第173話 モナカらしいごく当たり前の行動
「いいわよ」
「え?」
「抱きついても……いいわよ」
「本当かっ!」
なんて嬉しそうな声を上げるのよ。そんなに私に抱きつきたかったの? 私でいいの?
私はタイムでも、時子さんでも、フブキでもないのよ。本当に……私で……
「マスター?!」
「モナカ……バカ」
「モナカ君……」
「ああ、兄様……お労しいのでございます」
? なに? どうかしたの?
恐る恐る顔を上げると、そこにモナカの姿は無かった。
え? 何処に行ったの?
「うわあ! すげーっ」
「「「が、がうっ?!」」」
ポチ?
モナカ! がポチの前足にしがみついている。
え? ど、どういうこと?
「ケルベロスだよな! っはは、でっけぇー!」
「「「がうっ!」」」
はっ。
「ポチっ、噛んじゃダメっ!」
「「「がう?!」」」
「ダメよっ。大人しくしてて」
「「「が、がう……」」」
「エイルの父さんはポチっていうのか!」
「そ、そうよ」
「那夜?! 父さんはこっちだぞ」
「五月蠅い黙れっ! 私の父さんはポチよっ」
「え、ええええええ…………」
え?
えっと……なにが起こっているの?
「ははっ。どうやら、マスターは理性が吹き飛んだみたいね」
「理性が?」
「ええ。実はマスターの健康診断をしたとき、既に心がソワソワしていたのよ」
「ソワソワ?」
「フブキさんの散歩に行きたくてでも行けなくて悶えているときによく似ていたわ」
ははっ、モナカらしい。
「でも、本当はそうじゃなかった。ケルベロスと遊びたくてでも遊べなくて悶えていたんだわ」
まさか……そんなはず。
「それ、おかしくない? タイムは時子と一緒に会ったから知っていたけど、ポチさんはマスターの後ろに居たから見掛けてすらいないはずよ。ナースの言い方だともっと前から知っていたことになるじゃない。タイムが止まっていた間、マスターも意識が混濁していたんでしょ」
「そうね。でもマスターはアンドロイドではなくてサイボーグ。生身の身体を持っているのよ。CPUが止まっていても意識はあるし、五感もあるわ」
「それじゃあ……」
「いいえ。あるというだけで正常でなかったのは確かなの。そんな中でもケルベロスのことを感じ取っていたんだわ」
そんなバカなこと…………そういえば、ポチに乗って逃げるとき、モナカは暴れていたわ。あれってそういうことだったの?!
「そんなときに鈴ちゃんのイーブリン発言でしょ。それで感情がグチャグチャになってしまったの。なんとか壊れないように頑張ったんだけど、限界を迎えてしまった。そして本能が犬を欲した。ただそれだけのことよ。何ら特別なことでも、異常行動でもない。至って普段どおりの反応よ」
モナカらしいと言ってしまえば、まさしくそのとおりだ。
私は他にこんなヤツを知らない。なんて希有な存在なのかしら。
「ナース失格ね。マスターのこと、分かっているようで全然分かってなかった」
「それは違うよ。タイムたち、ううん、ここに居る全員が知っていて忘れていて、そして思い知らされただけよ。マスターが犬より私たちを取るなんてことは、永久に、永遠に、未来永劫、天と地がひっくり返ろうが、杞憂が現実になろうが、太陽が東から昇って北に沈もうが、絶望することが無意味なくらい、絶対に、天地神明に誓って、決して、有り得ないってことを」
「ふっ。さすがに2度目だと、涙も出てこないわ」
そうね。フブキのことは頭にあったけど、ポチの存在がすっかり抜けていたわ。
そしてポチはケルベロス。つまり3つ首の〝犬〟。確かモナカの居た世界には居ない存在だったわね。そのケルベロスが目の前に居て大人しくしていられるモナカじゃないわ。
「でも、だったらどうしてマスターはエイルに〝抱きついてもいいか〟なんて聞いたのかな?」
「そりゃ飼い主に断りもなく抱きつくわけにはいかないでしょ」
「えー?! なんでそこだけ理性が残ってるのよ!」
「マスターだから、としか言いようがないわ」
「待って。だとしたらもしかして、マスターが言ってた〝エイルには聞かなきゃならないことがある〟って……」
「間違いなく、このことでしょうね」
「っははははは、あーっははははははははは」
「エイル?」
「はっ、ざまぁないわ。そうよ。モナカが私なんか選ぶわけないのよ。……本当にバカな女。私も……貴方たちも……」
「エイル……」
「何度も言わせないで。私はエイルじゃないわ。那夜よ」
「ならどうしてマスターが言ったときは否定しなかったの?」
「それは……」
何故か否定できなかった。モナカとは那夜として会いたくないから?
「パパ……」
っはは。鈴ちゃんも呆れた顔をしているじゃない。もう、怒る気にもなれないわ。
「イーブリン様?」
はっ、そうだ。こいつは鈴ちゃんじゃなくて大罪の娘だった。
次回、要らない子