第37話 民間療法ですらない
「うわあ!」
また男の顔面が目の前に現れた。心臓に悪いから止めてほしい。
どうやら食べ終わったようね。いや、まだ最後のひと口をモグモグしているようだ。
そんな顔を目の前にさらすなと言ってやりたい。
作業を中断して男の食器を洗う。その間に男は玄関を開け、廊下にあった部屋の番号が書かれている袋を持って戻ってきた。
「ほへ、へんぶぁふふぉほばはひっへひうはは」
なるほど。昨日寮母さんが持っていった服が入っているのね。よかった。さすがにこの格好で出歩くのは恥ずかしいもの。
着替える……にしても、区切りもなにも無いワンルームなのよね。
なのに気にもせず男は着替え始めやがった。汚いモノが視界に入らないようにサッと後ろを向く。ゴソゴソと男が着替えている音が聞こえる。
無神経なんだから。
「ひぶぁえはひほは?」
「きゃっ」
いきなり耳元で言わないでよ。
どうやら着替え終わったらしい。
「着替えるから廊下に出てて!」
「ははえうほはひょうほふひはんひへうははばへばほ。うひほふいへ、ひょ、おははひぶぇ!」
男の言葉を途中で遮って無理矢理部屋の外へ叩き出した。
寮則? そんなこと知ったことではない。
部屋の鍵を閉めると扉を開けようとガチャガチャドンドンと中々に五月蠅い。騒がなければ周りに気づかれないだろうに。
それじゃ着替えましょうか。
やっぱり下着を着ていないのはちょっと心許なかったわ。でも締め付けがない分リラックスできたけど。替えの下着や追加の服も買って来ないとダメね。
でも、まずは図書館に行きましょう。
着替え終えたので部屋の鍵を開けてあげましょう。ああも五月蠅いと周りに迷惑だもの。
「ふはっ! あ、あひは」
いい加減聞き苦しいわね。頬の腫れを治療してあげましょう。
とりあえず左手で顔を鷲掴みにして大人しくさせましょう。
「ひふぁいひふぁい。はひふうふぉ?!」
「治療するから大人しくしてて」
「ふぃひょう?」
男に見えないように右手で魔法陣を構築して……よし。一旦離した後両手で男の頬を勢いよくバチンと挟んだ。
「いふぁっ!」
大袈裟な。軽く挟んだだけよ。
多分術式は合っているはずだから、これでマシになるはず。
「痛いの痛いの飛んでけー!」
少し派手めに痛いなにかを掴んで放り投げる仕草をしてやった。これで魔術を使ったとは思わないでしょ。
よし、腫れは引いたみたいね。
まったく。ベッドから落ちただけじゃなく、顔から落ちるなんて、本当に寝相が悪いのね。
「具合はどう?」
「痛たた。どうもなにも……あ? あれ、腫れが引いてる」
顔をベタベタ触って確認しなくても、ちゃんと引いているわよ。でも実験は成功ね。
「触っても痛くない。普通に喋れる! やったぁ!」
っふふ。子供みたいに喜んじゃって。大の大人が情けない。
「那夜ちゃんが治してくれたのか?」
「ううん。ただのお呪いだよ」
「お呪い? あの〝痛いの痛いの飛んでけー〟ってやつ?」
「うんっ! あのね、那夜が怪我するといつも母さんがやってくれたの。だからそれを真似てやったんだよ」
だから魔法とか魔術とか特別な力じゃないのよ。ただの民間療法よ。
「ふーん、凄いな。ありがとう。よしよし」
「えへへっ」
あー、折角頭洗ったのに! なにしてくれてんのよ。
……くっ、我慢よ我慢。
それより時間はいいのかしら。
「ねー、お仕事は?」
「そうだな。そろそろ行かないと」
「あのね、那夜、図書館に行ってるね」
「図書館?! えっ、でもお兄さんこれから仕事だから無理だよ」
「1人で平気ー!」
「1人で?! ダメダメ。心配だよ」
子供じゃないんだから。まったく。
「お仕事に付いていってもつまんないもん。図書館に行く!」
「うーん。とりあえず昨日のお姉さんに会ってから。ね!」
昨日の女か。仕方ないわね。無事な姿を見せれば納得するでしょ。
「分かったー!」
「ほっ。それじゃ行こうか」
「うん!」
面倒くさいことになったわ。
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