オースト
北の地からの流民は減りつつありました。
あちらに大きな産業が増えたことと、馬事師の新たな運用法がセイバーンよりもたらされ、馬事師らが北以外でも求められる事例が増えて、貴族間も経営の見直しが進んでいます。
また、荒野の狩猟民に皮剥ぎを教えたことで毛皮の質を意識した狩猟がされるようになり、新たな武器(サヤ様の国の狩猟道具)を得たことで無茶な狩猟が減り……と、あらゆる面で改善がなされております。
北の地に第二のアヴァロンが建都されたこともあり、アギーのプローホルにあった貧民区も随分と縮小していたのですが……。
「オーストの貧民?」
「左様です」
「あぁ、あちらは捨場がまだ残っているくらい、産業的にも厳しいのだったな」
玄武岩が主な特産品であるオーストは農耕に向いた土地が少ない領地です。
研究員の一人であるコダンも、妻と娘を飢餓から来る暴動で失った経験を持っておりますし、北は色々と変化しましたが、南の地はあまり我々も関わりを持ってきておりません。
「セイバーンを目指す流民、本当に増えてきましたね」
「領民の受け入れにも積極的に動いてたしな。とはいえ……ここにだって限界はある」
「なにより領地を捨ててここを目指されても困りますよね」
「だな」
セイバーンは流行病で領民の多くを失った過去があり、流民を受け入れる余力はありましたが、彼らを食わせ、育てるのには随分と費用が掛かります。
アヴァロンは流民のために作られた都と言っても過言ではないのですが、他領からの流民に領民の税金を使うことを良く思わない者も当然おりました。
それでもレイシール様がこうして動けるのは、領民の暮らしが良くなり続け、民も潤っているからです。
氾濫が無くなったことで追加税の徴収はなくなり、交易路が整い流通が活発化すると共に、街を繋ぐ街道も年々整備が進んでおります。
また、各地方に幼年院を作る計画も進んできております。そういった領地改革も疎かにしていない面が、かろうじて現状を支えておりました。
流民であっても国民には違いありませんし、ひいてはフェルドナレンのため。
富める領地であることは公然の事実ですから、受け入れないことも醜聞になりましょう。
そのためレイシール様は大抵の場合「受け入れる」と申されるのですが、オーストとは少々の因縁がございました。
現在我が領地に組み込まれているロジェ村近隣ですが、ここはかつてオースト領でした。
捨場であったため、税金を納めることもしておらず、助けを求めても取り合ってもらえずといった状況であったのを、紆余曲折の末レイシール様が動き、土地ごと庇護下に置いたのです。
まぁその辺りはマルが担い動いたわけですが……それからもオーストとはあまり接点が無く、どうやらセイバーンとの関わりは求めていない様子であったため、縁も繋いでおりませんでした。
「捨場の件は大ごとにならず良かったけど……流民もとなると揉めるかな……」
「春になって領民を返せと言われる可能性はありますかねぇ」
「交易路であちらも多少は潤ったと思ってたんだが……やっぱり産業が増えないと難しいか」
「レイシール様……ほいほい他の領地に首を突っ込まないでくださいよ。貴方はただでさえ多忙なんですから」
エヴェラルド様にそう言われ苦笑するしかないレイシール様。
あちらから何か言ってきたならともかく、こちらから動くほど縁を持った地ではありませんし、義理もありません。
領地のこと、国のこと、更に北の地の産業を支えることまでこなしておりますのに、南の地にまで手は回りません。
「まぁ、この冬領民を預かるくらいのことはしよう。たいした人数じゃないんだし」
「まぁそのひと組だけならば……」
渋々そう言っていたのですが……。
「緊急連絡です」
私の言葉に皆の視線がまたこちらを向きました。
「また流民だそうです。
今度は馬車二台。この時期に不審な馬車を発見し確認したところ、凍死者も出ていると」
「…………生き残っている者は即保護しろ!」
「そのように動いたとのこと。ただ、物資の方を補給をしなければアヴァロンまでの送迎にも支障をきたすとのことですので」
「もちろん手筈を整えて早急に向かわせろ!
……いや、待て。まず早急に一陣を送るが、二陣も用意しよう。念のためだが……嫌な予感がする……マル」
「はいはい。吠狼をオーストの情報収集に向かわせます。それから、他にもそういった一団がないか周辺を探らせますねぇ。
あと、アヴァロン内で保護するには難しくなりそうです。倉庫の資材で仮小屋を作れるか確認してみましょう。
食料の備蓄量も確認させますが、各地域にも備蓄品の提供を願い出ることになる可能性もありますね」
「とにかく、人命を優先してくれ。凍死者が出てるってことは、かなり彷徨っていた可能性がある」
「それでは、アヴァロンまで来させるのもなんですし、西の古城区域、あちらで保護させますか。
あそこには保管された備蓄保存食もありますし、吠狼の管轄内。隣区域のカーク老にも協力を願いましょう」
あの地域でしたら、アヴァロンまで足を伸ばすより、二日ほど移動距離が短縮されます。
こちらには犬橇がありますから、馬車で二日の道のりも一日掛からず到着できますし、更に流民が増える可能性もございました。……オーストで、大きな何かが起こっているのかもしれません。
そこにパタパタと小走りで、サヤ様が駆け込んで参りました。
王子が戻られ、緊急連絡があったことを耳にしたのでしょう。
慌てて立ち上がったレイシール様が、サヤ様に「走っちゃダメだろ⁉︎」と、駆け寄ります。
「病人やないし、そんな簡単になにかあったりしいひん!」
「するよ⁉︎ 雪で滑って転けたりしたらどうするんだ!」
「今そんなこと言うてる場合やないやろ!」
「サヤが走るほどじゃないよ!」
…………煩いです。
「サヤ様。対応は決まりましたので、まずはお部屋にお戻りください。
お召し替えと、診察を。それを済ませない限りレイシール様が役に立ちません」
◆
陛下に数日アヴァロンを空けると連絡を出し、レイシール様は翌日、古城の地域へと向かうこととなりました。
オーストを探ることも必要でしたが、まずは流民から直接状況を聞き出したいと考えたのでしょう。
「こんな越冬の只中に住んでいた土地を捨てるなんて、何かあったに決まっている」
だからって領主が出向かなくても良いと思うのですが……。
「時間が勿体無いだろう?」
諸々の手続きや準備をするだけで数日を有しますし、そこから更に事情を聞いて書簡に記し、送るという手間を惜しんだレイシール様。急ぎの仕事を必死でこなして残りはサヤ様に託し、旅立たれました。
シザーとウォルテール、ジェイド、アイル、そしてユストを伴い出発。
またもや留守番組の我々は、レイシール様の残した仕事を引き継ぎこなします。
「それにしても、この時期に流民がこんなに現れるって、いったい何があったのでしょうか」
書類仕事に励みながらそう問うたサヤ様。
「そうですね……考えられる可能性としては……」
反乱。もしくは、村等が山賊や傭兵団崩れに襲われたり、自然災害に見舞われたりでしょうか。
「反乱⁉︎ 山賊⁉︎」
「セイバーンは豊かですし、そういった事例を耳にする機会はあまりございませんが、少なくはないです」
それこそかつての北の地ではよくあることでした。
自分の住む村を守るために、隣の村を襲うということすらありましたから。
とはいえ、それすらも困難で、ただ粛々と冬を過ごすしかないのが北の地なのですが。
「捨場がある地とは、そういうものです」
「そうですねぇ。それこそコダンのいた村は、乏しくなった食料を取り合った結果、コダンの家族が来世に旅立つことになってますしね」
視線をこちらには向けずそう言ったマルに、サヤ様は表情を曇らせ眉を下げます。
他領であるアギーの流民にまで心を砕く方ですから、オーストのことも知ってしまえば放っておけないのでしょう。
ですが、サヤ様もセイバーン男爵家の者となりました。身分を持った以上は軽率な行動は謹んでいただかなくてはなりません。
セイバーン男爵家が他領に手を出すとは即ち、侵略行為と受け取られても仕方がないからです。
レイシール様の懸念もそれでしょう。
既に一度、セイバーンはオーストの領地を一部得てしまっております。
そのうえかつての捨場は、現在お荷物などにはなっておらず、新たな産業である保存食作りに特化した地となっておりますし、玄武岩でも稼ぎ、セイバーン領内においても、他の村々と大差ないほどに潤いました。
今のこの状態ならば、オーストにおいては恵まれた村に含まれるでしょうし、住人の獣人比率が低ければ、取り返しに来ていてもおかしくありません。捨て場で無くなった今は、玄武岩の出荷を躊躇する理由もないのです。
穿ったことを考えれば、セイバーンがこの利益を見越して領地を騙し取ったと言われる可能性もあります。
ですからエヴェラルド様も、他領のことに首を突っ込むなと牽制したのでしょう。
……まぁ、だからといってレイシール様が大人しくしているとも思えませんが……。
そういったことに悉く首を突っ込んできた実績があるだけに。
それがなければ今が無かったわけですから、一方的に怒ることもできませんし。
「……とにかく、情報収集をしてからでしょう。
どうせレイシール様は何か対策をと考えてらっしゃるのでしょうし」
サヤ様の申し訳なさそうなお顔を慰めるためにも、ついそう口にしたのですが……。
「まぁそうでしょうねぇ。
其の場凌ぎで終わらす気皆無だから出向いたんでしょうし」
と、マルの相槌が続き。
「忙しくなるんでしょうねぇ……」
「オーストの知人にも書簡を出してみましょう」
皆が同じようなことを考えていたようですね。
「では私、とりあえずアヴァロンとメバックで古着の提供を呼び掛けてみます!」
「各地域から薪の備蓄も、輸送手配を進めておきましょう」
「吠狼も人員調整が必要でしょうねぇ。獣人雇用、来年はもう少し広げますか。影増やすと他領が煩いんですけどねぇ」
「もう影と思わなくて良くないですか。みんな知ってるのに」
なんだかんだで突っ走る領主に振り回されることに慣れてしまったセイバーン運営陣。
その苦労体質にはほとほと呆れるしかございませんでしたが、私もその一員なのですよね……。
そう思うと笑えました。
しかし……。
二日後、レイシール様負傷の知らせを受け、何処か気が緩んでいた我々は、震撼することとなったのです。
◆
私が向かいます! と言うサヤ様を宥めるのには苦労致しました。
レイシール様が何かにつけ首を突っ込み負傷されるのは、今に始まったことではございません。
どれだけ護衛を連れていても、率先して前に出るのですから、守る方も容易ではないのです。
「サヤ様、陛下がご滞在中ですのに領主一族が館を空けるなど許されません」
心を鬼にしてそう諌めましたが、涙を流すサヤ様の取り乱しようについ……。
「私が向かいます。
暫くここを離れることをお許し願えますか」
そう口にしてしまいました。
身重のサヤ様を吹雪の中、レイシール様が負傷した地へ向かわせるなどできるはずもございませんでしたし、主要な配下はレイシール様と共にここを離れておりましたし、公爵家のクロード様を向かわせるわけにも参りませんでしたし……。
「というわけなので、申し訳ないですが家を空けます」
そう妻に伝えますと、分かったと短い返事が返りました。
「荷造りは手伝う」
「有難うございます」
「……他を手伝えなくてすまない」
「職務でこの地に戻っているのですから、当然のことと理解していますよ」
片腕の私には荷造りもなかなかに手間ですから、本当に助かります。
そんなわけで着替え等と義足の予備を含む旅支度を整え、本日は早めの就寝となりました。
翌日、早朝より起き出して身支度を整え、いざ出発という時。
「ハイン」
急に名を呼ばれ、妻の腕の中に閉じ込められてしまいました。
「……ロア?」
「すまない……いつも旅立つ方だったから、こんなに心細く感じるとは、思ってなかった……」
囁かれた弱音に、つい耳を疑いましたね。
昨日は全くこのような素振りもなく、普通にしていたというのに。
「護衛に守られたレイシール様が負傷してるんだろう? ならお前は……」
「……心配せずとも、私にも護衛はおりますし、私は彼の方ほど考え無しに行動しません」
まずもって危険に頭から突っ込みませんから。
そう言うと、妻は少しだけ笑いました。
レイシール様がどういった方かは、彼女もよく理解しているのでしょう。
「……それでも、無茶はするな」
「分かっています」
「今以上、身を損なうことは絶対にしないでくれ……」
「それは我が主にも厳重に禁止されておりますので」
「……レイシール様を守るためでも、無茶をしてほしくないんだ……」
「……それは流石に、善処しますとしか言えませんね」
「……」
「…………」
言葉なく、更に腕に力が込められました。
口でどう言おうと心配せぬわけにはいかないのでしょう。それが分かりましたから、腕を緩めて欲しいと手を叩き、身体を強引に捻って向き直り、妻の唇を奪いました。
そうして暫く互いを愛で、唇を離し……。
「戻りましたら、もう一度呼んでください」
「?」
「貴女の声で聞く我が名はとても新鮮でしたよ」
そう言うとカッと頬が染まりました。意識せず口にしていたのですね。
そんな姿が愛おしく、もう一度啄む口づけを交わし「続きはまた帰ってから」と伝えました。寝かせませんから覚悟しておいてください。
「それから、サヤ様をお願い致します。陛下にもお伝えしてあるのですが……」
「分かってる」
「順調であれば数日で戻れると思いますので」
「うん」
そう言い、家を出ました。
さて……。
またもや自分の立場を理解せず突っ走ったであろう我が主には、しっかり反省していただかなくてはなりません。
サヤ様には注意しろと散々おっしゃいますのに、自身がそのような体たらくでどうしますか。
サヤ様のお子を父無し子にする気ですか。
そこを今一度、徹底的に教え込まなければならないようですね……。
準備された橇に乗り、アヴァロンの地を離れました。
本日の夕刻には、目的地に到着できることでしょう……。
大遅刻っ、しましたっ、申し訳ありませんっ!




