能力発現
……さて、こうして俺の窮地を救いだした黒スーツの男。
もとい、魔王補佐官の『クルイス』の説明は理路整然とされており、理解に足るモノだった。
「――――と、以上が現在の状況でしたが、ご理解いただけましたか?」
「充分だ、実感は湧かないがな」
「この異常事態。魔界は勿論、我が魔王軍内にも漏らせない超S級の極秘事項ですから、無理もありません」
そう言ってクルイスは苦笑する。
その裏に一体どれだけのフォローがあったのか、考えるだけで同情してしまった。
「つまり俺は……家出した魔王に惚れられ、婚姻を迫られていると」
「有り体に言えば……そうなります」
「そうなっちゃうか……」
「はい……」
俺はベットに玉座のように威光たっぷりに座る魔王に振り向く。
「おい魔王」
「なんだ? 我が大人しく待っている事に対しての褒美か?」
「今すぐ帰れ、俺はお前と婚姻もしなければ関係も持ちたくない」
言い方は手厳しいだろうが、俺は野望の為そんな事にかまけてる暇は無い。
「ほう、ならば我はダーリンの肉便器となろう」
「…………」
「申し訳ありません、本当にもう、申し訳ありません……ラギ様……」
「……落ち着け魔王。俺は、お前と、関わり、たくない」
「だから身体だけの、都合の良い備品なら良いだろう」
「何も良くねぇよ?」
「中の具合は良いぞ? 新品だし」
「なぁ……」
「これでも魔界を統べる王なんです……申し訳ありません……本当に……申し訳ありません」
クルイス……コイツの胃大丈夫だろうか。
「そもそもだ。俺はダンジョンを壊滅させてきた、いわば魔王軍の敵だぞ?」
「恋に過去なぞ関係ない」
「俺はお前の事を知らなければ、昨日会ったばかりの他人だぞ?」
「愛に時間なぞ問題ではない」
「俺は人間でお前に興味もないぞ?」
「好きだと思う事に壁は無い」
「話聞こう?」
「案ずるな。我は安産型だ!」
「なぁ……」
「魔王なんです……! 魔界を統べる凶悪にして強大にして悪辣な……王なんです……!」
「そうだぞ! 我は良い物件だと自負できる、権力、富、力。全て揃い踏みだ」
揃いすぎなんだよなぁ……王だもんなぁ……。
「俺は『能力を奪う能力』を手に入れるまでそれ以外の無駄な事はしたくねぇんだ。結婚なんて魔王相手でもしたくねぇ」
「だから備品として置いておけと言っておるのだ! 生物でなければ良いであろう! この愚か者め! 好き!」
「そうかそうか。それでな」
「ラギ様が順応していらっしゃる……! しかしレラギ様。その理由ですが」
「なんだ? 俺の野望を不可能だと言いたいのか?」
確かに、これは噂だけの能力。あるのかすらも分からない。
「だけどな。俺は決めたんだよ、何があってもどんな修羅の道でも、この能力を手に入れるってな」
「いえ、その志はとても素晴らしく思います。悪鬼羅刹が集う魔界という地でさえ、貴方様のように自身を追い込む者などいないでしょう。その確固たる信念とその羅刹のような行動、感服致します」
クルイスは敬意を払った言葉で、俺を讃えた。
見え透いた世事ではなく心からのものだというのが伝わる。魔王の側近にそこまで評価されるのは、存外悪くない。
「しかし……貴方様の婚姻拒否が『能力獲得』なのでしたら、それは成立しません」
「なんでだよ。まさかそれすら婚姻拒否の材料に足らないってか」
「ラギよ。それは違うぞ。聡明な貴様らしくない」
「それってどういう意味だ?」
「どういう意味も何も」
魔王は当たり前のように。
「――――貴様、既にそのスキル持っているではないか」
そう言って俺を指さした。
「……あぁ、なんだ。ようやくか」
頭の方に何やら難のある魔王ではあるが、その実力は保障されている。
その鑑定は間違いないのだろう。
昨日の時点で、ようやく俺の能力は開花した。
だが、今まで死に物狂いでやってきて、その成果が報われたというのに俺は冷静だった。
……能力を手にするまで長かった。
喜びさえ…………風化してしまったか。
「まぁ、今までの努力が報われたって事なんだろうな」
…………おや、どうして魔王もクルイスも不思議そうな顔をしてるんだ?
「いえ、ラギ様。その言い方も訂正しなければなりません。」
「はぁ?」
「なぜなら……ラギ様の努力は『報われていない』のですから」
冗談……そんな事を言うような人でもなさそうだ。
だが……努力が報われていない……? あの日々があったからこそ能力が発現したのではないのか?
「まさか、魔王と会ってその魔力にあてられ能力が開花したとか」
「いえ、そうではなく……まさか、ご自身でお気づきないのですか?」
「何を……? いや、魔王が俺のスキルを発現させる何かを寝ている間に仕掛けたのか!!」
「愚昧が! かように人の野心を否定する真似をこの我がすると思うか! 我をそこいらの三下と同列に語るでない」
「なら説明してくれ。俺が今までの研鑽でなく、貴様の仕業でもない。なら他に何の可能性があるってんだよ」
「……? まさか、貴様。本当に分からぬのか?」
「あぁ? なにがだよ」
「いや、愚弄している訳ではないのだ。ただ真にその言葉が偽りでないなら……我は……この事実をつぐんだ方が、貴様を傷付けずに済むのかもしれぬ」
「その事実ってのが何でも俺は受け入れる。話してくれ」
魔王は思慮を巡らせたようだが、俺の言葉で決心したのだろう。
言葉を揺らさず、ただ真摯にまっすぐ直視して……淀み無く堂々と、言った。
「貴様は、生まれた時からその能力を有しているのだ」
俺の今までを、真っ向から否定する言葉を。
「だから、貴様の地獄も修羅も危機的な絶望も、全て無意味だ。既に獲得している能力を獲得できる道理はない」
「い、いや、何を言うかと思えば。それなら俺は研鑽詰まなくても使えたって事だろう? だが現に俺はその能力を使えない」
「それはそうだ、愚かにも完全に努力の方向性を見誤っていたのだ。如何に修羅であろうと絶望であろうと、それでは使用なぞ出来ぬわ」
「そんなの信じられるかよ。」
「……ラギ様。一度、私の右手をご覧ください」
俺は言われた通り、クルイスの手を見る。
その手の平にはマッチのような小さな炎が揺らいでいた。
「火属性の魔法は修得済でしょうか」
「いいや。俺は魔法もスキルも持っていない」
「なら、この魔法入門用の超下級魔法を奪ってみてください。イメージしてみましょう」
「…………」
イメージ。
しかし、それは虚しく失敗に終わる。小さな炎はクルイスの手にあるままだ。
「では、次に私の魔力をラギ様に注ぎます。私の魔力が通った感覚を覚えてもう一度イメージしてみてください」
「待て。それは我がやろう、夫婦初の共同作業だからな」
「夫婦じゃねぇよ」
しかし魔王は、発現とは裏腹に真剣そのものだった。
さっきまでの浮ついた発言が嘘のように、粛々と威厳をもって俺の空いた左手を両手で握った。
きめ細やかな肌に両手が包まれ、そこから何か違和感のあるモノが体に流れ込む感覚がする。
「よいか。この魔力が流れる感覚を覚えるのだ、そしてそれを忘れないようイメージして、クルイスの火だけを奪え」
俺は流れ込む魔力の感覚を感じて。
もう一度イメージをする、右手をかざして、その火を奪うイメージで。
そしてそれは、存外あっけなく終了する。
「嘘……だろ」
俺の右手には。
さっきまでクルイスの手にあった火が灯されていた。
「これが……能力か! 出来たぞ! ははっこんな簡単に!」
俺は遂に嬉しさに声を出して喜んでしまう。
だが……魔王とクルイスは、そんな俺を……信じられないものを見るような目で見ていた。
「なんだよ、俺が素直に喜ぶのが意外か?」
「い、いえ。……まさか、そんな筈はないかと、存じますが。ラギ様、本当に魔法は扱えなかったのですよね、他のスキルも持ち合わせてはいなかったと」
「あぁそうだが。なんだよ」
「その火……私の出したものよりも『大きい』のは、お気づきでしょうか……?」
確かに、俺の手の中にある火は、クルイスのものよりも一回り程大きい。
「いや、これは個人差だろ。なんか魔法にも適正あったよな」
「確かにそうですが、これは『そんなレベル』ではありません……ラギ様のスキルは能力を奪う能力、その実態は能力の複製です」
「そうなのか。どうりでクルイスの手の火が消えない筈だよな」
「えぇ……複製でなければ『ならない』。しかし、ラギ様が手にした火は私のものと『違います』」
「……? それは魔王の魔力があったからじゃないのか?」
「我は魔力の道を作ったに過ぎん。現に、今手は触れても魔力は流してはおらん」
「じゃ何で握ってんだよ」
「それはほら、愛おしい人の温もりを感じたいのだ」
俺は手を振りほどき、火を消してもう一度能力を発動する。
しかし、俺の手に現れるのは、クルイスよりも大きな火だった。
「……魔王様、やはりこれは」
「貴様の考えている通りだ、間違いないだろう」
部屋には緊迫した空気が流れる。
まるで、何かに恐怖しているような、異質な空気感。
「我は貴様の研鑽を無駄だと言ったが、取り消そう。むしろ貴様は『やり過ぎた』」
魔王は驚愕に表情を崩しながら。
それでも大いに取り乱さず、狼狽えず、俺の右手に灯る火を一瞥し、言った。
「――――貴様のスキルは、相手の能力を複製し『上回る』スキルへと、進化してしまった」
世界を根幹から揺るがしかねない能力へとな。そう言う魔王の言葉から、余裕が消えていた。
「ラギよ、クルイスの説明を一言も漏らさず聞くがよい。クルイス後は任せたぞ、しくじれば貴様はこの世に存在せぬと思え」
「御意で御座います。魔王様の仰せの通りに」
「では我は行く。……ラギよ、我は貴様がどうあっても隣へ寄り添い、貴様の全てを赦そう」
魔王は言葉さえ張りつめさせながら、最後に感情を顕わにして。
魔方陣を足元に展開し消えてしまった。
並々ならぬ空気。馬鹿でもこの能力が原因だと推測できるだろう。
「なぁ、このスキル……」
「ご安心ください。我々魔王軍がラギ様を全面バックアップ致します。しかし、その為には心して私の話をお聞きくださいませ」
でなければ、この場で貴方様を殺さねばなりません。
クルイスの放つその殺気は本物で寂寥さえ見られず、緊迫が空間を占領した。
重々しく口を開くその所作でさえ……緊張しているようだ。
「それではこれより、ご説明いたします」
手の中の火は、既に消えていた。