騒がしい朝
大陸南西部に位置する田舎町ルクトラ。
太陽が顔を見せ始めた、まだ肌寒い初春の朝。一人の少女が目を覚ます。
彼女の名はエルノア。透き通るような翡翠の瞳に、白磁のように滑らかな肌。赤っぽい茶色の髪は、邪魔にならないように短髪に切りそろえられている。その可憐な容姿から、町では評判の娘だ。
「やば! もう朝! 早く行かないと」
エルノアは、ベッドから飛び起きると、寝ぐせで跳ね上がった髪はそのままに、急いで支度を始めた。
少し伸びをして眠気を覚ますと、寝間着を脱ぎ捨て、古びた木の衣装ダンスから、使い古された革鎧を引っ張り出す。
革鎧を身に着け、ベルトで締めて固定していく。鎧といっても胸と関節部保護するだけの簡易的なものだ。
「お父さん、お母さん。私、今日も騎士になるために頑張るから」
エルノアは、壁に掛けてあった古びた剣とカードがぎっしり詰まった革のケースに一礼すると、それをベルトに取り付ける。
あとは端がボロボロになったマントを羽織れば、準備は完了だ。まさに駆け出しの騎士といった恰好だろう。
「よし、準備万端!」
寝起きとは思えないほどに元気なエルノアは、地図や水筒をつめた小袋を持つと、窓をふさぐ木の扉をあけ放ち、窓枠に足をかける。
エルノアの部屋は、小さな酒場の二階にある。それなりの高さだ。
しかし、彼女の頭の中では完璧にシミュレートできている。軽やかに飛び上がり、空中で一回転したのち、ふわりと地面に着地する。というのが彼女のシナリオだ。
華奢な体形だが、身体能力は高いという自負がある。
「とうっ!」
エルノアは恐れることなく、窓から外にジャンプする。
「あっ! わあああ!」
が、うまくいかず、ふちに足を引っかけて、転倒し、そのまま落下する。
(ぶつかる!)
エルノアは目をぎゅっとつぶる。
「あぶない!」
という声が聞こえると、エルノアはなにか柔らかものに受け止められた。ゆっくりと目を開けると、赤髪の少女の顔が見えた。
赤髪の少女は、咄嗟に、エルノアの下に滑り込み、不格好に落下するエルノアを受け止めていた。赤髪の少女は、安心したのか、ピンとまっすぐに張っていた頭頂部についた犬耳を、ぺたりと伏せる。
抱きしめられたエルノアは、足を震わせながら赤髪の少女の胸に顔を埋める。そしてすぐに立ち上がると何事もなかったかのように、
「ふう。助かったよ。ありがとう。ソニア」
と赤髪の少女に笑いかける。
赤髪の少女の名はソニア。白雪のようにきめ細やかな肌に、透き通るようなルビーの瞳。燃え上がる炎のごとき赤髪を短くまとめている。
かわいらしい少女だが、普通の人間とは違うところがある。頭にいは得た赤毛の犬耳とふさふさのしっぽ。ソニアは狼人と呼ばれる獣人であった。
エルノアと同じく駆け出し騎士の風体だが、あどけなさが多少残るものの目鼻立ちは整っていて、ぼろの革鎧も華麗に着こなしている。
貧相で小柄なエルノアとは対照的に、獣人ゆえに体格は恵まれており、豊満な体つきは、革鎧の上からでもよくわかる。
二階から落ちてきたエルノアを軽々と受け止められるほどにその肉体は、しっかりと鍛え上げられており、頑強でしなやかだ。
「もう。お姉ちゃん。二階からは飛び降りないでって言ったでしょ!」
ソニアは赤くなった頬を膨らませて怒る。
容姿こそエルノアよりも大人びているが、ソニアは、年下。血縁関係こそないが、エルノアにとってはともに育った家族であり、妹だ。
「ごめん、ごめん。でも、こうでもしないとみんなにばれちゃうからさ」
「どうせ今日もまたダンジョンに行く気でしょ」
「正解!」
エルノアはびしっとソニアを指さす。
「はあ、私もお姉ちゃんについていく。お姉ちゃん一人だと危ないし」
ソニアはあきれ顔だ。
「ありがとう。いつも、ごめんね。ソニア」
「最初からついてくるように言ってくれればいいのに」
「なんか毎度毎度悪くてさ。でも、いつも一緒に行ってくれて助かっているよ」
エルノアは気恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。
「もう、今更だよ」
ソニアはしっぽを盛んに振る。
「それもそっか。じゃあ今度から遠慮なく」
エルノアの朝の大騒ぎは、今に始まったことではない。もう何度も繰り返されている。特に今年に入ってからは、毎日だ。
最近では三回に一回は、一人で二階からのジャンプに成功するようになったが、ほとんどはソニアが鍛えられるだけの始末となっていた。
「でも、お姉ちゃんも十五でしょう。もう大人なんだから、こんなことはこれっきりにして」
「逆、逆。十五になって、ようやく騎士になれるんだよ。うかうかしていられないよ」
二人の住む自由都市同盟諸国においては、成人は十五歳とされている。十五になれば、一人の大人として社会から認められるのだ。そして、正式にダンジョンに入ることを許された騎士になることができる。
「でも、お姉ちゃんは……」
「さあ、騎士たちがくる前に早く行こう!」
「ちょっとお姉ちゃん!」
一瞬、暗い顔をしたソニアを置いて、エルノアは町の郊外にあるダンジョンに向かって走り出した。
この小規模な地方都市ルクトラの郊外には、【巨人の螺旋剣】と呼ばれる巨大な塔の迷宮がある。
【巨人の螺旋剣】は、らせん状の塔で、遠めに見ると大地に突き刺さった剣のようにも見えることから、その名がつけられた。
ダンジョンとはなにか。その定義はあいまいであるが、一口に言えば、旧時代の遺物である。
大陸各地に存在するが、ほとんどが何のために建造されたかわかっておらず、今の時代の人々にとっては未知の領域である。
大陸各地に横たわる巨大な遺跡たちは恐怖の対象であると同時に富の源泉であり、時には、信仰の対象ですらあった。
魔道具の原料である魔結晶や多様な鉱物、またそこに住み着く魔物の素材など実に多様な資源を生み出す。ゆえにこの時代の人々はダンジョンの周辺に都市を作り、その利益を享受して生活している。
一方で、貧しい都市には、実入りの悪いダンジョンしかない。ルクトラのダンジョン【巨人の螺旋剣】もその一つだ。
【巨人の螺旋剣】の場合、ダンジョン内にある資源は、あまり使われないものが多く、魔物も素材が、使い物にならないものばかりだ。それでいて、探索しようと上層階に行くほど強力な魔物が棲みついていて、命の危険も大きくなる。
うまみの少ない場所には、ダンジョンで戦うことを生業とする騎士もあまり集まらない。当然、攻略は遅々として進まない。結果として、【巨人の螺旋剣】は推定ニ十階層とかなり小規模でありながらいまだに未踏破だ。
エルノアとソニアは、いつもの抜け道を使って、監視の目をかいくぐり、そんなダンジョンに潜り込んだ。