私がいてもいなくても
綺麗に掃除の行き届いた玄関先に子供達とメイドが勢揃いして迎える。
「お帰りなさいませ」
父は満足そうに頷くと、帽子とコートを執事に渡している間に、執事から業務連絡を聞いている。足元には弟と妹がまとわりつく。
ふと視線が私に向き。
「リリアナいたのか?」
「はい、お父様」
「先日渡した課題は終わっているのか?」
「はい、お父様」
「ならばこれをやっておけ、分かったら部屋へ行け」
「はい、お父様」
仕事から帰ってきた父を出迎えるのは我が家の決まり、弟や妹には甘く笑いかける父。どうでもいい。
部屋に戻り安堵の息を吐く、父の機嫌が悪いと無理難題を言い渡される時があるからだ。
『リリアナ大丈夫?』
『大丈夫、今日は機嫌が良かったみたい』
精霊のアシュアが声を掛けてくる。
私は精霊の愛し子とアシュアに言われたけど、愛し子よりも普通に父に愛される弟や妹の方がよっぽど良かった。今はもう、そんな事も思わないけど。
子供の頃から私だけ父のあたりが強くて悲しかったけど。父の書斎で漏れ聞いてしまった会話で諦めた。
「ご当主様あまりにもリリアナ様が」
「分かっている!だがあの銀色の目を見ると」
「しかし、リリアナ様のせいでは」
「分かっているといってる!」
そっと父の書斎から離れ、父を窘めてくれた執事のセバスチャンは、その後直ぐに代替わりさせられた。
今はセバスチャンの息子が統括執事をしている、新しい執事は私を居ない者として扱う。弟も妹も父から嫌われている私を見て、虐げていい者だと思ってる。ほんと鬱陶しい。
嫌う理由が身体的特徴であれば、いくら努力しても変えることはできない。要は何をしても無駄、嫌いなものは嫌い、そう言う事だ。
母は5つ下の双子を産むと産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。
母が生きていた時から冷たかったが、母が亡くなり箍が外れたように私に厳しくなった。
それまでついていてくれた乳母は双子の世話係となりそれからの身の回りの事は自分でするようにと父に言われた。
今日で13歳になった、家族は誰も祝いはしない。
というか覚えて無いだろう、母が亡くなった次の年から祝われて無いから。
代わりに精霊達がお祝いと言って、部屋に花を沢山撒き散らしている。後で精霊に片付けさせるので好きにさせている。
どうせ私の部屋には誰も来ない。
あと1ヵ月もしたら学園に入れられる。
『リリアナおめでとう!』
『リリアナ今年も元気で!』
『リリアナ今年も綺麗に!』
『リリアナ大好き!』
『リリアナ!リリアナ!』
精霊達が祝福をくれる。
「皆、ありがとう」
毎年贈られた花はポプリやサッシュにして大切にしている。
□□□□
なんというか、学園は天国だった。
父に疎まれ寮に入る事になったのだが、毎日嫌いな家族の顔を見ないというのは、思った以上に心の平安をもたらした。毎日の学びは楽しく、なにより友が出来た。
寮の廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた。
「ねえ、何か落ちたわよ?」
「あ、拾ってくれてありがとう」
「何だか凄く良い香りがするわ、これ」
「ラベンダーのサッシュよ、良かったら差し上げるわ」
「本当?!ありがとう私はルネ宜しく!」
「私はリリアナよ、こちらこそ宜しくね」
寮に慣れないルネは寝不足だったらしく、その日からグッスリ眠れたと感謝された。
数日後に、ルネから話を聞いた令嬢が私の部屋を訪れたので、サッシュを渡すと喜んで帰っていった。
人に喜んでもらうのは、物凄く嬉しかった。
『リリアナ、リリアナ最近嬉しそう!』
『リリアナ嬉しいと私達も嬉しい』
精霊達がこんなに楽しそうなのも初めてだ。
□□□□
早いもので学園に入ってから2年が経つ。
今日、急に父から呼びつけられ、屋敷につくと記憶より少し老けた父がいた。
「リリアナ参りました」
「…1週間後、ハシド伯爵の再婚相手として嫁ぐことに決まった準備するように」
一瞬何を言われているのかわからなかったが、その意味を理解した時には父から下がれと言われた後だった。
どうしても父は、私が幸せに暮らすのが嫌なのだろう。
成婚とは名ばかりに私を押し付けられたハシド伯爵だが、父よりも年上の伯爵は私をひと目見て鼻を鳴らした。
「成人は18歳、その時に婚儀をする」
そりゃそうだろう、私はハシド伯爵の前妻が産んだ娘よりも若いのだ。それでも15の小娘に手を出さないまともな人で良かった。
学園を突然辞めさせられ、友へ別れの言葉すら言えなかった。この屋敷の使用人は冷たい眼差しを向けてくる。
父がどんな手を回したかはわからないが、侯爵家からの打診を断れなかったのだろう。ハシド伯爵の娘は昨年嫁いでいて味方は誰もいなかった。
綺麗に掃除の行き届いた玄関先に私とメイドが勢揃いして迎える。
「お帰りなさいませ」
いつか見た光景だ、どこの貴族も同じようなものなんだ。
違いはハシド伯爵は私を居ないものとして無視すること。父はさぞ、満足だろう。これから一生冷遇され続ける事が決まったのだ。
さて、伯爵の家に来て1週間が過ぎた。
何もする事もなく、皆に無視され、私はこのままいてもいなくてもいい存在なら、もうこの辺で良いだろうか?いい加減父にはうんざりだ。
『アシュアいる?』
『呼んだ?』
『私、そちらに行く事に決めたわ』
『本当?!精霊王も喜ぶ!!』
『そうだと私も嬉しいわ』
『当たり前じゃない!自分の嫁なんだから!今回めちゃくちゃ怒ってて宥めるのが、物凄く大変だったんだよ?』
『ごめんね、ちゃんと私からも謝るわ』
『本当?お願いだよ?さあ、精霊王の王妃リリアナ様行きましょう!』
『ええ、宜しくね』
その日、雨も降らないのに空に大きな虹が幾重にも掛かり国を騒然とさせた。伝承では愛し子の渡りとも呼ばれている。
忽然と消えたリリアナに、ハシド伯爵はリリアナの父ナーフ侯爵を訴えた。貴族の婚姻は契約だ、契約を一方的に破棄したとみなし契約書に基づいた慰謝料を請求した。
一方、リリアナの父ナーフ侯爵は荒れていた。
「リリアナは何処だ!なぜ見つからん!」
「セバスチャンを呼べ!あいつなら何か知ってる筈だ」
「旦那様お呼びでしょうか?」
「セバス!リリアナを何処へやった!」
「旦那様一体どうされたのです?」
「お前は昔からリリアナに優しくしていたな!何か知ってるのだろう!リリアナの本当の父は誰だ!」
「旦那様…何度も申し上げております、リリアナお嬢様は旦那様のお子ですと」
「ならば、あの目は何だ!」
「旦那様、先日愛し子の渡りがあったのをご存知で?」
「ああ、国が大騒ぎになっていたな、それがなんだ?」
「あの日、お嬢様は精霊の国へ渡られたのでしょう」
「は?精霊?まさか!」
「あの銀の瞳、間違いございません。リリアナお嬢様は愛し子だったのでしょう」
「そんな…そんな馬鹿な…」
「長年お仕えして参りましたが、お嬢様のお顔立ちは旦那様と瓜二つでございますよ?もう宜しいでしょうか、旦那様」
長い沈黙の後、絞り出すようにセバスチャンに言った。
「あぁ、すまなかった。下がれ」
この国の古い伝承に、精霊の愛し子というものがある。精霊の番として生まれる愛し子の瞳に銀色の目印をつけるのだ。
無事、精霊と伴侶になると瞳は本来の色になるという。
妻の不貞を疑い自身の子を虐待していた男は、精霊の愛し子を虐待した男として有名になり没落した。
今ではあの男と同じ菫色の瞳を持つ妻は、現世の事には関心がなくなり、生まれてくる我が子を心待ちにしている。精霊王妃として皆に愛され幸せいっぱいだ。
本当に人間とは愚かな生き物だな、猜疑の種を植えつければ信じるよりも脆く壊れる。お陰で、かなり早く愛しいリリアナが現世を見限ってくれた。
感謝しかない。
この世の美しさを体現した精霊王は王妃を優しく抱きしめ頬に口づけを落とした。




