怪物
「ハイン、お前を執事長に任じたい。
セイバーンの運営を担ってくれる者は多くなったけれど、内を支えてくれる存在はまだまだ少ない。
実際、女中頭と兵士長はいるけれど、執事長が数年いないままだしね」
この方は何を言っているのだろうと思いました。
それこそ片足で務まるような職務ではありません。執事長は、領主の館の全てを知っておかねばならない立ち位置です。
「できません! 私は……」
「できるさ。
お前は今までだって、従者としての職務と合わせて、館の管理もほぼ担ってくれていたからね。
言っておくけど、もう女中頭と兵士長には確認を取って、賛成の言葉をもらっているよ」
「できませんよ、分かっていると言ったではないですか! 私はもう……ただ歩くことですら――」
「そこは、サヤが色々考えてくれている。動いてくれているよ」
いくらサヤ様とて、手脚を生やす手段など持たないでしょう⁉︎
そう叫ぼうと口を開きかけたと同時に、コンコンと扉が叩かれました。
誰が訪れたのか確認することもなく「入って」と促すレイシール様。そして入室されたのはやはり、サヤ様で……。
「お持ちしました」
「うん。ではハイン……お前に試してもらいたい試作品があるんだ」
そう言うレイシール様の言葉に促されたサヤ様が、胸に抱えていた包みを小机の上で広げますと……。そこにあったのは、何か面妖な、杯のような形をした竹籠でした。
おかしなことにその竹籠は、何故か木製の足を下部に持っているのです。これはまさか……。
「……義足?」
嘘でしょう?
「サヤは前から、ローシェンナの義足を気にしてね、研究を重ねてたんだよ」
それは知っていました。知っていましたが……。
それがこのような素材を使い、完成の形まで漕ぎ着けていることを、私は知りませんでした。
ローシェンナは義足となってから、随分と長い時を経ています。
その義足を使う身体を維持するために、重ねている努力や、費やす時間も聞いておりました。
ローシェンナも脚を失った当初は、私と同じく、身体を弱らせていたでしょう。
けれど彼女は獣化ができ、三つ脚となることが可能でしたから、合理的に身体を使い筋力を取り戻すことができました。
しかし私は獣化などできませんし、腕も脚も片方のみ。日常を暮らす最低限の身体を維持するのですら、難しい状態です。
実際、私にも義足をという話は、オゼロにいた時にも出ていました。
しかし義足を得るには身体への負担が大きいとされ、保留となっていたのです。
ローシェンナよりは脚の欠損範囲が小さいとはいえ、それでも結構な重さとなる義足を何度も持ち上げるような体力が、私には望めませんでした。
しかしこの義足は、主に竹と木で作られているよう。
強度は大丈夫なのか、ただ形を整えるだけのものなのか……?
なんにしても、不思議な素材の選び方であり、今まで見たことのない形状でした。
「ローシェンナもなぁ……彼女の身体能力だからなんとかなってるけど……正直色々、無理矢理な補い方だよ。
特に重さ。金属の脚はやはり負担が大きい。強度を考えれば仕方ないのだけどな。
それでも、まだ若いうちは良いんだ……。無理矢理が通せる体力もあるから」
そう言いつつレイシール様は、その竹製の義足を手に取りました。一部に紐が通され、縛る仕様であるようです。
「……強度を上げるために、細くした竹を複雑に編み込んでいるんだ。
だから金属のものより通気性も良いし、肌を痛める可能性も軽減される。
それにこの形状だと、体重をかけた時多少だが歪む。つまり、柔軟性も出てくるんだよ。
サヤの世界で、かつてあった形であるらしい。
とは言っても、実際に見たことも、触ったこともないって話だったから、秘密で試行錯誤してたんだ。
サヤは、この地に戻ったその日から、今日までずっと、これにかかりきりだった」
「だから、サヤの努力を汲んでやってくれないか」と、レイシール様はおっしゃいました。
その言い方は卑怯ですよ……。
不安そうに私を見るサヤ様は、必死の表情で懇願するように見つめてきますし、この方の涙は苦手なんです……。
「試作ですから、勿論不備もあるかと思います。でも、ちゃんと歩ける脚を形にしますから……!」
……貴女の努力を、疑うつもりはないのです……。
この方は、この世界に迷い込んだその日から、いつも誰かのために一生懸命でしたから。
ですが、筋力も衰えてしまっている私は、脚の太さひとつとっても変わりました。
「ちゃんと計算しましたし、調節もできるような意匠にしてあるんです」
必死でそう訴えてくるサヤ様に戸惑っていたのですが……。
「ハイン、お前は俺の、右手の代わりでいてくれるんだろう?」
レイシール様のその言葉に、ぐらりと心が揺れました。
私が手の代わりであるために仕えていると言った時、貴方は心底怒ったくせに……今更それを持ち出すのですか?
確かに、魂を捧げてそう誓いました。ですが私はもう……っ。
「それは無理だと、何度も、何度も言ったではないですか……!」
「無理じゃない。セイバーンの内情を、お前ほど把握してくれている者は他にいない。
言ったろう。第二のアヴァロンを北の地に興すって。
俺の業務は今まで以上に増えるし、管理が難しくなる。
だからこの地に残り、俺やセイバーンのことを把握してくれる者が欲しいんだ。
それを任せられるのは、お前以外考えられない。
それにね、俺には耳が必要なんだ。
人の事情も獣人の事情も聞き分けられる優秀な耳が。俺の聞こえない音をも拾ってくれる耳が。
ウォルテールやジェイドもいるけど、彼らは俺と一緒に各地を飛び回ってもらわなきゃならない。
俺は今唯一の、人と獣人を繋ぐ歯車だ。その役目をやり遂げるために、お前が必要なんだ。
頼むよハイン。
このセイバーンと俺を支える、文字通りの右腕になってほしいんだよ」
そう言ったレイシール様は、己の懐に左手を差し入れました。
「これを、受け取ってくれ。頼む……」
懇願するようにそう言い差し出されたのは、瑠璃の瞳の、狼を模した銀細工の襟飾……。
丁寧に彫り込まれた意匠はとても緻密で、毛の一本一本まで再現されているかのよう。
どこか遠くを見つめるような横顔。その狼の耳は、ピンと誇らしげに立っていました。
「執事長には、もう一つ兼任してもらう仕事がある。
アヴァロンの獣人の統括役だ」
「……ちょっと待ってください。それは今、アイルがいるではありませんか」
「そのアイルからの推薦」
初耳でした。
そんな素振り、彼は全く見せてませんでしたよ⁉︎
「アイルも俺と一緒に来てもらうことが多いから、前々からアヴァロンを離れなきゃいけない時、色々調整が大変だったんだよ。
アイルの把握していることは、お前も全て把握しているんだろう?
そして犬笛だってもう聞き分けられる。忠誠心も、己を律する能力も、采配を振るう技も、申し分ない。だそうだ」
……してやられた。
普段たいして言葉も交わしていなかったというのに、あの時あんな風に色々を聞いてきたのはこのためだったのか!
歯軋りしたい心地でしたが、眼前に突き出された襟飾が、またずいと私に迫ってきました。
「因みにこれ、片手で付けられるから。
針を刺すんじゃなくて、ぜんまいを利用した挟む構造」
左手のみのレイシール様が、そう言って親指をぐっと押し込むと、襟飾の裏の部品がパカリと開きます。そこをまた外側から指で押すと、パチンと音を立てて金具が戻りました。片手で開閉できるのは本当のようですね……。それは私に、手を理由に断らせないための方策ですか?
「ハイン……断るなら、まだ次の、断れない理由が出てくるだけだぞ」
「…………レイシール様……」
「観念してくれ。絶対に、俺はお前を得るよ」
にこりと笑い、けれどギラギラと闘志を燃やした瞳で、レイシール様はおっしゃいました。
何かを仕掛けるときのお顔をされていると、理解していたのですが……よもや私を得るためとは……。
「それにお前、ロレンのために結構な散財をしたよな?
仕事を得ないと、後々問題あると思うぞ?」
……まさかそれも断れない理由ですか。
私に馬格、白の馬を勧めてきたのも、計算ずく……。
その考えに至り唖然とした私に、レイシール様は更なる釘を刺してきます。
「まぁ、ロレンにやしなってもらうつもりっていうなら、とやかくは言わないけど……」
ちょっ、それは……何を前提にされてるのです……っ⁉︎
私がいない場所で、何を進めようと⁉︎
「…………はぁ……」
この方、手段を選ばなくなりましたね……。
誰の教育が悪かったのでしょうか。本当に、度し難い……。こんな主の手綱を握らなければならないとは、なんと荷が重いことでしょう。
ですが……確かに、これを誰かに任せるなど、できるはずもございません。
表情ひとつで相手を手玉に取ってしまうこの方は、細心の注意を払って監視しておかねば、何をしでかすか分かりませんから。
「………………後悔しても、しりませんよ……」
ただ認めるのも癪だったので、それを返答の代わりに致しました。
それなのにレイシール様ときたら。
「ありがとう!」
そう言って、心底嬉しそうに笑ったのです……。
◆
そしてその後聞かされたことに頭を抱えましたよね……。
「ロレンをお前の妻にする。
お前の生涯を賭けなければならないと言ったのは、それが理由だよ」
「なんの冗談です……」
「冗談なんてひとつも言ってないのに」
「冗談ですよ!
獣人が女近衛と番になるなど、誰が承諾するんです……」
レイシール様の計画は最低でした……。
いえ、何が有効かを的確に突いているとは思います、思いますが……それは、本人の承諾無しに進める話ですか⁉︎
「陛下はきっと了承するだろう。
女近衛の未来に、ありとあらゆる前例を用意したいって、この前も言っていたから」
もはや国の重役とみなされているレイシール様は、私の知らぬ一年でまた、発言力を強めている様子。
陛下とは元々懇意にしているということもあり、表沙汰にできない愚痴や問題も、色々聞かされているよう。
そして相変わらず、無理難題を押し付けられているのですね……。
とはいえ、「こればっかりは難しいと思ってたんだよ」と、レイシール様はおっしゃいました。
そうでしょうとも!
獣人と、陛下のお傍に侍ることが職務の女近衛を娶せるなど、正気の沙汰ではありませんよ!
「だから陛下は反対しない」
「陛下はそうでしょうとも! ですが、私はともかく、ロレン様は承知などなさいません!」
「すると思うよ」
その後の言葉は、サヤ様の手前、控えたのでしょう。けれど、レイシール様の瞳は、彼女はお前に身を許したろう? と、言っています……。
「……あれは、事情が事情だからでしょう……」
「別れの時、お前以外に女扱いは許さないって、言外に言っていたのに?」
貴方はそれ、聞いてませんでしたよね⁉︎
サヤ様を恨めしさのあまり睨みますと、困ったように眉を寄せて顔を伏せてしまわれました。
……くっ、この方に悪意など微塵も無いと分かっているだけに、責めにくくてかないません……。
「ロレンは、女近衛の職に誇りを持っているし、現状だって理解している。
女近衛を続けることができるという条件を飲めば、それだけで伯爵家との婚姻よりも価値が出るよ。
だから、憎からず思っているお前とだったら承知する。
お前の気持ちや、お前がロレンの職務を後押しする心算でいることは、贈り物の数々で伝わるはずだしね」
にこにこと笑顔で語っていたレイシール様でしたが、そこで幾分か真面目な表情を取り戻しました。
「それにね……こうしなきゃならないんだよ。
ロレンは貴族の妻となることに緘口令を敷かれているから、自らの口で陛下への密告などできやしない。
地元に戻れば、彼女の意思なんて関係なしに、即座に職を辞す手続きが進められることになるだろう……。
だがそれが、ロレンの本意ではないと、陛下に伝わる形を取れていたなら、陛下も動ける。
伯爵家からの打診より前に、ロレンが陛下の極秘の任務を賜っていて、自ら職を辞すなどあり得ない。という状態を作れば良いわけだ」
ですがそれには無理があると思いました。
昨年の春よりロレン様は王都に戻られていたのです。獣人と関わる時間なんて無かったと、彼女の勤務実績を確認すれば簡単に分かってしまうでしょう。
けれどその指摘にレイシール様は。
「何を言ってるんだ。昨年の冬からの密命だよ。
彼女は獣人と俺の保護の密命を受けてオゼロに出向いた。その密命にはもうひとつ、獣人と接して彼らの真意を探り、友好的であるならば種の理解を深めよというものも含まれていたとするんだよ。
そして陛下の命のもと、彼女はオゼロで、保護したお前と越冬したんだ。
本来は交流だけのつもりだったんだけどね……いつしかお前たちは惹かれあった。
離れてからも、文のやりとりを続け、今日まで関係を育んできたんだ。
そしてそれは陛下にも報告され、大いに喜ばれていた。
人と獣人が手を取り合い、愛し合うんだ。それはフェルドナレンの明るい未来を示唆する、喜ぶべきことだからね。
けれどお互い生涯を捧げると決めている職務があるから、婚姻はお互いが落ち着いてからと話し合っていたんだよ。
もちろん陛下もそれを了承していて、人と獣人という関係に横槍が入らぬよう、細心の注意を払うため、表には伏せられたんだ」
流れる水のように滔々と語るレイシール様。
なんなんです……その捏造甚だしい物語は……。
この方はクオン様からもかなり悪い影響を受けてしまったようですね……。
「それが急に職を辞して故郷に帰るなんて言い出すんだから、陛下は慌てるだろう?
お前と喧嘩でもしたのかと、俺に連絡が来る。
俺もお前もそんなことは知らない。
なにより彼女の職務を後押しするために、お前はありとあらゆる手段を行使しているんだ。
彼女との関係が悪くなったとは思えないし、もちろん自覚もしていないよな。
と、なると……地元。ヴァーリン公に確認してみることになるわけだ」
どんどん上役を巻き込んでいくのですね……恐ろしい。
「女近衛という役職は人員不足だし、陛下の身を守るために大変重要な役職だ。
だから、上位貴族人の中では、彼女らの職務を妨害してはならないと、示し合わせてある。
それを伯爵家が、無視して後継確保のために得ようと動いた。
しかし調べてみれば、第三夫人は身重だろう? 優先されるべき重要性が高い問題は、どちらだろうな?」
勿論、この方は敢えてことを大きくしているのでしょう……。
伯爵家が言い逃れできぬよう、ことが有耶無耶にならぬよう……ありとあらゆる逃げ道を塞ぎ、潰して、彼らを逆に、罠に嵌めるつもりなのです。
「秘密には秘密をぶつける。
厄介には厄介をぶつける。
地位には更に上位の地位をぶつけるんだよ」
そう言ってにこりと笑ったレイシール様は、天使のように美しく、悪魔のように狡猾で、なんとも恐ろしく感じました。
「多分これでなんとかできると思う。
ロレンを一人で伯爵家に立ち向かわせるなんてしないさ、俺の大切なハインの、妻となってくれる人だもの」
自身を怪物だと思っていない怪物が一番怖いですね……。
何せ油断などしませんから。
ありとあらゆる可能性を潰し、絶対に勝ちをもぎ取りにくる……。
「…………私に選択権はないのですね……」
悪あがきと分かっておりましたが、言わずにはおれませんでした。
しかしレイシール様はその美しい笑顔のまま、こう宣ったのです。
「お前さっき、私はともかくって、言ったじゃないか。
あれが答えだと俺は受け取ったんだけど?」
やはり……言うだけ無駄でしたね。
「お前は執事長となったから、このセイバーンの地を離れることはできない。
だから、伯爵家もお前に手出しできない。
ロレンの危惧したことも対処できる。
ほら、これが一番良い方法だ。
だからハイン、腹を括れ」
どうせ逃れる術もないのですよね、分かってます。
「……畏まりました」
もうなんだって良いです。好きにしてください。
ギリギリ、セーフ!




