最弱の少女
スライムは全部で五体。そのうち二体はなんとか倒したのか、絶命し、形を保てなくなって液体になっている。だが、多勢に無勢。残りの三匹に囲まれて、エルノアは敗北してしまったようだ。
「おおお、お姉ちゃん! 待ってて、今助けるから」
ソニアはまるで、エルノアが窮地に陥っているかのように血相を変えて、助け出そうと走る。
下級のスライムは攻撃的だが、基本的には人畜無害で、攻撃されてもよほどのことがない限り、何か大事に至ることはない。しかし、エルノアが転んだだけで大騒ぎする過保護なソニアには見過ごすことはできない。
「来ないで、ソニア。大丈夫、大丈夫だから。このくらいお姉ちゃん一人でどうにでも、もごごごご」
強がるエルノアだが、その非力さゆえに、群がる三匹のスライムに頭まで埋もれて、おぼれかけてしまう。
「お姉ちゃん! もう! この、お姉ちゃんを離して!」
ソニアはスライムの中に、手を突っ込むと、エルノアの足をつかんで、引っ張り出す。
「ぷはあ。助かったってちょっ、きゃああああ!」
勢いよく引っ張り出されたエルノアは、宙を舞う。
「へぶっ」
そのまま放物線を描いて、地面に落下した。
「いたた。ちょっとソニア、助けてくれるのはありがたいけど、もっと丁寧に……」
エルノアは強く打った尻をさすりながら立ち上がる。魔法によって身体能力を強化されたソニアの膂力は常人をはるかに上回る。力加減を忘れてしまえば、小柄なエルノアは簡単に投げ飛ばされてし
まう。
「って、もう聞こえてないか」
姉のぼやきが、ソニアに届くことはない。
ソニアは極端なまでにお姉ちゃん子である。
普通ならば、姉にべったりで、姉に頼り切るというのが世間一般でいうお姉ちゃん子であろうが、ソニアの場合は少し違う。
基本的に、臆病なソニアは、いつも姉の後ろに隠れてばかりだ。しかし、ある事件を境に、姉に対して極端なまでに過保護になってしまった。
自分の力が強いことを認識したソニアは、いつも赤子を抱くように姉を扱っている。
時として、ソニアは、エルノアを大事に思うがあまり、周りが見えなくなることがある。
今がまさにその状態、エルノアが少しでもけがをしたり危ない目にあったりすると、ソニアの中のタガが外れ、理性の牢獄に封印された巨獣が目を覚ます。
「お姉ちゃんをいじめるな! 燃えつきろ、下等生物!」
姉を傷つけられた怒りから、ソニアは我を忘れる。体から膨大な魔力が、まるで炎のように吹きあがる。
腰のケースからカードを引き抜き、ありったけの魔力を流し込んで、魔法を発動させる。
浮かび上がった魔法陣は、魔力を注ぎ込まれ続けて、肥大化し、ついに受け止めきれなくなって臨界点に到達する。
「吹き飛べ『炎球』!」
「そんな威力で魔法を撃ったら……」
エルノアの忠告はソニアには届かない。
太陽のごとく発光した巨大な魔法陣から、ソニアの身の丈ほどある大火球が、ダンジョンの天井や床を焦がしながら、三匹のスライムに直撃。
高温の火球が爆ぜると飲み込まれたスライムたちは、一瞬で蒸発、爆散した。そればかりか、炎の波は、ソニア自身も巻き込み、エルノアをも襲う。
「あちちち、危ないよ。ソニア」
事前に危険を察知して、逃げ出したエルノアだが、間に合わず、マントの先を少しばかり焦がしてしまった。
「ああ、お姉ちゃん。ごめんなさい。また私……」
ソニアはエルノアに駆け寄り、焦燥しきった表情で、エルノアに謝罪する。
「いいって、いいって。気にしないで。ソニアは私を守ろうとしてくれたんでしょ」
エルノアは、自責の念に満ちた不安そうなソニアの頭をやさしくなでる。
こんな時、(私がもっと強ければ)といつもエルノアは考えてしまう。
吹き抜けるように明るい性格で、だれからも好かれ、努力家で、剣の才能には目を見張るものがあった。
だが、エルノアは弱かった。最下級の魔物であるスライムにも勝てないほどに弱い。
かつてルクトラの町で活躍していた父親や母親のような立派な騎士になりたいと十歳のころからもう五年も稽古に励んでいるが、いまだにスライムにも苦戦してしまう。
毎日、酒場の手伝いをしながら、合間を見つけては、剣を振り、町を走って、体力をつけた。そして早朝には、内緒でソニアとダンジョンに行って魔物との実戦経験を積んできた。おかげで父親から譲り受けた剣を振るえるほどになったが、エルノアには越えられない壁があった。
魔法が使えないのだ。
魔法。今日まで文明の発展を支えてきた。人が魔物に対抗しうる唯一の手段でもある。人は生物として数段格上の魔物を魔法によって退け、魔法によって、文明を築き、大陸の覇者となった。
魔法がなければ、人間をはるかに超える力を持つ魔物たちに対抗するのは難しい。いくら騎士になろうとしても、魔法が使えなければただの人。いや、ただの人でも、魔法を扱うことはできる。魔法が使えないエルノアはある意味で特別だ。
魔無しのエルノアは、高度に発展した魔法文明で普段の生活すら生きづらい。というのに、高度な魔法を要求される騎士を夢見ることが、どれほど難しいことか。だれもがエルノアを止めた。
しかし、頑としてエルノアは譲ろうとはしなかった。
ソニアに付き添ってもらいながらあきらめずに稽古を続けている。いつか立派な騎士になることを夢見て。
「むしろ謝らなきゃいけないのは私の方。ソニアをいつも私のわがままに付きあわせちゃってる」
エルノアは、ソニアが騎士をあまり好んでいないことを知っていた。そのソニアに迷惑をかけてしまっていること。エルノアにとってはそのことが、心苦しい。
姉の心痛を感じ取ったソニアは、すぐに抗弁する。
「私はただお姉ちゃんと……」
が、ソニアの言葉を遮るように、ダンジョンが激しく揺れ始めた。