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存在しないはずの命

 地球産環境循環型コロニー、アルカデソムニア。日本製の星海船は、災厄によって地表の八割を失った地球に代わり、第二の故郷となって久しい。

 大きく三層に分かれた艦内は、大都市をそのまま内包したかのような作りとなっており、場所によってはARの空を投影しているところもある。

 外観は巨大な球体で、周囲を交差したリングが巡っており、そのリングがゆっくり回転して内部の重力操作を担っている。

 星歴も千年を超えたいまとなっては、地球を調査に訪れる数多の惑星の一つと認識している人が大半で、故郷であると考える者のほうが少なくなってきていた。


 ユーリ・エンゲルハルト――日本名天使悠人(あまつかゆうり)もまた、そんな人間の一人だった。

 ソムニアで生まれ育ち、地球の大地も空も知らぬままに十五の誕生日を迎え、先日第一成人式を行った。

 この船では、十五歳で正式に進学か就職を選ぶ権利を得るのだが、ユーリは迷わず就職を選択し、整備士として工作艦シュワルベ艦長の下で働く道に進んだ。

 身支度を調えて朝食を済ませると、ユーリは双子の妹である姫愛ひなの寝室を訊ねた。

 彼女にも悠人同様に、外国人名と日本人名がある。姫愛の外国人名は、フィーネ。旧イタリア語で『終わり』を意味する言葉だ。この命名は出生の許可をされたときに上層から命じられたもので、名の意味するところは『彼女で最後』となる。


「おはよう、姫愛」


 ノックをしてから扉を開けると、姫愛は体を起こして枕に背を預け、ユーリに淡く微笑みかけた。窓から差し込む人工太陽光に白髪と白肌が透け、姫愛の儚げな容姿をより強調して見せている。


「おはよう、ユーリ。いまからお仕事?」

「ああ、今日は成人祝いに工具がもらえるんだ」

「おめでとう。これで整備士に一歩近付くのね」


 自分のことのようにうれしそうな声で、姫愛はユーリを祝福した。ユーリも頷いて答え、腰から下げたバックパックに触れる。

 ユーリはずっと、中層学習院に通いながら整備士見習いとして学んできた。

 仕事内容といえば、共用工具の手入れや先輩整備士の仕事見学、模型を使った疑似整備などであった。下積みを疎かにする人間に大事な仕事は任せられないという師の言葉を胸に、地道に積み重ねてきた時間が漸く少し報われるのだ。


「ずっと共用の借り物だったけど、やっとだ。これから思い切り稼ぐからな」

「ユーリ……」


 姫愛の細く小さな手が、ユーリの頬に伸びて触れる。指先が冷えているのを感じ、ユーリはその手に自分の手を重ねた。


「無茶しないでね。わたしは、ユーリがいてくれればそれでいいのよ」

「わかってる。姫愛を独りぼっちになんかさせない」


 ユーリには、二十五歳で迎える第二成人を待たずに仕事を始めなければならない、理由がある。それは姫愛を独りに出来ない理由と同じだった。


 アルカデソムニアでは、人類の遺伝子は選別されて生まれてくる。

 寿命が極端に短い、内臓疾患がある、五体満足で生まれてこられないものなどは、選別の時点で落とされる。余程の事故がなければ平均寿命を越えられると判断されたものだけが生産の許可を得られるのだ。

 姫愛は本来なら選別時点で落とされる命だった。だが、様々な要因が重なってこの船の一員として生まれてきた。その一つに、ユーリと結合双生児だったことがある。ユーリは、産声を上げる前から姫愛を兄として護っていたのだ。

 船内には、生まれつき体が弱い人間は、姫愛を除いて一人もいない。勿論、怪我や病気は存在するため、病院もあれば患者もいる。けれど、それも一時的な治療で済む者ばかりで、姫愛のように一歩も外へ出ることすら叶わない者は存在しないのだ。

 いや――存在してはならないのが、本来の船のあり方だった。


「でも、約束だからな。がんばってくるよ」


 約束の内容は言わない。姫愛を悲しませるから。

 約束の内容は聞かない。ユーリがつらそうにするから。


『どうしても妹を生かしたいのなら、お前が二人分働け。それがここの掟だ』


 彼の惑星でさえ、土地も資源も無限ではなかったのだ。方舟の広さには更に限りがある。働き手にならない人間が増え続ければ、漕ぎ手が減って船はいずれ沈む。

 生前選別を人が神の領域に踏み込む行いだとして忌避した某国の大型船は、自然に任せた結果、先の二百年戦争を生き残れずに滅んだ。いまや地球産の大型コロニーで残っている方舟は、このソムニア一隻のみである。


「行ってらっしゃい、ユーリ」

「行ってきます」


 妹の見送りを受け、ユーリは家を出た。


 双子はいま、両親が生前居を構えていた中層にそのまま住んでいる。姫愛が清浄な空気の中でしか生きられないため、下層の労働者用アパートでは生活出来ないという理由もある。抑も姫愛の主治医が中層の病院にいるので、動けるユーリが階層を移動して出勤することを選んだのだ。

 中層の居住区は、日本の住宅街をそのまま再現したような作りをしている。車道の代わりに自動ポータルが行き交い、電車やバスなど公共交通機関は全て大型トラムが担っている。地下には貨物輸送用のチューブが張り巡らされているなど、此処が船であることを思わせる設備は多々あるが、休日には空を投影し、公園で休息を取ったりARの桜や藤を眺めて花見をしたりすることがある。こういった閉塞感のない作りは中層以上の特権でもある。

 ユーリの勤務地である整備工場は、そんな快適な中層から一段階下がった、下層にある。下層は労働者が働き、住んでいる階層で、主に船全体のインフラを管理・整備したり、中型艦や小型艦を整備する場所だ。居住エリアは石造りの薄暗い街並みで、産業革命時代の欧州を景観のモデルとしていた。

 ガス灯に似せた橙の灯りがぼんやりと照らす中、酒場からは労働者たちの笑い声や賭け事に興じる声が聞こえてくる。

 そんな場所だからか、第一成人を迎えたばかりの労働者は現在ユーリしかいない。

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