神への宣戦布告
「はい終了」
魔王の体は聖なる輝きで貫かれた。
「魔王、さま……?」
「あら、魔王の右腕ともあろう人が、無能を晒すではありませんか」
鮮血が舞う。
舞う。
聖域たる神殿が……血で染まる。
「がっ……あ……」
魔王の肩から腰にかけた傷。
女神の手にするのは、光で形成された神々しさの塊のような剣。
それは傷を創る。作る。
赤、肉、それに骨。黒みがかった濃い血液。
肉片。
「くどいんですよね、貴方たち。さっさと撃たないから魔王、死にますよ」
「ま、魔王様……っ!」
「あぁどうか動かないで。動いたらトドメ刺してしまいます。この『神薬』で回復もさせませんよ」
女神は懐から、透明なこぶし大の球体を取り出し、目の前で軽く振る。そこには淡い蒼の液体が入っていた。
「死ぬまであと5分以内。その前に私の要求を飲んでくだされば、この薬で魔王を救いましょう」
「薬、だと……? 貴様……最初から、これが目的かッ!!」
「えぇ」
クルイスは、魔王の致命傷を見ても錯乱せず冷静に
そう、冷静に握りしめた拳から血を滴らせながら。怒りを滲ませる。
「私の要求は魔王軍の解体、及び指揮権の譲渡。まぁ、つまり、魔界を私に売りなさい。そうすれば命は助けましょう」
「……下種がッ。ラギ様が目的ではなく……魔王軍が目的か……!」
「これは救いです。私だって騙すような真似はしたくないのです、しかし魔族が相手となればまた別。魔族はこの世を荒らす汚れですから」
女神当然のように、魔族を見下す。
この行為すらも……『正義』であるように。
「……こんなのが、俺の住む世界の『神』か。今度は俺ら人間を騙し討ちすんのか」
「何を言うのです、人の子よ。私が守るべきか弱き民に手はかけません。これはそう、断罪なのです。罪は、汚れた魂は、裁かねばなりません」
女神は、足元の魔王を踏みつける。
土と血で透き通るように美しい白の髪は汚れていく。
「同情しますよ、人の子よ。魔族、しかも魔王に好意を抱かれ、よもや婚姻なぞ迫られるとは。さぞ気味が悪かった事でしょう」
「あぁ、正直邪魔だった」
「えぇそれが正常な判断です。相手は魔族なのですから。では、こちらに来なさい。魔王の右腕なんて者の傍よりも女神たる私の傍に、神の隣に立つ栄誉を与えましょう」
俺は、慈愛に満ちた微笑みをする女神の元に歩いていく。
そして……頬をなにかが掠め。
振り返ると、クルイスの胸は聖なる光に貫かれていた。
「そういえば、か弱き人の子に銃を向けるとは。罰の対象でしたね」
冷酷なまでに残忍で、残酷なまでに揺るぎの無い攻撃。
俺は、歩みを止めずに女神の元まで到達する。
「……最初から、魔王とクルイスを始末する気だったか」
「はい正解ですよ。しかし申し訳ありませんでした。魔王と側近を罰する為とはいえ、餌として利用してしまい」
「なんだ、俺も殺すのかと思った」
「何を言うのですか! 私はか弱き人の子に手をかける道理などありません。人間ほど美しく気高い者たちはいないのですから」
女神は心外だと言わんばかりに反論した。
それはまごうことなき、神としての深い愛を感じる。
「此度は大変でしたね。そして利用したお詫びに、貴方のスキルは悪用しなければ無罪放免とします。それと、叶えられる範囲であれば私が加護と祝福を与えましょう」
「なら……俺に魔王を殺させろ。引導は俺が渡す」
「もちろんよろこんで許可しますよ、醜い悪は人に滅ぼされるのが定めなのですから」
「全く、気持ち悪い奴だった、ようやくおさらばできる」
俺は。虫の息の魔王を見下ろす。
「お気の毒に……よければ私が慰めましょう。聖なる加護であれば貴方を浄化できます」
「そりゃいい、約束だぞ。破るなよ」
「勿論です。貴方は愛すべき人の子なのですから」
女神は俺の言葉がお気に召したのか……薬を出したままだった。
右手に武器、左手に薬。
足元には、魔王。
「さて。なら首でも締めるか。地味だが効果的だろう」
「それは良い考えです。しっかりやるのですよ」
「もちろんだ」
そう言いながら俺は――――女神の手から薬を掠め取る。
そして女が反応するよりも素早く、球体の蓋を開け魔王に飲ませた。
蒼い液体は血みどろの口に流れてゆく。
閉じた目は…………。
「おや」
上から注ぐ、声。
「色付きの水を飲ませて、どうするのですか?」
笑い声。
声。
「あははははっ! あははは! もうほんとうに単純なのですね! 露骨に薬チラつかせて、そしたらまんまとノせられて! あぁ! ざんねんです!」
視界には赤に染まった魔王。
虚しく滴る蒼い液体。
動かない、もうわずかにしか生きていない。
「こんな重症を治す薬なんてあるわけがないでしょう? 愚かな人間よ」
俺は深く抉られた肉に触れる。
ぬらりと生温かく、これからその温度さえ無くなる箇所に、触れる。
体温が、生々しく伝わる。
……俺を庇おうとして、こうなった結果を見届ける。
「やはり愛すべき人の子でも、魔王の瘴気にあてられましたか。なれば残念ですが『断罪』です」
……まだ、魔王は辛うじて生きている。
……死力を尽くし、保身ではなく覚悟で身を挺したこの魔王は。
まだ、生きるのを諦めていない。
残り僅かな命を燃やし続けている。
「では、魔族に与する罪人を――――一処刑します」
頭上で死神のような声。
俺は動かない。見向きもしない。
「――――に、げて」
魔王の口から漏れる、うめき声に似た、声。
死力を振り絞り、涙と共に漏らした、王の本音。
この期に及んで……出された最後の声。
そうして。
背後で何か空気を裂く音を聞く。
光の剣は……完全に振り下ろされた。
慈悲も無く、無残に、無用に、殺意すらない『処刑』は決行された。
「なん、っで……どうして!!?」
その光の剣は……殺傷能力も格段に上がっているのだろう。
その凶刃は今まで遮るものなく、全てを断ち切ってきたんだろう。
「どうして、コレを受け止められるのよッ!!」
だが、俺には関係なかった。
「……どうやら。俺は経験値を振ってなかったらしいんだ」
武器は押し返される。徐々に、徐々に。
魔王と俺を覆う『ドーム状の結界』が、その情なき処刑を拒んでいた。
「数多の死線、幾多の絶望、暴力と血と断末魔を浴びながら、一切の成長をしなかった」
「そん、な……くっ、それでも私は神なのですよ!」
「だったら味わってみるか、成長した攻撃を」
そうして完全に武器を押し返し、俺はノータイムで攻撃に転向。
女神の美しい肌に、その身に、その神々しい御身に……右拳を叩き込んだ。
虚を突いて防御さえ間に合わない高速の攻撃は、女神の肩に命中し骨を砕く。
「くっ、こんなもの! 『ハイヒール』!」
女神は回復魔法を発動……そして。すぐさま失敗を感じたのか、ハッと目を見開く。
「もうおせぇよ。『ハイヒール』」
俺は魔王の身とクルイスを対象に、『回復魔法』を発動した。
……結果は。
まぁ、完全回復、とまではいかず気は失っているままだが、死は避けられただろう。
「貴方……神を愚弄するのもいい加減にしなさいよ」
もう、その端麗な顔に余裕は無かった。
口調も、身のこなしも、女神のソレでなく……荒々しい本性が垣間見える。
「どうした? 猫は被らねぇでいいのか」
「そんなものッ! 顕現ッ!!」
女神の手には眩く光で形成された剣。
ではなく、実体化した白銀の剣が握られていた。
それは黄金の呪文が刀身を覆い、振るうだけで悪性がそぎ落とされそうな神聖さがあった。
「これが私の……『神域』。神の武器にして神の威光。これを見た人間は貴方が初めてよ、おめでとう」
女神はその武器を構える。
気おされそうなプレッシャー。そして。
「ハアッ!!」
女神が繰り出すノーモーションの斬撃を、俺の結界は防ぎ切った。
だが、神域と謳われた剣は俺の結界を跡形もなく粉砕し、俺は守りを失う。
二撃目の攻撃は既に目の前に。
俺は光の剣を『複製』し、応戦する。
「へぇ、中々やるじゃない! けど、コピーできたのはその状態だけのようね!」
「…………」
俺は言葉の代わりに剣戟を交える。
足元の魔王に注意を払いながら、ある時は飛びのき、ある時は場所を変えて。
この神聖な、賛美歌でも聞こえてきそうな精巧な造りの神殿で、戦いの手を休めることなくより苛烈に演出する。
「くっ、あと少し、あと少しなのに……!」
「焦るなよ女神。可愛い人の子に後れを取るのか?」
「うるさいッ!! はぁあああああッ!!」
剣は加速する。女神の剣は黄金の魔力を纏って剣先は光の軌跡を描いていた。
対応は徐々に間に合わなくなり、肩に、頬に、傷が増える。
「あはははっ! まだ私は本気でもないのよ! 今ならまだ謝罪を」
「なら本気で来い。殺すぞ」
「……っ! 強がって! 一瞬で決めてやるから!!」
神域と呼ばれた剣は輝きを増し、その光は女神の身体をも揺蕩うように出現する。
分かりやすい強化だと、俺は光の剣を握りなおす。
「『神体強化』。見せてあげるわ、私の全力。一瞬だから焼き付けなさい」
声のトーンを落とし、一呼吸の後に――――俺の身は空中にあった。
「遅いわ」
連撃に次ぐ連撃。もはや女神の行動すべてが光そのもののような、残像が実態を持っているような攻撃だった。
空中から身体は落ちることなく、俺の身体は女神の容赦のない攻撃にさらされる。
重力さえものともしない、絶対的な神の連撃。
その過激な、生命を断つ殺意の籠った攻撃は……まさに『神業』だった。
「……だ」
「なに? 懺悔ならちゃんと」
「がっかりだ」
俺は自身の剣を真横に払う。
それだけで、女神は地面へと衝撃で押し出された。
その顔に美しい顔には……無様な驚愕が張り付く。
「お前に『合わせてやってた』が、全力でそこまでか……がっかりだよ、女神」
俺は地面へと着地。女神を一瞥する。
「あらそう」
女神は……笑う。
まるで…………『本命』はコレではないと、嘲笑うように。
「――――『神の断罪』」
瞬間。
俺の身体が眩い光の柱に包まれた。
「高濃度の魔力を圧縮し生み出した神の魔法よ。か弱い人間が……神に勝てるとでも思った?」
そうして、その光は爆発する。
極度の魔力を圧縮した魔法の爆発、そしてその使用者は神。
静謐な神殿は一瞬で局地的な破壊を招き、爆炎と死滅を色濃く残した殺意の神の魔法は……俺の身体を包んだ。
逃げる隙もなく、俺はその攻撃をまともに食らう。
「あーあ、私の神殿が滅茶苦茶。結構好みだったから処刑はしたくなかったケド……魔族の味方をするなんて神の反逆、見過ごせないわ」
そして。
女神の声が、聞こえなくなった。