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【BL短編集】嵌められたスパイ  作者: Fata.シャーロック
The Stranger/We Both Know
16/19

「Shall we dance?」

 つい数ヶ月前のことだ。英国に籍を置く者なら誰もが低く頭を垂れる、さる身分の女性が書いた個人的な手紙の束が、何者かによって盗み出され、野望に燃える一人の男――チャールズ・ミルヴァートンの手に渡った。


 一国を預かる女性が、束の間その重責を忘れ、感情のほとばしるまま綴った秘密。それは自身や身内のスキャンダルか、他国への独断的かつ独善的な私見か、まあそんなところだろう。「ネットの時代にはアナログ的手段の方が安全」とでも思っていたのかも知れないが、軽率なのは間違いない。


 さて、手紙を手にした男は、一山当てた山師のように己の幸運にのぼせ上がった。

 あるときは夜会で、あるときはもっと公式な場で、女性にうるさくまとわりついては、毒の籠もった世辞と、自らの要求と、秘密の一部を述べ立てた。そうしたことが一度ならず七度もあった。

 女性は尊厳を著しく踏みにじられ、怒髪天を貫いた――。しかし状況が状況だ。安易に事を公にするわけにも行かず、大いにお悩みだという。だが、話はそれで終わりではない。



「その女性は、頼るべきものを見つけたはずだ。手塩にかけて育てた組織のとっておきの駒を」


 俺は冷ややかに続ける。


「そいつに任せれば、色仕掛けか暴力か――方法はともかく、上手く事を納められるからな」


 ロビンは軽く笑ったが、目の奥にはもう、先ほどまでの緩さはない。


「なるほどねえ、シャーロック。あるいは君の言う通りかも」ロビンは飄々と続ける。

「だけど、僕がその女性なら、こうも考えるだろうね。手紙を悪用しようとする者が一人だけだとは思えない。だから、手紙を回収するのはもちろん、泥棒を始末するのも当然だけど、この件をゴールド・ラッシュか何かと勘違いして群がって来る者たちも――もれなく全員消すしかないってね」


 俺は頷いた。


「そうだな」


 その時だった。部屋の扉を何者かがノックした。二度続けて数秒止まり、次に四度、最後に一度。

 何かしらの意図を持つ人間の合図だと察するのに、それ以上の情報は必要なかった。俺はロビンと短く視線を交わし合う。


「議員は情事の後で死ぬほど疲れてると伝えた方が良いんじゃないか?」

「今は天国の夢を見ていて起きる気配もないよって言う?」


 次の瞬間、扉が裏返った。

 軍隊式の慎重さでサイレンサー付き銃を構えた、夜会服姿の男達がやって来る。が、彼らは運の悪いことに、俺やロビンに気付くより先に、ミルヴァートンの死体を見てしまった。


 ハッと息を呑む音。鞭がしなる前の留のような、殺気に満ちた静寂。短い間だが、俺達にはそれで充分だった。

 俺は手元にあったナイフを手に取り、一番手近な男の喉元に投げつけた。彼は目を見開いたまま絶命し、議員の足元に転がった。

 二番目の男の背後には、既にロビンが回り込んでいた。そして肩に腕を回したかと思うと、たった一度の動作で首を折った。

 残った二人の男は発砲した。が、一発で俺達を仕留められないのなら、天に見放されたも同じことだ。

 俺達の動きは、息を合わせたように滑らかだった。俺は胸元から、ロビンは殺したばかりの男の手から、同時に銃を引き抜いた。刹那、引き金に手をかける。

 銃声は小さいがそれでいて鋭く、血が絨毯に染み込むのは、飲みかけのウィスキーがこぼれるのと大して変わらない速さだった。


「――そういや、チャールズが“八時に取引がある”って言ってたっけ。歓迎の支度をするつもりだったんだけど、君が来たんで忘れてた」


 ロビンは息を整えながら冗談めかして言った。


「取引だと? 議員は手紙を売りに出したのか?」

「まあそんな感じ。例の女性は君が思っている以上にご立腹でね。ちょっとやそっとじゃ相手をしてくれなくなったらしいんだ。だから手紙そのものは売らないけど、今日から情報を切り売りすることにしたって言ってたよ。チャールズは神様の言葉を一節ごとに売り裁く悪徳イエス様というわけ。布教する前に死んじまったけど」


 俺は銃を持ったまま、窓の外を見た。

 空は曇り、霧は濃く、邸宅の周囲は闇に覆われている。階下から敵の援軍がやって来る様子はなかったが、油断するつもりはなかった。特にこの男の前では。

 一方でロビンは忙しなく動き回り、男達の死体をカーテンの下に寄せると、その上に椅子や議員の蔵書を積み上げ始めた。絨毯の下に設置されていた隠し金庫らしいものの中身まで、ざっと山に乗せている。


「そいつらは議員と一緒に吊さないのか」

「まさか!」ロビンは吹き出した。

「こんなに飛び入り俳優が出ちゃ、せっかくの舞台もおじゃんだよ。これ以上の仕掛けも面倒くさいし、いっそ全部燃やしちゃおうと思う」


 ロビンは部屋の隅からストーブを引き寄せて山の上に蹴倒すと、棚から趣味の悪いビッグベン型の卓上ライターを取り上げ、火を点けた。それは蛇の舌先のように小さな灯火に過ぎなかったが、灯油を舐めて貪欲に成長して行く。

 壁に掛けられた高価な絵画、金箔が施された装飾品――チャールズ・ミルヴァートンの部屋は死後も彼の権力を誇示していたが、炎の前では何の意味も成さない。やがて邸宅全体が呑み込まれるだろう。

 

「床が抜けるまで、どれくらいかかると思う?」

「さあ。二、三十分じゃないか?」

「じゃあさ、」


 ロビンは突然俺の腕を取り、囁くように言った。


「踊ろうか、シャーロック」

「気でも違ったか?」


 俺は笑った。


「良いじゃないか。死体と炎の舞踏会だよ。少しくらい羽目を外したって構わない」


 ロビンの言葉に呆れながらも、俺は銃を胸に戻し、差し出された手を取った。踊るつもりなどなかったが、奴が妙に楽しそうだったことが、俺を妙な気分にさせた。


 階下の会場は依然として狂瀾の絶頂にあるのだろう。客らは笑い合い、オーケストラは曲を奏で続けている。主が永久に去ったことさえ知らぬままで。

 俺達は黙り、そのさざめきにステップを合わせる。絡めた指に熱を感じながら、互いの肩越しに炎と死を見据え、ある意味で悼むように。

 

 ロビンはふと手をポケットに差し入れ、三通の手紙を取り出した。

 そして、信じがたいほどの親密さでそれを俺の胸元に滑り込ませた。


「誕生日プレゼントの代わりに。例の束からこれだけ」


 俺は動きを止めた。


「何故だ?」


 ロビンは肩をすくめた。


「君が何の目的でここへ来たか、僕が気付かないとでも? 僕も不親切な上司を持つ身としてね、君が手ぶらじゃ帰れないことぐらいよく知ってるのさ」

「馬鹿な。俺はお前の本心を聞いているんだ」


 ロビンは乾いた笑いを漏らし、まるでこの邸宅全体を指し示すかのような仕草をした。


「――権力が一方に集中しないのは良いことだよ。だってさ、この国を本当の意味で支えているのは誰だと思う?」


 俺は答えなかった。ロビンはそれを予期していたのか、静かに言葉を続けた。


「それは国民だよ。例の女性でも、階下の連中でもない――。この国の美しい建物も、豊かな文化も、全て名もなき人々の心によって支えられているんだ。だけど、もし一方の権力が暴走したらどうなる? 実際、チャールズが手紙をちらつかせて馬鹿やってた時に例の女性が諦めた国家プロジェクトの幾つかは、本当に実現しなくて良いものだったんだ。毒は薬にもなるっていうのはこういうことさ」


 ロビンは一呼吸置き、俺の胸を軽く叩いた。


「だから、これを君に渡すんだよ。君ほどじゃないけど、僕は君のお義兄さんを知っているからね」


 “お義兄さん”――ロビンは俺の義兄であり、この国の影の支配者とも言えるアイリッシュ・マフィアのボス、マイクロフトのことをそう呼んだ。


「あの人は地下の住人だけど、それだけに民を理解してる。良くも悪くも何十年先の未来まで見据えられる人だろう? あの人の権力と例の女性の権力が睨み合えば、この国はちょうどバランスがとれるんじゃないかな。そしてさ、もし手紙の出所について誰かに聞かれたら、『議員が死ぬ前に買ったんだ』とか、君とお義兄さんで適当な理由を付けてくれたら良い。それなら、僕も上司に怒られずに済むだろうし」


 俺はしばらく黙ってロビンを見つめたが、ついに口を開いた。


「ロビン、お前はそれでいいのか?」

「何が?」

「結構なご高説だった。だが自分の立場を忘れたわけではないだろう? 次はアイリッシュ・マフィアから手紙を取り返せと命令されるはずだ。そしてその時、俺達がお前に報いることはない」


 壁が軋む音が聞こえた。


「お前はそれで満足か? 組織を裏切ってまで、堂々巡りを望むのか?」


 ロビンは底知れぬ笑みを浮かべ、俺を見つめ返した。

 

「じゃあ君は、どうして僕を撃たないんだ?」


 その瞳にはカーテンを駆け上がる炎が映り込んでいた。


「僕は今日、君が必要な情報の何もかもを与えたはずだ。手紙はまだ持ち出されていないってことも言ったし、隠し金庫の中身も見せた。後は君が僕の頭をズドンとやれば済むことだったんだ。手紙は僕が持っていたんだからね。なのに、何故だい? 愛もなく夢もない仕事一筋の殺し屋が、どうして銃をしまった? どうして僕と踊ってくれる? ――僕はね、シャーロック。いつだって構わなかったんだよ。腐れ議員にはリップサービスをくれてやっただけだけど、その後で君に会うことぐらい嫌なこともないからね」


 呼吸さえ叶わぬほどに、部屋は熱気に包まれていた。

 ロビンはそれ以上何も言わなかった。ただ棚の上から仮面を取り上げると、俺に背を向けて部屋を出て行った。雨の日に聞くビリー・ジョエルの歌にも似た、もの哀しい口笛を吹きながら。


 俺はただ燃え広がる炎の中で、胸にしまった手紙の重みを感じていた。

 ――それがこの奇妙な夜会の顛末である。




【END】

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