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鎖と思慕

「そんなこったろうと思ってたよ……」


 入っていたものをぶちまけながら、床に転がる食器の音。

 盆をおさえるのではなく払い落としたロレン様は、小刀を掴んだ私の左手を、それよりも素早く掴み、敷布に押さえつけて、皮肉げに口角を持ち上げ笑いました。


 私はというと、小刀を掠め盗っていたことをとっくに気付かれていたことと、女性の腕力にすら抗えないほどに衰えてしまっていた、己の非力さに愕然とし……。

 誰一人として道連れにできない、無能な身に絶望しておりました。

 本当に私はもう、彼の方のために何もできないのだと、そう、現実を突きつけられて……。


 こんな役立たず、居なくて良いのだ。


 だのに。

 予想外も甚だしいことに、何故かそのまま抱きすくめられてしまったのです。

 おかげで状況の理解が頭を上滑りし、どうすれば良いのかが分からず硬直するしかありませんでした。

 戦いにおいて、相手の意表を突くのは当然の戦法で、私はそれを常套手段としてきたわけですが、される側になることはあまり無く、その効果は確かにあるのだと実感しました。

 そんなことを漠然と思考していた私の耳に、ロレン様の声がーー。


「自暴自棄になっちゃ駄目だ……せっかく助かった命だろ!」


 その声が、思いの外重く、震えていました。

 押し付けられた胸元からも、ささやかな柔らかさと、それを掻き消すほどに速い鼓動が響いています。

 私を簡単に取り押さえておいて、何をそんなに、動揺しているというのでしょう?

 呆然とそのように考えておりました私に、ロレン様は更なる言葉を重ねました。


「今は何をするのも苦しいんだろうって、分かってるけど……。

 とりあえず、考えたって仕方ないことには目を瞑ってしまえ。今はとにかく、体力を取り戻すことだけ考えろ。

 春が来たってな……旅に耐えられる身体を作らなきゃ、貴方はずっと寝台の上なんだぞ」

「…………旅?」


 何故旅……?

 疑問をそのまま音にした私に、ロレン様は力強い声で言ったのです。


「春になったら、レイシール様を探しに行こう。そのために貴方は、少しでも動けるようになるべきだ」


 その言葉で、彼女の挙動が怪しかったのは、未だレイシール様が消息不明であるからだと、理解しました。

 それはつまり、神殿にはまだ捉えられていないということ。でも……生死も、定かではないということです。

 けれどそれが重要なのではなく…………旅? 行こう? は?

 私は餌として、ここに捕らえられているのでしょう?


「死なせないから。貴方もあの人も、サヤさんも」


 言い聞かせるようにそう言い、更に腕に、力を込めるロレン様……。


「だから、ヤケを起こすな。

 耐えろ。貴方の主は、ちゃんと貴方が生きてること、喜んでくれる人だよ。

 ボクは見てきた。あの人が残した遺書を……。貴方のことが書いてあったんだ。大切なんだって、記してあった。

 あの人は、裏切らない。貴方たち獣人のために、誓約まで捧げた人だ。

 貴方がどんなになってたって絶対……生きていたことを、喜んでくれる」


 そう、言われ……。


「違います。

 そんなことは分かっています」


 分かっているからこそ私は、あの方の役に立つ存在でありたかった。彼の方の優しさに甘えたくなかった。

 私は自分が彼の方にとって、手の不自由を補って余りあるくらい、価値のある存在でありたかったのです。

 獣人という身で、彼の方を害した身で、それでも彼の方のお傍に在るために身につけたもの。その全てを失ってしまった。

 あれは人ではない私が、あの方のお傍にいるために、必死で手に入れた理由でしたのに。


「真面目だなぁ。そんなの、あの人は気にしてないよ。

 生きてるだけで、充分だろ。

 また会える。触れられる。語り合える……それがどれだけ救いか、貴方は知るべきだよ」


 洗うことができないベトつく髪を、ロレン様の手が()き、私の額に唇がつきそうな距離で囁く言葉。

 それがレイシール様に頂いた言葉と同じくらい、身に染みてきてしまい、戸惑いがより強まりました。

 どう否定しようと、この方はもう、私の心に巣食っている……。それはどうやら覆せないことのよう。

 しかし、つい先程小刀を突き立てようとした相手を、こうも簡単に胸に抱くなど……。


 ……この方は、私に命を狙われた自覚があるのでしょうか?


 こんなに無防備に私に触れて……。色々なことを失念しているとしか思えない。


「……私は獣人ですよ」


 まずそれを忘れています。

 そう思ったから指摘したのですが。


「……あのさぁ、貴方の主は、獣人も人だってことを世に訴えるために戦ってんのに……貴方がそれをそうやって卑下してちゃ、立つ瀬なくない?」


 呆れ声でそう言われ、またもや返す言葉がありませんでした……。


「あとさ、貴方は相手を吟味するのにいちいち刺しにかかるの、やめな。

 前例があって、小刀が紛失して、自暴自棄……まるで昔をなぞらえるみたいで、わざと察してもらおうとしてるのかと思った」


 そう言われ、驚きに身が固まりました。

 まるで自覚しておりませんでしたし、ロレン様が私のあの話をきちんと覚えていたことに動揺したのです。

 何故ならあの時の私は……私はこの方を、女性として意識していた。


 彼女に抱いていた感情を思い出してしまいました。

 途端に今の状況がいけないことをも理解しました。触れすぎです!

 身をもぎ離そうとしたのですが、今の私には、彼女に抗う筋力すら足りません。


 私の抵抗などものともせず、ロレン様は嫌がらせかというほど強く、私を抱きしめています。

 逃れようと躍起になる私を逃さぬまま、彼女は更に言葉を連ねました。


「それに……心配しなくてもボクは……別に貴方の主になろうなんて思ってないし、貴方に命令したいとも思ってない。

 貴方を助けたのはボクじゃなくて、医師の先生だし、恩も何も、ボクに感じる必要なんて無い……」


 その言葉に反発を覚えてしまったのは、何故なのでしょう……。

 その声がどこか、寂しげに聞こえてしまったのも……。


「まぁ強いて言うなら、レイシール様を誤解して酷く接していた分の謝罪だと思ってくれたらいいさ」


 良い気分じゃなかったろ……。と、ロレン様はおっしゃいました。

 ……いえ、良い気分ではございませんでしたが……そうなる理由も分かっておりましたし……。


 彼の方がいちいち女性の反感を買うのは今更のことで、それが世の男性にあるまじき彼の方の価値観と行動が招くことだと理解しておりましたから、仕方がないことと思っておりました。

 胡散臭く見えるのですよね……。

 同じことをしていても、ギルは堂々としているのですが、レイシール様はどこか自信なさげで、卑屈さが滲み出ていると申しましょうか……。

 私どもには、それが彼の方の、自分を徹底的に下に見る性質が招く態度であると理解できているのですが、世間一般からすれば、彼の方は恵まれている部類の人として扱われます。

 そんな方が、まるで伺うように下手(したて)に出てくるのは、何を企んでいるのだろう……と、疑いたくなるものに見えるのでしょう。


 そう告げると、ロレン様は吹き出しました。

 ひきつけを起こしているのではというほどに笑って笑って、涙すら滲ませるのです。


「おまっ、それ、命賭けるほど傾倒(けいとう)した主に言うこと? 辛辣すぎじゃん?」

「客観的な意見だと思うのですが……」

「客観的って! あの人庇って然るべき立場だろ⁉︎」


 ひーひーと、息を詰まらせ笑い、震えている彼女。

 油断するのも大概にした方が良いのでは? ふとそう思いました。

 そんなに無防備では、私のような格下の存在にだって足元を掬われますよ。

 さっきまでは随分と凛々しかったのですが……これではただの小娘です。隙だらけだ。と、そう思いましたら、つい……身体が動いていました。

 私よりずっと幼い……四つも年下の女性ですが、笑い転げていると、それより更に幼く感じます。

 そのような相手に手玉に取られてしまいましたし……きっと私は、やられっぱなしであることが癪に触ったのでしょう。


「ひひ……ふぁっ⁉︎」

「……」


 体格でも負けておりますし、少々では競り勝てません。なので思い切り体重を掛けて寝台に組み敷き、右肩と左腕を使って身体を押さえ込みました。

 開いていた唇に、私を容易に侵入させた彼女は、瞳を目一杯に見開き、自身に降りかかっていることが理解できないというように私を見ていますから、私も瞳を逸らしませんでした。

 左手の指を、彼女の右手の指に絡めて握り、抵抗が無いのでとりあえず、思う存分舌を這わせ、絡めて愛でると、次第に手が震え出します。

 やはり、こういったことにも慣れてらっしゃらない……無論、私もなのですが、成る程。

 上顎の裏を舌で撫でると、くぐもった声。掠れたそれが、とても嗜虐心をくすぐりました。

 男性とかわらぬほどに恵まれた体躯をしておられますが、指は意外と細く、手も男ほど、筋張ってはいないのですね。

 握る手の感触を確認するため指をさするように動かすと、また上擦った声が溢れます。

 そのような反応が私を揺さぶると、理解していないのでしょうか。


 私も学舎でレイシール様の補佐をしておりました都合上、この手の講義も耳にしておりますので、知識だけは得ております。なので、彼女が今どんな感覚に溺れているかは、分かっていました。

 次第に潤み、蕩けてしまった表情を晒し、必死に現実を理解しようと頭を悩ませながらも空回り、翻弄されているそのさまは実に実物(みもの)です。


 こうしてみると、案外可愛らしいものなのだな。

 やはり男とは思えそうもない。


 名残惜しかったのですが、あまりにやりすぎるのもと思い唇を離しますと、上気して朱に染まった(かんばせ)が、脱力したまま私を見上げていました。

 唾液に濡れた唇の端から、溢れたものが伝っており、もう一度顔を近付けて舐め取りましたが、彼女は無防備なままです。


「隙を見せるのが悪いですよ」


 だから私などに、つけいられる。


「………………?」

「まだお分かりになってない? 貴女があまりに隙だらけですから、そこを突かれたのだと言っています。

 これからも、機会があれば私はそうしてしまいそうなので、その気が無いならお気をつけください」


 気付けば動いておりますし、食らいつけば離れ難いので、私では抵抗できない可能性が高いです。


 そう言うと、更にロレン様は困惑した表情に。

 どうやらまだ伝わってらっしゃらない……。


「私は貴女に懸想していると言っているのですが。

 ……いつまでもそうしていると、また襲いますよ」


 すると慌てて跳ね起きたロレン様。

 真っ赤な顔のまま、自分の口を右手で覆いました。

 それでもまだ、逃げずにいるものですから……。


「もう一度したいですか?」


 そう問うと、飛び上がって寝台から転がり落ち、小屋を駆け出していってしまいました。

 あとに残されたのは、私と……。


 ……小刀、回収しないで良かったのでしょうか。



 ◆



 私を諌めたロレン様の言葉から察するに、少なくともロレン様は、レイシール様を害そうという気は無いようでした。

 それならば私の忠誠心が、彼女への思慕によって脅かされることはないでしょう。

 何より僥倖だったのは、ロレン様が陛下の近衛であるということです。それはつまり、陛下がレイシール様を擁護するつもりであるだろうことですから。


 陛下(あのかた)もかつてはレイシール様に懸想しておられましたから、簡単にレイシール様を切り捨てようとはなさらないだろうと考えておりました。

 しかしそれは、獣人が関わっていないならばの話。

 獣人を囲っていたことを裏切りと取られる可能性はかなり高いと考えておりましたが、そうならなかったことは驚きでした。どちらにせよ、彼の方が守ると決めたならば、それはもう国の意思。覆ることはないでしょう。

 陛下はなによりも国の利益を重んじるお方ですし、その意味でもレイシール様の価値を認めていらっしゃる。国の長が国の利益となる人物であると定めたということならば、国はレイシール様と獣人ではなく、神殿と敵対する方を選んだということです。


 正直……陛下がその選択をすることは意外でした。二千年という長きに渡る、神殿との蜜月を捨てて、かつて愛した男の言とはいえ、戯言の類を取ったのですから。

 けれど……その選択も、レイシール様あってこそのことなのでしょう。我が主は、本当に素晴らしい。

 そんな風に誇りを抱いておりましたのに……寝台からかなり離れ、椅子に座ったロレン様が、じっと私を睨むもので、どうされましたかとお伺いしたのですが。


「…………お前、あれは演技だったのかよ……」


 苦虫を咀嚼中みたいな表情で、そう悪態をつかれまして、ロレン様の言うあれ(・・)が、私にはとんと分からず。


「どれでしょう」

「死にたがってたみたいな態度だよっ!」


 あれ以降、私は小刀を小姓に返却し、従順に怪我の治癒と体力の回復に努めております。

 相変わらず食事はイライラしましたが、寝台横に机を用意していただきまして、そちらに食器を置くことでなんとか楽になりました。

 春までに動ける身体を確保するため、少しずつ手足も使いたかったので、丁度良かったです。


「演技ではありませんでしたが、死ぬ理由が少々曖昧になってしまいましたので、保留にしております」


 それよりもその距離……なんなんです?


「お前っ、ボクに何したか忘れたのかっ⁉︎」


 何か問題となることをした覚えは無いですね。


「大問題だったろ⁉︎」

「ですが……好ましく思っている相手にああ振る舞うのは至極当然のことではないかと」


 そう言うと、ロレン様は更に私との距離を開きました。椅子がどんどん遠くなりますね……。


「揶揄うな!」

「揶揄ってません」

「じゃあ何とち狂ってやがるんだ⁉︎」

「狂ってません」


 疑われるのは心外です。

 私とこの方はお互いを知らなさすぎるわけですから、仕方ないことではあるのですが……ならば知ってもらう他ないではないですか。


「正真正銘、私は貴女を好ましく思っています。

 男勝りな性格も、身を鍛え抜いた気概も、サヤ様を慕っておられたことも私の中で好印象でした。

 少々直情傾向が強いとは思いますが、獣人も元来直情傾向が強い種ですから悪くないかとーー」

「それ、どこにも美点含まれてないだろ⁉︎」


 美点と思うからこそ口にしたというのに……。


 この方はどうにも、自身が女性として見られていることを認めたくないようですね……。

 サヤ様への懸想も、その意識が強く働いていたのかもしれません。


 私が分析するに、この方がサヤ様に懸想していたのは確かでしょう。

 しかし、サヤ様が婚姻を結ぶこと自体には拘りが無かったようで、婚姻の妨害等はございませんでした。つまり元から、サヤ様をレイシール様から奪い取るような意思は無かったということです。

 本当に横恋慕したいならば、婚姻を結ぼうとするサヤ様をそのままにはしなかったはず。


 つまりロレン様にとって、サヤ様はある種の理想。憧れの対象なのだと思います。

 誰にも負けぬほどの強さを有し、凛々しく男性のように振る舞うことができる女性。

 そのくせ、女性らしさもきちんと備えていて、普段のサヤ様ならば、男性に間違えられたりなどなさいません。

 男性主体の貴族社会の中で、女性らしいしなやかさを失わずにいるというのは、生半可な覚悟で貫けるものではない。それを見事に体現なさっている稀有な女性は、私の知る限りお二人のみ。

 リヴィ様。そしてサヤ様です。

 前に、私が食事の介添えを拒んだ時も、彼女はサヤ様やリヴィ様のような、女性らしい相手にそうされたかったろうにと、自分のことを卑下する発言をされていました。


 きっとこの方は……自分に無いと思っているものに、憧れを抱いていたのでしょう。


「……貴女は何か、勘違いをなさっているようですね。

 女性扱いされることが、貴女の矜持を損ねるというお考えのようですが、それは貴女に余裕が無いだけのことですよ」


 余計なこととは思ったのですが、敢えてそう口にしました。

 すると、ムッとしたようにロレン様の表情が歪みます。

 図星だから腹が立つのだと思いますが。

 けれど、そこを指摘したところで彼女は納得いかないでしょうし……そうですね。


「サヤ様やリヴィ様は、女性であることを侮られた時、それにいちいち怒りを露わにしておりましたか?」


 そう言うと、思い当たる節があるのでしょう。視線を彷徨わせて口元を不満そうに尖らせました。

 自分にはお二人のような余裕が無い……そんなことは分かっているのだと。


「……サヤ様は規格外として……強さだけで言うならば、貴女がリヴィ様に劣っているとは思いません。

 それでもそれだけ気持ちに差があるのは、何故だと思います?」


 そう問いかけると、意外な言葉だったのでしょう。少し視線を彷徨わせました。

 そうして頭を悩ませてから、おずおずと口にされました言葉は、やはり不正解。


「……お二人ともやんごとないお生まれで、幼くからそう躾けられていらっしゃる……から?」

「違いますね。サヤ様は生まれを一庶民だとおっしゃっておりますし。

 それにリヴィ様のアギー家で言うならば、貴女よりよっぽど女だてらに剣を握るということを、叱責されてこられたと思いますよ。

 それこそ頭ごなしに、徹底的にです」


 全貴族の筆頭とされるアギー家のご息女様です。

 誰よりも厳しく躾けられ、淑女たれと言われてきておりましょう。


「貴族女性にとって、嫋やかであり、控えめであり、夫を立てることのできる女性であることが価値の全てです。

 だからこそ現在も、王宮は古い価値観に縛られたまま。それに則って女近衛を揶揄する輩が跡を絶たないのですよ。

 彼の方の幼き頃は、陛下が王位に就くかどうかもはっきりしておられませんでしたし……今のような世になることなど、誰も思い描いていなかったでしょうから、その風当たりのキツさは想像を絶するものであったと思われます。

 勿論、慣れが理由でもありませんよ」


 そう釘を刺すと、ゔっと、ロレン様は言葉を詰まらせました。

 そうしてまた思考していたようでしたが、どうにも答えが導き出せないよう……。


「……な、なんで?」


 結局そう、聞いてきました。

 見ていて分かりませんでしたか? 他の女近衛は所持していないものが、あのお二人にはあるでしょうに。


「全てを肯定してくれる伴侶たる存在です。

 他の有象無象の戯言になど惑わされる必要が無いのですよ」


 他人の目などというどうでも良いものに、視線をやる必要など無いのです。

 あのお二人は、ありのままの姿を全て受け入れ、肯定してくれる存在があるのですから。


「貴女はご存知ないかもしれませんが、あれでサヤ様はとても繊細でいらっしゃって、色々と問題や不安を抱えておられるのですよ。

 けれどレイシール様はその全てを受け入れますし、肯定しますし、彼の方がどれほど強かろうと、鉄を素手で叩き折ろうと、可愛い、美しいと褒め称えますし、隙あらば愛でます。

 レイシール様にとってサヤ様は女神で、宝で、他と同じく……いえ、それ以上にか弱い女性で。守りたいひとなのです。

 リヴィ様におかれましてもそうですね。

 貴族女性としてあるまじき王命を賜りました彼の方は、全貴族を敵に回すに等しい選択をされました。

 彼の方は一人でそれに立ち向かう覚悟をされておりましたよ。しかしギルは、かの方の決意をそのままにしたくなかったのです。

 あれはしがない商人ですし、本来ならばリヴィ様の盾になどなり得ないのですが……それでもそうあるための策を講じました。

 その愛が、彼の方を支えているのです。他に何を言われようと、貴女の選択は間違っていないと肯定する。

 だからあのお二人は、女性らしくあれるのです」


 私の言葉に、ロレン様は呆然と聞き入っておられました。

 あのお二人は特別で、それゆえに折れない強い心をお持ちなのだと、そんな風に思っていたのですか?


「日々傷付いておられますよ、あのお二人も。

 だから伴侶の前では泣き言も言いますし、弱さを見せる。出す場所を選んでいるだけなのですよ」


 か弱い女性として振る舞いますよ。それを見せることのできる相手にはね。


「…………」


 しかしそれに対しロレン様はというと……。


「……そんな存在、ボクには到底得られないものだ……」


 と、自重気味に述べました。


「何故そう思います?」

「見て分かるだろ。ボクはどう頑張ったって女性らしくなんて……まずボク自身がそれを、受け入れられない」

「……そもそも何故男のように振る舞う必要があるのです」


 何気ない問いだったのですが、どうやらそれは彼女にとっての虎の尾であったよう。

 戸惑いを浮かべていた瞳は一気に怒りに燃え上がり、私を睨め付けました。


「ボクをバカにする輩に目にもの見せてやるために決まってる!

 女のくせにデカい、ゴツい、女らしくないっ。そう言うお前らがチビでガリで女々しいだけだろっ!

 自分ができないことをボクができる。それが気に食わないから、ボクの存在から否定しにかかってくる。ほんと女々しい!

 女が腕っ節に恵まれたって使い道がない、嫁に行けない、一生独り身だって言われ続けてきた。

 だから、ボクはボクが一人で生きていける手段を得たんだ! 時代がボクに味方した、女のボクでも、誰かに養われず生きていける、武を鍛えることを求められる時代だ、ザマァみろ!」


 私を見ていますが、見つめる先にあるのは故郷なのでしょう。

 彼女にとって女性らしくするということは、彼らに負けることなのだと理解できました。

 成る程。

 ならばそれで、良いと思いますよ。


「左様ですか。

 でしたら、私の思慕は貴女の邪魔にはならないですね。安心しました」

「いやお前っ、今の話の何を聞いてた⁉︎」


 女扱いするなって言ったんだぞ⁉︎ と、ロレン様。

 少し前からお前呼ばわりになってますね……。

 距離が縮まったような気がして満更でもないです。


「私は別に、貴女に女性らしさを求めておりませんから、敵認定されないなと解釈したのですが、違いましたか?」


 そう返すと、言葉を詰まらせて、化粧っ気のない唇を戦慄かせました。

 言葉が出てこないのか、焦ったような表情で視線を彷徨わせ「じゃあなんでボクにあんなことしたんだよ⁉︎」と叫びます。


「好ましく思う相手が無防備にしていたからですが」

「いや意味分かんないだろ! 好ましく思うってそれ、ボクを女として見てるって意味だろ⁉︎」

「そうですが、女性らしさは求めてないです」

「お前の言ってること全然意味不明っ!」


 そうですか?

 何も矛盾はしていないと思うのですが……。なかなか難しいですね。


「レイシール様は、サヤ様が男装中だろうと彼の方のことを可愛くて綺麗だとおっしゃいますし、愛しいと感じてらっしゃいます。

 サヤ様が自分らしくあることが、サヤ様を輝かせるのだそうです。

 私の貴女に対する感覚も、それに近いと思うのですが」


 貴女が貴女らしくあるために男性のように振る舞う必要があるのでしたら、そうしたら良いと思います。

 ただ願わくば……貴女の弱い部分を、晒してもらえる関係に近付けたらと……。


「そもそも私は、女性らしくした貴女を目にしたこともないのですが……。

 何故貴女を女扱いしていると解釈されるのでしょう。

 私が好ましいと感じた貴女は全て男性のような貴女でしたが」


 そう伝えましたら、ロレン様はまた顔面を真っ赤に染めてしまいました。

 そうして表情を両手で覆い隠し「お前マジで何言ってんだ……」と、苦い声。


「お前、今そんなこと言ってる場合か? レイシール様の生死も定かじゃない……お前だって……」

「私が死のうと考えたのは、私がレイシール様の枷となりそうだったからです。

 彼の方を苦しめる要素は何であれ排除したかった」


 そう言うと、またギクリと表情を固めます。

 いえ……保留しましたから、当面死ぬことは考えませんよ。そもそも、私は自死することを禁じられておりますし。


「陛下がレイシール様を擁護せよと指示した。それに間違いがないのであれば、私の問題は概ね解決いたしました。

 レイシール様はちゃんと生きておられますし、春になるのを待って、合流するだけですから」

「…………何の根拠があってそう言ってんだよ」


 それは北に逃げたからですね。

 貴女はご存知ないでしょうが、北は獣人の蔓延る地なのです。

 獣人を従える力を持つ彼の方にとってあの地は切り札。


 レイシール様は、必ずや獣人の心を掴むでしょう。

 それはつまり、万の群を得るに等しいことです。

少し遅れました。ごめんなさいね……。一話だけなのにねー。

でも何とか、一話分になる内容を書けて良かった。

来週は少し余裕が出ると思うので、遅刻しないように頑張ります。

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