旅立ち
ララリアの姫君が来たということで、酒場は大急ぎで片付けられた。
田舎町のルクトラの民である呑龍騎士団の騎士たちは、いまいちその偉さやありがたみというものはピンとこないが、自由都市同盟の盟主であるララリアのそれも姫君がこんな辺境まで来たということは、ただ事ではない。
「にしても、ヘレアが、ララリアの姫君と顔見知りだったなんて。ヘレアって本当に貴族だったんだ」
シリルは、珍しそうに、レリアとアンリエットを眺める。
「あなた、私が貴族ということを信じていませんでしたの?」
ヘレアは目を細める。
「だって、そうだろう。貴族の癖に学生のころから全然、お金がないんだもの」
「それはそうでしょうね。ヘレアはシャルパンティエ家から勘当されていたからな」
アンリエットは優雅に紅茶をすする。
「なんだ。やっぱり、貴族じゃないじゃないか」
「失礼な。たとえ勘当されようとも、わたくしはれっきとした貴族。身分や生まれではなくわたくしのような高貴な心を持つ者のことを貴族と呼ぶのですわ」
「なら、なおさらヘレアは貴族じゃないね」
「なんですって?」
「事実を言ったんだけど、聞こえていなかった?」
シリルとヘレアはまたいつものようにくだらないいがみ合いを始める。
二人をよそにシリルはアンリエットに尋ねる。
「シャルパンティエ家ってもしかして、ララリアでは相当高い地位にあるんじゃないですか?」
「敬語を使う必要はない。あなたもヘレアには苦労させられている口だろう。私たちは仲間だ」
アンリエットはシリルに憐みの目を向けてくる。少しとげとげしい口調だが、別段、平民を蔑視しているわけではないらしい。
「シャルパンティエ家はララリア屈指の名家だ。でなければ、姫と親しくするなんてありえないからな。あれでも、ヘレアはララリアでは一位二位を争うお嬢様だ」
アンリエットはため息を吐いた後で、メガネをあげた。
一方のレリアは、エルノアと話し込んでいた。
「ララリアのお姫様は、花月騎士団の騎士団長になるって聞いていたから、つい」
花月騎士団は、大都市ララリアを守る由緒正しき騎士団であり、大陸最大規模を誇る。騎士団長は伝統的に、ララリアの王族が務めることになっている。歴代最強とうたわれた姫騎士が、ララリアの団長をやっているとエルノアは聞いていたので、レリアのことを疑ってしまった。
「騎士団長は妹に譲ったわ。今は聖華騎士団をアンリエットたちと作って活動しているの」
レリアも例にもれず花月騎士団の団長だったが、今は独自に活動している。どうやらルクトラまではその情報が伝わっていなかったらしい。
「私たちは近年、この大陸で頻発するスタンピードについて調べていたわ。そして一つの結論にたどり着いた。このスタンピードは人為的に起こされたものなんじゃないかって」
レリアは一枚の鉄仮面を取り出しテーブルの上にのせる。
「調査をしていくと、いつもこの鉄仮面卿という人物の影がちらついたわ」
鉄仮面卿。
神出鬼没の怪人。名前や顔、年齢はおろか、男か女か、人間なのかはたまた別の種族なのか。誰にもわからない。
ただ必ず、スタンピードの後には鉄仮面卿の足跡が残されていた。それも意図的に。
「あなたは鉄仮面卿を見たのよね?」
「見ました。鉄仮面卿は若い男で、その仮面と同じ鉄の仮面をかぶっていて。それで」
エルノアは服装など細かな情報を話す。
「あいつは自分がスタンピードを起こしたと言っていました。十年前のスタンピードもあいつが……」
エルノアはこぶしを握り締める。
「そう。貴重な情報をありがとう。必ず鉄仮面卿を捕えて相応の報いを受けさせるわ。約束します」
レリアはエルノアの手を優しく握る。
「ちなみに、あの極大魔法を使ったのは本当にエルノアちゃん?」
「う~ん。私だけど、私じゃないというか」
「あれはお前の力だ。存分に誇るが良い」
エルノアの膝の上で眠っていた子猫姿のシルウィアがテーブルの下からひょっこり顔を出す。
「あっ、ちょっと、シルウィア。これはその」
エルノアは何の躊躇もなく正体を現したシルウィアに焦る。
せっかく、人前に出ても騒ぎにならないように猫の姿になったというに、これではまるで意味がない。
「話をする子猫だなんて珍しいわね」
「予は猫ではない。永遠にして不可侵のヘイリオス帝国皇帝、シルウィア・ヘーリアデス・アウグスタである」
シルウィアはテーブルにひょいと飛び乗ると仁王立ちしてふんぞり返る。
「シルウィア。ふ~ん。なるほど」
レリアは特に驚いた様子も疑う様子もなく好奇心旺盛な目で、シルウィアをじろじろと見る。
「あなたが、エルノアちゃんの強さの秘密なのね。陛下?」
「うむ」
その驚異的な洞察力と豊富な知識で、レリアは、おぼろげながら、シルウィアとエルノアの関係性を把握した。
「はい。シルウィアに会えなかったら、私はあそこで死んでいました」
「死ぬものか。予とエルノアは二人で一人、あそこに予が現れたのも必然よ。偶然ではない」
「なんだか複雑そうね。でも、力はある。エルノアちゃん、聖華騎士団に入らない? 鉄仮面卿探しに協力してくれないかしら?」
レリアの提案にアンリエットが口をはさむ。
「姫、よろしいのですか」
「それはエルノアちゃん次第よ」
レリアはまっすぐにエルノアを見つめる。
「シルウィア」
エルノアはシルウィアに助けを求める。突然いろいろなことが起こりすぎて、エルノアはもう考えられなくなっている。
「予のことは気にするな。自分で決めろ。迷うのならば、自分の道をたがえぬことだ」
「そこの猫さんの言う通りですわ。あなたにはプリンセス・シュバリエになるという夢があるのでしょう。復讐よりも夢を叶える方が親孝行というものですわ」
レリアは葡萄酒を飲む。
「プリンセス・シュバリエなら目の前にいるぞ。レリア様こそ、プリンセス・シュバリエ・フローラその人だ」
「え、レリアさんが」
「恥ずかしいけど、そういう称号をもらっているわ」
レリアは、恥ずかしそうに頬をかく。
プリンセス・シュバリエにはいくつかの称号があるが、レリアはその中のプリンセス・シュバリエ・フローラの称号を持つ強力な騎士だ。
エルノアは初めて見るあこがれの存在を目の前に、羨望のまなざしを向ける。
「なら、私もレリアさんたちと一緒に……」
スタンピードの黒幕を捕まえられて、プリンセス・シュバリエの下で騎士として活動できるなら一石二鳥だ。
そんなエルノアの決意を妨害するかのように、二階から慌てて降りてきたバルドが大声で叫ぶ。
「大変だ。ソニアが、ソニアがいなくなっちまった」
「えっ。バルドおじさん。ソニアがいないって?」
「ああ、少しソニアの様子を見に行こうと思ったら部屋にいなかったんだ。それでこんな手紙が」
「どれ見せて」
エルノアはバルドから手紙を奪い取ると読み進めていく。
「これ、ソニアの字だ。ララリアに行くって」
ただ一言、それだけが書いてある。
「一体どうして?」
「わかんない。でも……」
ただ事でないのは確かだった。あの臆病で呑龍騎士団とルクトラの町が大好きな、そしてなによりエルノアのことが大好きな優しいソニアが出奔してしまった。それも置手紙一枚で、一言の挨拶もなしに。ありえない。尋常ならざることが起きているに違いない。あの一晩の間にソニアの身に何かが起こった。エルノアはずっとそばに付き添ってやらなかったことを後悔した。
(ソニア……どうして……私のせいだ。ずっと一緒に居るって約束したのに)
エルノアは手紙を握りしめる。なんとしてでも捕まえて、ソニアに真意を確かめなければならない。
「レリアさん。私、妹を」
「すぐに追いかけてあげなさい。世界よりもたった一人の妹の方が大事よ。私が言えた義理じゃないんだけどね」
レリアはエルノアの背中を押す。
そしてペンと紙をアンリエットから受け取るとさらさらと何かを書き始めた。
「これを持っていて、花月騎士団を訪ねて。きっと役に立つわ」
レリアは、紙を筒状に巻くと魔法の封蝋を施す。
「また、どこかで会いましょう。その時は妹さんも一緒にね」
そのまま、別れを告げ、アンリエットとともにどこかに立ち去ってしまった。
「ごめん、シルウィア。勝手に決めちゃって」
エルノアは自室に戻り、支度を整えながら幽霊の姿に戻ったシルウィアに謝罪する。
「気にすることはない。予はすでに死んだ身だ。思うがままに生きるが良い」
「ありがとう。必ずソニアを連れ戻すよ。そのためにもしっかり準備しなくちゃ。ソニアを捕まえるのは一筋縄じゃいかないだろうから」
エルノアはいつでも騎士になれるように旅の準備をしていた。といっても、いつもの駆け出し騎士の格好に、少し荷物が増えるだけだが。
「あれ? カードがなくなっている」
腰のカードケースを見るとシルウィアと出会ったときにはぎっしりと詰まっていたカードが一枚もなくなっている。
「あれは予が無理やり顕現させたものだ。ずっと維持することはできぬ。火事場の馬鹿力という奴だ」
「でも、まだ、魔力はある」
強力な魔法が刻まれたカードは失われてしまったが、エルノアは自分の体に満ちる魔力を感じている。一度使い切ったが、一晩で十分に回復していた。
エルノアは、机の引き出しの奥にしまってあった古びた箱を取り出す。ふたを開けると中にはカードの束が入っている。
母親が、エルノアのためにと用意していた形見だ。
「今ならこれも使えるよ」
母親の形見のカードをケースに入れる。
「行ってくるね。お父さん、お母さん」
父ロダンの形見である剣と、母マリエーヌの形見であるカードを携え、呑龍騎士団と春詩騎士団に見送られながら、エルノアは故郷に別れを告げた。
プリンセス・シュバリエになることを夢見る少女と皇帝の亡霊は、これが壮大な旅の始まりであることをまだ知らない。




