掃除ロボット
大学生になり、上京して一人暮らしを始めた裕太は、洗濯機も電子レンジも揃っていないというのに、掃除ロボットを買った。正確には、買ってもらった。
洗濯機がなくてもコインランドリーに行けば良いし、電子レンジがなくてもコンビニやスーパーで温めればいい。裕太は、上京したらまず買うべき家電として、掃除ロボットが必要だと本気で信じていた。
両親から大学進学祝いに一つ何か買ってやると言われて、裕太は迷うことなく掃除ロボットを選んだ。裕太は、てっきり両親から他のものにしなさいと言われるかと思ったが、あっさりオーケーをもらった。
裕太は昔からかなりずぼらな性格だった。実家にいたときも家事を手伝ったことはほとんどない。包丁も、家庭科の授業で握ったことしかない。それも、結局「ジェーソン!」などと殺人鬼ごっこをして遊んでいただけなので、本来の使い方をしたことはない。両親は一通り家事を身に付けさせておけばよかったと後悔していたが、裕太にとってはどうでもよかった。SNSを見れば、家で料理をしたことなど一回もないという社会人など珍しくないし、家電は日々進化しているから初心者だろうがテキトーだろうが問題ない。
しかし、掃除だけは別である。部屋にいる時間が多くても少なくても、部屋中に毎日埃は積もる。しかし実家のように誰かが定期的に部屋を掃除してくれるわけではない。水回りといった特殊な場所は月一、二回ハウスクリーニングを頼んだとしても、床の掃除くらいはさすがにしないとまずい。しかし、自分で汗を垂らしながら掃除機を掛けるなどということは、絶対にしたくない。
ここで、掃除ロボット、ベールの出番である。
ベールは、数ある掃除ロボットの中でも、ネットでの口コミ評価が最も高い製品だ。掃除ロボットというのは、大抵平べったい形をしていて、自動で床の汚れを取るというものだ。その点においては、ベールは他の製品と変わらない。違うところと言えば、他より少しコンパクトであり、バッテリー容量はその分少ないが、狭い隙間にも入り込んで掃除することが特徴の一つだ。かゆいところに手が届くという理由で、単身者を中心に人気を博している。
しかし、ベールの人気の秘密は別のところにある。精密な人工知能を搭載し、家主に合わせて成長するという点が、他との差別化に一役買っている。
尤も、ほとんどの掃除ロボットは人工知能を搭載している。その中でもベールの人工知能は、家主の家での行動を観察し、家主の「価値観」に合わせて成長し、唯一無二の掃除パートナーに成長するというのだ。
なぜ、家主の価値観を学習するのか。一見変わった人工知能を搭載させた理由について、開発責任者であるK氏は、製品ページにて以下のように語っている。
掃除の価値観を共有するという発想は、掃除家電には今までにないものです。でも、掃除において価値観が同じであるというのは、とても大事なことだと思っています。
昔、母親が掃除機を掛けていたときにプレイ中だったゲーム機のコンセントが抜けてしまった、という内容の歌がブームになりました。つまり、テレビ周りを掃除したいと考える母親と、ゲームをしているから自分の周りでは掃除機を掛けないで欲しい子どもとの間で、掃除に対する考え方、即ち価値観が違うんですね。そして親子喧嘩になる。
掃除ロボットでも、それまで「こういうところまで掃除して欲しい」、「ここまでやらなくてもよかったのに」といったロボットとお客様の間でのずれがあったと思うのです。家族なら話し合って価値観をお互いに寄せる努力が必要ですが、ベールはあくまでも道具です。人工知能がお客様のライフスタイルを学んで、ストレスレスな生活環境を提供します。
荷ほどき作業に飽きた裕太は、ベールを梱包材から取り出し、電源を入れた。
『Hello. Please tell me your language.』
ベールから女性のような声が発せられた。ベールは音声認証機能を搭載しており、原則音声で操作する。
「日本語」
『日本語ですね』ベールが日本語を出力し始めた。
『あなたのお名前を教えてください』
「裕太」
『裕太様ですね。認識しました。他に同居している方はいますか。同居人は後から追加できます』
複数人が住む世帯では、声紋認証によって家主を識別し、部屋の住人にあった掃除をするという機能がある。
「いない」
『承知しました』
生年月日などの基本情報の設定後、なぜか趣味や好きな曲など、関係なさそうなことまで聞かれた。個人情報流出が少し不安になったが、自分の生活様式を早く学習して欲しいと考えた裕太は、全ての質問に対して正直に答えた。
『ありがとうございました。申し訳ありませんが、バッテリーが残り十パーセントを切ったので、充電してください』
「はいはい」
裕太は立ち上がって、付属品の中からACアダプタとドッグを取り出し、部屋の隅に設置すると『ありがとうございます』とベールは音声を発し、自動で充電器の方に向かった。
「すげえな、どこで充電すればいいのか、自分で分かるのか」
『はい』
独り言を言ったつもりだったのにベールに返答され、裕太は少し飛び上がった。
それから一週間ほど、ベールは期待通りの働きを見せた。自分が大学やアルバイトに出掛けいる間にベールは自動で起動し、掃除を始める。ワンルームなので、玄関とユニットバス以外は全てきれいに掃除してくれた。大体裕太の帰りは夜遅いのだが、裕太が帰ったときにに最もきれいに感じられるよう、ベールは帰宅時間ギリギリに掃除を行った。おかげで、裕太が帰宅して裸足のまま上がっても、足裏に埃のようなものは感じられなかった。
「ベール、お前本当にすげえな」
サークルの新入生歓迎会で飲み過ぎた裕太が、あまり回っていない呂律で暗い部屋で独りごちると、また『ありがとうございます』と部屋の隅から返事が聞こえた。
小さな異変を感じたのは、それから少し経った頃だった。ある日も同じように夜の遅い時間に帰宅して裸足で家に上がると、わずかだがざらっとした感覚を足裏に覚えた。足裏を見てみると、かすかに埃が付いたようだ。
「おい、ベール」
部屋の中央で裕太が呼びかけると、音も立てずにベールが姿を現した。
『なんでしょうか、裕太様』
「床に埃が付いてるぞ」
『裕太様は家に多少の汚れがあっても気にしない方だと学習しました』
「はあ? 現に今、俺の足の裏に埃が付いてるんだぞ。気持ち悪いだろうが」
『埃が足裏に付くのが気持ち悪くて、ゴミが家の中に散乱しているのは気持ち悪くないのでしょうか』
「え?」
裕太は部屋を見回した。ローテーブルの上には、昨日夜食で食べたカップ麺の空容器が、使用済みの割箸とともに放置されていた。シンクには、ビールの空き缶がいくつも積まれている。その下には、パンパンになったゴミ袋が三つほど置かれていた。玄関には、先々週暇つぶしに買ったマンガ雑誌が、皺の寄った状態で投げ捨てられていた。
裕太は、最初の数日は決められた曜日に分別ルールに従って、きっちりゴミを出していた。だが、ある日分別が面倒になって色々なものが混ざった状態でゴミを出したところ、案の定回収されなかった。それ以降、分別が面倒になった裕太の家には、ゴミ袋が溜まっていった。七畳あるワンルームのうち、まだ引っ越して一ヶ月ほどしか経っていないのに、すでに一畳ほどはゴミが天井にまで堆く積まれていた。
「そ、それはそれだろうが。とりあえず、床は前みたいにきちんと埃が残らないように掃除しろよ」掃除ロボット相手にバツが悪くなった裕太は、話を打ち切った。
『畏まりました』ベールもそれ以上反論しなかった。
それから三日後の夜、裕太が帰宅すると、暗い部屋の隅で赤いランプが点滅していた。裕太が恐る恐る近付いてみると、ベールがゴミをためるフィルターが一杯なので取り替えるよう催促していた。
「驚かせんなよ。ま、でもいつかはゴミも溜まるよな」面倒だなと思いつつ、夜寝るときにも赤いランプが点滅したままだと気になるので、フィルターを交換することにした。
本体側面の表記に従って、裕太はフィルターを開けた。すると、「ここまで溜まったらフィルター交換」と書いてあるゴミ満杯ラインには、まだゴミは二、三センチほど到達していなかった。
「なんだ、まだ余裕あるじん。故障か?」
『いえ、どうせすぐにはフィルター交換をしないと考え、早めに交換ランプを点灯させました』
「うわっ」
フィルター交換中にも拘わらず、ベールから答えが返ってきた。
「びっくりした……。ていうか、『すぐにはフィルター交換をしないと考え』って何だよ」
『それは、裕太様が日頃怠惰な生活を送っているので、ランプが点灯しても、ランプ点灯より、フィルター交換をする面倒くささの方を優先する可能性の方が六十パーセント高いと考えました。しかし、今回はすぐフィルター交換をしてくださって、助かりました』
「何だよ、ふざけやがって」裕太はベールに嫌気が差していた。
結局、それから裕太はベールに頼らず、真面目に家事をするようになった。一ヶ月もすると、親からの仕送りとアルバイト代だけでは定期的にハウスクリーニングを頼めるほどの余裕がないと分かってからは、水回りの掃除も自分で行うようになった。ネットで検索して買い込んだ百円ショップの掃除道具で蛇口を磨くとみるみる輝くさまに裕太はハマり、いつしか週一回は時間を掛けて掃除をするのが日課になっていた。
上京から四ヶ月ほど経った夏、母と弟が東京に来て、ついでに自分の家に寄ることになった。弟が大学のオープンキャンパスに来るために東京に来るのだという。
家に足を踏み入れた母は感嘆の声を漏らした。家には溜まったゴミ袋もなく、埃もほとんど落ちておらず、入居し立てのような清潔さを保っていた。
「裕太にしては、きれいにしてるじゃん」
「最近の俺のブーム、掃除だから」
「これもベールのおかげね」
「残念ながらベールはポンコツだよ」裕太は溜息を吐いた。「使い始めた頃はよかったんだけど、ああだこうだ言って、ちゃんと掃除しなくなっちまった。だから俺がするようになったんだよ。まあ一応今も使ってるけど」
「ベールはポンコツなんかじゃないよ。おいで、ベール」
母がベールに呼びかけると、母の声紋認証をしていないはずなのに、ベールは母の傍に向かった。
『はい、弘美様』ベールは母の名前を発した。
「何で? お母さんのこと認識してないよね?」
「してるよ。だってこれ、買ったのは私でしょう? 裕太が分かんないように、事前に私の声を登録しておいたんだよ」
「何だよそれ」
「それに、ベールがちゃんと掃除しなくなったっていうのも、私の指示だから」
「はあ? どういうことだよ」次々と明かされる真実に、裕太は着いていけなかった。
「裕太が自分でちゃんと掃除するように、あえてだらしない裕太の真似をして、手を抜いて掃除するよう、私が管理者権限で命令しておいたからね。元々、このAIは家主の生活を真似ることに長けてるから、まるで裕太のように仕事テキトーだったでしょう」
母は笑っていたが、裕太は返す言葉がなかった
「私の方が裕太より一枚上手だったってことよ。親を舐めるんじゃないわよ」