外伝三話 竜巫女
朝。
日が顔を出して間もない明朝。
未だ殆どのメイドすら目覚めていない時間帯に、とある正装へと着替える女性。
その人はいつも早起きをしている。誰よりも早く起きて、ある人の側に控える事がその女性にとっての役目であると理解しているからだ。
着替え終えてから鏡を見つめる。
やや眠そうな顔が映し出されたが、これはいけないと感じたのか、その女性は頬を両手でピシャリと叩いて引き締める。
準備を終えた女性は部屋を出て主人の部屋へと向かう。
恐らく主人は寝ているだろう。ならばそれよりも早く起きるのが配下の役目とも言える。
その主人は「そこまでしなくとも良い」と言うが、その言葉を鵜呑みには出来ない。
勿論。主人の命令に従わないのは問題だが、一応許可を貰っているので問題は無い。
女性は静かに部屋の扉を潜り、扉を背に立つ。
いつも通りならこれから数時間は立ち続ける事になるが、今回はその主人が起きていて何やら仕事をしている様だ。
静かに部屋に入ったので気付かれていないが、主人が起きているのであれば、入室の許可を取らなければならない。
普段なら主人は寝ているので起こすのは躊躇われる為、声をかけない事が日常だった。
しかし、それは言い訳にしかならない。
そう思った女性は、その主人に話し掛けようとしたが、逆に話し掛けられた。
「巫女か。相変わらず早いな」
先手を取られてしまい動揺してしまったが、即座に返事をしなければ不敬と思い即答する。
「いえ。イヴェトラ様。主人より遅いのは巫女として失格です。申し訳ありません」
「ふむ」
女性は言葉通りに心の底から謝罪の言葉を述べた。
「構わんと言ったのだがな」
言葉に続いて溜息を吐く黒龍。
謝罪は受け入れられたが、溜息を吐かれてしまった。それが女性にとっては罪悪感になる。
一方の黒龍は気にしないと言った様子だ。
「まあ良い。さて、暇か?」
唐突に問い掛ける黒龍。
女性は怒られてしまったと勘違いをしていたので反応が遅れる。
「は、はい!」
問われてから冷静になったが暇だとは言えない。
今も主人に仕えると言う名の仕事中。それをあろう事か主人の前で暇だと宣言した様な物。つい釣られて答えたが、女性に冷や汗が垂れる。
「そうか。なら少し話に付き合って貰おう」
主人からの命令が下された。
女性は慌てながらも頷く。何事かと身構えれば単なる雑談だった。しかし、それは黒龍から見ればであり、内容は政治。それも外交に関してだった。
「周辺諸国は一応中立ではあるが、実際の所はほぼ全てが仮想敵国。さて、竜聖国はこれからどうすべきと思う?」
黒龍からの問い。
それは昔からの国の悩みであった。
竜聖国が信仰しているのは言わずもがな黒龍様。
他国は神を信じていて、黒龍様を敵だと論じる国が殆ど。
信仰する物が違うのは仕方ない事としても、黒龍様が敵と見做される事が多い為、とても厄介なのだ。
お陰様で他国とのトラブルが無くならない。
ただ、黒龍様が悪いとはとても言えない。悪いのは理解が出来ない他国なのだから。
「戦うしか無いのでしょうか。黒龍様を認めない国が悪いのです」
「極端だな」
くつくつと笑いながらその瞳に浮かぶのは憐憫の情。
例え敵国であっても憐れみを持つ黒龍様はとても優しい。女性はそう考えていた。実際に黒龍が考えていた事はそれとは違うのだが。
「では、話を変えようか。戦争をすると言ったな?ならば、どうする?」
「それは」
具体的な方法は無い。
敢えて言うなら、ただ戦うだけ。敵と見做した国を正面から。
「全てを敵に回せば滅びるぞ。この国は一国を相手にするだけでも手一杯なのだからな」
その通り。黒龍様の仰る通り。
軍事に明るくない私ですらそれは理解している事。それでも、黒龍様の為とあらばこの命惜しいとは思わない。偉大なるお方の為に剣を持てる事は最大の忠義なのだから。
「我が力を振るえば敵を滅ぼすのも容易だろうな。それこそ全てと敵対してもな」
「それなら尚更何故でしょうか?」
「協力してやっても良い。だが、其方らはそれで良いのか?」
黒龍様の協力があればとても心強い。
協力して頂けるのならこの上無い喜び。
協力を断る理由なんて無いですよね?恐らく。
「良いかどうかは分かりません。皆は喜ぶ筈です。また、黒龍様がお決めになった事なら誰も否定はしません」
難しい顔をしている黒龍様。
本心から述べているのですが、あまり良い答えでは無かったのでしょうね。
「そうか。一つ、昔話をしようか」
そう言って黒龍様は淡々と話し始めました。
それは、過去の竜聖国の話だった。
ある優秀な王が居た。
その王が亡くなり、次の王へと権限が継承された。次代の王は王としての役目を全うしようとした。しかし、先代と比べ、能力は低かった。それは仕方ない事だった。その王とは最も優秀と言われた初代王の事だから。
そして二代目はどうしても先代と比較され、劣等感により益々威厳を無くし、「頼りない王」と言われていた。それは他国だけで無く自国の貴族にすらも。
家臣からも下に見られて思う様に行かない。
当時の王は苦悩したらしい。そして、行き着いたのは黒龍様を頼る事だった。
自信が無いから事あるごとに相談に乗って貰っていた。それこそ国の根幹に関わる事や、他国との外交についても逐一意見を聞いていた。
そうなれば自分で考えなくなってしまったらしい。
「今と変わらんと思わんか?」
最後に黒龍様はそう締め括る。
「それは」
否定出来ない事だった。
自らで考える事は忘れてはならない。
黒龍様の仰る事だからと全てを委ねるのは正しくは無い。だが、従うのが間違っているとも思わない。黒龍様がある限り、それに間違いは無い筈。
「我が何にでも手を出してしまっていては、いずれ其方達のみでは何も出来なくなるだろう。いつまでも我が居るとは限らん。そうなってからでは遅かろう?」
「そう、ですね」
「捨てる訳では無いぞ。だからその様な顔をするな」
気が付けば黒龍様は笑っていました。
本当に捨てるつもりは無いのでしょう。
ですが、それがあり得る事という事だけは肝に銘じておかなければいけないのかもしれません。
「我が手伝ったら駄目なのだ。それでは国が国である必要が無い。この国は我が治めているのでは無いからな」
「ですが、イヴェトラ様は」
「我には興味が無い。我がここに居るのは単なる気まぐれだからな」
突き放す様な言葉。
それならばいつまでなのだろうか。
気が変わって明日にでも戻らなくなったら、その時はどうしたら良いのだろうか。
たった、それだけで国の存亡に関わる。
だからそうなっても良い様に準備をしておかなければ。黒龍様が国を離れる前に。
実際にあるかどうかは判らない。その瞬間の為に。耐えられる様に。
帝国からの使者が来訪してから数年の月日が経った。
巫女としての役目を引き継ぐ時期が近付いていた。
竜巫女と呼ばれる仕事の任期は10年。任期を終えた者は次の十歳前後の者へ引き継ぎ、黒龍様の側仕えとして勤める事が竜巫女の主な仕事だ。
若干ズレが生じるのは適任者を見つけるのに時間が掛かったりするから。
つまり簡単になれる仕事では無い。
黒龍様に仕える事は何よりも名誉であり、身辺調査は当然ながら、あらゆる教養や、礼儀作法についてなど厳格な審査がある。
そして、それらを乗り越えて巫女となった者が訪れる予定。その為に準備を始める。
次代の巫女は国の王女様。しかし、相手が王家であろうとも優先されるのは巫女としての立場。
例え王女とあれどそこは譲ってはならないし、王女もそれを理解している。
「失礼します」
およそ予定通りに王女が訪れた。
互いに挨拶をし合う。
「いらっしゃいませ。ラーナ王女殿下」
「本日もお願いします。13代目竜巫女様」
互いが頭を下げれば仕事に取り掛かる。
本当は、竜巫女の役目として実際に厳しかったのは試験だけで、今現在は引き継ぎが主軸なのでほぼ毎日雑談。
「それでは、明日からになりますが、大事な話がございます」
「大事な事ですか?」
いつもと違っての珍しく真面目な竜巫女の表情。
ここ一月は雑談ばかりだったのに。
明日から14代目として代替わりが行われるので、最後の日としてしっかり締めておこうと思ったのだろう。
喉を鳴らして言葉を待ち受ける王女。
聞かされたのは予想以上に大変な事だった。
「実は、数年前から黒龍様に繋がらないのです」
王女は言葉の意味が解らなかった。
またいつもの冗談かとも思った。
しかし、真実を語り続ける竜巫女。隠していた苦悩を吐き出すのだった。