下層にて
下層に着くと、ユーリは小型艇整備ドックの作業員詰め所に駆け込んだ。
其処は簡素な事務机と最低限の物置棚と水道があるだけの、飾り気のない部屋だ。奥にはロッカールームへ通じる扉があり、数人の談笑する声が聞こえてくる。
「おはようございます!」
ロッカールームで身支度をしている以外の作業員は、既に作業場へと入っているのだろう。詰め所には整備士隊長のアーヴィンしかいない。
「おはよう。今日は小型輸送艇の点検がある。準備が出来次第ドックへ向かえ」
「はいっ」
飛び込んだ勢いをそのままに、向かい側の壁にあるロッカールーム入口へと駆けていくユーリの背に、アーヴィンの「ユーリ」という低い声がかかった。扉へ駆け込む寸前で急停止をして振り向いたユーリの目に映るアーヴィンの表情は、いつものことながら全く読めない。
緊張した顔で要件を待っていると、アーヴィンの口元が僅かにほころんだ。
「第一成人おめでとう。祝いの品はロッカーにある。身支度を調えたらすぐ三十六番ドックまで来い」
「……っ! 了解です! ありがとうございます!」
九十度を越す見事なお辞儀と共にお礼の言葉を叫ぶと、ユーリは今度こそ、元気にロッカールームへ駆け込んでいった。
アーヴィン・ダヴェンポートは三十五歳の若き整備士長で、ソムニアの外周を整備するための上級工作艦シュワルベの艦長としても働いている優秀な男である。元々は小型輸送機専門の整備士だったが、やがて中型艦も整備するようになった。
彼の精確無比な仕事ぶりは、整備士隊の中でも随一と言われており、上層の機体も任せられているとの噂もある。
くすんだ金髪に青緑の瞳、白人特有の淡い肌色に僅かな無精ひげを乗せた、無骨な仕事人風の男だ。整備士歴は二十年と、働き始めた年齢はユーリと然程変わらない。だからか、彼はユーリたち天使兄妹をよく気にかけていた。
ユーリの事情を汲み、フィーネの高額な医療費を立て替えた人物でもあり、兄妹にとって第二の父親のような存在でもある。彼への恩義を返すため、フィーネと生きていくため、ユーリは十歳の頃から見習いとしてアーヴィン隊で働いていた。
「おはようございます!」
「おはよう、ユーリ。今日から脱若葉だな。厳しくなるぞ」
「はいっ! 俺、早く先輩たちに追いつけるようがんばります!」
照れ隠しからか、冷やかしを含む祝福の言葉にも真っ直ぐに答えるユーリに、先輩整備士たちは豪快に笑いながら肩を叩き、退室間際に「おめでとさん」と言って出て行った。
先輩たちを見送ってからユーリは自分の名前が書かれたロッカーの前に立ち、緊張しながら個体認証キーに触れた。一見指紋認証に見えるそれは、体内に埋め込まれた個体識別ナノマシンを読み取っている。見た目は旧地球歴世代のレトロを通り越して骨董品じみた灰色のロッカーだが、内蔵している機器はさすがに現代的だ。
一拍の間を置いて、シュッと乾いた音と共に扉が真上に開いた。
「あ! あった!」
ロッカーの中に見慣れない箱を見つけ、両手で仰々しく取り出した。その箱は製造ラインから搬出される際の簡易的な梱包そのままの無骨な箱で、決して贈り物らしい綺麗なラッピングがされているわけではなかったが、ユーリにとっては遺跡の最奥に秘められた宝箱にも等しく映った。
箱の中身は、アーヴィンを初めとする隊の整備士たちが使っている専用工具と同じものだ。まだユーリの手には少々大きいが、それも使っていくうちに馴染んでいくのだろう。
ユーリがいつか言ってみたい言葉の中に、先輩たちが口を揃えて言う台詞がある。
『何だかんだ言って、相棒との仕事が一番だ』
工具は整備士にとって無二の相棒。
共用の工具も同じところで製造した同じ型のものなので、決して作りとして相棒に劣るわけではない。だがそれでも、手に馴染んだ工具での仕事は整備士に期待以上の成果を齎すのだ。
共用工具で簡単な整備と訓練以外したことがないユーリにとって、当然ながらまだ先輩たちの言う「相棒との仕事」の感覚は、想像すらつかない世界である。
「……俺も、がんばってコイツと本当の相棒にならないとな」
専用のベルトに工具をセットしていきながら、決意を新たにする。いままで使ってきた共用のものは専用の箱へと戻し、小さく「いままでありがとうな」と呟いてから静かに閉じた。
身支度を整えてドックへ駆け込むと、先輩たちの一部は既に仕事を割り当てられていた。指示を出しているアーヴィンの元に駆けつけると、短く「ついてこい」とだけ言って歩き出した。
それに従ってあちこちから金属音のする作業場を進んで行くと、隅に一つ小型輸送艇が停まっていた。人が操縦するように作られていないそれは、丸みを帯びた形状と小さめのサイズ感も相俟って、何とも言えない愛嬌がある。機体前方についた二つのライトが円形であることも、それを強調して見える。
「今日は、お前にこいつを任せる」
「えっ」
驚くユーリに、アーヴィンは表情を変えずに続けた。
「もうお前は見習いじゃない。工具持ちだ。最終チェックは俺がやるが、お前一人で整備するつもりで挑め」
「俺一人で、これを……」
「そうだ。不備があれば、それがアーヴィン隊の評価になると思え。いいな」
「……っ、はいっ!」
背筋を伸ばして返事をし、ユーリは早速点検に取りかかるのだった。