来訪者
早朝、狂乱の酒宴の後で、酒場はひどいありさまだ。あらゆるものがひっくり返され、食器やジョッキが床に散乱している。
騎士たちは、皆、酔いつぶれて大いびきをかいて寝ており、ある者は、大の字になり、ある者は、酒樽に上半身を突っ込んだまま、寝ている。
「おい、エルノア。起きないか。何者かが近づいているぞ」
一人、夜明けまで、思案にふけっていた皇帝の亡霊、シルウィアは、気配を感じ、かわいらしい寝息を立てているエルノアに呼びかける。
「むにゃむにゃ。もっと酒を持ってこーい。ぐへへ……」
しかし、エルノアはいまだに深い夢の中をさまよっており、目を覚ましそうにない。
霊体のシルウィアは直接、エルノアに触れ、揺り起こすわけにもいかず、その後も、何度か呼びかけるもまったく反応がない。シルウィアは、眉間にしわを寄せ、こめかみの筋を浮き上がらせる。
「この酔っ払いめが、致し方ない」
業を煮やしたシルウィアは、魔法陣を展開する。
魔法陣から出た光が、シルウィアを包む。光が消えると空中に一匹の子猫が、現れ、服がはだけて露になったエルノアの腹の上にふわりと降りる。
絹のような金毛をふわふわとなびかせる気品に満ちた美しい子猫だ。
「さっさと起きんか、このバカ娘!」
子猫は、その凶悪な爪をむき出しにすると、エルノアの顔をひっかいた。
「痛っ、なんなのって……ね、猫?」
ようやく目を覚ましたエルノアが、ジンジンと痛む顔を押さえる。
「予、じきじきに起こしてやっているというのに、いつまでだらしない恰好で寝ているつもりだ」
金毛の子猫が、エルノアに右前足を突き出す。
「猫がしゃべった。そのしゃべり方もしかして、シルウィア?」
「そうだ」
「え、可愛い。すっごい可愛いよ。どうしちゃったの?」
エルノアは金毛の子猫もといシルウィアを抱き上げて、ほおずりする。
「ぐっ、やめんか、酒臭い」
シルウィアは顔をしかめ、再び、エルノアの頬に爪を立て、飛びのく。
「予は永遠にして不可侵の皇帝であるぞ。気安く触れるでない」
金毛の子猫は不器用に短い二本の後ろ足で仁王立ちして前足を組んで、ふんぞり返る。
「そんなに可愛い姿ですごまれても迫力ないよ」
愛らしい子猫の姿になってしまったシルウィアに、エルノアは鼻の下を伸ばしっぱなしである。
「予とて、仕方なくこの屈辱的な姿になっているのだ。現実に干渉できる体を得るにはこれしか方法がない」
できることならば、シルウィアも人の姿で自由に行動がしたい。が、魔力を使って器となる体を作るには、霊体の段階で、子供の姿しか維持できないシルウィアには、子猫が精いっぱいだった。人間の姿を保ちつつ、手のひらサイズに甘んじるという手もあったが、猫の姿の方が、溶け込みやすいというシルウィアなりの配慮もある。
「予はこういう、こまごまとした魔法は好まんのだ」
「それにしては、よくできてると思うけど。ほら、毛だってさらさらでふかふか」
エルノアは、シルウィアの金毛をなでて顔を緩ませる。
「やめんか、くすぐったい。っと、こんなことをしている場合ではない。貴様らといると調子が狂っていかん」
シルウィアは顔を横に振る。
「どうしたの?」
「強い魔力を持った何者かが、この酒場に向かっている」
「まさか、あの鉄仮面の仲間?」
「わからぬ。ともかく用心することだ。予もこの姿ではどうしようもない」
シルウィアが言い終えると同時に、酒場の粗末な扉をノックする音が聞こえる。
「誰か、いないか?」
女の声だ。
「いいわ。入りましょう。失礼します」
別の女の声が響く。
聞きなれない声。ルクトラの騎士ではない。
エルノアは、腰に帯びた剣の柄に手をかけ、臨戦態勢をとる。
扉が開かれ、二人の女が姿を現す。
「お邪魔します。あら、あなた……ようやく見つけたわ」
酔いがさめるような、心地よい花の香りが広がる。
泥酔していた騎士たちが一斉に目を覚ます。
「なんだ?」
起きた騎士たちは目の前の女にくぎ付けになる。
淡い白金の美しい髪が、朝日に照らされ、七色に光る。軍服にも似た控えめなフリルで装飾された色鮮やかな制服に身を包み、腰には細やかな花の装飾が施された剣を帯びている。
「そこを動かないで!」
エルノアだけが、いつでも抜剣できる態勢のまま、張りつめている。目の前の女は美しいだけではない。魔力に鈍感なエルノアでもわかるほどの強力な波動を感じる。
その後ろに控えるもう一人メガネをかけた女にも強い力を感じる。二人とも只者ではない。
「私ってそんなに怖い顔をしているかしら」
花の香りを漂わせる女は、人差し指を顎に当て、困ったような表情になる。
「あなたは何者?」
「これを見ればわかるんじゃないかしら」
女は一枚の仮面を取り出す。鉄仮面卿がかぶっていた大樹の紋章が刻まれたあの鉄仮面だ。
「それは……」
エルノアは目を見開き、剣を引き抜いてその切っ先を女に向ける。
魔力をたぎらせ、その体に電光を帯びる。
「エルノア、お前」
ラモンたちは、夢を見ているのではないかと目をこする。
魔無しのエルノアが、カードや武器の補助なしに、力強い魔力を帯びている。
そして、ようやくエルノアが、スタンピードの中を生き残れた理由を直観する。
「やっぱり、あなたが、あの魔法でスタンピードを鎮めたのね」
女はエルノアに剣を向けられているというのに、嬉しそうだ。
「なんだか、よくわからねえが、エルノアの敵っていうなら、俺たちの敵だ」
酒場に居た騎士たち全員が、謎の女たちに、武器を向ける。
騒ぎに目を覚ましていたリーナも魔細剣アンブラルを向け、シリルも、魔弓ミストラルを引き絞る。
「姫。少しおいたが過ぎますよ」
白っぽい青髪の女が、メガネをくいとあげる。
「そうね。ちょっとやりすぎちゃったみたい。ごめんなさいね」
花の香りを漂わせる女が、謝るが、騎士たちは魔力を高ぶらせ、事態は収まりそうにない。
「私は、聖華騎士団の副団長アンリエット・ド・ヴァリエール。こちらのお方は、団長のレリア・ド・ララリア様だ。武器を下ろせ」
アンリエットと名乗るメガネの女は、高圧的な態度で命令する。
「聖華騎士団なんて聞いたことない」
無類の騎士マニアで古今東西の騎士団に詳しいエルノアでも聞いたことがない騎士団だ。信用には値しない。
「レリア様は、ララリアの姫でもある。これで信用できるだろう」
「余計できないよ」
「ふふ、困りましたね」
花の香りを漂わせる女、レリアは、笑う。騎士に囲まれているこの状況を面白がっている。
ララリアの姫が、ルクトラのような田舎町に現れるはずがない。アンリエットは余計にエルノアたちの猜疑心を掻き立ててしまった。
困り果てたアンリエットはあたりを見渡すと見知った顔を発見する。
「ん? そこにいるのはシャルパンティエ家の放蕩娘じゃないか?」
アンリエットが目を向けたのは、ヘレアだ。
この緊迫した状況にもかかわらず、朝から葡萄酒を飲んでいる。
「はて、どなたでしょうか。わたくしは存じ上げませんわ」
「とぼけるな。お前はヘレア・ド・シャルパンティエだろう。その仰々しいしゃべり方間違いない」
「あらあら、誰かと思えば、アンリじゃありませんの。ずいぶんとそれにお姫様まで」
ヘレアはまるで今わかったのかのように驚いて見せる。
「抜け抜けと……」
「いつもわたくしの後ろにくっついていた泣き虫アンリが、ずいぶんと偉くなりましたわね」
「くっ、それは……」
アンリエットは、うつむいて押し黙ってしまう。
「久しぶりね。ヘレア」
「ご健勝で何よりですわ」
ヘレアはレリアに恭しく一礼する。
「ヘレアさん。あの人は本当にララリアの姫なの?」
エルノアにヘレアはコクリとうなずく。ようやく緊張状態が解ける。
「ごめんなさい。私、てっきり鉄仮面卿の仲間かと思って」
「いいのよ。私も紛らわしいことをしたわ」
エルノアは剣を戻し、レリアと握手を交わした。




