞬、真っ白になった。
何を言っているのか、理解が追いつかない。
けれど──ゼルガスの瞳は真剣だった。
それが、嘘偽りのない言葉だと、一瞬で悟らされた。
(……なんで……そんな目で、私を見るのよ……)
レイシュナは、自分の心が揺らいでいることに気づいてしまった。
ゼルガスは、確かに恐ろしい魔王だ。
だが、それ以上に──
彼は美しかった。
巨大な闇の力を纏いながら、それを当たり前のように支配する圧倒的な存在感。
戦いの最中、幾度となく浴びせられた魔力の奔流は、まるで夜空を裂く雷のようだった。
人間には決して到達できない領域にいる者。
その強大さに、彼女は――
(……魅せられてしまっていたんだ……)
思い返せば、戦いの最中も、その力に恐怖する以上に、目を奪われていた。
魔王としての絶対的な威圧感、戦士としての冷静な思考、そして……
どこか孤独な影を宿した、彼の瞳に。
(……私は……)
もし、彼が魔王でなければ。
もし、彼が人間だったなら。
きっと、レイシュナは彼に恋をしていた。
──けれど。
(それでも……あなたを討たなきゃいけないの……)
剣を握る手にーー再び力を込める。
これは使命だ。
私が倒さなければ、誰が倒すというの?
──なのに、どうして。
「……殺せないのか?」
ゼルガスが、囁くように言った。
挑発ではない。
その声音には、どこか寂しげな響きが混じっていた。
レイシュナは答えられなかった。
剣を握る手が、震えているのを感じながら──
自分が、すでに決断できなくなっていることを悟ってしまった。