呑龍騎士団
石造りの城壁に囲まれたルクトラの町への入り口には、巨大な門が構えられている。
そこからまっすぐに石畳で整備された大通りが伸びる。大通りには、レンガ造りの建物が並び、その
一角に、酒樽と酔っぱらった龍の紋章を掲げた酒場がある。
エルノアとソニアの住まいであり、ルクトラで最も大きな騎士団の一つ、呑龍騎士団の拠点だ。
「誰か、いませんか! 誰か! 誰か!」
その前で、何者かが、扉を必死に叩いている。
「誰だ。こんな朝っぱらから」
扉が雑に開け放たれ、禿げ頭を光らせる筋骨隆々の男が現れる。呑龍騎士団、団長のラモンだ。
「って、おい。春詩の嬢ちゃんたちじゃねえか。どうしたんだ。その恰好。何があった」
騒音に、多少いらだっていたラモンは目を丸くする。
可憐なる三銃士と呼ばれた春詩騎士団の三人。リーナ、シリル、ヘレナが、泥と血と汗にまみれ、ほとんど死にかけのような状態で、肩で息をしながら立っている。
「ラモンさん。よかった。話はあとで。それよりソニアちゃんを」
リーナは、背に担いでいたソニアをラモンに託す。
「な、ソニア。馬鹿野郎、あれほどダンジョンには行くなといったのに。おい、みんなを介抱してやってくれ」
ラモンは仲間を呼び寄せ、リーナたちを酒場の中まで担ぎ込む。
「ソニアがやべえ。バルド、治癒の魔法を頼む」
「これはひどい。お任せをすぐに治療しましょう」
メガネをかけた痩せ気味の男、バルドが、ソニアのけがの様子を見る。
「相当無茶したみたいですね。魔力もすっからかんだ」
バルドは、ソニアの体に魔力を流し状態をチェックしていく。
身体能力強化の魔法を、限界ギリギリまで使ったオーバーワークにソニアの強靭な肉体といえども、骨、筋肉、神経に至るまで悲鳴を上げている。傷も多く出血もひどい。
ソニアは、スタンピードの影響で、ダンジョンを脱出の際、各階層で多数の魔物との交戦を余儀なくされた。リーナたちに会わなければここまでたどり着くことはできなかっただろう。
バルドはカードを取り出し、ソニアにかざす。
「『治癒の光』」
ソニアを淡い光が包み、傷口が見る見るうちにふさがっていく。
「頑丈な子だ。あとは、数日寝ていれば大丈夫でしょう」
「ああ、よかった」
ラモンはほっと胸をなでおろす。
彼はエルノアとソニアの両親とともに戦った仲間であり、親友だ。孤児となったエルノアとソニアは、呑龍騎士団で面倒を見てきた。彼と呑龍騎士団の古参騎士たちにとってエルノアとソニアは娘も同然だ。
「エルノアは、エルノアはどうした。一緒じゃないのか?」
ラモンは、すぐに、いつもソニアのそばにいるはずのエルノアがいないことにも気づいた。妹思いのエルノアが、傷ついたソニアのそばにいないなどありえない。
「それが、わからないんです。突然揺れたと思ったら、魔物が押し寄せて、それで無我夢中で戦っていたらソニアちゃんが一人で走ってきて」
あの魔物の海の中を潜り抜けてきたリーナたちは、状況をいまだに飲み込めていない。ただ、ひたすらにここまで走ってきただけだ。
「団長やはり」
バルドが言う。
「ああ、スタンピードだな」
「スタンピード?」
血をぬぐい、水を飲み干したシリルが、聞きなれない言葉に首をかしげる。
ヘレナは、どこからか持ってきた瓶に入った葡萄酒を豪快に胃に流し込み、口をぬぐうと答える。
「スタンピード。魔物の大氾濫ですわ。授業でやったでしょう。しかし、あれは百年に一度程度しか起こらないはず」
「ああ、【巨人の螺旋剣】では、つい十年前に起こったばかりだ。次が来るには、ちと早すぎる。だが、あの揺れ、嫌な予感がしてな。こうして、調査に行くために集まっていたんだ」
エルノアは同様、異様な揺れに違和感を覚えたものはいた。特にスタンピード経験者の古参騎士たちは、すぐに思いだした。
「だがな、集まったのはこれだけだ。しかも、年寄りばかり。かつてあの難局を乗り越えた騎士たちも、もう俺たちだけだ」
バルドは周りを見る。集まっている騎士たちはわずかに五人ほどだ。
十年前、ダンジョンからあふれ出た魔物と戦った勇敢な騎士たちは、ほとんどが命落とした。わずかに生き残った騎士たちも、ケガで、もしくは心を壊され引退を余儀なくされた。
実入りこそ悪い【巨人の螺旋剣】だが、一時は、未踏破というだけでにぎわっていた。しかし、各地でのスタンピード頻発により、騎士の数は激減。近年では、騎士志願者も数を減らし、リーナ達のように、田舎のルクトラに来る騎士は珍しくなった。
「ルクトラの正統騎士どもはピクリとも動かねえし、若い連中にも無理は言えねえ」
ラモンは言った後で、リーナたちも正統騎士だったと気づく。
「す、すまねえ。正統騎士みんなが悪いってんじゃねえんだ」
「わかっています。それほど信頼してくれているということですね」
正統騎士たちは本来、自治都市直属の駐屯騎士団に入ることが多い。
だが、リーナたちは、ラモンたち学園に通ったことのない、たたき上げの騎士、ぞくに野良騎士と呼ばれるものたちと同じく、自ら騎士団を結成した異端児だ。
呑龍騎士団とも交流が深く、ラモンはすっかり彼女たちが正統騎士だということを忘れていた。
「たったの十年でスタンピードが起こるなどと、荒唐無稽な話ですからね。連中が動かないのも無理ないでしょう」
バルドの言う通り、スタンピードをその目で見たことがないものは、いまだにそんなものはおとぎ話だというだろう。
それを示すかのように、ルクトラの駐屯騎士団は、動いていない。
「でも、もう、一部の魔物があふれ出して、こっちに向かってきているよ」
シリルが言う。
ソニアを担いで三人が、ダンジョンを抜け、ルクトラの町まで走り抜けてきた時、後背のダンジョンから魔物が、あふれ出し始めていた。大挙して、この町に殺到するのも時間の問題だろう。
「そうか。もうそこまで。連中、気づいたころには大慌てだろうな」
ラモンは、皮肉っぽく笑う。
町からでも見える位置に魔物が、来れば、いかに鈍重無能な駐屯騎士団といえ、対処に動き出す。しかし、人手不足なのは、駐屯騎士団も同じ。十年前までは、勇猛果敢だった駐屯騎士団もほとんどが壊滅した。
今いるのは数合わせで入団した新米温室育ちで、実戦経験に乏しい。まともな働きを期待することはできない。
「俺たちはこれからダンジョンに行ってくる。エルノアのことも俺たちに任せろ。お前らは、ゆっくり休め」
ラモンがそういうと準備を整えた老騎士たちが、立ち上がる。
「いえ、私たちも手伝わせてください」
リーナは、ラモンたちの前に立ち、進路をふさぐ。
「僕も、まだまだ戦えるよ」
シリルは靴紐を締め直し、
「わたくしもまだ暴れ足りませんわ」
とヘレナも巨剣を手に立ち上がる。
「……言っても聞かなそうだな。危険を感じたらすぐに戻れ。本来スタンピードは城壁での防衛戦が基本だ。魔物の軍勢に突っ込むなんて自殺行為だ」
「はい、わかっています」
リーナたちは力強くうなずく。
「私も……行く」
突然、後ろから声がする。目を覚まし、起き上がったのは、ソニアだ。
「だ、だめですよ。ソニア。まだ寝ていなくては」
バルドが制止するもソニアは聞かない。
「お姉ちゃんはまだたった一人で、あそこで戦っているかもしれない。早く助けてあげないと」
「今のお前には無理だ。そんな体で戦えるのか?」
ラモンの言う通り、ソニアはふらふらとしていて、足元はおぼつかず、立っているのもやっとという状態だ。それにもはや魔力も枯渇し、残っていない。とてもではないが戦える状況ではない。
それでも、姉を救いたいその一心で、足を前に進めている。
「エルノアが今どこにいるのかだけ教えてくれ。あとは俺たちがなんとかする」
「なんとかする? そんなことできるわけない。みんな、お姉ちゃんはどうせ死んだと思ってる。でも、死んでない。お姉ちゃんは生きてる。いつだってお姉ちゃんはあきらめたりしない!」
ソニアは呑龍騎士団の騎士たちを怒りに満ちた鋭い眼光でにらみつけ、激しい剣幕でまくしたてる。
「ソニア……」
一歩ずつ、足を進めるソニアになんと声をかければ、いいのか、ここにいた騎士全員がわからなか
った。エルノアの生存が、絶望的であると誰もが、決して口にはせず、なるべく考えないようにしていたが、心のどこかで、そう思っていたからだ。
「騎士はみんなを守るのが仕事なんでしょう? ならそうすればいい。私が守りたいのはお姉ちゃんだけ。お姉ちゃんは私が守る。命に代えても」
ソニアは、ゆっくりと扉を開く。
すると突然、眩い閃光が、あたりを白く染め上げた。
「何事だ」
ラモンたちは、かすむ視界の中、外に出て、ダンジョンを見上げる。
「魔法陣?」
シリルは目を凝らす。
【巨人の螺旋剣】のちょうど第三階層あたりから、ダンジョンよりも巨大な魔法陣が展開され、日が昇りはじめた暁の空に黒い雷雲が立ち込めた。次の瞬間には、黒雲の合間から、ダンジョンに向かって光が降り注ぎ、柱となる。
「美しい」
その神々しさに、ヘレナは息をのむ。
すると次の瞬間、光の柱は収束して一筋の光となり、天から雷撃となって、ダンジョンを包む。そのすぐ後、ピシャーンという爆音が、ルクトラに響き渡る。
やがて、黒雲は消え、陽光が差し込み、崩落したダンジョンの破片を照らす。
「お姉ちゃん!」
ソニアは、腰のケースから一枚のカードを抜き取りかかげる。
「『火炎推進』発動」
足元に、展開された魔法陣から、炎が巻き起こり、ソニアは宙に浮かぶ。そのまま、ソニアは空を舞い、エルノアのいた第三階層へと飛び立った。
「ソニア! くそっ、あいつ、いつの間にあんな魔法を」
ラモンは空に向かって叫ぶ。スタンピードに、巨大な魔法陣と極大の魔法。あまりの現象に理解が追いつかない。
「まだ、あんなに魔力が残っていたとは驚きです」
バルドが傾いた眼鏡を元に戻す。
「いいえ、一滴も足りとも残ってなどいませんわ」
炎を纏い、空を飛ぶソニアを見上げ、ヘレナが言う。
「きっとエルノアちゃんへの強い思いが彼女を動かしているんでしょう」
リーナが言う。
「簡単にいえば、気合いかな」
ラモンたちも、シリルの一言でようやく理解する。
「気合いか。考えるよりも先に体が動く。俺たちにも覚えがある。どうやら、年を取りすぎちまったみたいだな」
「そのようです」
ラモン、バルドたち古参騎士たちは顔を合わせる。
「エルノアは昔から、ロダン似だったが、ソニアはなんだかマリエーヌに似てきたんじゃねえか」
「エルノアもソニアもあいつらにはもったいねえできた娘だ」
古参騎士の一人が笑う。
「まったく、いつまでも超えられねえ壁だよ。あいつらは」
ラモンたちは亡き戦友たちの面影、二人の少女に見ていた。
「さあ、俺たちも働くとするか。遅れるなよ。ひよっこども」
「こちらのセリフですわ。おじいさま方こそ、お休みになったほうがよろしいのでは?」
「そうだね。ここは若い僕たちに任せたほうがいいよ」
こんな時ばかり、ヘレアとシリルは息が合う。
「いいやがる」
リーナたち春詩騎士団とラモンたち呑龍騎士団は、ソニアの後を追って、ダンジョンへと向かう。ダンジョンからあふれ出した魔物の軍勢を切り分けて。




