故障
夕刻の影が、モールの床を黒く塗りつぶしていく。
その薄暗い正面玄関ホールで、ミオとマキは、まるで出来の悪い芝居を演じる役者のように、ぎこちない動きを繰り返していた。
ミオは化粧品コーナーから手に取った口紅をこれ見よがしに掲げ、わざとらしくキョロキョロと周囲を見回しながら、出口に向かってゆっくりと歩き出す。
「ほら! 私、万引きしてますよー! お金、払ってませんよー!」
その声は悲痛で、そしてあまりに滑稽だった。
隣では、マキが無言のままビニール袋に梱包されたパンを手に持ち、同じように出口と店内を往復している。
店員は完璧な笑顔を浮かべたまま、彼女たちの存在など居ないかのように「いらっしゃいませー」と繰り返すだけだ。
「……母ちゃんたち、何やってんだろ」
少し離れた吹き抜けのベンチから、タケシが呆然と呟いた。
「……惨めなものですね、あんなことをしたって外に出してくれるわけないのは、知っているはずなのに」
タケシの隣で、オオタは自嘲気味に息を吐き、腕を組んで冷たくその光景を見つめている。
「おい、お前ら! いつまでそんな馬鹿な真似してるつもりだ!」
背後から、ハセガワの怒声が飛んだ。
彼は忌々しげに舌打ちしながら、二人の元へ大股で歩いていく。
アオキがパトカーで連れ去られた後、絶望に打ちひしがれたミオが「アオキさんと同じことをすれば出られるかもしれない」と泣きながら言い出したのが、この茶番の始まりだった。
誰もが馬鹿げていると分かっていながら、他に方法など思いつきもしなかった。
ミオの必死な姿に、マキが同調するように立ち上がったのがこの顛末だ。
「いい加減にしろ! 見てて痛々しいんだよ!わかってるだろうが、そんなことしたって出られない。俺らは奴らのエサなんだよッ!!」
ハセガワに一喝され、マキははっと我に返った。
自分のしていることが、いかに無意味で滑稽なことだったか。
羞恥で顔が赤く染まり、彼女は手に持っていたパンを売り場に戻した。
だが、ミオは止まらなかった。
「うるさい! キタっちだって、アオキさんだっていなくなって……! このまま死ぬのを待つなんて絶対に嫌ッ!!!!」
最後の希望が完全に絶たれたことを悟り、ミオはその場に泣き崩れた。
その嗚咽だけが、偽りの日常が流れるホールに痛々しく響いていた。
ハセガワは壁の時計を睨みつけると、冷酷な現実を叩きつけた。
「だったらなおさらだろうが。防火壁の降下線まで今すぐ移動しなければ取り残されて確実に死ぬんだぞ――」
その言葉が、終わりの合図だった。
ピン、ポン、パン――。
物悲しいチャイムが鳴り響き、世界の法則が書き換えられていく。
ミオは顔を上げ、絶望的な表情でフードコートの方角へと走り出した。
「もういやだッ! 死にたくないッ――!」
「あいつ……。おいっ、お前たちも……! さっさと防火壁まで移動しろ!取り残されるぞ」
ハセガワの指示で、生存者たちはフードコートを駆け抜け。
防火壁の降下線まで一目散に走りだした。
周囲に従業員の姿はない。
彼らはどこか勝ち誇ったような表情で、重々しい音を立てて降りてくる防火壁を見上げていた。
だが、その鉄の壁は、半分ほど降りたところで甲高い金属音と共に、ぴたりと動きを止めたのだ。
直後、館内にけたたましいアラームが鳴り響く。
『エラー、エラー。シャッター、緊急停止。シャッター、緊急停止』
「え……? うそ……。なんで……。なんで……止まったの……?」
ミオが呆然と呟くと、ハセガワは、血相を変えてオオタの胸ぐらを掴み上げた。
「おいオオタ! いったいどうなってる! 説明しろ!昨日はちゃんと落ちたじゃなないかよッ。エラーってなんだよッ!!」
オオタは顔面蒼白で叫んだ。
「壊れたんですよ――」
「あっ、壊れただ?」
「この防火壁は、本来なら緊急時に一度だけ降ろす設計なんです……! 考えてみてください、火事なんてそうそう起こらないじゃないですか。だから一度降りればそれでいいんです。でも私達は安全地帯を作るために上げ下げしすぎた、その負荷に耐えられなくなったんですよ――」
ハセガワはオオタの胸倉から手をはなすと、獣のように頭をかきむしった。
「なんだと……? じゃあ、こいつはもう……」
「故障しているんです……。動かないですよこの壁は。もう、二度と……」
オオタの絶望的な宣告が、止まった防火壁の下で虚しく響く。
唯一絶対の守りが、あまりに呆気なく失われた。
「壊れちゃったの?、もう壁は降りてこないってこと……?」
タケシが、信じられないという顔でオオタに確認する。
オオタは力なく頷くだけだった。
その答えに、全員の顔から血の気が引いていく。
「くそっ……! くそっ……! 終わりだ……! もう終わりだ……!」
ハセガワは頭を抱え、その場にうずくまった。
リーダー格の男が見せた初めての弱々しい姿に、絶望は伝染病のように広がっていく。
「しっかりしなさい、ハセガワさん!」
その背中を、マキの手が強く叩いた。
「泣き言を言っている暇なんてないわ! 来るわよ!」
マキの鋭い声に、ハセガワははっと顔を上げた。
彼女の言う通りだった。
フードコートの奥、薄暗がりの向こうで、従業員たちの輪郭がぐにゃりと歪み始めている。
顔が溶け落ち、関節があり得ない方向へと曲がっていく。
静かな、しかし確実な世界の書き換え。
殺戮の夜が、始まっていた。
「……ちっ! やってやるよ! くそ野郎がッ!!」
ハセガワは悪態をつき、立ち上がった。
「バリケードだ! 昨日と同じように壁を作るぞ! 急げ!」
だが、遅かった。
防火壁が降りることを信じ切っていた彼らの初動は、致命的に遅れていたのだ。
彼らが慌ててテーブルや椅子を動かし始めた時には、すでに数体の面無しが、獲物の匂いを嗅ぎつけた獣のように、彼らに向かってぎこちなく、しかし確実に距離を詰めてきていた。
「うわあああ!」
「こっちに来るな!」
秩序は一瞬で崩壊し、フードコートは阿鼻叫喚の乱戦状態と化した。
ミオはただ悲鳴を上げて逃げ惑い、オオタは近くにあったトレイを盾のように構えて後ずさる。
ハセガワは腰に提げていたマグライトほどの太さの懐中電灯を引き抜くと、それで面無しの頭部を強かに殴りつけた。
その中で、マキは冷静だった。
彼女は清掃用具入れから箒を引き抜くと、その柄を槍のように構え、迫りくる一体の胴体を正確に突き、押し返した。
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