後日のとある日のこと……2
確かに、孤児だった私の境遇も、まぁそれなりでした。
あの頃は、まず毎日きちんと何かを食べるということから難しく……。でも自由でしたから、私の人生の中で、孤児であった時間はさほど苦しいものではありません。
狂信者のもとに生まれ落ち、あの場にいた時の方が苦しかった。生き残れたのはただの運です。
けれど殺す価値すらないため捨てられて、北の地で生きていくのは厳しすぎて、流れているうちに王都へとやってきた私は、血が薄いが故に人の社会に紛れ込むことが容易でした。
誰一人として、私を獣人だと気付きませんでした。当の獣人ですらです。
獣人は鼻が効きます。それでも嗅ぎ分けが難しいほどに私は血が薄かったのですが、そんな落ちこぼれの出来損ないでも、人の中では優れた身体能力の持ち主に分類されました。
人よりも鼻がきくため、孤児の中では格段に獲物にありつける可能性が高かった。
その結果、北では価値のない存在であったはずの私が、いつの間にか頼られ、気づけば小さな集団を率いるほどになっていました。
しかし集団になると、目の届かない範囲も出てきます。
仲間のヘマで神殿に捕まり、そこから数名と脱走して、王都の孤児で小さな集団を作り直しました。
しかし結局、鈍い者が貴族に捕まり、それを逃がそうとしてドジを踏んだ。
結果、打ち捨てられていたところをレイシール様に出会い、拾われ、今もお支えしております。
つまり結論から申しまして、境遇の良し悪しなど誰でも似たり寄ったりで、何が恵まれていると感じるかなど、人それぞれだということでしょう。
少なくとも私は、幸運に恵まれました。
こうして欠損を多く抱え、本来なら使えない身となってすら、私を傍に置いて当然と振る舞う主に、恵まれて。
◆
越冬を前に、最後の備蓄準備を進めておりましたその日……お客様が到着されたと知らせが入りました。
「サヤ様、ご到着です」
「あ、伺いますっ」
レイシール様がまだ戻られていらっしゃらないため、サヤ様が名代となります。そのためお呼びしたのですが。
慌てて小走りになったその身体を、私は咄嗟に抱き止めました。
それに驚いたように瞳を見開くサヤ様。
「ハインさん?」
「……走らないでください」
身籠ったといっても、まだ自覚は薄いのでしょうね……。
レイシール様が神経質になるのも多少は仕方がないのでしょう。
元々サヤ様は率先して動く方で、特に力仕事は自分の役割と認識している節がありますから、何か起こる前にと思ってしまうのでしょう。
ですからサヤ様にも、すこし自身の行動を考え直していただかなくてはなりません。
今は、そんな風に急ぐ必要などないはずです。
「お忍びなのですから、慌てずとも不敬はございません。
なのでどうか、お身体を優先してください」
「ご、ごめんなさい……」
「いえ。レイシール様がいらっしゃったら大騒動ですからね。彼の方の心の安寧のためにも、少しずつ慣れていきましょう」
そう言うと、はにかみつつもはい。と、返事が返りました。
お客様は、越冬をこのアヴァロンで過ごされるのですが、身分は伏せておきたいとのこと。
まぁ、あまり兵力を集結していると思われると、他国が敏感になりかねませんからね。
それで一足先に、一庶民のふりをしてアヴァロン入りされる手筈となっておりました。
館の門前まで来ると、談笑して待つ四つの影が。
男性のように見える二人と、武装女性二人。
「あ、サヤ久しぶりーっ!」
「元気だった?」
「おぉ。今日は女人のいでたちでござるな!」
姿が見えただけで、そんな声が届きます。
皆様お揃いで。
「お久しぶりです。皆さんもお元気そうで!」
「元気元気ーっ!」
そう言ったのはユーロディア様。本日は旅人の服装であるため、女近衛の制服ではございません。
そしてもう一人の女性はメリッサ様。フィオレンティーナ様は男性にしか見えない方の一人です。
「フィオレンティーナ様もこちらで来られたんですね」
サヤ様がそう尋ねますと、ニカッと笑ったフィオレンティーナ様が頷きます。
「貴族とは言っても男爵家ゆえ誤魔化しがきく。極力人数は減らしたいとのことであったので、こちらに致した」
「マルグは陛下と一緒に来る方。堅苦しいって残念がってた」
子爵家の血を持つマルグレート様は、貴族として後日陛下とお越しだそうです。中身は下町の踊り子であるのに、地位とは不便なものですね。
それはそうと……今年は少し、越冬が特別なのです。
実は陛下が第三子をご懐妊中なのですが、出産が越冬中になる予定で、それをこのアヴァロンでと希望されたため、色々準備がややこしいことになっています。
今年に関しましては、ルオード様とまだ幼き子らもご一緒とのこと。
一家揃って王宮を空けて良いのでしょうか……と、確認してみましたところ、先王様が家族で過ごすようにと勧められたのだそうです。
一時期は健康状態が危ぶまれた先王様は、王位を譲り、陽の光を制御する生活に切り替えてより持ち直し、現在もご存命。
近年の王家では珍しい長寿者となりつつあり、ご本人も孫が成人するまで生きると豪語されているとのこと。
そのため、越冬中くらいは留守番しておいてやるぞとおっしゃられたそうです。
まぁ、正直普段は大変お忙しい陛下ですから、妊娠中でもなければ家族団欒はおろか、羽を伸ばすこともままならないのです。この際だからということなのでしょう。
こちらと致しましては大変迷惑な話なのですが……レイシール様が引き受けてしまいましたから致し方ありません。
スヴェトランの脅威も去り、ジェンティローニとは良い関係を築けております。シエルストレームスはあいも変わらず国交は無いものの、それが問題となっているわけではございません。
それに、この地にはリヴィ様が嫁がれましたし、アギーの力も強い。
医療面においても王都に引けを取らない技術と設備が備わっておりますし、第一子をこちらでご出産されたという実績もございます。
それに加え、獣人との関係が良好であることを示す意味合いもあるのでしょうね……。
今やアヴァロンは、獣人と接点を持つための特別な都市となりましたから。
そんなことを考えつつ、交友を深めるサヤ様を見守っていたのですが……。
そのうちユーロディア様がソワソワし始め、さしてかからぬうちに限界が来たよう。
「……あーもー! まどろっこしいなぁ、ロレンも折角旦那さんと数ヶ月ぶりの再開なのにっ、何ボーッと突っ立ってるの!」
そう指摘され、突出した上背の、これまた男にしか見えない人物が狼狽えたように一歩を引きました。
微動だにせず口もきかなかった残る一人。
顔立ちとしてはともかく、上背は私よりもありますし、細袴姿ですから、道中も男性に見られてしまったことでしょう。
しかし彼女は一応、私の妻という立場でした。
「えっ……いや……」
「お気遣い痛み入りますが、職務中です」
妻が慌て、何かを言う前に、すっぱりとそう言い捨てた私に、女性陣一同が眉間に皺を寄せます。
「いやでもさぁ、数ヶ月ぶりに新妻と再会して第一声がそれってどうなのよ」
「職務が優先です」
レイシール様が不在である以上、留守を預かる身としては当然のことかと。
「あああぁぁもう堅物ううぅぅ、抱擁のひとつくらい交わしたって良いと思うじゃんねぇ?」
「思う」
「思いますな」
うんうんと頷く女近衛の一同。
ですが職務優先です。
「サヤ様の安全をお守りする立場でございますので」
「サヤは貴方よりずぅっと強いと思いますけどぉ」
「左様でございますが、サヤ様は現在お身体を使う諸々のことが制限されてございますので」
例え軍隊が押し寄せて来ようとも、前線に立たせるつもりはございません。
きっぱりと跳ねつける私の態度に、妻は少々表情を曇らせました。
私が己との再会をなんとも考えていないと思ったのでしょう。
……人前でそういった男女のやり取りをすること自体を苦手としているのは、ご自分でしょうに。
ですが皆様は、事態をいつもの如くレイシール様の過剰束縛と捉えたようです。
「相変わらず過保護だね領主様……」
「束縛ひどい……」
「病的ですな……」
「致し方ございません。確かに普段から過剰なのですが……。
現在はサヤ様も身篭られておりますので。
万が一があってはならないのです」
そうなった場合、彼の方は廃人ですから。
そうお伝えすると、顎が外れんばかりに口を開いて硬直される一同。
「…………み、ごも……えっ⁉︎」
「ご懐妊かっ⁉︎」
「神の祝福っ⁉︎」
「本当ですか⁉︎」
やっと妻も言葉を発しましたね。
「左様でございます。ですので、皆様にもどうかご理解いただきたく存じます。
ご懐妊が発覚致しましたのはつい先日のことでございまして、陛下へのご報告も到着しているか怪しいところです。
申し訳ございませんが、今年は、サヤ様を戦力外としての警備配置を再検討させていただきたく」
「も、勿論だよっ! そりゃ勿論だから!」
「ようござった! ようやっとか、いやぁ目出度い!」
「サヤ、悪阻は? 今どれくらい?」
「だ、大丈夫ですか⁉︎ 歩き回ってちゃ、駄目な時期では⁉︎」
大混乱の女性一同。
サヤ様が長く身篭らずにいたことを、皆が心配してくださっていたのでしょう。
とりあえず大騒ぎがひと段落するのを待って、中へ参りましょうとご案内いたしますと。
「そ、そうだよねっ。お腹冷やしちゃ駄目だしっ」
「あったかい飲み物、私も欲しい」
「土産もある。ちょうど良い、茶請けに出そう」
と、姦しさはそのままに、ドヤドヤと中に足を進める一同。
今年の冬も賑やかになりそうですね……。
◆
応接室にご案内し、お部屋の用意が整うまで、しばらくは談笑の時間。
話題はやはり、王都の近況についてです。
女近衛も人員が随分と増えました。
ヴァーリンが始めた女性騎士の育成が軌道に乗りだし、地方の士族家の娘たちからの志願も増えて、更にここセイバーンからも、候補者を毎年推薦しております。
また、陛下の戴冠式には幼かった貴族のご令嬢方からも、剣を握る道を目指す者がちらほらと出て参りました。
「とは言っても、また荒れだしてござるがな……」
「だねー。隊長が嫁いで引退なんだもん。仕方ないっちゃ仕方ないんだけどね」
リヴィ様が近衛から退き、爵位すら捨てたことは、王都をかなり騒がせたよう。
大貴族たるアギーで、女性の身ながら出世街道を直走っていたオリヴィエラ様は、このまま女近衛として生涯をかけ、国と陛下を支え続けるものと考えられていたのです。
それがよもや、こんなに早く職務を退き、王宮への出入りがあるとはいえ、平民の商家へと嫁ぐなど。
「でもあれほんと、見ものだったよねー」
「ざまあって思った」
人の悪い笑みを浮かべる女近衛四人。
王宮内で女性が剣を握ることには、未だに反感を持つ者も多く、嫌味や嫌がらせも後を絶たないよう。
特にご年配の方々に強い傾向であるそうなのですが、リヴィ様も当然、その中傷の的であられたのです。
「そんな粗暴だから結婚できないんだぞーって、決まり文句みたいに言われてたの。それがさー」
「ギルバートさん、王宮でも人気高かった」
「あの男っぷりですからなぁ」
夏のとある日、ギルが王宮を訪れたのだそう。
今までも納品の品を携え来訪していましたが、この時は陛下への謁見を希望し、許可もおり、またブンカケンが何かとんでもない商売を提案しに来たかと考えられていたよう。
散々恩恵を受けておきながら、我々をなんだと思ってるのでしょうね……。
まぁ、その話はまた後で良いでしょう。
ギルは、いつも以上に身を整え、花束と木箱を携えておりました。
謁見の間には、甘い汁を啜りたい有象無象の高官たちも、あの手この手で潜り込んでいたのだそうです。
美味い話なら一枚噛んでやろうとでも考えていたのでしょうね。
しかしギルは、陛下への謁見をごく簡単に済ませてから、傍に立つリヴィ様を名指しして「かねてよりの約束を果たしに参りました」と述べたのだそう。
「女王陛下ならびにアギー公爵様より、やっと許しをいただきました。
オリヴィエラ様、二十年越しになってしまいましたが、どうか私をまた、貴女の騎士にしていただけますか?」
そう言い差し出した木箱。
それを持つギルの左手薬指には、とある指輪が嵌められておりました。
蓮を透し彫りにし、内側の隠れた部分には、リヴィ様の色の宝石が埋め込まれている品です。
小ぶりな木箱に収められていたものも、これまた蓮の形を模した、豪華絢爛な一対の耳飾り……。
まぁこれは知っています。その耳飾りを作り上げたのも我々ですから。
「我が姫」
陛下の前でしゃあしゃあとよく言ったものですね。
まぁ、当の陛下はニヤニヤ顔で状況を楽しく見守っていたようですが。
けれど、聞いていなかったリヴィ様は大変慌てられたそうです。オロオロ戸惑っているところを、近衛総長にギルの前まで押し出されてしまい、更に混乱されたとか。
「や、約束ですの?」
「貴女が陛下をお支えすると決めたあの日。お役目を終える日を待つと約束したでしょう?
ずっと、今日を夢見ていましたよ、我が姫」
そう言いリヴィ様の左手を取って、小指に口づけをしましたら、我慢ならなかった女中らから凄い悲鳴が上がったそうですね。
リヴィ様はいつも必ず、片耳飾りを身につけていらっしゃいました。
蓮と剣を模した、男性との縁を持つ身だと示すための印です。
その耳飾りを贈った方は、ヴァーリンのリカルド様なのでは……などという噂も実しやかに囁かれてございましたが……。
その贈り主は自分だと、堂々名乗り出た形になります。
「貴女は身ひとつで来てくだされば良い。地位も、名誉も、財産も不要。
ただ貴女が貴女で私の隣にいてくれさえすれば、それに勝るものはございません。
式は冬に。誓いは……貴女を抱き上げて歩きたい。お許しいただけますか?」
大柄で剣すら握るリヴィ様を、女性が最も憧れるという、横抱きの誓いで家に迎えると宣言したそうですね。
まぁギルですから、剣を握ろうが鉈を握ろうが、女性は全て慈しむ対象です。まして愛する女性であれば尚のこと。言葉通り姫の如く扱うつもりでいたことでしょう。
そうやって絶品の微笑を惜しげなく愛しい相手に振り撒くギルを前にして、数多の女中が涙の海に身を沈めたとのことでした。
まぁ……それもこれも全て、陛下の策略なのですけどね。
ギルが陛下よりの返答と指示に絶叫していたことを、我々は知っておりますから。
けれど、それをしなければ一生婚姻は許さんと言われたのですから、するしかないです。それが彼女の矜持を守り、退任を飾るためとあらば尚のこと。
陛下が即位され十年弱。
女近衛の人員も確保できて参りましたし、貴族内にすら、女性騎士を自ら目指すと言い出す女性も現れ出しました。
リヴィ様は、そのお役目を充分果たされたのです。だからこそ退任を許された。最後の仕事をこなすことを条件として……。
今までの価値観を覆す女騎士、女近衛という存在は、彼女らの婚姻問題に大きな影を落とし続けていたのです。
それまで男性職とされていたものに身を捧げた彼女らの選択が、その職務への冒涜や、男性の地位を揺るがす行為ととられていたからです。
まぁ、自分より強いかもしれない妻ですからね。心穏やかではいられなかったのでしょう。
その考え方はいささか器が小さいのでは? と、私のような者は思ってしまうのですが……男の優位を当然としてきた貴族社会では、致し方のないことなのだと思います。
しかし陛下は、それをよしとなさいませんでした。
女王となられた陛下もまた、女性ですから。
身の守りに女性が必要な場合は多々ございましたし、今後も必要でした。何よりご自身が、女の王と侮られるわけにはまいりません。
ですから陛下は、己の威信にかけて、剣を握る道を選んだ彼女らを、幸せにしなければなりませんでした。
そのためにも、ありとあらゆる彼女らの今後を、用意する必要があったのです。
つまり、前例が必要でした。
女近衛から婚姻を機に職を辞す者が。
リヴィ様の退位も、必要な布石のうちのひとつだったのです。そして退くならば当然、最高の花道を歩いていただく必要がございました。
本当は、貴族の良家へと嫁ぐことが最良であったでしょう。
けれど、現状の貴族社会では、リヴィ様は嫁ぎ先で籠の鳥となる未来しかございませんでした。
陛下とアギー公爵様の顔を立て、リヴィ様を娶るという建前をこなす……という考え方をする殿方、もしくは血筋しか、存在しなかった。
今日まで色々模索されたのでしょうが、家格に見合い、尚且つリヴィ様を女性として愛してくださる殿方は、見つけられなかったのです。
そのため、渋ってらっしゃったアギー公爵様も首を縦に振りました。
アギー公爵家の御令嬢であるリヴィ様が、国に身を捧げた結果、籠の鳥として終わるなど、あってはなりませんでした。
リヴィ様に続こうとする女性たちに、行き着く末路がそんな風だなどと、思われては困ります。
過酷な茨の道を、傷だらけになって歩んだリヴィ様の未来は、愛する者と添い遂げ、幸せになり、笑って過ごすことが求められたのです。
そうしてこの冬宣言通り、貴族を辞して野に下ったリヴィ様を、ギルは妻に迎えました。
因みに、地位も名誉も財産も必要無いと告げたのは、ギルの心からの言葉です。
陛下の指示に唯々諾々と従ったわけではございません。
彼にとってあの言葉は、アギーの御令嬢をいただくのではなく、オリヴィエラを愛しているのだと、世間に示すために必要なことでした。
……まぁ、その前の演技でヤケになっていたとも言います。どうせやるならとことんやってやる! と、思ったのでしょうね。
「貴族ではなくなったけどさぁ、隊長は隊長だよ」
「うむ。彼の方は心が貴族でござった」
「良いとこのお嫁さんになって良かったと思う」
口々にそう言う彼女らは、心からリヴィ様を慕ってらっしゃるのでしょう。貴族を退いたことをとって、あの方を侮るつもりはないようでした。
「でもちょっと心配……」
「庶民の生活だもんねぇ……。アギーのお嬢様だったのに」
それこそ今まで以上に侮られるのではと、懸念してらっしゃるようですね。
彼女らの言葉に、サヤ様が私の方に不安そうな視線を向けてきました。
……仕方ありませんね……。
「その懸念は無用かと」
私はセイバーンの執事長という立場から、リヴィ様を領民として迎えるにあたっての色々にも携わりましたので、その辺りのことはある程度把握しております。
「まず、バート商会はブンカケンに席を置く老舗。貴族様方の対応には慣れておりますし、顧客として尊き血筋の方々とも懇意にしております。
ブンカケンとバート商会、更に顧客の方々を敵に回す気概のある血筋というのには……心当たりがございませんね」
その顧客には王家すら含みますから。
内心でどう思っていようが、取引を断られては困るでしょうから、匂わせはしないでしょうし。
「とくにこのアヴァロンは陛下のお膝元となりますし、これからも女性職務者の衣服提供で関わりが続きます。
それにギルは、リヴィ様を蔑ろにするような輩の前に、彼の方を立たせはしないでしょう」
今までの立場であれば前に立たざるを得なかったリヴィ様でしたが、これからはギルが夫。盾になると誓った言葉は違えないでしょう。
「それから、女近衛の正装を作り上げる際、バート商会の仕事をリヴィ様は見ておられますし、関わりも持ちました。
その時はとてものびのびとされてたように思います。
確かに貴族であった頃の生活とは違う日々になるでしょうが……、アヴァロンにはヴァーリンのセレイナ様やシルビア様もいらっしゃいますし、セレイナ様はバート商会で刺繍のお仕事もされていたりなさいますから、接点も多くございます。
知らない環境で味方もなく孤立する……ということにはなりませんから、ご安心を」
そう言って説明を終えると、皆様はホッと息を吐き、懸念が晴れた表情をなさいました。
「そっか……。それにここにはサヤもいるしね」
「ロレンだって帰ってくる。長期休暇」
「なんなら越冬は、ちょくちょく我らもここに来そうですしな」
それは正直迷惑なのですが……。
離宮ができてしまいましたし、受け入れるしかございませんね。
「それに今は、メバックとセイバーン村になら越冬中も犬橇が走りますから、行き来だってできるんです。
バート商会は研究室をアヴァロンに置いてますし、リヴィ様もお越しになると思いますよ」
「おぉ。ではこの冬にお会いできるやもしれぬな!」
「絶対会えます。……ここに来る時、メバックには立ち寄らなかったんですか?」
「実は立ち寄った」
「お会いしたでござる」
「ただ、流石にまだ馴染んでなかったよねー」
それは仕方ないことかと。
お互いの距離感も掴めていないでしょうから。
そこでようやっと、応接室の扉が叩かれました。
本日のお部屋が整ったという知らせです。今日はこの館で一日お休みいただき、明日借家へとご案内する予定となっております。
長旅でしたでしょうから、湯の方もご用意致しましたと伝えましたところ、歓声が上がりました。
「おっ風呂っ、おっ風呂〜っ」
「贅沢」
「ではまず埃を流そう。ロレン、部屋へ……」
そんな風に言いつつ席を立ったご一同でしたが。
「申し訳ございません。妻の部屋はこちらへは用意しておりません」
家があるんですから、そちらに帰らせます。
皆様の仕度と共に、家へも使用人を走らせました。
今頃室内を整え、風呂の支度も済んでいることでしょう。
「サヤ様、私も一度……」
「勿論です。と、いうか……今日はこのまま、お家で過ごしてください。大丈夫、ここにはメイフェイアも、見習いたちもいますから」
「有難うございます。ですがくれぐれも、走ったり、重いものを急に持ったりなさいませんよう……」
「う……。気を付けます……」
一旦妻を自宅へ送っていくだけのつもりであったのですが、お許しが出てしまいました。
改めてメイフェイアを呼び、引き継ぎを済ませてから、妻を伴い久しぶりの我が家へ向かうことにいたします。
と、言いますのも……私はこの通り不自由な身になってしまいまして、日常を一人でこなすには色々不便だったのです。
なので、妻が王都へと勤めに出ている間は、宿舎を利用し、私の補助をウォルテールに任せておりました。
ウォルテールが不在の場合は、見習い従者の男性陣に。
なので、私が我が家へ帰るのは、妻が共にいるときだけです。
「お帰りなさいませ!」
「戻りました。申し訳ないですね、急な知らせとなってしまいましたが……」
「大丈夫ですよ。いつものことじゃないですか」
小さな家ですが、使用人のコレットがおります。
二人が揃う時しか使わない家の、管理者が必要でしたので。
彼女は孤児院の出で、私の顔にも慣れておりましたので逃げられずに済んでおります。
初めに雇った数名の女中は私を恐れてしまいましたし、私が獣人であるということにも恐怖があったようでしたので、気にしないでもらえる相手は貴重です。
「お食事は急でしたからご用意できなくって、食事処から持ち帰りのものをお願いしたんです」
「構いません。有難うございます」
「奥様、外套をいただいておきます。あれ、荷物ってこれだけですか?」
「あ、明日届きますし、これも自分で運びます……」
途端に挙動が怪しくなる妻。
奥様扱いに動揺してしまったようです。
まぁ、普段からまるで男のように振る舞うことに、慣れきってしまってますからね。
正式に女近衛となった今も、彼女は風貌を男性のように整え、宮中の女中の人気をさらっているそうです。
サヤ様曰く『タカラヅカの男役』さながらであるそう。よく分かりませんが、サヤ様のお国には敢えて女性が男装して男を演じる演目があり、それが女性にとても人気なのだそうです。
逆もあるそうですよ。更によく分かりませんが……レイシール様のような男性がよほど多いお国なのでしょうか?
「コレット、本日はこれで充分、残りは我々で進められます。
外も暗くなってまいりましたから、貴女も早くお帰りなさい」
「畏まりました。では明日は……」
「昼からで構いません。食事は必要無く、掃除だけで」
「承知致しました。ではまた明日」
「はい。また明日」
コレットには夫と年老いた義祖母がおり、普段は実家で内職をしております。
私の家の管理はさほど手間を取られず、実入りが良いということで、彼女の副業に収まっております。
コレットを送り出し、部屋へ荷物を運び、着替えているだろう妻の元へと足を急がせました。
ガチャリと扉を開けると飛び上がる妻。
「急に入ってこないでくれないか⁉︎」
「見られて困るものでもあるのですか?」
上着を脱ぎ、短衣も脱ぎかけていた妻が慌てて前を隠しましたが、それだって別に見慣れたものじゃないですか。何故隠すんです。
「まさか怪我でもしましたか」
「してないっ!」
「見せなさい。口では信用なりません」
「おまっ、そのいちいち腹立たしい言い方何っ⁉︎ なんで見せる必要が……」
「見せなさい」
片手で短衣を剥ぎ取ると、破れるだろ⁉︎ と、抗議の声。それを塞ぎ封じ込めました。
顔の位置が私より少し高いので、首に片腕を絡めて強引に引き下げて。
久しぶりに帰ってくる度、いちいち恥じらって男みたいに振る舞うの、なんとかしてくれませんか。
「おかえりなさい、元気そうで良かった」
唇を離してそう言うと、動揺して視線を彷徨わせつつも妻は、やっと少し、肩の力を抜きました。
「………………うん」
「今年の越冬はこちらで過ごせるようになったのですね」
「うん。なんとかそれで調整できて……みんなに色々助けてもらったからその……」
「後日菓子でも差し入れましょう。
それはそうとその報せ、もっと早くに寄越せませんでしたか?」
「無理に決まってるだろ⁉︎ ほんと直前まで調整して……」
更に不平不満を続けそうになった妻の唇をもう一度塞ぎました。
いえ、努力してくれたと分かったのならもう文句など言いません。ただ、待っていたのに報せが来なかったので、無理だろうと考えていた矢先だったのです。おかげで少し、私も感情がうわつき、舞い上がってしまっていました。
その上で妻本人に、私が彼女の帰りを待ち侘びていなかった……と解釈されたことが、些か腹立たしかったので、これはちょっとした意趣返しです。
そのまま身体を短い右腕で抱き寄せて、鎖骨に唇を移し、舌を這わせると……。
「まっ、まだ埃まみれ……」
「風呂の方が私と睦み合うより大事だとでも言うのですか?」
「だけどっ」
「待ちません」
そう言うと、我が妻は観念したようでした。
片腕、片脚しかない身ですし、私にはレイシール様と、セイバーンの運営を支えるという職務がございます。
ですから彼女のためにできることは然程もありません。
それでも番となることを決めたのは、彼女がそれを望んだからです。
彼女が続けたいと言うから、女近衛でい続けることも認めました。
遠く離れ、数えるほどの日数しか会えぬ状況も、甘んじて受け入れております。
だというのに、まだ私が夫であるという認識が甘いようなので、そこは教え込む必要があると思いました。
いい加減、疑われるのもうんざりです。
そもそも、こちらにその気がないなら、妻を娶るなどということを、私が受け入れるはずがないではないですか。
◆
死ぬつもりはございませんでした。けれど、死ぬ道しかないだろうとは思っておりました。
片腕に片脚を失い、瞳まで片側のみという状態になり、のうのうと生きていける世ではございません。
それでも命を繋ぐことができたのはひとえに、彼女のおかげでした。
オゼロを説得し、医者を手配させ、ひとときも気を許せない状態の私を看病し続けてくれたのも彼女でした。匂いでそれは理解しておりましたから……彼女の嘘も、理解しておりました。
いつもご覧いただき有難うございます。
本日も一話、更新です。もう暫く続く予定です。




