3
「椎名君、話があります」
夕食の後、悠はそっと涼の部屋へ行った。悠の手には参考書がある。
「はる、どうした?お前に勉強教えるほどじゃないぞ」
涼は首を傾げながらも悠を部屋へ招き入れる。パタンと扉が閉まってから、悠は参考書を開いた。
「明日、葉那さんを連れて行ってきてください」
参考書の間から出したのは美術館のクーポン券だ。以前、駅で配られていたもので、学生証を見せることで無料になるものだ。一枚で5人使える代物。
「本当は私が行こうと思っていたんですけど、葉那さんが元気ないので使ってください」
これで葉那が元気になるとは思っていない。第一、この展示が葉那の好きなものかもわからない。それでも、好きな人と出かけることで、少しは元気になれるかもしれないと悠は考えた。
「誘うときには私の名前を出さないでくださいね」
「ありがとう」
涼は首を傾げながら券を受け取る。悠は参考書も涼に押し付けた。
「椎名君、それでしっかり勉強してくださいね」
悠は扉を開いて言う。その声はリビングにいても聞こえるはずだ。涼は苦笑するしかなかった。なにかも計算して悠はここに来ている。
参考書を持って、はるちゃんは涼君の部屋に入っていった。少しして、涼君に勉強するように言って部屋から出てくる。きっと、授業のわからないところの参考書よね。そう思うのに私はなんだか落ち着かない気分になった。私がはるちゃんに抱いている劣等感のせいかもしれない。
「葉那、まだ、ここにいたのか」
少しして涼君がリビングにやってきた。手にはマグカップ。コーヒーの香りが漂ってくる。涼君は私の隣に腰を下ろした。
「葉那、明日、美術館に行かないか?」
「美術館?」
「ああ。学生無料のクーポン券をもらったんだ」
涼君はコーヒーを飲みながら言う。嬉しけど、私はいい返事を返せない。
「はるちゃんを誘えばいいじゃない」
「なんでそこにはるが出てくるんだ?」
私の答えに涼君は首を傾げる。仕方ないよね。涼君は私の考えていることがわからないんだから。
「はるちゃんの方が、話合うでしょ」
涼君は苦笑する。
「はると行ったら、絶対に楽しむどころじゃなくなるな。絶対に難しい話になる。絵の蘊蓄を聞かされそうだ」
私はクスリと笑った。確かに、はるちゃんならやりそう。そして、涼君はドキリとするようなことを言った。
「俺が、お前を誘ったらおかしいか?」
「そ……」
「それとも、俺と一緒に出かけるのが嫌なのか?」
ちょっと寂しそうな声で涼君言う。……ずるいよ。そんなこと言われて嫌だって言えるわけないじゃない。私は涼君が好きなのに。それも、ずっと前から。それこそ、私はずっと涼君に守られてきたずっと小さいことから。
「……嫌じゃない……」
私は顔を上げられなかった。きっと、真っ赤になっているんだろう。頬が熱い。だから、涼君がどんな顔で私を見ていたかなんてわからなかった。
「じゃあ、明日九時半に家を出るから。学生証、忘れるなよ」
涼君はそんな私の頭をポンポン叩いて立ち上がる。マグカップはもう空だった。
「早く寝ろよ」
涼君はそう言ってリビングを後にする。私はしばらくそこから動けなかった。