不完全個体
「……本当は、迷ってここへ来たのではないのね」
姫愛が言うと、リーシャは僅かに目を瞠ってから、申し訳なさそうに頷いた。
「ごめんなさい……どうしても、一度、あなたに会ってみたかったのです」
「わたしに……?」
思いも寄らない言葉に姫愛は返す言葉が見つからず、そのまま問い返した。澄んだ瞳で姫愛を真っ直ぐに見つめ、リーシャは淑やかに頷く。
「ソムニアでは、生前選別が当たり前です。不備のある個体は、人間も機械も生きる権利を与えられません」
「……そうね」
改めて言われるまでもなく、理解していることだ。リーシャの意図が汲めず、つい声の端に棘が乗ってしまう。
「でも……本当に不備のある個体は生きる価値がないのか、権利を与えることさえも赦されないのか、ずっと疑問だったのです」
不備のある個体。その言葉を、姫愛は幾度となく向けられてきた。いまとなっては姫愛を表わす単語でもある。生まれるはずのない不完全体。あってはならない命。
自分のせいでユーリが苦労をして、一人で抱える羽目になっている。
「そう……」
やっとそれだけ呟くと、姫愛はきつく掛け布を握り締めて俯いた。
疑問など、姫愛自身抱いたこともなかった。生きることが罪で、当たり前に存在を責められて然るべき船のお荷物。もしこの方舟が沈みそうになったときは、真っ先に投げ落とされなければならないもの。
そう、思っていたのに。ユーリの他に、疑問を口にする人がいるなどとは、夢にも思わなかった。
「フィーネ……」
リーシャの手が、やんわりと姫愛の手を包む。機械であるはずのリーシャの手は、不思議なくらいやわらかくて、温かかった。
「……疑問だったから、それを見極めるために、わたしに会いに来たの?」
「それも、少しあります。でも、それは上層のための建前なのです」
「え……?」
ソムニアを護る艦の管理者が、あってはならない不備のある個体を見極めるために訪れたものと思っていた姫愛は、驚いて目を丸くした。
「お父様にお友達がほしいと言ったら、中層のフィーネという子ならわたしと仲良くなれるって言ったのです。それで、悪いとは思ったのですけれど、管理者権限を使用してフィーネのおうちを探して……」
「そのまま、会いに来たのね」
姫愛の言葉に、リーシャはこくんと頷いた。
「嘘をついてごめんなさい。探して会いに来たなんて言ったら、きっと怪しまれると思ったのです……」
しゅんと俯いて謝るリーシャは本当に無敗の戦艦なのかと疑問に思うほど、姫愛と変わりない普通の少女に見える。姫愛の手をそっと包んでいたリーシャのやわらかな手がするりと離れるのを感じて、咄嗟に掴んで引き寄せた。
「待って。わたし、別に怒ってないわ」
先ほどからリーシャの表情が冴えないのは、姫愛の声が冷たいからだろう。頭ではわかっているのに、明るくお喋りなどしたことがない姫愛にとって、他人に愛想良く振る舞うことは至難の業だった。
だがそれでも、リーシャに誤解されるのは嫌だった。自分などより余程人間らしく愛らしい、稚い人形姫。その可憐な表情に笑顔が咲くのを見たいと思ったのだ。
「……ほんとうに……?」
「ええ。わざわざ調べて、中層にまで会いに来てくれたんだもの。それに……」
姫愛は、布団の下に隠された自身の足先辺りへ視線を落とした。
やわらかく厚みのある布団は、姫愛の細い体を完全に覆い隠している。頭の先まで潜り込んだら、どこに寝ているのかわからなくなることもあるほどだ。
「わたしも、ずっとこの部屋と兄のユーリだけが世界の全てだった。どんな理由でもいい……わたしとお友達になりたいって思ってくれたのがうれしいの」
姫愛の言葉に、リーシャはうれしそうに表情を綻ばせて「ありがとう」と言った。花が綻ぶような微笑は、とても管理者AIドールには見えなかった。