裸エプロンの魔王
「なんだ夢か」
翌朝。
相変わらずダメージの残った身体と、相変わらずの廃墟っぷりをみせる我が家で現実を認識する。
まったく、奇妙な夢だった。
「……魔王に惚れられる夢って、なんの暗示だ?」
占いの一種で夢で診断するものもあるというが、魔王からの告白って何を意味するのだろう。
というか……恋をしたという言葉から先の記憶が無く、そこで夢から覚めたのだろうが……だったら俺は、いつから夢を見ていた?
気が付いたらこの薄汚れたベットの上で、帰ってきた記憶も無い。
……体の疲労からして、鍛錬を怠ったという線はないのだが。記憶を失う程に疲労困憊していたという事だろうか……。
「まぁ、いいか」
ただのおかしな夢だった、という事にしておこう。
別に深く考えたところで能力が開花するわけでも無し。
それよりも。今日も元気に死にぞこなって、鍛錬に励もうか。
「……確か、干し肉まだあったよな」
この郊外にある廃墟と化した屋敷は他に部屋はあれども、俺が使っているのは二階のこの部屋だけ。
散らかってはいるが……しかし、ここにある物しか俺の持ち物はない。
散らかった所有物の中から買いだめしている食糧を見つけ、喰らったら準備を整えダンジョンへ。
これが俺のルーティン、日常生活…………だった。
「…………あ?」
俺は、動きが完全に停止した。
干し肉を探そうとした視線が、そのまま部屋を見たまま固定された。
「……部屋が、綺麗、だ、と?」
さっきまで鈍っていた頭が急に鮮明になる、眠気が飛ぶほどの異常。
俺は鍛錬には気を払い、準備や努力を怠らないが……しかし、それ以外の事は無頓着だ。
掃除なんてその最たるものだろう。
なのに……何故……『部屋が片付いている』?
「ま……まさか、俺がやったのか」
俺は昨夜の記憶が無く、現実と夢とがごっちゃになっている。
昨日は相当自分を追いこめたのだろう、そんな修羅は心から悦ばしい事だが……満身創痍を超えた状態で、俺は整理整頓をしたのか?
……疲労がピークを通り過ぎ、ハイになって急にいつもとは違う事をしたのだろうか。
酔っ払い過ぎると記憶が混濁し、行動が支離滅裂になるのと同じで……ドーパミンが過剰分泌されて精神狂ってたのか?
「塵一つ、落ちてねぇ……」
いや、それにしてもだ。
やるにしても、ここまでやるのか……?
……整理整頓なんてレベルじゃない。
『清掃』だ。
目的が整頓ではなく、この場の掃除。いくらハイになったとはいえ、そこまで徹底するか?
夜明けまでかかりそうな手の込み具合だ……およそ汚れと言えるものが一切残っていない。
「……掃除のスキルにでも目覚めたか、俺」
俺はこのいき届いた清潔に違和感を感じつつも、いつも通り干し肉を一枚齧りダンジョンへ向かう準備を整える。
掃除のスキルに目覚めてしまったとしても、目的はあくまで『能力を奪う能力』。
俺がやる事に変わりはない。
「入るぞ、ラギ」
あれ、整理され過ぎて逆に何処に何があるのか分からないぞ。
……んー、いくら不幸を、逆境を、修羅を良しとする俺でも流石に無防備でダンジョンには行きたくない。
「何を探しておるのだ、これほど整然されていれば分かろうというものだぞ旦那様」
「あれ、止血用の包帯どこいった」
「それならば、そこのタンスの上から二段目だ。この粗雑ご主人様め」
「あー、ここか。いや、結構使うからな包帯、あってよかった」
「備蓄は戦いの、ひいては兵法の基本である。十全な備蓄を心掛けよアナタ」
「……あ、残り少ないな。露店で買うか」
「馬鹿を言ってくれるな、道化は間に合っているとも。我が買い揃えようぞ、夫よ」
……そうか、俺の疲れはピークに達しているのか。
精神的に参っているんだな。
「…………幻覚が見える、幻聴も聞こえる、今日は休むか」
「なんだと!? それを何故言わぬたわけがッ! 直ぐにでも我が魔王軍が誇る医療班を招集するぞ新郎!」
「ちっっっっっげぇえええええええよ!!!! テメェだよテメェ!!」
「どうした、そんな叫んで。益荒男っぷりが心を震わせるぞダーリン」
「どうしたもこうしたも無い! 異常だろこの展開!?」
「うーむ…………」
「いや考える事じゃないからな!? 一目瞭然だから!!」
「……彼ぴ?」
「俺が言ってんのは呼び方じゃねぇえええええええええええええ!!!!」
「夫ぴ!」
「確信してんじゃねぇよ! ちっげぇよ!!」
「では何ぴなのだ!?」
「何ぴでもねぇから! っていうかなんだよぴって!」
「我は貴様に恋をした。もうらぶちゅっちゅしたいのだ、分かるだろう!」
「わっからねぇよ!?」
「あの時、絶望の淵から我を救ったダーリンだからこそ、我は妻となり支えようと決めたのだ。故に、今日のコーディネートは裸エプロンである、拝謁することを赦すぞ」
「すげぇ、何一つ理解できなかった」
「まぁまぁ落ち着け我が運命の人。さて、今日のフレンチはどうするのだ? パンケーキなど良いと思うのだが」
「…………もう全てが分からねぇよ……誰か、誰か説明してくれ……ッ!!」
俺は膝をつく。
凶悪なモンスター相手でも諦めず、常に打開の道を探ってきた俺が遂に折れた瞬間だった。
その絶世のプロポーションと、燃え滾る様な紅い瞳に、肩より長い純白の髪。
誰もが一度は振り向き、その威光に思わず平伏しそうになる美貌を備えておきながら、なぜか裸エプロン姿というこの異常事態。
もう、誰か助けてくれと思った。
「……分かります。魔王様に振り回される気持ちが」
ポンと、優しく肩を触れる誰かの手。
俺はその手の先を見て、心から安堵した。
「……黒スーツの人っ!」
「私が……責任を持ってご説明させていただきます。ラギ様」
何故この部屋に居るのか。あの夢は現実だったのか。
色々言いたい事はあったが、俺はこの真面目そうな男性が話の通じそうな人だというだけで、常識人だというだけで……救われるようだった。
「ほう、ならば我も説明しよう」
「「いや結構です!!」」