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故郷へ

 さして日を開けず、レイシール様の策は実行に移されました。

 後々合流した仲間に私が不在の間のことを聞きましたら、やはり荒野にいる間もじっとしてはおれなかったようですね……。あれこれ動いていたようで、オゼロ公の懸念事項は勝手に処理されておりました。


「まぁ、近くそうなるだろうとは思っておりましたが……」


 想定外にもほどがあります。レイシール様は既に、北の獣人らの人心掌握を済ませておりました。

 それどころか環境改善の足掛かりまで作り始めてしまっており、呆れましたよね……。

 二千年覆せなかった状況に、ひと冬で何をしてるんですか……。


「俺は別に大したことはしてないよ……。

 元々北のこの循環は、脆い構造をしていたんだ。

 人と獣人が、お互いに踏み込みにくく、触れ難いように操作されていただけで、切っ掛けさえあれば覆せるものだったんだよ」


 レイシール様はこのように簡単に言っておられましたが、そんなはずがなかろうと、オゼロ公は頭を抱えておられました。

 我が主は、まずその切っ掛けが命懸けだということを忘れてしまっております。

 貴方以外、どこに獣人の集落に突貫できる貴族がいるというのです……。


「気付いたらいたんだから、しょうがないじゃないか」


 いえ、そうではなく……。


 捨てる側と、捨てられた側。

 支える側と、支えられた側。

 お互いの存在が、常に互いへ杭を打ち込むような関係性。

 それを本能や社会構造で固めてあったのが北の連鎖です。

 お互いがお互いを警戒し、踏み込まず、視線を逸らす。例えその風習を好ましく思っていなかったとしても、周りの視線が逸脱した行動を起こさせない。そんな、常に誰かの監視下に置かれているような社会であったのに、この方はそれを覆した。


 ある意味レイシール様は、北の地に生まれなかったからこそ踏み込めたのかもしれませんが、その互いの環境に問答無用で手を加えていったというのが信じられません。

 暗黙の了解とされていたこと、当たり前の習慣となっていたことを、この方はひと冬で踏み潰してしまった。

 その上大災厄の再来を招こうとしていた神殿の陰謀をも見破り、逆に利用までして人と獣人の間にあった高い垣根に穴を開けたばかりか、その陰謀をも防いでしまっていたのです。


「運が良かったんだよ……。

 子供らが、率先して動いてくれたことが、たまたま上手く回って、功を奏しただけだしね」


 結局レイシール様は、自分がどれほどの偉業を成し遂げてしまったのかを理解されておりません。

 まず獣人の巣窟に放り込まれ、全く警戒心無く恐怖も抱かず暮らしていたということがおかしな話なのです。

 人と獣人は反目し合うもの……お互い殺し殺される可能性があるという認識が、当然の世なのですから。

 いくらマルやローシェンナの口利きがあったにしても、それを言葉のまま鵜呑みにするなど普通はできませんし、そもそも当初は集落の獣人らにも敵意を向けられていたというではあませんか。なのにそれは全く意に介さなかったとのこと。


 狩猟民と同じ衣服を当然のように身につけ、貧しい食事に文句も言わず、殺意や敵意には無頓着。そして獣人の彼らに、何故か一方的な信頼を寄せてくるという……その規格外すぎる反応に大人は戸惑い、警戒し、あるいは裏を疑って、敏感なはずの子供らはサッサと心を開いてしまった。

 群の主であるリアルガーが色々根回ししていたとはいえ、異例の速さで馴染んだようです。

 我が主ながら、この方の人たらし能力は獣人に絶大な効果を発揮するようですね。場数の問題なのでしょうか?


 なんにしても、神殿の野望は(つい)え、更にその神殿を内部崩壊に追いやる策を打ったレイシール様。

 私はアレク司教を信用などしておりませんので少々心配しておりましたが、ことは我が主の思惑通りに進んだよう。

 春を迎えますと、スヴェトランからの侵略は嘘のように下火となり、半ばを過ぎた頃には神殿の崩壊が始まっておりました。


 神殿の画策した全ては徒労に終わり、そればかりか変革を余儀なくされたうえ、長年掴んできた獣人の手綱すら、手放すこととなったのです……。



 ◆



「うん。脚の骨はもう心配なかろう。

 切断した腕や脚の幻痛も無いならば、もうそろそろセイバーンへの帰還を考えて良いかな」


 秋に差し掛かろうかという頃合いに、私はようやっと傷の完治となりました。

 それと言いますのも、複雑に砕いてしまっていた骨の接合状況が悪く、一度脚を開いて骨を繋ぎ直すという荒療治を必要としたため、長引いたのです。

 あまりに酷い傷を負っていた私は、まず生命を繋ぐことが優先されておりました。そのため残された右脚は自然治癒に任せてあったのですが、骨が歪んでしまい、どうにも均衡を崩しやすくなっていたのです。

 片脚となってしまっているがゆえに、残された脚に何がしかの支障が出るようでは、生活がままなりません。

 そのため、前例のあまり無い、特殊治療を受けることとなり、それを担える医師がこのオゼロの地にしかおりませんでした。

 まぁつまり……私の治療を担当した、この街居着きの医師です。


「まぁまず痛みに耐える必要があるから……なかなかできる治療じゃないのだよ」

「そうでしょうね」


 正直もう片脚があったならば、この医師を蹴り飛ばしていたかもしれないと思います。それくらいの激痛でしたよ。


「かつては痛みをもっと緩和する何かが、あったんだろうけどねぇ……」


 一応、最大限の努力はしてくださいました。

 命を繋ぐためにも使用された劇薬。あれも使われましたが、下手に使うと依存性があるとかで扱いが難しく、また痛いものは結局痛かったというわけで。


 因みにこの医師、ユストらの一門の流れに属する方であったのですが、少々特異なその技術は周りを刺激しすぎるため、伏せられておりました。

 聞くところによると、前時代の特別な医療書と医療技術は、歴史の中で何度も存在を抹消されそうになったとのこと。そのため、伏せて伝えられたという経緯があったよう。その辺りにも神殿が絡んでいそうとのことでした。獣人を悪魔の使徒とするための策略の一端であった可能性もあります。


 そのことも踏まえ、セイバーンは医療技術や知識の保護を職務に加えることとなりました。

 まぁ、今まで同様前時代の知識を収集するついでに、医療知識はブンカケンへの所属等関係なく、医師資格所持者には提供するとしただけなのですが。

 ナジェスタやユスト、そしてこの医師の口添えもあり、マティアス一門の所持する医療書を複写させていただくことにもなりました。

 それにより、セイバーンのアヴァロンには新たに、知識を管理するための資料館と研究施設を建設する話となっております。


「知識の保護……誠に有難い。

 こちらから提供するだけではなく、集めた医療書や知識を無条件に提供していただけるというのは、医療への大きな貢献だよ」


 何より我々が、荊縛の対処法を発見していたというのが、マティアス一門の信頼を勝ち得た大きな要因でしたね。その知識を伏せず、公にしていたことも、高く評価されたようです。

 まぁ、私はその辺りの細々したことには興味が無いので、あまり詳しくは存じませんが。


「では、怪我の完治はオゼロ公に報告しておくよ。

 長い間、よく頑張った。おめでとう」

「我が主に仕えることのできる脚を取り戻していただき、ありがとうございます」


 痛みに耐えただけの価値はありました。

 おかげでまた私は、セイバーンの地を歩めるでしょう。

 やっと……やっと帰れる……。


 医師が帰り、杖をつきつつ日課の運動をこなし、左手で文字を記す練習をし、終われば衣服を身につける練習……。

 オゼロの世話になるのも近日中に終わりそうですし、やれることは極力増やしておかねばなりません。


 現在、この地に残っているのは私一人。

 レイシール様は多忙を極めておりますし、配下はもとから少人数。数度送られてきた人員も、私に割く余裕があるなら獣人を受け入れる体制作りに回してくださいと追い返しました。

 私を役立たずにする手助けなど必要ないと何度も言いましたのに……あの方も頑固で話を聞きません。


 ロレン様も……とっくに王都へ帰還されました。

 女性近衛はまだ少ないですから、やるべき職務は多いようです。特に手紙等のやり取りも約束もしておりませんでしたので、かれこれ半年はお会いしておりません。

 それでもたまに、こうして意識に上がってくる……。


 まぁ……だからどうということもないのですが。

 たまに思い出し、面影を反芻するというだけの話で……。


「チッ……」


 そして若干、そんな風に振り回されることを疎ましく感じるというだけです。

 獣人の特性とはいえ、なんと煩わしい……そう思っておりました。



 ◆



 私の完治の報は、オゼロ公よりセイバーンにも伝わったよう。

 こちらで勝手に帰りますのに、わざわざ迎えが来ました。


「ついでだよ。荒野へ視察に来た帰り」


 そうおっしゃいましたのは勿論レイシール様。性懲りもなく……と、呆れるしかございません。


「本当だよ⁉︎

 褒賞の件、通ったんだ。それで下見」


 また見事な銀髪を取り戻したレイシール様でしたが、前回お会いした時同様、髪色は戻れど、げっそりやつれたままです。

 獣人と世間の摩擦は大きく、問題も後を絶たず、交渉役を担うこの方は休む間もない様子。

 それならわざわざついで(・・・)とはいえオゼロにまで足を伸ばさずとも良いでしょうに……。


「自分で来たかったんだよ。せっかく第二のアヴァロンを荒野に建設する許可が出たんだから。

 それで立地のね、確認に来たんだ。詳しくは……帰りに話そう」


 オゼロ別館の管理者にお礼を言い、そのまま帰路につきました。

 今回サヤ様はこの旅には同行しておられません。理由としましては現在色々問題が多く、二人揃ってセイバーンを空けることが難しいからとのこと。

 セイバーン男爵家に属す貴族はお二人のみですから、レイシール様にセイバーンを離れる職務が多い以上、サヤ様が残るしかないのです。


「まぁ今は、残ってもらう方が都合良かったのも確かなんだ。職人に新しい秘匿権品の製作を色々お願いしているからね」

「……それは良いのですが、それで?」

「それで?」

「帰りながら話すとおっしゃった件ですが」

「あぁ!」


 そうだった! と、語り出したのは、第二のアヴァロンを作る建設予定地のお話でした。


「マルの故郷周辺をね、第二のアヴァロンにしたいと思っているんだ。荒野の中心近くに位置しているし、既にあの郷には高温炉があるしね」


 オゼロに隣接した領地にありますマルの故郷は、高い絶壁の切れ目奥にある、ごく小さな盆地につくられているとのこと。

 どうやら前身は捨て場であった様子で、機密性の高い立地であるそうです。

 また、山脈を挟むものの、スヴェトランまで抜けることのできる経路があることも確認されました。

 つまりそれを頼りに山脈越えが決行されたわけです。ですから、このまま放置しておくのは確かに危険でしょう。


「それもあるんだけど……あの村にはもう、隠すべき秘密なんて無いんだよ。

 なら、崖の内側に隠れておく意味は無いに等しいだろ。

 それなら、あの絶壁の外側にアヴァロンを建設して、そこに移り住んでもらったら良いと思ったんだよ」


 スヴェトランの一軍を退けるため、共に戦ったあの郷の方々は、獣人への理解が比較的深いとのこと。

 実際自分たちを守るために戦い、死んだ者らを多く見ているのですから。

 勿論嫌悪感を捨てきれない方もいらっしゃるのですが、極力理解を深めてもらえるように努め、どうしてもという希望者には別の町や村に移り住む手助けもしようと考えているそう。


「……あの郷の……建物全てをそのままをごっそり買い取ろうと思っている。

 あの立地は、特殊な秘匿権の管理に適しているよ。サヤの知識や前時代の遺物なんかを守り、研究していく施設をさ、あの場所に造りたいんだ。

 それに、あの地で失われた人たちの墓も残したくて……」


 そう言うレイシール様の表情は、何かを静かに見据えておりました。

 この方が、一千人もの命を奪う決断をした地ですから、思うことは多々あるのでしょう。


「これから重要な秘匿権もきっと増えるし、情報の管理には力を入れないといけないしな」


 そうおっしゃいましたが、もう一つの理由も見えておりました。

 おそらく、狂信者の巣も、比較的近くにあるからです。

 スヴェトラン国内にある施設ですから、この経路は確保しておきたいのでしょう。しかし、下手に手を出すとまた国際問題になり兼ねません。そのため、あの地を吠狼の管理区域とし、今後の動きを含め監視し、機を見たいということなのでしょう。


 王家はどこまでも、レイシール様を使い倒しますね。


 そう思いましたが、どうせこの方が率先して動いたのだろうことも理解しておりました。

 おおかた、アレク司教絡みの思惑があるのだと思います。

 あれだけのことをされて尚、この方はアレク司教を悪しからずお考えのよう。全く懲りないにもほどがあります。


 アレク司教も現在、ご自分のやってきたことを棚に上げて、神殿内の権力者の糾弾に明け暮れております。

 自らも裏に関わっていたことを明かし、裁きを受けると堂々宣言したことで糾弾を逃れ、清廉潔白な聖職者として扱われていることには失笑してしまいますが、彼の演出は上手く機能しているよう。

 当然命を狙われる状況となったのですが、手駒としていた者らを上手に使い、信徒の間で保護されつつ、今も追っ手を逃れ続けているそうです。

 あの男に使い倒されていた手駒は性懲りもなくまだ彼の方に使われているのだとか……。なにか釈然としませんね。


「まぁ、それより問題なのは、あの地の領主殿なんだよなぁ……」


 レイシール様が溜息と共に吐き出されたその言葉に、私も思考を中断しました。


「荒野に興味なんて無かったのに……秘匿権が絡むとなると途端に口を出してくるようになって……。

 オゼロに石炭の秘匿権管理を預けているように、自分達にも何か利がないとって匂わせてくるんだよ……。そのうえ土地代払わないなら領地の侵害だと訴えるぞとか、色々ゴネられてさ」


 荒野は元々、土地代が取れない地であるという認識のはず。

 あそこで育つのはせいぜい草くらいのもので、冬も長く、一年の半分近くが雪に埋まってしまいます。

 不毛の地であるから、住むなら好きにして良いし、土地代も取らない。その代わり、領民として守られることもないというのが荒野なのです。

 それなのに土地代を要求してくる……あぁ、小者特有の小銭に粘着質な輩なのですね。


「マルの脅しを利用すれば良いではないですか」


 貴方もできるようになっていたと聞きましたよ……心を殺しにくる交渉術。


「良くないだろ⁉︎ 俺のそういう行動は獣人の悪評にも繋がるんだからなっ」

「我々は貴方が良ければ良いです」

「良くないの!」


 怒ってみせながらもどこか楽しげな我が主。

 実は周りに、そんな風に余裕を匂わせてくる所が怖いと思われているなどとはつゆ知らず……。

 色々な危機を乗り越えてしまったがために、命に関わらないなら大体のことは許容範囲という認識になってしまったレイシール様は、今まで以上にのほほんとしています。

 口では困ったと言いながら、どうせ焦りも苛立ちもしていないのでしょう。


 まぁ、そのゴネているという領主様には同情いたします。

 この方との交渉を長引かせる作戦は、最低の悪手ですから。

 接する時間が増え、人となりを知られれば知られるほど、不利になると理解されていない時点で、勝ち目はありません。

 今後の長い領主人生、歳を重ねるほどこの方は、怪物へと育ちますよ。

 せいぜい今のうちに、皮算用を楽しんでおいていただきましょう。


 内心で我が主に楯突く不届き者を嘲笑っておりましたら、レイシール様も急に笑い出しました。


「……ふふっ」

「……何がおかしいのです?」

「いや、お前半年離れてたのに……全然普通に今まで通りで、なんか良いなと思ったんだ」


 …………。


 私をネタにして、惚気みたいなことを言わないでください。

 気持ち悪いです。



 ◆



 そうして私はようやっと、セイバーンの地を踏みしめました。

 ほぼ一年、ここに戻ってこれなかった……。そう考えますと、何やら面映いものがありましたね。


「ハインさん、お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました。長らく職務を離れ……」

「良いんです! それは全然、良いんです……。こうして、生きて戻ってきてくださったので、良いんです……」


 サヤ様に泣かれますと困ります……。

 私はそういったことへの対処法を弁えていないのです。

 なので、本日もレイシール様を掴み、差し出そう……と、思ったのですが、片手は杖を使っておりますし……。

 居た堪れなさに悶え死にそうな思いをしつつ、サヤ様の涙を受け止めるしかございませんでした。

今週も短めでごめんなさいね……。


いつもご覧いただきありがとうございます。月末のコンテスト応募締め切り直前、追い込み(修正)中のため執筆時間確保ができず、ホントごめんなさいっっ。

正直まだ続きそう……投票期間の7月いっぱい不安との戦いで、心臓潰れそう。

マジでお願い、票入って、書籍化したいっっ。と、日々天を拝み倒しております。


そんなこんなで、来週もとりあえず一話は確保できるよう、なんとか書いていこうと思います。

ハイン編、まだ暫く続きます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ハイン視点からの見るレイシールの行動と思考のありえなさ。 こういう思考で、なおかつ行動力もあるから陛下もレイシールを信頼しているのでしょう。 [一言] >北の連鎖 おそらく数百年かけて出…
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