第149話 命の有効利用
とにかく、黒犬君に跨がって――
「きゃあ! やっ」
〝ママ? どうかしましたか〟
跨がるのはダメだわ。完全に丸出しになるじゃない。これでどうやって見えなくするっていうのよ。
横乗りよ! 横乗り。スカートを直して……っと。よし。
〝ママ?〟
「だ、大丈夫よ。急ぎましょう」
〝はい〟
まさかあんな……薄紫色の総レースでスケスケだったなんて……確かに見た方が恥ずかしくなりそうだわ。
うう、凄く心臓がドキドキしている。こんなの、どんな人が履くんだろう。
本当にOLは日常的にこんな……ああ…………
※日常的には履いていません。
『時子さん、またエッチなこと考えてるんですか? 顔が真っ赤ですよ』
『考えていないよっ!』
『別に構いませんけど』
『だから――』
『マズいですね。このままじゃ追いつかれます』
後ろからは相変わらず潰れるような叩きつけられるような不快な音と、悲鳴とも呻きともいえない悍ましい声が聞こえてくる。
一体なにが……
『見ない方がいいですよ』
『わ、分かってるわよ』
〝強行突破します。しっかりしがみ付いていて下さい〟
「分かったわ」
黒犬君の首にギュッとしがみ付く。うう、腰が捻られるから苦しい。でも我慢よ。
前を走る鉄人形が更に前を走っている警備員を掴んでは後ろに投げ、掴んでは後ろに投げ……を繰り返して通路をこじ開けている。
……気のせいかな。さっきから警備員を後ろに投げると、嫌な音と悲鳴が聞こえてくるようになったんだけど……
『気にしてはダメよ』
『気になるよっ』
だって、今これを指示しているのって……鈴なんでしょ。母親として娘がしていることを知っておいた方がいいに決まっている。
『時子!』
お義姉ちゃんの忠告を無視して恐る恐る後ろに振り向いた。
そこには人壁になって走って付いてくる鉄人形たちが居た。
なんだ。気にするような光景じゃないじゃない。
「うわあっ」
また1人、警備員が後ろに投げられたわ。やっぱりこの人たちが床に落ちたときに変な音がしていたのかな。
そう思った瞬間、床に落ちたにしては大きすぎる音が聞こえると、鉄人形が前のめりになって、赤い液体となにかが背中から吹き上がった。そしてそのなにかの一部が鉄人形の前の方に飛んできて床に落ちた。
鉄人形は床に落ちたなにかを気にすることなく、踏みつけて走り続けている。
そしてまた1人……また1人後ろに投げられる度に大差ない光景が繰り返された。
「た、助けてく――」
投げられた警備員と目が合い、そんな言葉が聞こえたかと思ったら言い切る前に潰れるような音がした。
鉄人形で見えないが、容易に想像できた。
後ろから来るなにかが警備員を潰したんだ。あるいは殴りつけて鉄人形の背中にぶつかったんだ。
飛んできたなにかは、警備員の身体の一部だ。血の臭いが漂ってくるより速く走っていて臭いは無い。それでも、さっき食べたものが胃の中から這い出ようとしている。
『だから言ったじゃないですか。見ない方がいいって』
『う……ま、まだ出して、うっ……』
『ほら、我慢しないで出してしまいなさい』
『だ、大丈夫……』
なんでお義姉ちゃんはそんな平然としていられるの? 鈴は分かっていてやっているの?
「鈴! 今すぐ鉄人形に投げないように言って!」
〝非推奨です。代替案の提示をして下さい〟
「代替案?!」
〝投げずに乗り越えりゅとなりゅと、移動速度の低下を招きます。壁際に押しのけても同様です。追いつかりぇりゅのが早まります〟
「だからって」
〝遅かりぇ早かりぇ、彼りゃは助かりません。なりゃば、ママを守りゅ盾になってもりゃうのが合理的で効率的です〟
「なら前に投げればいいじゃないっ」
〝問題を先送りすりゅだけです。彼りゃの命を無駄にせず有効利用すりゅには、後りょに投げりゅのがもっとも効率的です〟
「有効利用って……人の命はそんな軽い物じゃ無いわ」
〝ママの命は彼りゃより重いのです〟
「重いとか軽いとか――」
『時子さん、忘れたんですか。鈴ちゃんは命の軽い環境に生きていたんですよ』
『確かにそうだけど、それを更生するのは私たちの努めでしょ』
そんな口論をしている間にも、1人、また1人投げられていった。
私は、もう後ろへ振り向くことが出来なくなっていた。
〝外に出ます。ここで迎え撃ちます〟
「逃げ切れないの?」
〝囮にすりゅ弾がありません。接触は不可避です〟
〝弾〟……
「鈴、人間は弾じゃありません」
〝ふぇ?〟
『時子さん、今そんな暇ありませんよ』
その直後、これまで以上に派手で大きな爆発音が聞こえてきた。
……爆発音?
「きゃっ」
小さな塊がバラバラと降り注いできた。でも黒犬君が上手く避けてくれたお陰で当たることは無かった。
塊はドンとかベシャッといった鈍い音ではなく、金属音のように甲高い乾いた音だった。転がる塊は……ナ、ナームコさんの首?!
……あ、鉄人形の頭か。あービックリした。
待って。つまり鉄人形が破壊されたってこと?!
外に飛び出すと、前を走っていた鉄人形が腕を組み合って壁を作っていた。
黒犬君がピョンっと飛び越えると、振り返って身を低くして構えた。
そこへ再び大きな音と共にバラバラになった鉄人形とナームコさんの首が降ってきた。
心臓に悪いから鉄人形の頭、どうにかならないかしら。
転がっている首の口からは、赤い血ではなく黒いオイルが流れているから、かろうじて鉄人形なんだって判別できるくらいには、そっくりなんだもの。
そして一際大きな音がすると、壁を作っていた鉄人形たちがズズズズッと後ろに押し返されていた。
次回、肉の塊