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『他に好きな人が出来た。婚約破棄してくれ』


 簡潔に書かれた言葉の羅列。だけど私は、その言葉たちを理解するのに時間を要した。

 もう一度、読んで。それから手を止めて、手紙をじっと見つめる。


「お嬢様……」


 私に心配そうな視線を寄越すメイドにも執事にも、今は気を割けない。

 それくらい食い入るように私は手紙を見つめていた。


「……馬鹿な人」


 しばらくの手紙とのにらめっこの末に、そうポツリと漏らせば、私の頬を熱いなにかが滑った。

 涙だと、直感的にわかった。


 ――彼を、問い詰めなくては。誰よりも愚かな、ただ一人の婚約者様を。


◇◇◇


 私は婚約者様――アルチュール様が療養している領地に向かうため、今馬車に揺られている。背もたれに体重をかければ、アルチュール様との思い出が蘇ってきた。


 初めて顔を合わせたのは、金木犀(きんもくせい)のオレンジ色の小さな花が咲きこぼれる、彼が住まう屋敷の庭だった。

 私は目の前に立つ、齢八歳のまだ頬がまろい少年に微笑みかける。少年も、笑みを返してくれた。

 お互いの両親に急かされて、少し拙い挨拶が終わると「後はお若い二人で」と両親はそうそうに居なくなった。


 さて、どうしようか。私は隣で突っ立っている少年、いやアルチュール様を見た。伯爵家の次男で緩く育てられてきたであろうアルチュール様は私をエスコートする素振りも見せず視線を彷徨わせている。

 長女である私は心の中で嘆息すると、婚約者様(予定)に手を差し出した。


「体もお互い冷えてますし、早く行きませんか?」

「あっ、うん……気が利かなくてごめん」


 慌てたように私の手を取ると、アルチュール様はほっぺを少し赤らめながら歩き出した。私は色づいた頬を見てぼんやりと『桃みたいだなぁ』と考える。噛んだ瞬間にみずみずしい甘い汁が口いっぱいに広がるのを思い出して、思わず笑みがこぼれた。

 庭をしばらく歩くと、真っ白なガーデンチェアと上にケーキやらティーカップやらが載ったガーデンテーブルが現れる。アルチュール様が椅子を引いてくれたから有り難く座ると、彼も自分の椅子に座った。

 そこで私はアルチュール様、正確にはその頭に手を伸ばした。

 私の行動の意図が読めないのかピクリと震えるアルチュール様を無視し、髪の毛を一房つまむ。


「髪の毛に、金木犀の花がついていました」

「そうなんだ……ありがとう」


 秋の空にも似た、穏やかで澄んだ水色の髪に、ポチリと一つオレンジ色の花が絡んでいた。

 私が開いた右手の上に載る小ちゃなオレンジに、アルチュール様は目を瞬かせた。それから、拍子抜けしたように礼を言う。

 

 若干の気まずさに、長女といえど何をしたら良いのかと思考を飛ばしていると、丁度いいタイミングで目の前に紅茶が置かれた。

 角砂糖をぽちゃぽちゃと二つ入れると、「……れるの?」となにか言われる。

 顔を上げると、「二つも入れるの? 甘くない?」彼はもう一度言葉を繰り返した。

 

 私は思案しながら紅茶を口に含む。周りの金木犀の香りによってさっきまで紅茶の香りはかき消されていたが、飲むと紅茶の香りがフワリと口内に広がった。

 喉から胃へと自分の体を滑っていく紅茶に、体がじんわりあったかくなるのが分かる。

 白を基調とし、淡いピンク色で彩られているティーカップは、どれだけ大切にされているかが分かって私の顔が思わず綻んだ。


 紅茶を飲みなにも言葉を発しない私に、気を悪くさせたのかと顔を青くしだしたアルチュール様に笑いかける。


「ふふ、私は甘いのが好きなんです」

「そうなんだ」

「はい。アルチュール様は甘いの、嫌いですか?」


 そんなこと初めて考えたと言わんばかりに目を丸くした彼はポツリと「……そうかも。僕、甘いの苦手なんだ」そう零した。

 自分で自分の苦手なものに気づいていなかったアルチュール様がおかしくて体を震わせながら笑うと、紅茶の水面もゆらゆら揺れた。


「ねえ、甘いものならガブリエルはどれが好き?」

「そうですねぇ。他国から取り寄せないと食べれないので中々食べれないんですけど、チョコレートには特に目がないと自負しております」

「そうなんだ」

「アルチュール様はなにが一番好きですか?」


 何気なく問いかければ、途端に眉をしかめアルチュール様は情けない顔になった。


「うーん、ローストビーフも美味しいし、じゃがいもの入ったキッシュも好きだし、シチューも……」

「まあ、贅沢ですわね」

「ごめん……」


 私は紅茶をもう一口飲む。


「好きなものが沢山あるのは素晴らしい事だと、私は思いますわ」

「そう? ……あ、でも。父様には好きな食べ物、昔『クッキー』って言っちゃったから、僕の好きな食べ物は秘密にしてくれる?」

「ふふっ、良いですよ。アルチュール様の好きな食べ物は、私たちだけの秘密ですね」


 照れたようにアルチュール様は紅茶を手に取った。

 私は「あっ」と声を上げる。


「紅茶の中に金木犀が……」

「あれっ、本当だ!」


 困ったようにオロオロするアルチュール様を見て、私は耐えきれなくなって声を上げて笑った。


◇◇◇


「お久しぶりです、アルチュール様」

「うん久しぶり。今日も綺麗だねガブリエル」


 あの出会いから六年後。十四歳になった私たちの縁は今も続いている。婚約者様(予定)から婚約者様になったアルチュール様は、月に一回のお茶会の度にとびきり甘いお菓子を持ってきてくれる。

 だから私はアルチュール様が食べれる甘くないものを用意して待つのが常になっていた。

 彼が持ってるケーキ箱を見て、「あら」と声が出た。


「今日はいつもより箱が大きいですね?」

「僕の学園入学の準備で、ガブリエルに会えるのが二ヶ月ぶりだからね。楽しみ過ぎて色々買っちゃったんだ」

「ふふ。頑張って食べないとですね」


 呆れたように口では言うけど、ついソワソワしてしまう。

 アルチュール様は苦笑しながらも、私の視線に心得たとばかりに箱を開いた。


「まあ……これは今話題の『フリアンディーズ』店のケーキでは?」

「当たり。さすがガブリエル」


 三つのケーキが、所狭しと並んでいる。いつもは一つだから、三つとはなんとも贅沢だ。「これなら二ヶ月に一回でも良いですわね」と独りごちると「酷いガブリエル!」と耳ざといアルチュール様に突っ込まれた。

 私はアルチュール様をおざなりに宥めながら、まずはどのケーキをいただこうかと考える。

 大ぶりのルビーと見まごう程ツヤツヤと輝く苺が載ったタルトも気になるし、黄金色(こがねいろ)の光を放つ栗の甘露煮が頂点にのったモンブランも美味しそう。

 だけど、やっぱり最初は――


「このチョコレートケーキから貰いますね」

「だと思った」

「チョコレートには目がないので」


 丸いチョコレート生地の上には、雪のように粉砂糖が散らされている。シンプルながらも心惹かれて、私は早速そのケーキを皿に取りフォークを入れた。


 その瞬間、中から溢れ出したチョコレートに目を見開く。


「まあまあまあ! なんですの、これは!?」

「『フォンダンショコラ』って言うらしいよ。中にとろけるチョコが入っているんだ」

「なんて不思議な……」


 ケーキをフォークに刺してから、はしたないと自覚しつつフォークに刺さったケーキでお皿に零れてしまったチョコレートをすくった。

 チョコレートが滴り落ちないように気をつけながら頬張ると、今までにない幸せが口を占めた。

 チョコレートの生地につけた、仄かに温かいとろけるチョコレートが舌にまとわりつく。

 甘いチョコレートにゆるゆると頬が緩んだ。


 そこでふと、可愛らしい事実に気づく。


「フォンダンショコラ、温かいですね」

「そうだね」


 アルチュール様がストレートの紅茶を飲みながら顔を反らした。


「うふふ。わざわざ温め直してから来てくれたのですか? たしかにアルチュール様がここに来る前、我が家のキッチンが賑やかでしたね?」

「……ガブリエルの驚いた顔が見たくて」


 彼が観念したように白状した。

 私が他のケーキから食べだしたらどうしたのだろうか。……まあ、彼は私がこのフォンダンショコラから食べるという自信があったのだろう。

 私の事をよく分かっているアルチュール様に、愛しさがこみ上げる。


 それからもフォンダンショコラを夢中になって食べていると、あっという間にお皿が空になってしまった。

 残念に思いながら紅茶を飲んでいると、照り焼きチキンが挟まった一口サイズのサンドイッチを咀嚼し終えたアルチュール様が口を開いた。


「ガブリエル、学園では『特進科』と『騎士科』のどっちかに行こうと思ってるんだけど、どっちにしたら良いと思う? 決められなくて……」


 私たちが春から通う学園では三つの科がある。貴族でも男爵や子爵、平民の人が入る『普通科』。貴族でも高位の人や、学業が優秀な人が入る『特進科』。騎士を志す人が入る『騎士科』がある。

 ここでアルチュール様が『特進科』を選べば、将来は王宮で事務的な仕事をするのだろう。

 逆に『騎士科』を選べば騎士になる。


 私は迷うことなく「騎士科ですね」と言った。


「……ガブリエルと同じ科じゃないんだよ?」


 一瞬捨てられた犬のような顔をアルチュール様がするものだから、私は吹き出してしまった。


 伯爵令嬢である私は『特進科』に入る。

 私も彼と同じ科に行きたい気持ちもあるけど、それでも首を横に振った。


「アルチュール様は、剣を振るうのが好きなんですよね?」

「皆には向いてないって言われるけどね」

「向いている、向いていない。それは些細な問題ですよ。続ければ、結果は必ず追いついてくるのですから」

「ガブリエル……」


 私は彼の手を取った。

 

「そして、もし私のわがままを叶えてくれるなら。私に貴方が使い古した剣をくださりませんか?」

「僕が使い古した、剣?」

「はい。貴方が頑張ってきた毎日が詰まっている剣が欲しいのです」


 唇を噛みしめるアルチュール様の癖。これは彼がワクワクしている時だと知っている。


「私に、剣をくれませんか?」

「うん、僕頑張るよ」


 お互いに顔を見合わせて、二人で笑い合った。

 私はアルチュール様がくれる剣に想いを馳せる。


 ――アルチュール様に騎士科を勧めた事を後悔するとも知らずに。



今がただ幸せで。

それなのに私はわがままを言ってしまった。

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