ナポリタン
この作品は人生です。
インダス川より東に七歩、湿った大地にある男が住んでいた。男の名はヌヮンバ・エクィルァと言った。現地の言葉で「燃えないゴミは明日です」という意味だ。奇妙な名前だが、それはその地方の慣わしであった。変な名前を付けることにより悪魔や呪いから逃れられるという言い伝えがあったのである。
例えばヌヮンバの向かいの家に住む男の名はエィウォキ・ドゥアイクィと言い、これは「四畳半はちょっと狭いよね」という意味だった。
ヌヮンバは魚を捕るのを生業としていた。彼は釣りの名人で、その腕前はインダス川流域全体に知れ渡っていた。それでも余り豊かではなかったが、彼はそれなりに幸せに過ごしていた。
冬のある日、ヌヮンバがいつもの通り彼の親指を餌に釣りをしていると、大きな引きがあった。しめたとばかりに彼は竿を引こうとしたが、親指を切断したのもあり力が入らない。
「エィウォキ! ちょっと来てくれ!」
ヌヮンバは助けを呼んだが、返事はなかった。その頃エィウォキは自身の左腕を挽き肉にするのに苦心していたからである。
ヌヮンバは手を離すべきか思案していた。このまま竿を握っていれば自分は川の中に引きずり込まれてしまうだろう。しかし、こんな大物をやすやすと手放すわけには行かない。
その時、誰かが遠くで叫んでいるのをヌヮンバは聞いた。それはエィウォキが間違って右脇腹を挽いてしまった時の悲鳴であった。その悲鳴を聞いてヌヮンバは考えた。
「今日はゴミの日ではなかったか」
ヌヮンバの家はいつもゴミで溢れている。ゴミの日を忘れてしまうからだ。今回ゴミを出すのを忘れては彼の家は足の踏み場も無くなってしまうだろう。
それは困るのでヌヮンバは先に足を無くしておくことにした。
ヌヮンバは竿を手放すと傍らに置いていたナイフを手に取り、それを自らの右上腿に当てた。下腿の方が細くて切りやすく思えるかもしれないが、そこには脛骨・腓骨と二本も骨があり切るのが難しい。ヌヮンバはひとつ大きく息をつくと、刃を肉に突き入れた。
またどこかで悲鳴が上がった。それはエィウォキがハンバーグの余りの美味しさに上げたうれしい悲鳴だった。
作業は難航した。太腿は太い血管が通っているので血がドバドバ出た。しかしヌヮンバは気にせずナイフを動かす。普段血の気が多いのでちょっと抜いたくらいがちょうど良かったのである。
ヌヮンバは叩き切るようにナイフを大腿骨に打ち付けた。すると骨はクッキーのように砕け、ヌヮンバの右脚はインダス川へと落ち小さな水しぶきを上げた。
これでようやく半分である。ヌヮンバはすぐに左脚に取り掛かった。
「ハンバーグ食う?」
気付けばエィウォキが後ろに立っていた。手には美味しそうなハンバーグの皿を持っている。
「その辺に置いといて」
「うぃ」
ヌヮンバが言うと、エィウォキはハンバーグをインダス川にばら撒いた。ヌヮンバの右脚に群がっていた魚達は、新たな餌が飛び込んできたのを見て大変喜んだ。
「なにやってんの」
「その辺に撒いといてって言わなかった?」
「言ってない」
「言った」
「じゃあ言ったかも」
「ほらな」エィウォキは勝ち誇るようにそう言うと、ヌヮンバの右脚の切断面に目を向けた。「そっちこそなにやってんの」
「俺の家汚いだろ?」
「うん」
「足の踏み場が無いだろ?」
「うん」
「じゃあ足を無くそうと思って」
「天才かよ」
感心したように頷くとエィウォキは、ヌヮンバを川に突き落とした。
「なにやってんの」
「いや、身の置き場も無いだろうなと思って」
「天才かよ」
笑顔でサムズアップするエィウォキの姿をヌヮンバは川の中から見つめた。そして暫く寒中水泳を楽しんだあと、強烈な血の匂いに顔を顰めた。それは一足先に流れていった彼の右脚から流れているようだ。そう、太腿は太い血管が通っているのである。その時ヌヮンバはあることに気付いた。
「足を無くすのなら脚でなく足、つまり足首を切り落とせばよかったのではないか」
自分が無駄な労力を使ったことをやや後悔したが、ヌヮンバはすぐにそれを振り切った。ヌヮンバは引きずらない男なのである。
インダス川の流れに身を任せながら、ヌヮンバは考えていた。本当にゴミの日は今日だっただろうか。しかしそんな些細なことは、川に撒き散らかされたハンバーグの破片の味を前に即座に消え失せた。
今日は燃えるゴミの日だ。そう確信した。
インダス川より東に七歩、湿った大地にある男が住んでいた。男の名はヌヮンバ・エクィルァと言った。現地の言葉で「燃えないゴミは今日です」という意味だ。奇妙な名前だが、それはその地方の慣わしであった。変な名前を付けることにより悪魔や呪いから逃れられるという言い伝えがあったのである。
例えばヌヮンバの向かいの家に住む男の名はエィウォキ・ドゥアイクィと言い、これは「四畳半は学生にはちょうどいいよね」という意味だった。
人生ってこんなもんよね。