突然の来客
「……? 誰か、いるの?」
読書を始めて暫く。姫愛は家の前に気配があることに気付いて、首を傾げた。兄が帰る時間にはまだ早く、来客があるという話も聞いていない。
ベッドの上にARモニターを出現させて見ると、姫愛と同い年くらいに見える淡い白金の髪に碧い目の少女が、不思議そうな表情でカメラのレンズ付近を見上げている様子が映し出された。
少女は淡い桃色のワンピースと、揃いのヘッドドレスを身につけており、長い髪の先がくるりと縦に巻かれている。白いレースの手袋には白薔薇の造花が咲いていて、靴のつま先にも同じ造花が乗っている。中層でも滅多に見ない、人形じみた服装だ。長い睫毛に覆われた大きな水色の瞳も、滑らかな白皙の肌も、桜色の唇も、淡紅色に染まったやわらかそうな頬も。なにもかもが完璧に愛らしい。
もしかしたら実際に人形――AIドールなのかも知れないが、カメラ越しにそれを確かめることは出来ない。
「どちらさま?」
モニターの設定をいじってマイクをオンにしインターフォン越しに声をかけると、外の少女は驚いた顔になって、辺りを見回した。それから暫く経って、目の前にあるカメラに気付くと人の目を見るようにじっと見つめ、怖ず怖ずと話し始めた。
『あの……迷ってしまって……お迎えが来るまで、置いて頂けませんか……?』
機械越しの声はか細く、表情は本当に困っているように見える。
ユーリからは知らない人が来ても相手をしなくていいと言われているが、向こうも自分と同じくらいの年の少女だ。
冷たく追い返して、心細さを抱えたまま彷徨い続けて帰れなくなってしまったらと思うと、胸が痛んだ。
「……どうぞ。なにも、おもてなし出来ないけれど……」
『ありがとう』
迷った結果、姫愛は鍵を外し、少女を迎え入れることにした。
少女が家に入ったのを確かめると改めて施錠し、玄関内部に設置してある空気清浄ゲートが作動したことを確かめてから、遠隔操作で部屋の扉を開けた。
外から来た人には必ず清浄ゲートで消毒を受けてもらうことになっているのだが、そう言えば、ユーリと主治医以外の人間が訪ねてくることがなくなって久しいため、説明を忘れていたことに遅れて気付いた。
「こっちよ」
「あ……お邪魔します」
気を悪くしていなければいいけれどと思いつつ扉越しに声をかけると、不安そうに辺りをきょろきょろと見回していた少女が、ほんの少し安堵した表情になって部屋に入ってきた。
改めて近くで見るにこの少女はどうやら人間ではないようだ。白い喉元に刻まれた小さな個体識別IDが、それを示している。逆に言うなら、IDさえ隠してしまえば人間と見分けがつかないということでもある。
ソムニアや大型艦には上層管理者AIが搭載されていて、それらには全て、個別に専用ドール素体が作られている。管理者AI以外にもAIドールはいくつも存在しており、姫愛も両親が健在だった頃は、小児病棟で患者と遊ぶために作られた子供型のAIドールとよく遊んだものだった。
目の前の少女もそういう類のものだろうかと思いつつ、姫愛は一先ずベッドの傍にある小さな椅子を勧めた。
「どうぞ。ベッドに入ったままでごめんなさい。起きているとつらいの」
「いえ、押しかけてしまったのはわたしですもの……ありがとう」
少女は優雅な仕草で腰を下ろすと、ぽんと手を合わせて眉を下げた。
「わたしったら、お邪魔しているのに名乗ってもいませんでした」
ごめんなさいと言ってから、少女はにこやかに名を名乗る。
「わたし、リーシャといいます」
「リーシャ……わたしは、……フィーネよ」
一瞬迷ってから、姫愛は外国人名をのほう名乗った。本当は、フィーネという名は名乗りたくなかった。上層に無理矢理押しつけられた忌まわしい烙印を口にする度、自分は生きていてはいけないのだと思い知るから。
外国人には外国人名を名乗り、日本人名は日本人同士で使う。変わった風習だが、アジア発祥の人種は最早ソムニア艦内の日本人しかいないため、名前だけでも故郷を忘れないようにとのことで定着したのだと教本にあった。
(リーシャ……聞いたことがあるわ)
姫愛の知識にあるリーシャといえば、護衛艦ベアトリーチェの管理者AIドールの名だ。
不沈艦やら無垢の女王やらとにかく強そうな異名を持ったソムニアの防衛の要で、大仰な名前とその華々しい戦績は一般にも知られており、学習院初等科に通う子供ですら知っているソムニアの一般教養だ。
しかし、そうだとするなら、迷ってここにいるはずがない。管理者AIは、自身の名を持つ艦ならどの場所にもアクセス出来る最高位の権限を持っている。そして更に護衛艦AIは防衛の都合上、ソムニアの管理者AIに並ぶ権限を所持しているはずである。艦内で迷うことなどあり得ない。
つまり、告げた名前か、ここへきた理由のどちらかが偽りなのだ。