縁
春になり、またアヴァロンは慌ただしくなりました。
レイシール様は久しぶりにサヤ様を伴い、アギーの社交会に向かわれまして、私はクロード様、エヴェラルド様共々、留守を預かります。
執事長に任じられた私はというと、義足を得たことが大きく状況を好転させ、意外と仕事が成り立っていました。
歩くということは、ありとあらゆることに必要なのだと、まさしく実感致しましたね。
とはいえやはり手はありませんから、新たに従者見習いが数人雇われ、常に交代で私に付き従い、聞き取ったことを筆記していくという体制に変わりました。
幼年院を運営していた効果が出てまいりましたね。読み書き計算が確実にできる人材が、これほど容易に手に入るとは。
それに致しましても、恐ろしい……。
「執事長、吠狼より連絡が入りました。オゼロの社交界は無事十七日に開催されたようです。帰路、そのまま王都に向かうとのこと」
「左様ですか。では三日後発で王都への荷物を纏めますよ。途中で合流させ、必要無いものは引き取り持ち帰るよう手はずを整えてください。
吠狼の人員交代もここで行いますので、選別をお願いいたします」
「失礼します、土砂崩れの件ですが、どうしましょうとクロード様が……」
「応急処置は済ませたのですか。では視察に研究員所属の石工を派遣しましょうとクロード様に進言ください。
この際ですから一度きちんと調べましょう。
本格的な工事が必要か否か。その場合は見積もりも忘れずに取ってくるようにと」
「執事長、今年の仕官者名簿できました」
「確認致します」
「執事長、そろそろ領主様のお部屋、帳の交換時期ですよね」
「手配しております。ついでに他の部屋も一斉に入れ替えてしまいますよ」
「執事長、新人女中が里に帰りたいって言い出してまして……」
「原因は?」
「親元離れたのが初めてらしいんですよ……」
「慰労会でも開きなさい。同年代で話でもすれば少しは気が紛れるでしょう。時間を調整します」
「執事長、手押式汲み上げ機の部品改良の件で相談がしたいってウーヴェが」
「……マルはどこですか」
「いや、巣篭もりしちゃって……」
「引っ張り出しなさい!」
今まで誤魔化し誤魔化しやって来ておりましたが、色々限界に近かったのだと、改めて理解しました。
領主がこうも領地を離れるのですから、色々が滞るのも当然でしたし、今までと大きく体制も変わってきています。
本来の男爵家は、税収さえ安定していれば年に最低一度、春に王都を訪れるくらいで済むのですが、役職を賜っているレイシール様は年四回の会合と、更に他家との商談もございますし、男爵家という立場的に、どうしても出向く場合が多くなりますし……よく今まで問題になりませんでしたね。
確かに……セイバーンに残って細かい調整や判断を行う者は必要だったでしょう。
クロード様も勿論良くしてくださっていたのですが、セイバーンの地理や環境までもは流石に網羅されておられませんでしたし、公爵家と男爵家の違いというのも多々ございます。また、女中や使用人の統括などは専門外。麦栽培に関しての知識というのも、普通は貴族が把握する内容ではございませんからね。
そんな風に忙しく動いており、四の月も半ばを過ぎた頃、約ひと月ぶりにレイシール様がセイバーンに戻られました。
「長旅お疲れ様でした」
「うん。ハイン、途中の荷物合流、あれは良かったな」
「左様ですか。では来年からはあの形式で春を調整致します」
「そうしてくれ。それから……上手くいったよ」
「…………左様ですか」
何が。とは、おっしゃいませんでした。
けれど、それがロレン様のことであることは理解できました。
「そろそろ離宮も完成する。
だから、今年の冬の会合はアヴァロンで行うことになると思う」
「畏まりました。
領事館の方にも通達しておきます」
「うん。それから、俺たちの荷物、整理はお前に頼む。貴重品を預かっているから」
「承知致しました」
レイシール夫妻には長旅の疲れを流すよう風呂の準備ができていますと伝え、私は使用人に指示を飛ばし、荷物の片付け。
大移動でしたから、途中で入れ替えをしているとはいえ、結構な分量があります。
衣類をまとめて女中に渡し、宝飾品の整理を女中頭にお願いし、馬車の整備を指示し、その他細々した指示を飛ばしつつ、レイシール様のおっしゃる貴重品は書類だろうと検討をつけ、紙に巻かれ封印まで結び、厳重に管理されていたそれを手に取りました。
陛下からの密命等でないことは明白ですね。ほっと致しました。
あまり彼の方の無理難題を受けてこないよう一度注意しておく方が良いかもしれません。
そう思いつつ、その貴重品の中身を確認することにいたします。
私用に用意された文鎮と鋏を使い、封印を切り、中身を取り出しますと……。
中にあったのは皮表紙の書類挟み。
開きますと、そこにあったのは婚約証明と書かれた三枚の紙。
…………国の正式書類にするんですかこれ……。
若干頭痛を感じつつ一応内容を確認致しますと、ロレン様と私の婚約を認める旨が書かれておりました。
そして下部にロレン様の署名と、保証人として陛下の名が。
そして空欄があり、保証人にレイシール様の名が。
ご丁寧に王家とセイバーンの紋章印が押されておりまして、なんとも物々しいものとなっております。
これはこの空欄に私の名を刻めということなのですね……三枚ありますし……それぞれ書いて後日割印まで押すんですね……物々しいにもほどがございます。
「…………」
とはいえ、署名にはローレシアとありました。
それはつまり、ロレン様が私との婚約を了承したということで、レイシール様がおっしゃった通りの結果となった、ということです。
これは……将来的に、必ず婚姻を結ばせる。ということなのでしょうね……。
ロレン様だけではなく、女近衛となった方々を守るため、この形で前例が作られたということ。
多分、春の会合でそれなりに周知もされたのでしょうし、今後女近衛を私欲でこっそり引き抜こうとするような輩は行動しにくくなったはず。
陛下がそれだけ女近衛という職務を重要と捉えている証明ともなりますし、女性武芸者にとってはまたひとつ、立場の強化ができたことになるでしょう。
そして獣人の人権も、公に認められたという実例を作ったことになります。
書類にしたということは、これが今後ずっと、国の歴史に刻まれ、残される。
レイシール様に授かった私のハインという名と、彼女のローレシアという名が、歴史上の獣人・女性近衛として、残るのです。
……頭痛が酷くなる心地ですね。
そんな大ごとになることでしたか、これは……。
そう思いましたが、それでも望んだ結果であることには変わりありません。
彼の方は、私の身で守られる。女近衛であり続けることができるのです。
なので私は、この左手で署名しなければならないと……。
字の練習はしてきていますが、正直まだ見れたものではないのですが……。
とはいえ彼女の守りを完璧なものにするためには、この書類が完成されたものにならなければいけません。
溜息を吐きつつ書類を一旦戻し、私の部屋へ向かいました。署名をして、レイシール様にお渡しするために。
一旦鍵付きの引き出しに収納し、本日の業務を一通り済ませてから、夜。仕事を終えて部屋に戻り、署名をするため引き出しを開けました。
片手でも最低限の書類仕事ができるのは、サヤ様の開発した文房具類があるからです。
書類を挟んでおくための書類板に挟み、何度か雑紙に名を書く練習をしてから、署名していきました。
そして三枚目を、書類挟みから抜き取ったところ、最後の書類の下に、ふたまわりほど小さな紙があることに気が付きました。
「……?」
なんだろうとつまみ上げてみましたところ。
はいんへ ろーれしあよりふみをしたためる
うまに なんとなをつけるか なやんでいる
このこにみあうはたらきができるよう しょうじんする
また ふゆに
あと またかく
文というにしても、あまりに短い文面でした。
書くことにも、大変困ったのでしょう……もう会わない前提で、今生の別れをしたつもりでいたのでしょうし……。
ですが最後の二行。これはあまりに酷いのでは。
「……ふふっ」
この手紙を前にして、必死で悩む姿を想像すると、とても微笑ましく思えました。
ですが……。
彼の方が、私に初めて寄越した、彼の方の縁となるものです。
ロレン様がこの紙を前に何時間と思い悩んだであろうことは、鼻を寄せて嗅いでみれば明白。随分くっきりと匂いが残っておりますからね。
今回は、これで許してあげましょう。
◆
また冬が巡ってきました。
義足にも慣れた私の歩行速度は、健常者であった頃と同等までに回復しました。
不自由は多々ございますが、杖を手放せたことが私にとって随分と気持ちの改善に繋がっており、前ほどではないにせよ、肉体も健康な状態といえるものになってきております。
そして現在私の前に、頭を悩ます幹部一同と、腹を抱えて笑うテイクが転がっております。
「うーん……やっぱり眼帯しておくほうが、若干まし……かなぁ?」
「いや、あれ真面目に悪漢にしか見えませんって」
「じゃあ、少しこう……可愛らしいものにするとかどうだ。花を刺繍するとか、色を明るくするとかっ」
「いや絶対また違う意味で怖くなるだけでしょそれ」
「やめて……笑い死ぬ……笑死するよこれ…………呼吸、こきゅうできなひ……ふひひっ」
越冬を前に、新しい流民や孤児を引き取りました。
特に孤児らは、皆がセイバーンの子として書類上も処理されますし、セイバーン男爵家が後見人となります。
そのためレイシール様や私と関わる機会が増えるため、面通しをしておく必要があるわけですが……私の顔を見た孤児らが、あまりの怖さに泣いて逃げ惑う……という大事件が発生したのです。
アヴァロンの街中に逃げ出した子を見つけ出すのには大変難儀致しました。
なんとか事態を納めはしたのですが、その怖がりようは想像以上で、何か対策を講じなければとなったのです。
「夏に緊急で引き取った子ら、眼帯してたのに泣いてしまったものな……。
だから眼帯を取らせたのに、まさか眼帯が無いことでも泣かれるとは……」
そんなに怖いかなぁ? と、レイシール様。
皆はそんな主から視線を逸らし、怖い……よなぁ。怖いだろそりゃ……。怖いに決まってる。怖いっす。腹いてぇ……。と、各々考えている様子。
右眼が空洞であるうえに大きな刀疵が顔面を両断するように走っておりますし、他にも見える場所に傷が多々刻まれておりますからね……。
その上で右袖はヒラヒラ揺れておりますから、それはそれは異様に見えるのでしょう。
「傷だらけなのはシザーも一緒なんだけどなぁ」
どうしてハインだけ怖がられるのだろうと思い悩むレイシール様に、皆は苦笑するしかありません。
武官は良いのです。そういう職務だと皆が納得できますからね。
ですが執事は普通、そんな争いの場には立ちません。この胆力お化けには傷などなんともないのでしょうが、普通に生活している人は刃物傷だらけの者など犯罪者か山賊にしか見えませんからね。恐怖でしかありませんよ。
「まぁ幸いにも、その夏の子らも一応、慣れてくれたからな。時間が解決することなんだと割り切るしかないか」
そう言ったレイシール様でしたが、皆はやはり視線を逸らし。
慣れてるか……? 慣れてないよな……。いや、元の顔から怖いんだって。逃げなくなっただけマシだけれども。など、考えている様子です。
とりあえずテイク、いい加減笑いを引っ込めなさい。
結局色々話し合ったものの解決策など出てくるわけもなく……。
「可愛い動物のお面をつけるってどうでしょう⁉︎」
というルーシーの意見も全力で拒否しました。それだけは、絶対に、嫌です。
「まぁとりあえずこの問題よりもだな、冬の会合の件だよ。せっかくアヴァロンの離宮で開催される第一回目。
ここで、我々の研究の集大成を一度、発表しようかと思うんだが、どうだろう」
レイシール様のその言葉で、皆が表情を引き締めました。
これはつまり、今日まで研究を続けてきた干し野菜を、一般に流通させるため、下準備を始めるということです。
「まだ、確実に一年保てる品を作るには至っていない……。
だが、越冬の助けにはなるだろうし、長持ちしやすい食材も分かってきたからね。
無償開示までは難しい……。品質の保証ができないうえ、粗悪品が出回ると命に関わることになる。
だから、少し仕掛ける方向を変えようと思うんだ」
そう言ったレイシール様は「干し野菜を一旦、各領主へ卸す道筋をつけようと思う」と、仰いました。
「まずは、比較的保存期間が長く安定している干し野菜を、各地の越冬備蓄品として提供する形まで持っていこうと思っている。
そこから各家庭に、薪同様無償で供給する形を取る。
もちろん量はさほど出せない……それでも冬には貴重な野菜だからね。喜ばれるだろう。そこでまずそういったものがあるという周知を広げていく。
それと同時進行させるのが、各領地へ獣人の雇用を促し、その獣人をアヴァロンに派遣してもらい、嗅覚師や干し野菜生産者に育てることだ。
最終的には各地域で、干し野菜をある程度生産できるようになってもらうのが良いだろう。地産地消が最も経済的で、無駄がない」
干し野菜の質を高めるために、獣人の存在は必要不可欠です。
さして血の濃い者でなくとも人より嗅覚は優れていますから、干した野菜から水分がきちんと抜けているかどうかは、目視だけに頼るよりも断然確かです。
「獣人は獣ではなくなったとされているけれど、根強い偏見はまだ強く残っているしね……。国や領主が積極的に雇用するしかないのが現状だ。
とはいえ獣化できる者ばかりの雇用が増えてる状態だから、貴族側も獣人の特性を理解できていないのだと思う。
だから、積極的に獣人に適した職種というのを打ち出していくのが良いだろうと、陛下もおっしゃったんだ。
越冬食糧は直接命に関わることだから、粗悪品を作らせないためにも職人の質を維持したい。
彼らは職務に忠実だ……。そこに使命があれば、良いものを作ることに妥協はしない」
獣人の地位向上が、書面上だけになっているというのは、実際感じることでした。
この獣人が多く在籍しているアヴァロンであってすら、未だにそうなのです。
そして、レイシール様だけが、獣人に厚く信頼を寄せられているという現状も問題です。
この方はこの国にたったお一人。獣人と人を繋ぐ歯車がたったひとつでは、未来を支えるには力不足にもほどがあります。
「俺に万が一があったらそこで頓挫する……なんてことになってもらっちゃ困るからね」
冗談のように軽くおっしゃいましたが、笑えない冗談であることは皆が認識しておりました。
テイクすら笑いを引っ込めてしまうほどに。
「今回ハインのことがあって、獣人の地位は書面上だけのことでないと陛下は領主たちに示した。
だがそれが浸透するのをただ待っているのでは遅すぎるし、この二年でさほど意識改善が進んでいない現状を見るに、このままでは獣人の不満が燻り爆発するのが先……なんてこともありうる」
各地で獣人と人の衝突というものも起き、報告されています。
残念なことに死者の出る大きな事件となったものもございました。
それでも後戻りはできません。今更獣人の人権を無かったものにしては反乱すら起きかねませんし、もう先に進む道しか残っていないのです。
「まだまだ難しい局面が続くが、それでも前よりはマシだよ。
成果は小さいが、上がっている。越冬の食料を通して獣人の価値を更に広めるよう、動くぞ。
さしあたり……その冬の会合なんだよ。
そこで干し野菜を使った我々の武器、有償開示品にはまだ入れていない、新しい料理の試食会を開く」
それが、この笑い転げていたテイクがここに呼ばれている理由なのですね……。
「うちの命運と獣人の未来が掛かっている。期待してるぞ、テイク」
「うわ、むちゃくちゃ重っ」
「頼むからな⁉︎」
…………不安です。
遅刻しましたごめんなさいっ!
そしてコンテストも落選ですっ!
また詳しくは活動報告にてーっ。




