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【外伝】残された世界の……

今回の主人公……都築要つづき かなめ

「あの、大丈夫ですか?」


 電車の中、(うつむ)く女性にそう声をかけたのは、頭の片隅で警鐘が鳴ったからだ。


「貧血ですか? 顔色が良くない。一旦下りた方が良いと思う。

 手を貸しますから、こちらへどうぞ」


 そう言うと、ギチギチの満員電車にほんの少しのゆとりができた。

 その女性の周囲にいた男性らに視線を走らせると、俺と目を合わせないように意識しているのか、全くこちらを見ようともしない。

 ふらりと体を揺らした黒髪の女性は、蒼白な顔のまま、涙目で俺を見る。


 大丈夫。分かってる……。

 だけど、騒ぎにしたくないと思っているかもしれないから、まずは確認。


「それとも急ぎですか? 最寄りの駅までご案内しましょうか?」


 極力怖がらせないようにと、そう声を掛けると、女性はふるりと弱々しく首を振った。

 気の小さそうな、下がり眉。細い首、握り締められて、小刻みに震える手。

 社会人……就活生? スーツが見事なまでに似合ってない……。

 それでなのか、だからなのか……。理由なんて分からなかったが。


 抵抗しいひんなら承諾したも同然とか、そないなわけあるか!


「そうですか。じゃあここどうぞ」


 強引に確保した扉横の角の空間に、女性の腕を握り、引っ張り込んだ。

 少し足元をもつれさせた女性を支え、直ぐに手を離して両腕は壁と、手摺りに回す。

 全身を使って空間を確保して、人混みを背中に背負った。


「駅まで、楽にしててください」


 俺を見上げる、不安そうな表情。

 俺すら不審に思っているのは分かっていたけれど、それは当然だろうと思うから、他意はないと示すために両腕を上げたのだ。

 この人混みで、男に囲まれて、知りもしない、誰かも分からない相手に体を弄られてたんじゃ、そうなるよな。


「立っておくのが辛かったら、しゃがんで」


 そう言い懐中から取り出したハンカチを渡すと、女性は涙目を伏せ、口元を隠してこくこくと頷いた。

 とりあえず、俺を信用するつもりにはなってくれたようで、快速電車の停まる二つ先の駅まで、その態勢を維持して女性を守るに徹する。

 べつに……慈善活動じゃない。これは、俺にとっての日課だった。


 ◆◇◆


 駅で共に下車して、ホームの壁沿いのベンチに女性を誘導してひと心地。

 それから二つ三つ、通過していく電車を見送っている。

 女性の手は、俺のジャケットの裾を握って離さない……。

 本当は誘導だけして直ぐに退くつもりだったのだが、女性の手が離れなかったので、仕方なしに隣に座って、待っていた。

 まぁ、俺も別に急いでたわけじゃない。

 今日は幼い頃行方不明になったままの幼馴染の、形だけ行われた葬儀に参列した帰りだった……。

 本当は家族だけで行うはずだったろうそれに俺が呼ばれたのは、その当時俺が、そいつと付き合っていたからだろう。

 もう遠方に移り住んで久しかったのに、わざわざ連絡をくれた。その変わらぬ声に、後ろめたさから、参加すると伝えて有給を取った。

 今日も緊張したけれど、にこやかに迎えてくれ、どこか穏やかな仮葬儀を見守った……。

 遺体も何も無い、ただ形式だけの、存在がもうこの世に無いことを認めるだけのそれを。


 その帰りに偶然、彼女が痴漢に遭っているのに気づいてしまった。

 だからこの人を、放置できなかった。


 分かるんだ。あいつもそうだったから……。

 俺よりよほど身を鍛えて強かったくせに、こういったことには抵抗できなかった。

 恐怖が記憶と体と思考を縛り、身動き取れなくなってしまうのだって……あの時、理解できていればと……。


 あの当時はイライラして、ガキだったなと思う。

 そうなって然るべき経験をして、本当は男全般怖かったのに、それでも俺の恋人になってくれた。

 手すら握れなかったけれど。

 それでも一生懸命、応えようと、してくれてたのにな……。


 なんとなしに当時を振り返っていたら。


「あの……ありがとうございました」

「いえ。たいしたことはしてないので」


 やっと口を開いた女性に、そう言う。

 本当は犯人を見つけて引きずり下ろせば良かったのだろうけれど、いまいちどれが犯人か分からなかったし、現行犯じゃねぇとな……。


「……あの、申し訳ありませんでした!……あ、貴方の予定を私……」

「ん?」


 急に慌てたように口調を乱した女性。

 視線の先を追い、俺が黒いスーツに黒ネクタイだってことに、慌てたのだと理解した。


「あぁ、大丈夫、帰りなん……で」


 そう言い隣を見て。


 心臓が止まった。

 今まで意識してなかったその女性が、あまりに…………。


 に、似て……?


 いや、錯覚だ。髪型と上目がちな視線が重なったのは単なる偶然、日本人なんて誰も似たようなもんだ。

 ほら、よく見ろ。あいつは目元に黒子なんてなかったし、背だってもう少し高かったし、こんなに華奢じゃなく、そもそも鍛えすぎて筋骨隆々つか、あまりに背筋がしゃんと伸びてて、まるで、俺なんか必要ないみたいに、ひとりで立てると言ってるように、見えて……。

 頭が良くて、武術にも()けてて、家事も何もかもそつなくこなして、凛としていて……。

 そのくせ、弱くて脆くて…………傷つきやすい。


 今なら分かる。

 あれは全部、あいつの虚勢だった。

 幼い時の恐怖を克服するため、俺を怖がらないようになるために、必死で何もかもを掴みにいっていただけだ。

 俺が引っ張り込んだ、興味も無かった道場なのに、真面目に通って、怠けもしないで、強くなれば怖くなくなると信じて、ガキだった俺の安直な言葉に縋ってただけ。

 なのに俺は、いっつも俺の挙動に気を張って、神経を使って……顔色を読もうとする様子にイラついてた。

 触れれば飛び上がって身を固める。恋人という言葉におかしなほど神経質になる。そのことにイラついて、余計あいつを追い詰めてた。

 俺のためにそうしてる。分かってたのに。

 日々勝てなくなっていくことに焦って、その結果怪我をして、もう守れないと勝手に決めて、荒れて。

 気持ちと衝動を押し付けて、怖がらせて。

 道場以外で顔を合わさなくなって、学校でも無視するようになって、結果……。


 姿を消したあいつがどこに行ったのか、全く見当がつかないくらい、あいつを見失っていた……。


 それくらい、あいつを突き放していたことに、愕然とするしかできなくて。

 何日も後に、鞄だけが雑木林の中の、泉の側に落ちていたのが、交番に届けられて発覚した。

 一応水底も漁ったけれど、何もあがらず……。

 そのままもう、十年…………。


「一応ねぇ、もう区切らなあかん思うてね。多分……その方があの子の気ぃも楽になるやろかって。

 せやから要、あんたも区切り。

 そもそもがあんたのせいでもなんでもない。原因も何も、分からへんのやしな」


 そう言った婆さんの言葉に、なんで俺はホッとしたんだ……。

 支え合って俯くあいつの両親に、なんで後ろめたい気持ちになった。

 なんで諦められないって、言わなかった。

 あいつが死んだって、思えるはずない。あんな風に会えなくなって、思って良いはずない。

 ないはずなのに……。


「あっ、あのっ⁉︎」

「……気にしないで。

 ちょっと……なんか面影が、似てる気がしただけなんで」


 目の前の女性は、違う。

 そもそも年齢が違う。

 あいつは俺と同じ、生きてればもう二十七。今日……二十七に、なっていたはず……。


 そう思ったら、もう。

 俯いて目元を手で隠した。

 見ず知らずの女性の前で何やってんだ俺。そう思うと、笑うしかなかった。


 想像してなかったんだ。

 急に失うなんて。

 毎日顔を見るのが当然で、日々が続くのが当然で、イラつきながらでも、お前と接することができる男は俺だけだってことにあぐらをかいて。

 事件性はない。争ったような形跡も何もないからと、そう言われた時はホッとした。もしあいつがまた酷い目にあったのだと思うと、耐えられなかった。

 だけど次に、血の気が引いた。俺が原因じゃないかと思ったからだ。

 あいつを追い詰めたのは、俺だろうと、確信を持っていたから。


 優しくできないなら、離してやれば良かった。

 なのに、それすらできなくて。

 あいつが行方をくらませたのは、俺が……っ。


「あの、これ……これどうぞ!」


 急に視界に、水色の四角が突き出された。

 涙でぼやけた視界でも、それはまぁ可愛らしい、クマの散りばめられたハンカチだと分かる。

 あいつなら絶対持たない。

 可愛いものは好きなくせに、似合わないと恥ずかしがる。

 そして選ぶものは、もっぱら使えて、シンプルで、だけどきちんと良いもの……長く大切にできるもの。

 本当は好きな可愛いもの…………俺が、買ってやれば良かったのに。

 そんな店に入るのはプライドが許さなくて、見て見ぬふりをするだけだった。


「すんません。なんか変なことになって……」

「いえ、私が貸してもらいましたから、ないですよね、ごめんなさい……」


 ……ハンカチの謝罪だと思われたようだ。


「あっ、あの……わたしっ、気が小さくて……いつも言えないんです。

 車両変えたり、時間を変えたり、色々しても結局、またいつの間にか……。

 私が悪いんだって、分かってるんですけど……オドオドするから、あんな…………。

 だっ、だから、助けていただけて、あの……ごめんなさい、手を煩わせてしまって。申し訳……」

「謝ることじゃない。

 貴女が悪いんでもない。

 言えないのも、当然と思う。……ああいうのは、男でも言い返せないもんですよ」


 警察官(このしごと)に就いて、そういうものには男でも合うのだと知っている。

 そしてやはり、口を閉ざしてやり過ごそうとするのだと、理解している。

 人は、己を他人に土足で踏み躙られれば、恐怖に身がすくむようにできている。

 そして悪いのは、それにつけ込むやつだよ。される側じゃない。


「………………え。貴方も痴漢に⁉︎」


 吹いた。

 ゲホゲホと咳き込んで呼吸を乱した俺の背中を、女性が慌ててさすってくれる。


「いやいや、一般論っつか、取り締まる側の仕事なんで、前例知ってるっていう……」

「そっ、そうですよねっ。

 すごく立派な……筋肉、してらっしゃいますし……」


 背中を撫でてくれたのは有難いが、そこから導き出される言葉がそれ……?


 ……この娘、なんか天然だな……。

 微妙にズレてるっていうか……。


 笑えた。

 慌てる女性には申し訳ないが、なんとなくそれで、気持ちが軽くなる。

 あぁ、あいつとは違う子だ。全くの別人……。それが良く分かった。


「と、取り締まる側……て、警察の方……?」

「あぁそう。まぁ、お巡りさんですよ」

「全然、気づきませんでした……」

「そりゃ非番だしね。……さっきも、されてるのは分かったんだけど……位置的にちょっと誰が犯人特定できなくて、申し訳ない」

「いえ、いくらお巡りさんでも危ないです……複数、だったので……」

「………………マジで?」


 つい真顔になってしまったら、その子は俯いて「はい……」と。

 そして、何故かいつもそうなるのだと、声を振るわせる。

 車両を変えても、時間を変えても、大学を卒業して、路線が変わっても……。


「警察には?」

「い、一回……だいぶ前に、勇気を振り絞って行ったんです……けど…………。

 その……勘違い、じゃないの、かって……」


 どんどん声が萎んでいく女性。

 そんな話が多いのは知っている……。証拠不十分とか、冤罪とか、色々なことを考えて警察側が引きがちな現実も。

 だがそれは、あまりにもおかしくないか?

 警鐘が鳴る。頭の中で。これは放置してはいけないやつだと、俺に言う。

 守れなかったかつての恋人への、贖罪の気持ちがそうさせるのか……この手の話に関わった件数が多いゆえの、経験値なのか。


「…………今、急にこんなこと言っても困ると思うんだけど……。

 ちょっと話を聞かせてもらえるかな。下手したら数時間かかるし、嫌なことも聞くと思うが……このままは良くない」


 そう言うと、条件反射のようにこくりと頷く女性。

 けれど不安そうに眉を寄せるから、心配しないでと意識的に表情を和らげ、言葉を続けた。


「この近くなら信頼できる女性警察官がいる署がある。だからまず、彼女に繋ごう」


 幸いにも俺の管轄区域内には戻っているし、実際に助けたのが俺だ。検挙率的にも任せてもらえるだろう。

 何より一応、被疑者を目にしていることになるわけだし。

 携帯電話を取り出して、懇意にしている女性警察官の番号をプッシュした。


「あ、都築です。おひさし……あぁ。そうまたそれなんですけど。

 …………すいませんねぇ……知りませんよ。別に嗅ぎ分けてるわけでもなんでもないんで。

 で。今近くの駅で、二十分もあれば行けると思うんですが……」


 即座に動き出した俺を唖然と見上げる女性。

 けれど電話口の彼女に、それで被害者の名前はと聞かれ、まだそれすら確認していなかったことに気付いた。

 やっぱりいつもと調子が違う……そんなことも聞き忘れていたとは。


「行き着くまでに聞いておきます」


 そう言って電話を切って、懐中から警察手帳を取り出す。彼女に俺の身分を示すために。


都築要(つづきかなめ)と申します。所属は今ちょっとややこしいから省きます。

 それで……歩きながらで良いので、名前等、教えていただいても?」

「ひゃぃ!」

「今更慌てなくても……。お互い涙を見せあった仲ですし?」


 そう言って茶化すと、少し表情を崩し、ふにゃりと笑ってくれた。その幼さの目立つ笑顔に若干ドキリとする。


「答えたくないことは答えなくて良い。私が無理なら、これから連れて行く女性警察官に伝えてくれたらそれで」

「いえ……貴方なら、大丈夫です……。

 名前は、小野……小野小夜歌(おのさやか)。……二十二歳です」


 名前まで似てるとか、やめてほしい……。


「…………ご職業は?」

「……え、絵本作家、新米です」


 そう言って、もじもじと視線を彷徨わせてから、上目遣いに俺を見上げてきた彼女に……かつての恋人が、また重なった。


「小野、小夜歌さん……。前回の警察官の対応については、私が謝罪します。

 だが、今度はそうはしない。貴女は被害に遭っていた。勘違いなんかじゃないと、私が証明できる」


 今度は、守る。

 もう絶対に、手を離さない。

 今度こそは、守るから……。


 ◆◇◆


 で。

 丁度地域課から生活安全課へと移動になったはじめの仕事がこれとなり、仕事まで引っ提げてくるとはなんと有能かと茶化された。

 その当時、地域の派出所勤めだった俺の、痴漢検挙率は群を抜いており、それを買われての引き抜きで、丁度移動のため、色々ごちゃごちゃしてた時期だったのだ。

 話を強引に進めていた上司もご満悦で、その仕事は願い通り俺に割り振られ……。


 調査の結果逮捕したのは、彼女が友人だと思っていた同大学卒業生であり、当時所属していた同好会の先輩だった。

 彼女の部屋にも何度か訪れており、その時に盗聴器を複数個仕掛け、誕生日にプレゼントしたブランドバッグにGPSを仕込み、隙を見てこっそり合鍵まで作っていたというこの男、つまりまぁ、ストーカーだったわけだな。


「キモすぎる……動機までもがキモすぎる……」

「まぁだいぶアレだったなぁ……」


 その先輩は別に、小夜歌さんの恋人でもなんでもなく……。親しいと言うほどもない、友人関係でしかなかった。

 出会った時から彼女のことが気になっており、あちらからアピールしてもらおうと躍起になっていたという。

 そのため彼女を追い詰めようと、生活スタイルを盗聴やGPSを駆使して分析し、彼女の情報を流し、痴漢しやすい女と吹聴した。

 更に彼女が乗る電車に同乗し、縋ってくる機会を待っていた。

 俺と小夜歌さんが出会った日も、同じ車両に同乗していたそうだ。


 いや、分からん……なんで告らない? アピールしてもらおうってなんだそりゃ。と、叫ぶ俺に、報告内容を伝えてくれているのは、いつも頼りにしている俺の上司。あの時はまだ上司じゃなかった、頼れる女性警察官こと、相良殿である。……幼少の頃から面識があって頭が上がらない……。


「だいたい意味が分からんっ。なんで好きな女を痴漢させてんだこの馬鹿は!」

「自分に泣きついてほしかったんだそうだ」

「さらに意味不明! そこまで仲良くなかったろ⁉︎」

「彼女は知人程度の認識だったからなぁ……。

 そもそも異性には相談しにくい案件だ。そこにすら思考が行きつかなかった。

 けどまぁ、そのうち痴漢されてる彼女を視姦するのが興奮するとなったようでな……」

「アアアァァァァぁぁぁぁぁああああ」


 もう聞きたくない! なんだその変態っぷりは!

 痴漢されてる様子を人まで雇って陰ながら撮影させたりもしていたのだそう。

 親の会社である結構大手の企業に勤めるエリートだったのだが、人はストレス溜めるとろくなもんにゃならない。


 まぁとにかく、その奥手で世間ズレした狂気の沙汰ででしかない思慕の念は全く届かず、小野小夜歌さんはその男ではなく、偶然乗り合わせた通りすがりのお巡りさんに泣きついてしまった。

 怪しまれないためそのまま電車に乗ってその場を去った男は、GPSが警察署を示したことに不振を抱いて警戒を強めたそう。


 そして彼女の行動が予測されてる節があるのを分かっていた俺は、色々を違和感ないように時間を掛けて準備し、まずは彼女の彼氏になった風を装って部屋を訪れ捜索、盗聴器を複数個見つけ、いくつかは処分。そしてどうもカバンも怪しいぞと、デートを装って呼び出した時に確認し、縫い込まれた端末を発見し……。

 星を釣ることにして、デートの予定を立てたふりを装い、残してあった盗聴器から情報を流した。

 指定の日の部屋を空け、小夜歌さんにGPS付きの鞄を持たせて外出させて罠を張った。

 焦った男は彼女の部屋の盗聴器を回収しようと、合鍵を使って部屋へと忍び込み…………お縄となったわけだ。勿論、潜伏していた俺の手で。現行犯で。

 小夜歌さんは俺に変装したこの上司に頼み、鞄は別の仲間に持ち歩いてもらっていた。


「にしても都築……今回はお前、体を張ったなぁ……」

「……仕方ないでしょうが。それが一番安全且つ早いと思ったんで……」


 ちょっとドジを踏んで負傷してしまったのはいただけない結果だった。あんなヒョロいののテンパった攻撃をもらってしまうとは……焼きが回った……。

 だけど待ち伏せ役を買って出たことに後悔はしていない。

 この手の輩は陰湿な上にしつこいから問答無用なのが一番じゃないっすか。……若干逸脱した調査だったかもしれませんが。

 それに……小夜歌さんはそんな陰湿な行為に長年晒されてきて、心身ともに参っていたのだ。彼女の今後も考えれば、必要なことだと思った。


 そう説明したのに上司ときたら、なんか凄い悪い顔でせせら笑い……。


「はぁん、誤魔化すってことは怪しいよなぁ。

 ……そういえばお前、この前非番の日、小夜歌ちゃんと駅前に書店巡りデート行ってたって?」

「あんた俺にGPSかなんか仕込んでんのか」


 ついそう言うと、ケタケタ笑ってスマホを見せられる。その小夜歌嬢からつらつらと並ぶ報告…………。


「ダダ漏れじゃねぇか!」

「小夜歌ちゃん悩んでたぞぉ? お前が敬語やめてくれないって。

 年下なのに。居た堪れないっ。名前だって未だ苗字でしか呼んでくれないっ。あれぇ? 私には小夜歌さんって言ってるの、聞いてるんだがなぁ?」


 この上司……っ。


「私のために怪我させて本当に申し訳ないっ。どうすればお詫びになると思いますか⁉︎」

「職務です!」

「……って言ってお詫び受け取ってもらえませんでした! どうしよう、怒らせてしまったかもしれません、嫌われてしまったかも⁉︎」


 読み上げんなっ!

 ヘラヘラ笑いやがってこいつは、ほんとイカれてやがるっ。


「のらりくらり……退院させてもらえないのはあんたの差し金かよっ」

「明日には退院できるじゃないか」


 そう言いつつ、本当はもっと休ませたいんだがなと言うが、顔は言ってない……明らか楽しんでる……。


「そもそもお前一人暮らしだろ。身の回りのこととか帰っても困るだろぉ?」

「困りませんガッ! 全部自分でやってんだよ普段からっ」

「え〜、片手で? 食事は? 洗濯は? 無茶すると長引くぞ?」

「コンビニでもデリバリーでもクリーニングでも、なんだって利用できますんでね!」

「制服のクリーニングはやめろ。いろいろ問題が起きかねん……」

「俺ら基本スーツだろうがっ!」


 おちゃらける上司に噛み付くも、暖簾に腕押し状態で疲れるだけだった……あぁもうやだこの人ほんとやだ!

 なまじっか、ガキの頃から面識があるだけにやりづれぇ! 全部知られてる……最悪だ。なんで俺引き抜きを受けちまったんだ。

 だが不貞腐れた俺に、上司は敢えて、踏み込んできた。


「……もう良いのじゃないか。十年前の恋人への義理立ては。

 葬儀だって、行ってきたんだろうが。

 あちらさんはお前のこと責めたのか? 私には……お前を気にする手紙が届いているが」

「…………分かってるでしょう」

「あの方はそうだな。だからお前の踏ん切りのため(・・)に、葬儀を行なった。

 手紙にも、いつまでもお前を束縛したくない。幸せになってほしいと綴られていたぞ」


 十年経っても変わらず……矍鑠(かくしゃく)としていた婆さんは、相変わらずしゃんと背筋を伸ばしていた。

 随分細くしわくちゃになってしまっていた……孫を突然失った悲しみは、人一倍感じているのだろうに。

 心配させまいと、俺にしゃんとして、みせてくれたのだろう……。


「こういう言い方はあまり好かんが……小夜ちゃんの葬儀に行って、小夜歌ちゃんと巡り逢ったのは……偶然かな?

 私には、小夜ちゃんが、お前たちを巡り逢わせたように感じる。雰囲気も少し似ているな……名前も」

「は? 全く似ていませんが」

「何が違う?」

「性格も、行動も、全く違いますよ。小夜は何でもかんでも、全部自分でできるやつだった」

「しっかり者だった。逃げない子だった。強い子だった。そして弱さを見せまいとする子だった……」


 続けられた言葉に俯くと……。


「だけど小夜歌ちゃんは、手助けがいる子じゃないのか? そのうえお前を必要だと思ってくれている。

 お前だって結構惹かれてるんだろう? そうやって彼女を意識して、呼び方を変えるくらいにな」


 この数ヶ月を共に過ごして……小夜歌さんがもう、保護対象として認識できていないことは、自覚していた。けど……。


「あんなん、吊橋効果でしょうが。彼女は別に俺を好きなわけではないでしょう……」

「……それは、当時の小夜ちゃんがお前をどう思ってたかも、自信が無いってことか」

「…………」


 触れられもしない恋人でしたからね……。

 あいつは俺に助けられたと思っていたから、それできっと……。


 ふむ。と、腕を組んだ上司は、そこでこてんと首を傾げた。


「だが、吊橋効果の効力はせいぜいその日のうちだけだぞ。あれは続かん」


 …………え、そうなの?


「小夜歌ちゃんは、お前に会うたび心臓が痛いと報告して来る。あれはお前を好きでたまらんからだろ。

 そりゃ、窮地を救ってくれた王子様だものなぁ。初めは勘違いだったかもしれんが、今は本気だろ。

 じゃなきゃ……毎日ここに来て、扉の横で数時間待ちぼうけなど……」

「びゃっ⁉︎」


 言われた言葉に変な悲鳴が返ってきて、扉の方を見た……。

 うっすら開いてやがる……っ、このっ、クソ上司!


「い、言わないって言ったのにーっ!」

「そんなん状況次第だ。ほら、さっさと入れ!」

「やだーっ、顔べちゃべちゃなんです、直してきますーっ」

「誰も気にしてない」


 結局上司の腕により、強引に病室へと引き摺り込まれた小夜歌さんは、涙でベシャベシャの顔を可愛いウサギ柄のハンカチで隠してしまった。

 小夜は絶対に着なかった、ふわふわひらひらした可愛らしい服装で。一生懸命におしゃれして……毎日って、一日も見てない……。


 勿体無いことをしたな……。


 そう思ってしまった俺の心情に、俺もだいぶやばいと自覚する。

 そしてクソ上司ときたら、その子を強引に俺のベットの横に引っ張ってきて、パイプ椅子に座らせた。


「じゃ、私はそろそろ戻るんで、後よろしく」

「っ⁉︎ あんたマジで鬼か!」

「愛のキューピットだろ、感謝しろ」


 ひらひらと手を振って、さっさと退散していきやがった!

 ここまであからさまに言われてはもう誤魔化すわけにもいかず……。


「あの人に全部報告するのやめた方がいいですよ……マジ鬼畜なんで」

「だっ、だって他に、相談する人、いなくて……」

「いや、あの人に言うくらいなら俺に直接言ってくれませんか……」

「…………俺⁉︎」

「敬語。やめへんって相談したんやろ」

「方言⁉︎」


 どこか噛み合わない会話にあああぁぁっと、髪の毛を掻きむしった。


「これが一番素ぅで……。普通に喋ると方言強うなるんや……」


 どこから話を聞かれてるか分からへん……したらもう、誤魔化すだけ墓穴にしかならん。最悪や……。


「若い頃、よくヤンキーや言われて……口調は気ぃつけとったんや……。仕事柄、特に」


 あの頃の俺は、チャラついてて、髪も染めてた。あいつの横に並ぶ自分に、自信が持てなくて……精一杯の、虚勢を張って。


「……昔の話、ちょっと、聞いてってくらはる……?」

「はい……」


 あれは失敗だったと、今は分かるから……。

 もう、失敗も、後悔も、極力したくない。


「……幼馴染やってん。この前、葬儀に行った相手な……」


 だから、言葉を紡ぐことを、俺は選んだ。



 ◆◇◆◇◆



 最近、恋人の様子が妙だ……。


 絵本作家をしている小夜歌は、仕事部屋に引き篭もることがよくある。一ヶ月マンションの敷地から出ないとか、放置してるとマジザラで起こる。

 俺も仕事柄休みがバラつくし、緊急の出勤なんかもあるから、あまり構ってやれない。遠出とかもできないのだけと、彼女は基本引きこもっていられれば幸せで、あまり外出を好まないため、もっぱら家の中で過ごす時間が多かった。

 なのに、最近ちょくちょく出かけているようなのだ……。


「浮気かっ」


 嬉々とした笑顔で食いついてきた上司に。


「そーゆーことできる奴じゃないって知ってんでしょうが……」


 分かってて茶化してきやがるからほんと腹立たしいのだが。

 その上司にこのことを伝えたのは、この人になら報告が入ってるんじゃないかと思ったからだ……。

 小夜歌はこの人を何故か凄く信頼してて、何かあれば連絡しているし、非番の日にお茶に呼び出されたりしているらしい。

 まぁつまり、あいつが出かける貴重な事例のひとつだったから確認してみたのだが……ハズレか。


「……気になるんですよね……そもそもコソコソできるタチじゃないのに」

「まぁな。あの子は色々ダダ漏れだ」


 俺の誕生日が近いわけでもなし、あいつの誕生日も近くない……。無論この鬼畜上司の誕生日も終わったばかりだ。


「聞けばいいだろう」

「聞いたんですよ。でもすっごい不自然にはぐらかされました」

「おやぁ?」

「それで明日、俺急遽出勤になったことにしといてもらえますか?」

「任せろっ! 私の方からもあの子に謝罪メールしておこうっ」


 ノリの良い上司で助かります。


 あのメルヘンの世界に体半分浸かってるような恋人が、浮気するとは思ってない。

 けれど、なにかと変なものを引き寄せる性質なのは知っている。

 例えば変質者とか、ストーカーとか、宗教とか、お水の世界への勧誘とか……。

 結婚を控えた恋人が警察官ってことで、何かあったら俺に相談すると言え。職業も伝えろ。と、懇々と教え込んで、ここ最近被害は減っていたのだけど、今度は何を釣ったんだ?

 そんなわけで、スーツを着て何食わぬ顔で出勤したふりをして張り込みし、現場を押さえました〜。

 なんか怪しい小太りの男と、このご時世に喫茶店で、机の上に書類やら本やら積み上げてコソコソ語り合っておりました。

 その机にダン! と、手をつくと、ビクリと跳ねた二人。

 視線が揃ってこっちを向くから、にっこりと笑ってやりました。


「……っ……要、さん……」

「はい。なんでしょう?」

「お仕事は?」

「終わりました」


 今日のお仕事、恋人の尾行だったんで。

 そしてぐっと眉間に皺を寄せて、男の方を見る。

 四十代前後。小太り。挙動不審。なんかバイブ始まってる……って、ちょっと。誰この人は。


「誰?」

「へ、編集さん……」

「いつもの人じゃないし、担当変わったって聞いてない」

「そ、それは…………」


 しどろもどろ視線を泳がせる恋人に、ちょっと腹が立ってきてしまった。

 ここまでしてまだしらばっくれる⁉︎

 しかし先に……。


「ああああ、あの。私、こここここういうものです……」


 そう言ってバイブレーション小太り男が名刺を差し出してきて。

 それには確かに、見慣れたタイアップ出版という社名。そして肩書き欄に編集『長』と、書かれていて……。


「…………あれ?」

「ええええっとですね、小野さんにはこここ今度、児童小説の方をやってみないかと、そそ相談させていただいてまして……」

「ちょっと待て、じゃなんで隠した⁉︎」


 隠す必要がどこにあった⁉︎


「そそそれは、題材のせいかと、思います……」

「児童文学で伏せる題材ってなんだよ⁉︎」


 つい声を荒げたら、編集長は意識が旅立った。


 後で聞いたら、蚤の心臓で有名な人なんだって……なんだそれ。


 ◆◇◆


 編集長に平謝りして、その日は一旦お開き。

 恋人の言い訳は、とても意外なものだった。


「…………小夜が、主人公⁉︎」

「違う違う! 主人公はレイくんで、小夜ちゃんはヒロイン!」


 誰だレイくんってのは。


「適当に決めた名前なの!

 か、かなめくんはちょっと……私の心情的に、嫌で……い、異世界だし、日本人名は……」


 いや、主人公を俺にしろって言ってんじゃなくてだな!


「そやないっ、何を書くんやって⁉︎」

「い、異世界に転移しちゃった女の子を拾った、男の子の話……」


 しょぼんと俯いて、不謹慎かなって、思って……と、小夜歌は言う。

 だから、言えず……とりあえず保留の状態で、企画の話だけを進めていたのだと。


「前、要さんに小夜ちゃんのお話を聞いて……なんとなく神隠しをイメージしてたんだ……。

 それでなのか、なんか凄い、壮大なストーリーが思い浮かんでしまって……。

 ずっと、頭の中だけで考えてたんだけど……どうしても形にしてみたくなって……。

 こんな妄想が止まらないんですーって編集さんに話したら、編集長さんにお話が行っちゃって、それで、新企画にどうですか……って」


 新米イラストレーターと新米作家がチームを作って話を創作する企画であるらしい。

 本来は出版社が介入する部分をバッサリ取り払う斬新なイベントで、当初は小夜歌にイラストレーターとしての参加を打診しようと思っていたそうなのだが。


「ね、ネタがあるなら、文章の方挑戦してみたらって……」

「…………マジか」


 まぁ、絵本作家っていうのは、文章も書く……し……。


「長編?」

「や、やってみたことは、一応あるの……その……同人誌とかだけど……」


 人ひとりが行方不明で十年以上が経った。

 だから、当時話題になったこの事件も、もう風化しているだろう。

 だがだからって。決してネタとして扱って良いことであるはずがない。そのため言えなかったのだと、小夜歌は言った。

 俺や遺族が聞けば、怒るだろう。苦しむだろう。何より悲しむだろう……。だけど、書かなきゃと思ったのだと、そう……。


「ネタのつもりで聞いてたんじゃないの……でも……ゆ、夢にまで見て……なんかこう……ぐわーって! 風景が、情景が、映画見てるみたいに見えた。

 こんなにブワワって、世界が広がるのは、書かなきゃいけないやつなの!」


 創作者の思考は俺には分からない……。だけどポンポン出てくる人名や、設定。ぶんぶん腕を振って、もの凄い早口で語られる物語が、ちょっとした思いつきで言っているのではないことくらいは、理解できる。

 それだけ真剣に考えてきて、形にしなければと、思ったのだろう……だけど…………。


 俺は、こいつが真剣だって分かるが……。


「……鶴来野家の人がそれを聞いて、どう思うかは、正直分からへん……」


 伝えないわけにはいかないだろう。出版物となるなら余計に。

 俺の恋人が、小夜という人物を書くのを、ただ名前が同じだけと、思うだろうか……?

 少なくとも作中のヒロインは、この世界から行方をくらませて、異世界へと旅立つ……。その内容を、どう受け取るだろう……。


 だけど……。

 聞いた話を何故か俺も、見たい。と、思った……。

 小夜が、どこかで命を失い、誰にも知られず寂しく白骨化していくさまを想像なんてできなかったし、したくなかった。

 だからせめて、別の世界で……。

 それにもしかしたら、どこかで生きていて、その物語を見て、自分のことだと気付いて……帰ってきてくれる可能性もあるんじゃないか……。


 これは、俺の罪悪感から来る現実逃避やろか?

 あいつは帰らないのに、俺は恋人を作り、結婚まで考えてる。

 それを俺は、後ろめたく思って、都合よく考えているのか……?


 そんな風に思わないでもなかったが、僅かな期待を感じているのも確かだった。

 鶴来野の婆さんは喜んでくれるだろう。そういう人だ。俺を孫の一人みたいに考えてくれてる。でも……おじさんとおばさん……。あの二人は、どう、思う?

 仮葬儀の時、俯いていた二人の様子が、脳裏をよぎった。

 承知してくれるとは思わない。あの二人にとって小夜はまだ生きていて、元気でいると、そう信じてる……。


「…………婆さんに、手紙出してみるか? それで、ご両親にもお時間をいただいて、話してみる。

 ……決めるんは、それからや。けど、あかんって言われたら……」

「うん。その時は、書いたものは全部、封印するよ」


 …………書くんは書くんか……。


「書かなきゃいけないの」


 強い瞳でそう言うから……。

 その決意に満ちた恋人を抱き寄せて、額に口づけをした。

 じゃあ、俺からもお願いしてみるしかないなと、そう……思いながら。

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