第35話 朝は寝ぼけているからセーフ
男の朝はあまり早くない。
感覚的には太陽が地平線を離れている頃だろうけど、このマギンシヤに太陽は無い。ただ空間が明るくなるだけだ。まるで室内照明が点いているような感じだ。日は昇らないが段々と明るくなっていくのを見ていると調光機能が付いているのだろう。
しかし日が昇るわけではないから影が変化することは無かった。窓から差し込む光に変化も無い。これではどっちが北で南で東で西なのかも分からない。
本当に地下空間なんだと思い知らされる。
そうやって窓の外を眺めていると、漸く目覚まし時計が騒ぎ始めた。だというのに男は気怠そうに寝返りを打つだけだ。
目覚まし時計は一生懸命働いているというのに、この男はサボりを決め込んでいるようだ。このまま放っておいてもいいが、五月蠅くて仕方がない。
「さっさと起きなさいっ!」
思いっきりベッドを傾けて強制的にたたき起こした。
「うわぁ!」
男は無様な声を上げるとゴロゴロと転がり落ち、床と熱いキスをした。中々いい音がしたが、下の住民に迷惑が掛かったのではないだろうか。ちょっと反省。
む? あれだけ派手に転がっておきながらまだ目を覚まさないの?
しかし器用ね。白目を剥いて寝ているわ。
目覚まし時計も驚いたのか、静かになっている。そういえば姿も見えないわね。何処に行ったのかしら。
「朝よ、起きなさいっ」
男に馬乗りになって胸ぐらを掴んで揺さぶってみる。頭をガクガクと頷かせているのにまだ寝ている。中々しぶといわね。
「起きろって言ってるのよ!」
頬を軽くパンパンと叩いてみた。叩く度に顔が右に行ったり左に行ったりして落ち着きが無い。
「い、いふぁっ! ふぁっ、ふぁん……いふぁっ!」
ふう、どうやらやっと起きたようね。
「ああ、那夜ひゃんか。おふぁひょう」
「おはよう」
男は最初私にベッドを使うように勧めたが、それは断った。男の臭いが染みついた布団や枕を使う気にはなれない。だから私が床で寝た。
女の子を床で寝させるわけにはいかないなどという安っぽい紳士気取りの台詞は、物語の中だけにしてほしい。
ポチが大きくなって枕と布団代わりになり、ちょっと喉を鳴らしたら男は慄きながら素直に引き下がってくれた。
どちらかというとボディガードの割合が大きいけど、下手な布団より寝心地が良かった。
「あえ、なんぶぇおへ、ゆふぁべへふぇうんば?」
「寝相が悪いから落ちたんでしょ」
「ほへひほほぶぁいふぁい」
「顔から落ちたからでしょ」
「えーふぉ、いふぁなんふぃば? あえ、ふぇふぁふぁふぃぶぉほ行っふぁ……」
「知らないわよ。さっきまで鳴ってたみたいだけど、急に静かになったわ」
「ああ、あっふぁあっふぁ。んー、まぶぁふぇいひぶぁな。あひゃぶぉふぁんたぶぇほうは」
「そうね。昨日みたいにすればいいのかしら」
「おぶぉえへふは?」
「当たり前でしょ」
昨日の今日で忘れるわけないじゃない。配給ウインドウを出して、えーと……ご飯セットにしよう。
「…………」
ん? いつもにも増して呆けた顔をしているわね。朝だから頭に体液が……じゃなくて血が巡っていないのかしら。さっさと配給ウインドウ出して決めなさいよ。
「どうかしたの?」
「あ……いは。ひおふぶぁほぶぉっはふぉは?」
「記憶?」
…………あっ! しまった。そういえば男に合わせて幼児プレイをしていたんだった。
「ううん、戻ってないよ」
「ほっふぁ。はんはおへほひふはいほふぁひへうははへっひい……」
「そうかな。那夜、こういうの好きだから」
うう、自分のことを名前で呼ぶのはさすがに恥ずかしいわね。
「ほっふぁ。ふひふぁんぶぁ。ほはっふぁへ。ふきふぁふぉほおほいぶぁへはんぶぁ」
「そうなのかな。だったら嬉しいな。ふふふっ」
「ははっ。っほ、あふぁははんひふぃほうは……んー」
男が注文を終え、しばし沈黙が続く。特に話すこともないからね。
男はソワソワしてこっちを気にしている。気にしてもしょうがないから放っておこう。
さて、配給ウインドウから中に侵入して情報を得ましょう。
男に見られないよう、脳内で処理しておけばいい。別に難しい話じゃない。
朝は怪しまれないようにとりあえず出したけど。
そういえばタッチ操作を忘れていたわ。それを不審がられたのかしら。
次回、あなたはどのくらい?




