魔獣と力とタキシード
「あ、ぅ……お兄、ちゃん?」
俺は少女の代わりに、魔獣の爪をその身で受け止める。
肉を裂き、地面を抉るような威力の攻撃を背中で受け止める。
「……目。閉じてろ」
俺はそう言って。
少女が目を閉じたのを確認してから、ゆっくりと魔獣へ向き直る。
俺が、全くダメージを受けていない事が理解できないのか。
魔獣は恐れるように一歩、その脚を引いた。
地面を穿つかのようにその両足を駆動させ、魔獣は俺から逃走の体制に入る。
「逃がすか――――『神の裁き』」
その逃走を許さない。
神々しい光の柱がその巨体を貫き一切の慈悲なく爆発した。
戦闘から離脱する前に、その命が終わる。
獣の血が、臓物が、黒々とした内臓が華のように飛び散った。
「ねぇお兄ちゃん、もう終わった?」
「あぁ。これで終わりだ」
俺は少女の身体を反転させて、背中をトンと押す。
「そのまま逃げな。振り返るなよ」
「うん、ありがとう。おにいちゃん!」
少女は駆け足で街の中へと消えていく。
別にこんな配慮をしたところで俺には何の得もない、ただのゴアだ。
昔なら……あの地獄の日々なら間違いなく最初に魔獣を殺していただろう。
「俺も、優しくなったものだな」
「はいはーい。お優しい男の人こんにちわー」
唐突に目の前に魔方陣が現れる。
その中から現れるのは、黒い仮面をつけたタキシード姿の女だった。
敵意もない殺意もない。だが、俺の緊張は止まらない。
戦闘態勢を崩さず。俺は正体不明の女を睨んだ。
「……何者だ、テメェ」
「それはこっちの台詞なのよ。どうして貴方だけ倒れないの?」
戦場は、俺と女以外の声が消えていた。
さっきまでさかんに動き魔獣をけん制し攻撃していた奴らの声が……まったく聞こえない。
ただ、俺の目の前には……さっきまで声を発していた奴らの倒れた姿だけが映し出される。
生きているか死んでいるかも分からない、ただただその場に倒れている。
そんな極限の状況で、不釣り合いなくらいに女はかたかたと笑った。
「まさか、まさか私の能力に打ち勝っちゃう人が居るなんて、知らなかった! いや、これは借り物を壊しちゃった分以上のおつりがくるよねぇ!」
「テメェが魔獣をこの場所にけしかけたのか」
「そうりゃそうでしょ、だって私の登場がかなり黒幕っぽかったでしょ?」
「趣味にしちゃ性格悪いな」
「あはははは、そんな事言わないで。私は貴方の友達になりに来たのに」
友達。
そう言っている間にも、俺はコイツを殺すかどうかで葛藤していた。
こいつは明らかに、何か『知っている』。目的がある、それを聞かず殺すのは……正解とは言いずらい。
「なら、友達になりにきたんなら、手土産が魔獣ってどういう事だよ。致命的だ」
「ごっめーんね。でも友達になりにきたのは本当。ほらよく言うじゃない。友達は選びなさいって、だから選んだの魔獣をつかって」
「だったら俺も倒れた方が良かった。キチガイに絡まれるくらいならな」
「ひどーい、私達もう友達なのに!」
前触れも、なにもなく、女は俺に向かってナイフを投擲した。
言動と行動がかみ合っていない、あまりにも唐突過ぎる不意打ち。
だが、見え透いた牽制だ。
俺は目の前のナイフを手で払い、その勢いのまま背後に裏拳をかました。
「っきゃぁ!?」
手の感触はそのまま……成功を意味する。
「うわぁ女の子殴るとか、友達殴るとかサイテー」
「……ッ!?」
馬鹿な。俺の拳は確かに命中した……。
それなのに……どうしてコイツは目の前にいるッ!!
「うんうん、でも仕方ないよね。私達まだ友達始めたばっかだし、だからこれから仲良くなっていこうね」
仮面に覆われ、表情はうかがえないが。
その声はまるで俺をおちょくるように、にこやかに笑っている気さえした。
タキシードの女は挑発するように、俺の顔を撫でる。
「さて、問題。私はどんな能力でしょーか」
俺は顔面を貫く様に殴る。
感触はある、そうして目の前で砕け散る姿も鮮明に映る。
だが、俺の拳で仰け反り破壊された筈の仮面は瞬く間に、消え去って。
背後から、調子のいい声が聞こえた。
「そんなウキウキしないの。いくら私が可愛いからってだーめ」
「可愛くねぇ……さっさと死ね」
「おー怖い。そんなんじゃいつまで経っても私倒せないよ?」
その声ごと殴る。
だが、そのたびに感触があるのにも関わらず、背後を取られた。
「早く早く。この状況を聞きつけて助けに来た人全員、殺しちゃうんだから。でも私を倒せたら、全部治してあげるねだって友達だもん」
……俺は、一度思考する。
あの時。平和で緩み切った日常を謳歌していて錆び着いた『感覚』を研ぎ澄ませた。
「あれ? 本気モード? ちょっと遅いんじゃない?」
だが。完璧には戻らない。
あの頃の状況と今の状況、違い過ぎる。そんなオンオフで切り替えられ無かった。
「いいや、これで充分だ」
だが。相手が神ならいざ知らず、こんな女だけなら……少しばかり『思い出す』だけでことたりる。
「問題、あったよな?」
「そうそう問題あるよ。正解したら私が『情報』とこの場の『救出』両方叶えてあげる」
「そうか、だがその問題。一つ決定的な穴があるぜ」
「ふっふーん、そんなブラフ仕掛けたってこれ以上ヒントはあげられ」
俺は、能力を発動する。
それは神域、それは絶対的な支配者の力。
俺の『支配者』により強化された、至高の『命令』。
「――――『無効だ』」
『神の託宣』。
俺は、今度こそ女を殴り飛ばした。
目の前で余裕を振りまいた女は、消えず背後に移動することも無く……当たり前のように殴られ、当たり前のように拳に肉を殴打した生々しい感触が伝わる。
女は顔から血を流し、半壊した仮面の奥で驚愕と混乱の渦中にいるかのように声を震わせる。